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踏み破る

 聖教会が戴く神アイフラ。アイ、フラー。なんとなく自尊心が高そうな女神の名。

 身の程を知れと言わんばかりに天井高く誂えられた国教会内部の談話室。国教会最高位に着任したトーサと王太子であるオルガイアの御前にて硬く血の通わない融和の象徴に見下ろされながら、メイディアナ陛下に翻弄されたいつかのようにつらつらと語るアルハの焦点は遠く。


「__あくまで私の価値観に照らして言わせていただくと、神の御名のもとに代弁者が他者へ命じた時点で逸脱…胡散臭い(カルト)と思ってしまうんですよね。信仰とは、他者に強いるでなく己を律するものであってほしくて。」


 法律が道を外れないための標識なら、信仰は正しい順路を踏み固めるための目印か。故国ではそれらが害(外)意に浸食されていることに凡人は不安を抱き、狭まっていく獣道のような先人の軌跡を読み取り踏みしめる誰かの背中に守られていた。

 語ればこそ騙る必要がなかった神その人だとして、天皇は神としての言葉を発しなかった。敗戦を経た現代では国事行為として民選を経た宰相から奏上された決定事項への形式的な認可を行いつつ、ハニトラで堕ちた代はさておき大抵は親善や神事に尽力くださる国家神道における滅私奉公の体現者だ。

 それらをイフスエルにスライドできるか、と問われれば、否だろう。オルガイアの異能を高めたらしい掘り起こしの祭礼すら外様の神が付託者に与えた加護(バフ)のようなものだという。他多国をまたぐ外部組織が配った免状の一枚であるイフスエル王家の正当性は為政の実権を堅持してこそ保たれる、たぶん。イフスエルに重ねるべきは単一国家の日本でなく、EUやUSAのような連合国家の形態なのかもしれない。国家運営と王侯貴族の在り方が微塵も重ならない気がするけれど。


「わかります。神の前にひとえに傅く信徒の代表者でありながら、神に並び立とうとする不遜、背を向ける不敬はけしからんです。」

「でも大元の聖教会にも教祖なり教皇なりの代表者はいらっしゃいますよね。」

「いえ。アイフラの付託せしめし王家王国に携わる各国教会の長が持ち回りの本部に連絡使を派遣して卓を囲ませますが、あくまで報連相の場。戦乱の終結を成した聖教主席の天召をもって聖教会専属の人員はありません。長を辞したはずの司祭共が評議会などという別卓を持ち込みふんぞり返って我田引水の所業の有様を呈してはいますけれども…!」


 聖教会という本山は概念の存在となり、各国教会なる支部がそれぞれの国で根を張っていると。均衡の優劣は各国さまざまで、イフスエル王国はトーサの着任をもってほぼ水平に至ったという。

 OB連合らしきものは経団連みたいなものかな。そうアルハはざっくりとした印象で思い浮かべた。功績と実績を持った人たちの掲げる生存バイアスじみたご高説は再現性に乏しく、公益を生み出さない。どんな穀物も見事な餅にして世間にあまねく振る舞う魔法の杵柄、と期待されたお偉方の円卓は、かつて杵に刻んだ名前に胡坐をかいては社会の金を投じるはた迷惑な老人会の遊戯盤、のようにアルハには見えていた。


「既得損益への堅持執着は人の性ですもんね…。」

「教えを仰ぐ信徒(しんと)ならまだしも、神に仕えし神徒(かみのと)が人の性に屈するなどまっことみっともない。」


 そうはいってもAI的に無私な機構で運用しない限り、我がため誰がためと栄えを枯らし盛っては衰えて諸行無常にいたる人の螺旋は覆せるものではない。なにより、善性によった理想郷よりも、腐敗による滅亡のほうがまぁ容易い。文化文明の成熟を経た腐敗であるほど膿は群と沼の様相をもって、抗いに立った孤高の勇者を人知れず沈めていくのだから。


「聖教会はライライがよしよしするよ。トーサはぼくらとなかよくしてくれる?」

「一定の国家観と倫理の修得を基礎教育として波及させる件でしたらジョッシュ殿下とシルブルム殿下のお二方からうかがっています。自他を尊び争いを忌む理念はアイフラの教えに合致するところですから、教育人材や場所なり蔵書保有量の現況から教会での説法邁進を提案いたしましたが、国の理念は国による教育で主導されたいと。」

「トーサさんは国教会の影響力に障りかねないその教育政策を反対されないのでしょうか?」

「私個人としては全く。人々と語らいあう機会が減るのは残念ですが、説法を禁じられるわけではありませんし、主責である冠婚葬祭はもちろん拡充を求められた障老福祉も神徒として信徒に尽くす良い役回りでしょう。」

「わーい、ありがとう!」

「喜んでいただけてなにより。」


 喜ぶオルガイアの傍らで、アルハは素直に感動した。書院の管理権が餌だったとはいえ無欲過ぎないだろうか、と。

 前世での新興宗教は大抵、有名な僧や神の子の生まれ変わりだ声を聞いただと既存のネームバリューを座布団にした教祖礼賛のメンタルサービスサブスク。虎の威を借る狐というか、虎を騙る狐というか。そういった輩の集金システムであるとアルハは認識している。

 年月による熟成を詐称で代替するから権威を醸造できず利権で腐りおちる。サブスク信者を消費者や票田にセットパッケージして売り込みコネを捏ねて肩書を量産させて利権に噛む始末。甘えと怠惰を美辞麗句で飾りがちな彼らは、金・性・薬に溺れることもしばしば。

 かといって古来より根付いた神社や寺には内輪にこもりがちで、新興宗教のような機動力は発揮されていないように見えた。普遍に伝統と文化の継承を主目的とした運営に利潤はなく、寺社の専売ともいえる葬送関連の事業すらコスパが悪いとして廃れつつあったほど。保育幼育や療養護施設なども官民多様のひとつに埋もれてあまり目立たない。


「いやあ、国教会は競合なく身銭を所属国に保障された安泰の組織なので。神徒は祈って清貧と奉仕ですよ~」

「本部は外部でも支店は内部な準公務…業務委託の外部NPOみたいな? でも、だからこそ奉仕で満足できないのが人間あるいは組織というものでは…。」

「ふふふ、神に仕えている自覚が足りない。銭の湯に浸かりたければいち信徒として励めばよろしい。アイフラの授けし富は平和の購入と維持がための基金です。横領して贅を貪るような叛徒は縛り首がお似合いですねー。」


 おっと過激。急転直下で黒く冷えた語尾にアルハの肩が跳ねたが、幸いにしてなにやら筆記中のオルガイアには届いていない…にしては絶妙なタイミングで手が止まる。


「トーサの話をきいてると、聖教会は()()とはちがうね、アルハ。」

「あ、はい。足るの加減を知りつつ敬虔なトーサさんの言葉だからですかね。」


 ()()がわからないトーサへ、オルガイアは書国にてその昔に白人の征服活動に使われた、神と神の息子にまつわる救世思想を伝えた。争いの多い世を練り歩いた信仰は比較的良く枝打ちされた状態で各国に根を張っている。書国におけるいち信仰の形にトーサは聞き入った。


「他民族に対する侵攻と洗脳の道具…随分と悪し様な物の言いようで。共生のための協調を信仰を通じて知らしめるのは古来の叡智でしょう。」

「そうあればですね。白人優越と奴隷商売が伴わなければ日本での一時の排斥などは多少マシだったかもしれませんけど。」

「…神の真水を欲で嵩増す愚か者であったと。嘆かわしい。」


 水清ければ魚住まず。ゆえに神は水を濁らせる。正義に濁がつくのは、人を清い水に心地よく住めるようにしなかった神の設計ゆえと認めないと信仰はきっと前に進めない。だから彼らは不都合を試練と定義して救いという責任を死後に託すわけで。


「おなじばっかりでもつまらない、がんばるひとはむくわれたい、きそえば差がうまれる。主体性のそんちょうと平等ってむずかしいね。」

「自由に責任が伴うように、寛容は遵法を伴ってこそというのに。軸となる倫理観こそ信仰に依りそうなものですがねえ。」


 トーサの信仰とはすなわち品行方正を象るものなのだろう。しかし、善悪の加減は信仰あるいは文化風習によって異なるもので。幼女を娶る児童婚、徹底した女性への責任転嫁思想による弾圧抑圧、他国で他国の公衆を押しのけて行う拝礼という示威行為など犯罪を破壊行為を正当と喚くあまりにも相容れない蛮族の所業が存在した。どれだけ神が偉大だとしても崇めてるお前らはクズなんだよな、という有様の。


「聖教…アイフラ神の教えは、他教に対してのスタンスってどのような感じなのでしょう?」


 多様性の多様性たるところは、他と他の間に決して(まじ)わらない混ぜてはいけない徹底的な壁の存在だろう。それを腰壁程度に(しつら)えて、手を繋ごうとも踏み越えない境を互いに尊重してこそ万々歳というか。


「強要はしませんが教圏での振る舞いはアイフラの教義に則っていただきます。アイフラの威光は(あまね)く、光届かぬ陰が信徒を妨げることがないように、神徒は信徒の声に耳を傾けながら周囲の把握に努めます。」


 胸に手を当てたトーサの朗々とした口調は神徒の定型句と思わせた。


「もし、荒れた文化での生存戦略に染まった信奉者たちが乗り込んできて、異教を振りかざし無法を働きながら小狡く弱者の皮を被って駄々をこねる、そのような状況に相対することがあれば…?」

「まずは誠心誠意アイフラの教えを説きます。…神徒の説法が至らず、さらにアイフラの照らしたもう安寧の地を侵さんとするのなら、我らがうち屈強たる神徒がその責任をもってその者たちをアイフラの御元へ送り、直訴と談判の機会を差し上げましょう。」


 アイフラさまって現世におられないですよね。つまり物騒の極み。宗教対立。防衛こそ聖戦。


「つまり国教会は武力を保持しておられる?」

「武力というほどでは。迷える人ほど道を見誤りやすい。辛苦と不安のあまり暴れることもありますから諫められる者を配するのは双方の安全に不可欠です。」

「戦争だと後方支援だけど、治安維持はいっしょにとりくんでいるよね。そのあたりの管轄も整理整頓したいなあ。」

()()()()()()()()が長らく手を繋いで踊っていますからねえ。」


 聞くに、司法と刑務を国と教会それぞれが行使している状態なんだとか。加害者捕縛や被害者救助へのカバー範囲こそ広いが重複やお見合いも多いらしい。刑罰の差異が些細な混乱を招くこともあると。


「みんなでみんなのしあわせをまもる方法を、トーサは信仰で感情に、ぼくは法整備で理性に、シルルとジョシュは教育をつかって知性という形で()()()。うけとる場所や方法はちがっても、おなじいろとかたちならわかりやすいよね。」

「…一体と繋がり、秩序の円環とでも称しましょうか。ブレや歪みのないほうが美しいのは確かですが」


 トーサがやや顔を引きつらせた。しかし、と次句を零す前にアルハがまとめてしまう。


「教圏の庇護下で”あたりまえ”がある程度共通している今。互いに歩み寄って支え合ってきたイフスエル王国とイフスエル国教会をひとつのイフスエルとしてきれいに重ねてしまおう。それがオルガ殿下の”なかよし”ですかね?」

「そうだね!」


 能天気な二人へトーサは待ったをかける。


「御二方、王国法と教典の差分を埋める、削るとなれば国が妥協していただけませんと。神徒の私に教義を改竄する冒涜心も権限もありはしませんからね?」

「ようてんとかいしゃくでがんばろ!」

「要点と解釈…また本の虫の私に美味しそうな仕事をちらつかせて。困った王子殿下ですよ全く。」


 大袈裟に肩を落とすトーサを苦笑うアルハの脇でオルガイアは拙い手つきながら迷いなく手元の紙に席次を描き出し半数の名を埋めはじめる。その紙を差し向けられたトーサは少し悩んでから数人の名を加え、眉間を押さえた。


「造詣深くとも交渉力は期待できないんですよねえ…。」


 呻くトーサの向かいから伸びた手が楽し気に空欄へ名を入れていく。目を見開いたトーサは胡乱気にオルガイアを見やったが、その屈託のない笑顔に苦虫を嚙み潰す。そんな二人のやり取りをアルハは憂いなく眺めている。


「なんだかすごいですね。書国では『政教分離』が大前提だったもので…」


 

と、感心するアルハに、トーサはぽかんと口を開けた。神に通ずる天皇という国主を建国から累々と戴きながら何を言っているんだ、という疑問は最も。前提の遵守を判断するならもちろん否に傾くが、影響が取沙汰されるのは国家神道によらず隣国人を崇める仏教系破門団体やら同じ隣国の婚姻斡旋団体なのがなんとも。

 前世の最大国家が聖書に宣誓する米国であるように、教圏と国体は大きく影響し合うもの。基教(キリスト)圏の国々が回教(イスラム)民を引き入れて未曽有の混乱と騒乱を招いていたように、人々に根付く思想信条はある意味で国。つまりは国家観なわけで。


「戦争って勝たなくちゃならないものですね。」

「ねー!」

「? それはそうでしょう。」


 『政教分離』が定められたいきさつは、結局は敗戦国として尊皇を軸にした団結と思想信条の剥奪。日本の薄弱化を意図してのことなのだろう。

 信仰が感情に刻んだ法律であるなら、信仰の自由・多文化共生を盾に滞在国の法律に沿うことをせずにむしろ我が主張こそ正義だと他文化を強制のうえ他文化に矯正しようとする異邦人の横暴は当然の帰結。

 多様性を尊重できない(法律に従わない)異教徒の蔓延は、すなわち侵略と訳すしかない。

 黄色い猿に首輪をつけて悦に入った白人達の脇からかつて融和を赦し招き入れた異物が、戦乱に乗じて蔓延(はびこ)ったまがいものが(かんぬき)を外し、日本や日本人を自族の苗床に見定めた悪鬼達を招き入れている絵面はなかなかグロテスクなものがある。


「…イフスエルがひとつになるのは素晴らしいと思います。ただ、それで平和に浸りすぎると、上から下まで争いを忘れてしまうというか。凄惨な争いなんて娯楽の絵空事でしか触れる機会がなくて。自分たちの社会の性善に依った特殊性が俯瞰できない。話し合えばよほど衝突は起きないと、衝突は取り引きで解決できると綺麗事の盾を構えるのみで。金に酔って外圧に抗う矛を失い、犠牲を忌んでは他責に走って、相手も反撃の意気やなしと知って舐めてくる。平和を冠した搾取と切り売りが行われる…こともでてきかねないと思うんですよね。平和はいいことなんですけど。」

「『かえるのらくえん』だ!」

「それです!」

「オルガイア・レポートですか? 閲覧申請は出しているのですがまだ読めていないんですよねぇ~」


 どんな種類の正義の味方も、暴れる悪漢をまず暴力で制圧しているのに。幼児向けの餡子の詰まったパンですら、無辜を助け害悪に立ち向かう際に用いるのは暴力であるのだと繰り返し教えてくれているのに。

 娯楽の絵空事ですら「話し合い」は相手を屈服させた後の有無なき「説得」にすぎないのに、喉越しのいいご都合主義の円満演出によって、勝者の正義をさも正論故の勝利のように歪めて受け止めてしまう。

 オリンピック等スポーツ関連のルール改正事情に触れれば、国際社会の団結とやらが誰を守って何を見捨てるか、ある意味わかりやすい。勝てば官軍、多数決の正義、国際社会の意向、敵国認定の継続、どれもに未だ故国は敗者の立場にあるように。


「暴力の戦争の次『書国』へ襲来していたのは毒に似た浸透でした。公人の篭絡、公権力による排他の禁止と情報統制で強いられる寄生じみた共生。単に血を流さない、命を賭して抗うことすら叶わない被侵略を…ひとくくりに平和と呼ぶことは…私は御免被りたくて…。」

「…握手に慣れた手は矛を取り落し盾すらを掴めず。国教会と国政の癒着は相互監視機能を失い腐敗が加速する。内が腐れば外から蠅が集り蛆が湧く。そういう心配をされているのですね。」

「懸念を防ぐための円環構想なのだとはわかっています。けど…」


 一個人はなにもできない。なにも。


 世を動かす席に座るには凡人に手が届かないものばかりが必要で、常人には捨てがたいものを捨てて、利権に物申すには己と親しき周囲ごとの身命すら賭けて選挙に挑むことになる。泥を啜って席を掴むころには雁字搦めになっていて、発起の決意は首輪が締まった喉で声にならず、そこまでして得た一席の軽さにさらなる絶望を味わうのだ。わかっている。だから私達只人の過半数は、積もるばかりの不安を扇動者に煽られて踊らされたり、考えても仕方ないと票を投じる義務すら手放してしまうのだろう。それが悪意と野心をもって団結した少数派を利する愚であったとしても。

 アルハの胸に満ちる澱は異界の別社会で溜まったもので、イフスエルの現況にそぐわない。だからこそ、いつか轍が繋がる可能性を危惧してしまう。そのきっかけに関与するのが恐ろしい。

 誰かが言っていた。政治に関心を持たずに生きられる国はいい国だ、と。


「ぼくらは、みんなでみんなのしあわせをまもれる環境を()いて、そのうえでいつも自覚しておかなきゃいけないんだね。みんなのあたりまえはみんなでまもる必要があるって。」

「教義で警告、立法で罰則。自律自戒の先、集団内での浄化行動には明確な共通認識として教養が必須でしょう。アルハさんの懸念も忘れず、人は挑戦と改善を繰り返さねばならない。」


 二人が言葉を重ねてなお眉尻が垂れたままのアルハに、オルガイアは柔く問う。


「アルハは、はんたい?」

「とんでもないです!」


 そんな立場にない、という謙遜ではないことを見抜いてオルガイアは上機嫌にアルハの頬を揉んだ。責任逃れの後ろめたさを自覚して謝罪を繰り返すアルハをトーサは心得た微笑みで諭す。


「怖いですよね。為政の変移は特に、庶民にとって地響きのようなものですから。」


 変化、と口に出したトーサの口は弓なりに笑んだ。乱世の終結を目的に波及した聖教会はほぼ役目を終えている。止水となって淀みつつある聖教会の堤を切るように、枝葉である国教会から流れを発しようなど。書院の全権にとんでもないオマケが付属していたものだと。


「アルハさんの懸念される平和にイフスエルはすでに浸っています。再燃したアルザの国境戦線にも領外の庶民は無関心ですし。秩序の円環はアルハさんの憂慮を拭うためにこそという考え方はできませんか。」


 的を逸れた矢が別の的を射た。トーサの文言にアルハの思考が詰まる。緩やかな小川に放り込まれた情報の束の量は多くない。一時流れを阻んだそれらが徐々にほぐれるより先にオルガイアが軽く突いた。


「トーサ言っちゃったあ。」

「え、あれ、ご存じでなかった?」


 アルハさんてアルザの籍へ養女に入られましたよね、とトーサはオルガイアに確かめる。


「ギル様の、その、アルザ辺境伯領が今、戦争中、なんですか…?」


 うん。と二方へのオルガイアの事も無げな頷きにアルハは今一度フリーズに陥った。


 ここしばらくメイディアナ陛下やノルウェットに振り回されていた。庶民どころか貴族女性の界隈ですら戦争に無関心であったこともあってアルハは蚊帳の外にいた。

 土地柄として延々と継続中の戦線の激化を受け、幾分前からギルスナッドは戦場へ発っているという。

 国境紛争激化を陽動に行われる「角狩り」と称される辺境伯の妻子を狙った襲撃はガグナードに対しては行われたが、一応の妻子を得ているギルスナッドの父親に対しては行われていないと聞いた。事実上の廃嫡にあるギルスナッド父の「角」として嗣子のギルスナッドを今更狙うのか。妻帯もしていないギルスナッドに対する「角狩り」であるならば、標的は隠匿に長けたライオットか王宮で右往左往に勤しむアルハのはずで。

 そもそも「角狩り」の動機や意義さえイフスエル側は把握できずにいるらしいのに。


「我が国は応戦の構えだそうで。あちらに国境の血を乾かさない理由でもあるのですかね。」


 以前行われた『巡礼』に際し公表されたアルハをアルザが養女に迎えた話。その際にアルハに与えられた双角獣のペンダントについて。ライオットとギルスナッドが巡礼の片手間に種を撒き、アルザ領では無骨泰然としたガグナードの傍らで不出来夫妻が軽薄にだだ漏らし、マゼンダの生家であるナイトマン子爵家が楚々と肯定を示していた。スカイラーラの暴挙すら呼び水として利用し、アルザ領にアルハに扮した影武者まで用意したことなどトーサもアルハも知りはしない。

 オルガイアは問うた。


「アルハはどうしてアルザの争いがおわらないとおもう?」


 国境紛争といえばとアルハが思い浮かべたのは故国の海向かいの半島。故国にとってはミサイルを投げ込んでくる上半分、謝罪と金を集ってくる下半分の揃って迷惑極まりない中華ベースな米ロ傀儡国だった。後援国を、統治手法を、経済を大きく違え、もはや同じ民族であっただけでは国境線を溶かせない。半世紀ほどの停戦、ほぼ二分独立が成ってしまっているもとはひとつの国はアルザの事情とはかけ離れている。

 ならば、参考に思い浮かべるべきは中東だろうか。


「戦争で儲けられる業種があって、販路が閉じると困る人達がいるから…でしょうか。継戦ありきで勝敗がない?」


 にこにことうんうんと頷かれて次句の催促と悟る。


「ながく保持された戦線が地域そのものを紛争ありきの構造に洗練してしまっている、とか。アルザ領はその兵力と産婦の補充のため罪人の受け入れをしていると聞きました。相手方にもそういう仕組み?が、あるのかも。」


 周囲も当該地域も終結を望んでいないとしたら、そりゃあ終わるわけがないわけで。

 始末を引き受けない、掃き溜めへの終わらない要支援は建前と癒着したパイプラインとなり利権の間を無為に金が通り過ぎていく。点火・発砲のための火蓋というより、煮詰めた料理を食べては継ぎ足す鍋の蓋の仕草のようにおいしく命をかき混ぜていく。


「人と地に染みた敵対心や恨みが薄れ、形骸化した国境を跨いで人々が交わってしまえば外交の都合なりで引き締められる際により大きな悲劇と戦禍の火種となる。それを平和の齎す毒として国境に血を垂らす意味を説かれるのかと思ったのですが、鉱脈尽きての閉山問題に繋げますかー。」


 生業など適宜変遷していくものと外野が慰めたところで生き方の変更を強いられる当事者方の苦労と不安は拭えない。「人々の営み」を守るがため身命を挺し国境線を血引く兵へ、興行のダシにされる辺境伯家へ、意味が違えば血の色も褪せて見えますよ。とトーサは嘆く。


「戦力って実戦で磨かれるところもあるんでしょうけど、抜かれずの最強の剣というか、眠れる獅子というか。牽制として発揮できたらと思いますけどね。実態がわからなくて互いに怖気付いていればそれもまた平和でしょうと。」

「さいきょうに強くて、へいわで使われない。ふふ、かっこいいなあ。目を覚まさなくていいように、でも生きていて、起こしたときちゃんと勝てる強い生き物でいられるようにだいじにお世話するの。」

「片した武具は妻に売られる、と聞きますが。」

「きんしゅくされちゃうのは困るかな。これも円環で知らさなきゃ。」


 国で編成している精強な軍隊に使い道がありません。なんて問題なら、国内外への災害派遣なり脅威と対策の周知を兼ねて演習を行ったりすればいい。アルハは自衛隊を想像できる。

 貧困層を軍で保護がてら土木特化の技術と肉体を身につけさせれば肉体労働層の育成補完につなげられ、予備役として潜在兵力を増せるだろう。罪人は兵士監督下なりの閉じた環境での労働力として住み分ければ軋轢もなく、教育を波及させることで陥るかもしれない担い手不足を防げるのかも、となど。

 (よぎ)る思考を捲って無意識に揺れる視線を、オルガイアはニュートンのゆりかごを見守るように足を揺らめかせながら覗きこんで眺めている。その視線がぱっとかち合ったとき、思考を閉じたアルハは不安げに第一王位継承者にうかがう。


「オルガイア殿下は、戦乱を忌んでくださいますか。」

「うん。痛い、苦しい、悲しい、はしあわせじゃないもの。」


 ほっとしたアルハを傍目にトーサが恐る恐るうかがう。


「殿下はアルザの国境を完全に収束できると…?」


 オルガイアの様子は変わらない。


「まえにね、ラーラのきろくを読んだらね、アルザをつかってよろこんでるひとがいてね、ぜせいしたらアルザがしあわせかなって父上に言ったら、どっちでもいいかなって。だからぼくが望めばおさめられるよ。」


 どっちでもいい。現状の戦を本業として続けるもよし、戦線を閉じれば生業を手放せないままに新たな舵の取り方が必要になってくるが、それでもいいのならそれでいい。そういうことなのだろう。アルザが望むか、オルガイアが望むか。

 アルハはガグナードの言葉を、彼の妻子の有様を思い浮かべる。そして、ギルスナッドを想う。恋情と友情を綯い交ぜるほど情の深い義兄の未来に、その子孫に、ガグナードの悲しい轍を重ねてほしくない。


「アルハは、ぼくに望んでほしい?」


 戦い慣れた獅子を、双角の獣を眠らせる。アルザの在り方を変える。その判断を、養女になっただけのアルハにオルガイアは問うた。オルガイアにどうしてほしいか、王太子への要望と吐き出した物事に対する決断を求められたのは初めてのことでアルハは思わず身を固める。

 アルハに問う意図を量っているトーサの視線から逃げ、そろりとオルガイアを伺えば、その眼差しはアルハを通して誰かを甘やかすようにとろけていた。


「ギルルはね、ガグナードにおるすばんしててって言われたのに、(つの)のやりとりを終わらせるんだってはりきって向かったんだよ。それで、アルザの()()()が変わっちゃうかもしれない。ギルルのやりたいことは、アルザの苦楽をいれかえるだけなのかもしれない。」


 仮に「角狩り」の因縁を断てたとして、紛争が収まるかといえば「わからない」だ。アルザ辺境伯領は罪人の処分場でもある。土地柄、戦場を取り上げると生活のままならない人が多い。アルザは妻子の安全に苦心するよりも領地全体の営みに苦悩することになる。

 王陛下にとっては心からどちらでもいいのだろう。国として領地に求めるのは、領土の維持と納税であり、運営方針は領主に一任されている。流刑地における戦線維持の補助が貧困の救済に多少傾いたとして額面が釣り合うのなら喫緊の問題足りえない。陥落したとしてアルザ領に誘い込む形で周辺領兵や王国兵で敵兵を殲滅できるなりの対処の目途もあるのだろう。

 だから、オルガイアはアルハに問うた。そうアルハは受け取った。


「アルハはアルザのためにがんばれる?」


 がんばる。それはきっと、ご自由にお持ちくださいと無責任に情報をとっ散らかすのではなく、目的を共有し達成のために索引し策を起案できるか、能動的に動けるかの覚悟。

 じわじわと脈が走る。書庫でなく、女でもなく、書庫を孕んだアルハという人間が秤に乗った。期待された興奮と、身に余る重責が再び背中を冷やす。

 アルザ領を「しあわせ」へ傾けたいオルガイアの期待に、養女にしてくれたガグナードに、情を向けてくれたギルスナッドに応えたい。この身の程が尻込みするほどの不相応を自覚しながら。


「まつりごとにたつ資格をアルハは知ってる。資格が資質をさまたげることも。」


 資格を持って生まれた環境や、資格を得るための切磋琢磨こそ資質の欠落の原因と評したところで、資格を持った者は資質を求められることに変わりない。


「ぼくを認めてくれてるなら、おいで。アルハ。」


 為政者へ口さがなく理想を押し付けるこの身が請われたのだから、応じるのは市井の者の義務だろう。一段、二段、踏みしめたのなら天に唾の無様は晒せない。多くがより高みに登ろうと荷物を降ろしていくとして、ご丁寧にハーネス付きの蜘蛛の糸を降ろされたアルハにそれは許されない。

 階段を上る、足を踏み出す己を想像したアルハはそこで気付いた。オルガイアは自覚させてくれているのだと。取り潰しとはいえもとより男爵家の娘という身分はありもしない庶民の清き一票をはるか飛び越えていて、第一王位継承者と次期公爵という将来的に上澄みの為政者に意思を伝えられる現状の我が身はすなわち為政側にあるのだと。


「…渾身を、尽くします。」


 重く重く受け止めたアルハに、オルガイアは軽やかにぴょんとはねて抱き着いた。


「やったー! がんばろうねアルハ!」

「はい、よろしくおねがいします…!」


 アルハを伝手にアルザの手綱を握っているオルガイアを末恐ろしく蚊帳の外から眺めたトーサだったが、孤児や傷病者の多いアルザ領にも当然国教会の支部がある。国柄、土地柄、職柄どれもに対応できる万人のための規律の整備には実態の聞き取りが不可欠であることに思い至った。神殿の説く道徳が戦場を日常とするかの地でどのように人々へ寄り添っているのかを知る必要がある。

 アイフラ神は乱世に天啓を発し、信仰を束ね安寧のために戦えと教え給うた。他者を殺す武器を配り、糧で信心を募った。戦乱の落ち着きをもって正当を築き、国家の維持という命題を政府と重ねて盤石を成している。…かつての清流が止水となって溜まり、淀み腐りはじめるほどに。

 アルハのいう先進文明をひけらかすことで被侵略者を服従させるための調略剤などではなかった。蛮族の道理を滅ぼし、土着信仰を神殿の恵みが上書いたとしても、人身売買などの非人道には手を出してはいない。有力者の頬を札束で叩いたことは否定しないが、乱世を忌んだ人々の希望に則ったからこそ崇められ迎合されたのだという自負がある。


「私もがんばって老骨に鞭を打たねばなりませんね…」


 そう零したトーサに、老骨を称するには若すぎませんかとアルハは笑った。そんなアルハにトーサはどこからか短鞭を取り出してしならせながら、オルガイアの作った席次表をとてもいい笑顔で眺めた。





「最近ギル様をお見掛けしませんが、ライオット様はお会いになられているのでしょうか?」


 直談判の意気なく、回りくどくても察してくれまいかという甘えの混じる言い回しに、ライオットは事も無げに答えた。


「アルザ領でな、恒例ともいえる国境侵犯及び賊の侵入の対処のために帰郷している。向こうの城塞の爆破とともに伯爵子息捕縛の報があったが、」

「ふぁー!? なんてリアルフナサカ!? 大丈夫なんですか!?」

「…あれは生き抜く力と頭を備えている。下手に気を割かずとも戻ってくる。」


 あいつのことだから禍根を断ちにわざと突っ込んだろう。とは伏せて…なるほど。軌跡を辿っているのかと思い至る。ライオットはアルハからフナサカの逸話を聞きだし、無茶を積み上げるのだろう友人に呆れて目を細めた。


「ギルスナッドが因習を断ち切れたとき、君はアルザになにをもたらすつもりだ。」


 逸話に絡む死の気配を憂うアルハに問えばくっと怯えを食いしばって、カゲの報告の通りの案を提示してみせる。要らぬ覚悟を固めてはいるが、その様もまた趣深いとライオットの口元は緩んだ。

 以前アルハが議会で投げつけた異能や術に依存しない書国式インフラの整備について、地方領は実装を目指しそれぞれに設計と実地検分に取り組んでいる。目途が立てば金と人が動く。各地で立て込み、人夫の質は望めず、逸りを伴って軋轢と事故を招く。フォローへ立ち回るに間に合わせられるならばアルザは新しい生業を得るだろう。培った手腕はアルザ領に還元され、暇をだされた双角の獣は実益と人脈の二方向からオルガイアに懐くことになる。


「私にできることは提案にすぎず、ガグナード様やギル様次第ではあるのですが。私なりにアルザ領へ益をもたらす方法を探したいと思っています。」


 その決意表明に、オルガイアやライオットに対する期待がない。その愚かさが癪ながら心地よい。

 手中にありながらアルザへ傾いていることへの仄暗い悋気を宥めるようにライオットはアルハに触手を伸ばした。


 数か月後、敵方の救護隊員を追手に引き連れて凱旋を果たしたギルスナッドはその戦果と容態を精査されたのち「不死身」の異名を轟かせる。

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