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眺めし望み

 不死身のギルスナッド、という二つ名が主人の快挙にはしゃぐフォルクスの喧伝ですっかり広まった学院内。無事の報に胸をなでおろしたアルハは噂が耳に入るたび再会の機の訪れを願うばかりだった。


「アルハ様ぁーーー!!!!」


 人気(ひとけ)の切れた学院内通路にて、ライオットに随行するアルハの背へ縋る声。

 目を潤わせ引き離されていた母親に駆け寄るように抱き着いてきたセレネアは勢いがままアルハを振り回し、たたらを踏み外すアルハの足が浮いたところでくるりと反転させ横抱きにして仁王立ち天を仰いだ。

 突然の衝撃にアルハは首根っこを掴み上げられた猫のように思考停止に陥っている。

 と、呆然と眺めていた空が陰った。


「アルハ、たでーま!」


 視界がぐいっと一段迫って縮み上がる肝もそぞろな意識をギルスナッドの声と笑顔が引き戻す。背と膝裏を支える腕、硬い胸板と反対側で抗議とともに握られた柔らかな手の温かさが徐々に硬直を溶かした。


「お、おおかえりなさい!ギル様、セレネアさんっ!」


 抱き上げられたままの自身に慌てふためきつつも喜色の声で迎えたアルハに、ギルスナッドとセレネアはさらに頬を綻ばせた。はしゃいだ二人に振り回されながら遠心力で歪む視界の端にライオットを捉えたとき、その表情が、アルハの心に強く強く焼き付いた。




 アルザ辺境伯領における国境紛争の終結は特段領外の市井を沸かすことはなく、季節の巡りに足並みを揃えるような遅々とした戦後処理が続いている。

 アルハはライオット付きの従者の真似事も疎らに、ノルウェットとメイディアナ陛下に社交界を引き回され、オルガイアに呼び出されては雑談に花を咲かせ、時折セレネアが顔を覗きにきてくれて、凱旋を経て寮室まで堂々と単身で訪れるようになったギルスナッドと他愛ない話をする日々を送った。

 学院の卒業を迎えたライオットとギルスナッドの式典では付属品たる使用人として並び立つ心地であったのに貴族として卒業するようにと在籍続行を突きつけられ、セレネアとも泣き別れることに。にもかかわらず以降も王族方のペットのような扱いによって学業には従事できない日々を過ごした。

 一年後にウィルオストの答辞を聞きながら抱いたのは、自分が出席すべきは学院(中・高校)ではなく学園(小学校)の式ではないかという場違い感で。ようやく形骸も甚だしい学徒の肩書きが剥がれたとき、アルハは淡々と明日以降の行動や行程を整理していた。足元のおぼつかなさに心揺れていた過去から変わらず住所不定ほぼ無職ほぼ無一文といえば否定できない身の上のまま。


 とある麗らかな午後、学院に進学したオルガイアは学業の傍ら政務をこなしていた。年齢を重ね進学したから、というよりは概ねアルハの所業で紐づけられてきたオルガイアの名を冠する事業の最終決裁を自ら担っている。

 一応相談役として頻繁に呼び出されているアルハではあるが、多少それっぽい話題があってもアルハとしては天使といつも通りきゃっきゃしているだけなので業務という感覚が未だにない。息抜きにも等しい時間だけに、ありがちなうずたかさはないものの己の口さがなさ故に積まれた書類がオルガイアの余暇を奪ってしまっている光景に眉尻を下げた。


「オルガ殿下は、決められた生き方への反発とか、道を逸れてみたい葛藤など抱いてませんか。」

「ん? 反抗期ってこと?」

「あー...ちょっと違いますねー」


 与える立場である天皇に姓がないように、身分のピラミッドの頂点で身動きの取れない彼らの眼下に散らばる選択肢は痛みをもたらさないだろうか。そんなアルハの杞憂をよそに、王族なりの普遍をもってオルガイアは笑んだ。


「やりたいこと、やってみたいことを我慢しなくていいって教えてくれたのはアルハだよ。よりどりみどりに招聘できる利点すらあるって。大丈夫、ぼくはだれより恵まれている。」


 ふんすと胸を張る様子に裏はない。ふふんと得意げなあどけなさは、ふと和らいだ表情で一気に大人びる。


「ぼくはね、他人のものを欲しがっちゃいけない。ぼくは頂にいて、すべてが与えられる。ぼくは、ぼくがいただく浴びるほどの御恵(おんけい)でみんなを照らす存在なんだ。アルハがくれたお仕事たちはぼくがぼくであるためってこと。」


 誇らしげに細めた天の光を透かした瞳が人知を超えた色彩を宿すような。細められた淡紫のプリズムは最も愛おし気に揺れて煌めく。御手を離れた書類が卓に平伏すると、神々しく拍動を刻む尊きいのちの象徴に無垢なてのひらが添えられた。


「受け取るばかりのぼくだけど、いちばんはじめは違うんだよ。さいしょのさいしょにぼくはあげたんだ。なによりたいせつな…もうひとりのぼくに。」


 誰よりも何よりもと重んじた存在があるのだと、オルガイアの眼差しがアルハを照らす。


 __バニシングツイン。


 すとんと、いままで触れた()()の事情がアルハの腑に落ちた。ライオットに混じった血も、慧眼の及ばぬ道理も、唯一の光だ救いだと一目で膝を折ったという光景も、失って魔王と称されるIFも、そのすべては二人がひとつだったからなのだと。


「オルガ殿下の『みんな』はただ一人だったのですね。」


 厳かな微笑みは肯定に等しい。


「みんなが、悲しみや苦しみに囚われずに前を向いて生きる。みんなが誰も傷つけることなく大事な人のしあわせを願える日々があれば。ぼくが、おだやかでしあわせな日々をみんなにあげられたら…」


 それはきっと、加減をまちがえたら退廃を招く慈しみ。


「あのこの眺める世界(みんな)があのこにやさしくなる。でしょ?」


 規模は違えどオルガイアとアルハの望むところは同じなのだと諭されて、アルハは無性に泣きたくなった。ライオットを、ただ、彼の生き苦しさが和らげばいいと。

 随分と前に二人で歩いた人気(ひとけ)無い丘の上で肩の力が抜けていたように、先日の学院廊下でアルハを振り回すギルスナッドとセレネアを穏やかに微笑んで眺めていたように。

 そう願う同志がいてくれたことが心強くて。


「ひとりよがりな欲求なんだ。ぼくは、あのこのしあわせな姿を眺めたい。むかいあっても鏡みたいで、隣り合ったら影に徹してしまう。あのこが頂に立てば、ぼくと離れて自由になればって、でもどうしてもあのこはしあわせになれなかった。なれないってわかってた。アルハが現れるまでは。

 あのこがぼくを光だと感じたように、ぼくにとってアルハが光だったんだよ。宿りなおしてもお腹でいっしょにいたときのまま、あのこを案じるばかりで自分のことさえままならなかったぼくに違う世界を聞かせてくれた。()()()に世界が変わってたんだ。袋小路にあらわれた扉が開くように、アルハがぼくを狭くて暗い世界から出してくれてた。」


 語るオルガイアが神々しさで光り輝いているから違和感が仕事をしないが、胎児の自我に二度目の人生やらとまるで理解の及ばない告白。しかしアルハはオルガイアの事情を素直に受け入れられた。そもそも己こそ異世界転生云々としての奇々怪々を抱えたひとりだから。


「…もしや私、オルガ殿下の手のひらで転がってました? いえ、構いませんけども。」

「アルハとライライがくっつくようにって? むりだよ。初めましてまでアルハのこと知らなかった。それに、あのこはぼくのために動いてくれるけど、ぼくの思うままにはならないもん。」


 いただくものであまねく照らさんとするオルガイアを調整し影から差配するライオット。その役割分担は異能や立場を考えて分かち合ったわけでなく、性分によるものなのだろう。


「知ったあとにだって、(ぼく)知れず摘んで囲い込んだお気に入りのお花を愛でてる子にわざわざ『その花を愛でてあげて』って言う? 野暮でしょ!」


 カラカラと笑うオルガイアにアルハの顔が赤くなる。そんな風に見て取られていたのかと羞恥に耐えていると見透かしたように、ライオットがわかりやすすぎたんだよと慰められた。

 くつくつとした笑いの落ち着いたオルガイアは滲んだ涙を拭いながら眉尻を下げ、俯き、言うか言わまいか逡巡のうえで申し訳なさそうにアルハを伺った。


「ねぇ、アルハは求められてる。アルハと話して、気付きがあって、『ありがとう』がうまれてる。価値があるっていいかげん認めてよ。アルハの思う形とは違っているのだとしても。」


 未だ一応の雇用形態はライオネル家ライオット付き侍女だろうに職務放棄甚だしい有様で、公爵家御令息に据えられた辺境伯の養女とはいえ学生時から成年を経てなおの婚約者の身分。ローズ公爵夫妻が仲良く天を仰いで呆れる現状を維持している。

 ライオットの業務柄、会う頻度はまちまちながら関係は変わっていない。主従という上下関係があるにしてもアルハにとっては前世における社会人男女の交際関係としてさほど違和感のない距離感ではある。想像比で若干の愛人は拭えないが。


「え、いや、その、私自身に価値がない、とは思ってませんよ。寄与できていると自認できる事柄も増えてきていますから。はい。」


 凱旋したギルスナッドがドヤ顔で宣言した陥落敵対地域のアルザ領併合に待ったをかけて属国的緩衝地とすることを勧め、知らせを飛ばしたガグナードの一任を得たアルハはライオットの差配のもとギルスナッドの傍らにオルガイアを添えて王陛下へ提言してもらった。裁可を経て国策の一環として国教会による復興支援という名の同化政策が行われているが、派遣された司祭たちの苦鳴がアルザ領への異文化を携えた難民・移民流入による悪影響を防いだことを実感させてくれている。

 その他、いつか議会で喚き散らした地方の上下水道的インフラ整備も段階を踏んでいて、貧困層や他地方から雑多に集まった治安意識の低い工夫(こうふ)達の取りまとめに派遣されたアルザ領兵が職人なり役人や住民とのトラブルを防ぎ、キツい労働こそ率先して取り組める屈指の兵共(つわものども)として現場で尊敬を集めている。完成の折には職人や現場監督のノウハウを吸収した彼らがアルザ辺境伯領への大きな土産になるだろう。

 公共事業を行えば人と金が集まって経済が活性化する。維持管理に割いた人手の生活を支える商いが根付き、烏合の価値観を国教会が均す。土地と治安が整えば人の暮らしはより豊かになる。泡のように膨れる経済に増税の冷や水を浴びせながら蓄え備える。市街化範囲を限定し余力と自然保全区分を予め確保しておくオルガイア一派の敷いた行程を今のところ人々は忠実に踏み固めていっているようにみえた。

 どの公的書類にも表立つところにアルハの名前はない。それで構わない。すべてはオルガイアの功績でいい。それでも様々な人々の手によって育まれ芽吹きつつある種子の出所(でどころ)は己だとさすがに自覚している。

 そう、自覚できている。


 この世界の価値観を書国(前世)に合わせる必要はない。


 自らが紡いでノルウェットへ提示したはずの言葉が長らく己の喉元に居残っていたことにすら気付かず、いつしか胃の腑に落ちて消化を終えていた。そのことにアルハは、たった今気づいた。


「ならもう受け取れそう? アルハのこと必要だって、そばにいてって示す形、あのこの気持ちを。」


 オルガイアの示すところは婚約の先、ライオットとの婚姻だろう。

 多少の貢献を自覚したとして将来的に公爵夫人を名乗る道筋に乗るのは未だに身が引ける。極力表舞台に立ちたくはないのがアルハだ。メイディアナ陛下がライオネル公爵を(たばか)っての落胤作りを成功させたことでライオットが公爵を中継がなくてもいい可能性があるとはいえ。だからこそわざわざ開ける必要もないと蓋をして棚に上げているのはライオットとの共通認識だと思っている。

 ライオットとアルハの関係は変わっていない。気の向くまま芽吹かない種を撒き続けるライオットに、ぐずぐずにほだされたアルハが変化を恐れるようになっているだけだ。


「あのね、二人が二人なりにだしたこたえに…水を差したいわけじゃないんだ。これはぼくのわがままで、ぼくにぼくの願いを叶えるちからがあるからのおねがいなんだけど…」


 オルガイアは、以前痣にまみれたアルハの身体を撫でたように、不能の烙印を押されて久しいアルハの下腹部にそっと手をかざした。幼かった小さな手は、いつのまにやらアルハとそう変わらない。


「あのこが望んでいなくても、ぼくがあのこの子に会いたい。だから、アルハに産んでほしいなって。」


 オルガイアによる治癒に思い至らなかったわけはない。それでも、期待したことはなかった。願うつもりもなかった。ライオットが口にしたこともなかった。その機能や可能性が所詮は選択肢を考慮する材料でしかなかったからだ。

 割と無理矢理にライオネル家の嫡嗣を出生させたことに思うところがあったアルハへメイディアナは「産まれ方がどうあれ、この子は望まれて生を受けたのよ」と満悦の態度をとってみせた。出自を気に病まないくらい愛してみせるわと豪語した格好良さがアルハの胸に刺さっている。

 愛せるだろうかと、ライオットとの子を想像した自問に安易な即答が返ってくる。しかし、ライオットはどうだろうか。


「もし、できたら。オルガ殿下も愛してくださいますか?」

「もちろん!」


 オルガイアの快い返事にアルハの頬が緩む。

 治癒の異能を発現する手前の、その遠慮がちな手にアルハはそっと自身の手を重ねた。


「お願いしますオルガ殿下。私の喜びがオルガ殿下の喜びに繋がるって、とっても光栄で幸せなことですから。」

「っ!! うん!うん!ありがとうアルハ!!」

「いや、あの、でもいいんですかね、いえ、ライオット様は子供が欲しいわけではないとのことですが、できるまで作ると。孕めば産めばいいとおっしゃってましたけれど。できたらできたでどうなんでしょう。私やお医者様より気付くの早そうですけれども…」

「ふふっ、ライライは現状で完結してるつもりだから、これっぽちも全然全く欠片も関心無いもん。素直におうかがいしたって断るだろうし。アルハがぼくのお願いを聞き入れてくれた、それでいいんだよ。大丈夫、視界に入ったところでしばらくは気付かないよ!」

「どんな反応をすると思います?」

「えっと、ね、誰も不幸にはならないかな。」

「オルガ殿下、目を逸らさないでください…」

「えへへ、だいじょうぶだいじょうぶ!みんなしあわせになる!!」


 回復した胎に、または命の宿りに、それともお腹が膨らみはじめたら? いつ気付くだろうか、どんな反応をするだろうか、そもそもが良しか悪しか。悪しはないだろうとして互いに誠実さを放り投げた。

 アルハの下腹部へオルガイアの異能が及ぶ。強くも柔らかな慈癒の光の終息を二人で眺め、収まれば見合って含み笑いを零す。

 勝手なことをしている。でもたとえ怒られたって、呆れられたって、彼との間にある絆は変わらない。そんな性質の悪さを二人で自覚しながら。



 その後、言うか否かと揺れるアルハの様子を見て取っただろうにライオットは何も言及しなかった。含みのあるライオットの眼差しにそっと目を逸らして口をつぐみ、罪悪感をサプライズという単語で蓋をしたアルハだが、以後、潜在値の高さに定評があるだろうパーフェクトボンボンボーイは放つ弾のことごとくをはずしたもうた。

 幾度目か気分屋な月の巡りを迎え、ポンコツなのは(ゆみ)(まと)かと首を傾げていたところ


「そろそろ的を射てもいいかと思っているが。」


 と、ライオットに提示されたのは婚姻申請書。


「ちゃーっす!殿下からのお届け物でーっす!」


 とどめとばかりに王陛下より認可済の婚姻証書の写しがルルスによって届けられた。

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