接ぐ吻(つぐくちさき)
王都近郊、王室所有の鬱蒼とした山岳森林地帯の隙間に隠れる気もなく広大な居を構えるライオネル公爵家本館。厳かながら無機質な城はどこか人を陰鬱とさせる雰囲気があった。城の造形というより、城内の人員が発する雰囲気こそがきっと。
かつてアルハが寝泊まりしていた外来応対用ともいえる出先造りの屋敷の奥のさらに奥、ライオネル公爵当代の領域にライオットは足を踏み入れていた。
「お久しぶりですライオット。君が僕を呼び出すなど珍しいこともあるのですね。」
安息の闇が満ちた空間を、等間隔の燭台が灯す小さな火が揺らめきながら淡く照らしていく。その薄ぼんやりした光がライオットの父親であるラスター・ライオネル公爵を象った。公爵を納めた視界の中にルインがあり、ライオットは目を細める。しかし、とるに足らんとばかりに逸れた目線は公爵もとい父親をまっすぐに射抜いた。
「アルハ・アルザとの婚約の報告ですか。」
「ええ。成婚に至らなくとも婚約を解くことはないので、ご留意を。」
「うん?」
「私の手の者には周知しておりますが、当代のお手元には要らぬ気を揉む輩がいるようなので。」
ライオットはわざわざ視線を向けるようなこともしなかったが、公爵ラスターは愉快気にちらりとルインに目をやった。それから軽く斜め上方向に目線を遊ばせて困ったような顔をする。
「それでライオネルの嫡嗣として務めが果たせると?」
公爵ラスターの指すところはアルハの妊娠能力の欠如だろうが、そもそもライオットの種だって有効だという担保があるわけではない。ルインが鑑定し是と謳ったところで撒ける種も撒かねば不能と変わりないことは公爵がよくわかっていることだろうに。彼があえて言及するのは、彼自身のいびつなこだわり故だ。
「王妃陛下には把握のうえで同意いただ_」
「ライオット、違うでしょう。」
ピシリと軋む空気にライオットの背筋を怖気が駆け上がった。その粘着質な声色はアブラムシの尻をつつく蟻のような温度なき執着心をライオットに纏わせてくる。ラスターの感情によって歪む視界に媚びるルインの感情も負けじと強く混ざりはじめたことに殊更にうんざりとしながら、望まれた言葉を織る。
「…。母上、にも同意いただいております。」
「ふ、姉さんが同意しているなら僕も父として許可を出そう!…いいね、夫婦のやりとりだ。」
うっそりと満足げに笑み、恥ずかしげもなく紅潮した目元を潤ませる。気色の悪い。ヤンデレという概念を解説するアルハの気まずそうな顔を思い出してほんの少し気が紛れた。
「それで姉さんは? 他には?」
「…当代の血を残せと。哀れなカゲに応えてやればどうか、と。」
腰高あたりまで燻ぶっていた期待の感情が一挙に感情を変えて逆巻き襲い来る。それが実態を持たない知覚情報でしかないとわかっていながらライオットは呼気を噛んだ。
鬱屈したラスターの怖気は知覚器官のまともな通常の人間さえ恐慌させるものだ。加えてライオットにしてみれば、吸気を躊躇う異臭を放ち嫌に総毛立つ粘液の感触すら錯覚するほどの醜悪な色の奔流でもある。身を浸さざるをえない苦痛を耐え、ラスターの気配を見失わないように全身で身構えた。
が、それが唐突に地を這う。ふらふらと上体を揺らしながらラスターは顔を覆い明るく震えた声を発した。
「ああ、すまない。君は子として母の言葉を父に伝えただけだものね。いいこいいこです。…だめだねェ、妻が夫に不貞を唆すなんて。いけないよ。政略上仕方なく、ほんっとに仕方なく特殊な夫婦関係を受け入れてあげている良き弟かつよき夫に言っていい言葉ではないなァ…ほんと…姉さんはわかってないんだから…姉さん…はあァ…」
狂気にどろりと溶けた目。その湛えた欲望が痛いほどの光彩の明滅、噎せ返るほどの臭気となってライオットの五感に訴えかけてくる。
欲しい、沈めたい、欲しい、奪いたい、欲しい欲しい欲しい。報われないことで誰もの認知も届かない深みへ沈む、重く淫靡な欲望が。
心底うんざりしながら耐えてきたソレが自の身の内からも湧き上がるのだと自覚して以降、目の当たりにする公爵の感情奔流はライオットの心中をさらに陰鬱にさせる。こうはなりたくない、の代名詞ともいえる人間の血を己の内に実感する苦味が。
「ただの人形であるならばそれもまたよし、そう捨て置かれた私を使い物にしたのは王陛下です。当代が目を背けなくとも、私には心身共に陛下の血も流れている。二卵性双生融合児の忌みを負うているとの解を得ました。稀が重なり、血を造るにかかわる臓物を喰らって生まれ落ちているとの推論は既に両陛下の知るところです。」
なにか吠えそうになったルインを制し、公爵ラスターはおもしろくなさそうに瞳を凍らせて装飾の凝った肘置きを爪弾いた。
「君は何故産まれ、何故生かされてきたと思う。君が姉さんと僕の間に生まれた成就の証明だからですよ。近親児にはなから正常を期待していなかったのは非情でなく愛情だと受け止めなさい。 で、なんだい? 融合体だなんて与太話を信じろと? 君が僕と姉さんでなく、あいつを含めた三人の結実であるとの妄想をひけらかした意図はなんだ? 自己否定の被殺願望が?」
表沙汰にできない事件によって宿ってしまった命は破棄される予定であったが、先代のライオネル公爵との取引により産まれ次第ライオネル公爵家預かりとなることが決まった。胎の外に出でて一層雪崩れ込んでくる情報の取捨選択ができようはずもない赤子は産声をあげることなく茫洋としており、医師により目も耳も頭も欠陥のそれと診断された。ただいたずらに近親愛に溺れたラスターの愛蔵品としてひっそりと生かされる予定だった。
しかし、現王陛下によって王統であるとの判断が下ったことでその処遇に陽が射し、手を尽くされて物心つく頃には心身ともに健常以上に有能な子供として成長し、公爵令息たる今に至っている。それがライオットだ。王統でありながら生かされたのは、当代ラスター・ライオネルが王統認定を王陛下の負け惜しみの戯言と受け止めライオットを実子と確信していたから。
「私は混ざりもののため、ライオネルの血…隠匿の祖たる血統を正しく残せるか疑わしい。母上は異能を有する血を適宜継承しておく必要があると。ゆえに、当代が従僕の管理を適切に行うならば協力もやぶさかではな__」
「「なんですって!!!!!?」」
異意同句で食い気味に重ね叫んだ公爵ラスターとルインに、ライオットは眉間に皺を寄せた。
条件の確認を述べようとしたライオットに再びかぶせて、公爵ラスターはアルハの身柄含め婚約婚姻云々の承認と不干渉、その周知徹底、今後の結果如何によらないライオットの地位権力の保証までも捲し立てて了承してみせた。
誓いの書面まで従僕を召喚しささっと作成して、なお有頂天の様子の公爵ラスターにライオットは心中で憐憫の感情を向ける。実の姉である王妃陛下を偏愛してやまないこの哀れな弟公爵は、件の事件の再来のように禁断の交合に至れるのだと疑っていないのだろう。この世界では誰もがそう受け取る。
が、アルハをつついて書庫の知識を拾った王妃陛下は、目隠し言葉攻めによる交合補助あるいは隣室に産腹待機のうえ自慰を促しての搾精…等を画策しており、万が一にも再び実弟の子種を身の内に許す不手際を犯そうとはしていない。子種は直接注ぐものという考えがこの世界の社会通念であるが、書庫の理がこちらで適用されるのであれば。
公にすれば大事。自ら実験と検証を行うと決めた王妃陛下は「それでも愚弟は悦んで子種を放つわね」と眉を下げ「合法手段として延々と乞われたら面倒だわ」と溜息をついていた。公爵を抑え込む要員の指名から逃げたこともありこれ以上は放任に限る。
アルハに関し公爵を頷かせるための検証と嫌がらせを兼ねた血統補完提案であるのに、ルインに宛て嘯いた伝言を託されたライオットは溜息を止める気さえ起きなかった。
公爵とルインのどうしようもない関係を見て自らを省みたライオットは改めて思う。思慕肉欲の向かう先が合致し叶うことの幸いを。
アルハとはいまだ雑談もぎこちなく、沈黙を味わいあえるほど気安くもない間柄だろう。それでも、手は肌へ届く。触れ合う体温が、皮膚越しに伝わる鼓動の心地よさが…思い起こすだけで淡く胸に灯るのだ。噛み合わないと藻掻き苦しむ目の前の大人共と違って。
私たちはまだこれでいいのかもしれない。いずれこんな大人になるくらいならば、いっそ至らなくとも。未熟でも満ち足りていて、それで構わないと。それこそが最善であると。むしろ求めすぎては強欲の誹りすら受けかねないと。
道連れにと追いすがるようなこの厄介者らの手をいなし、上から偉そうに差し伸べられる救いの手どもを避けて、頂と底で腕を絡め仲良く引き合ってくれと。私たちのことは放っておいてくれたらそれでいいのに。
「__では、仔細はまた折をみて。」
「ええ、姉さんによろしく。」
にこにこの公爵が前提条件を理解できたのか訝しむより先に苦言を申し立て始めたルインから逃れるべく部屋を後にしようとした。
「…白痴の成りそこないに随分な肩入れですね。仲間意識でも?」
ルインの口を塞いだ公爵が心底疑問ですという体で嘲った。立ち去る背中に小石を当てるような行為が期待しているのはライオットの激昂ではない。なにかといえば、不愉快そうに顔を歪めた一瞥を引き出してほんの少し嗜虐心を満たしたいという醜い甘えだろう。
しかし、ライオットの心中はただ凪いでいた。
「私も、貴方も、立場によらず我を通さんと力を振るう類の人間だ。」
生まれ落ちた醜い世界に合わせて己を律し、くだらない家督とやらのために有象無象の指揮を執って、かなぐり捨てたい全てを背負う。産み落とされた小鹿が立ち上がるに等しくとも、おさめてしまえば我がための力だ。
歪みは骨身にしみて自覚している。そう背中で告げるライオットに公爵はおやと片眉を上げた。次句は公爵が目を張るほど硬く冷たく響く。
「彼女は私の手足。捥ぐというのなら、あなたの首を刎ね飛ばす。」
二拍置いて再び歩き出そうとしたライオットを公爵は笑って呼び止めて揶揄った。君に何ができる、僕と競り合って勝てる算段でも?と。けらけらと。
ライオットはそっと振り返って、ふ、と嗤った。意趣通りに向けられた一瞥の仄暗さに、公爵の背中を冷たいものが撫でた。公爵にライオットのような思考を知覚するような異能はない。が、あまりにも鮮明に意図するものを読み取れた。
当代の首はそこについているものではないでしょう? と。
公爵ラスターにとってオルガイアがメイディアナの付属品でしかないように、ライオットにとってメイディアナはオルガイアの付属品でしかないのだとでもいうように、その瞳は明確な殺意を宿していた。
「僕に似て可愛くないんだよなぁ…」
ライオットの去った扉へ向けていた呆然とした視線を外し、公爵は独り言ちる。塞いでいたルインの口を開放し有無を挟む前にベルトを緩め、奉仕を許す仕草をして浅く腰かけた。どれだけの時間弄られようと虚無でしかないそれはやはりいかに目を瞑り妄想を捗らせようと膨らまず芯を持つことはない。目下奉仕に勤しむルインの惨めさが、ほんの少し公爵ラスターの心を慰撫する。愚図な雌犬の忠義と下心がほんの少しだけ公爵ラスターの孤独を紛らわせるのだ。
溜息一つ。ルインの衣服で拭った局部を仕舞って、物欲しげな視線を鬱陶しげに押しのけ立ち上がる。
「…僕が有能すぎるから、姉さんはいつも盾にされてかわいそうだ。」
ライオットはまっすぐに出口に向かっていた。公爵の嫡嗣の立場にあろうとも、屋敷はおおよそ当代の領域だ。当代の狂い具合が追い風となり次代として家門の大部分の掌握はできているが、異端を好いた粒が当代を担いだまま好き勝手できるのもまた事実。メイディアナが人質の体で召し上げられたのも当然というべき力を当代は手にしている。
軌跡を辿って習得した隠匿の術は血によって備わる隠匿の異能とそう変わりはしない。幾分の差こそあれ、基本は耐える者ほど忍ぶ。浅瀬から深淵は覗けず、深淵からは浅瀬が見渡せる。心得のない者にとって無人の廊下であろうとライオットにしてみれば他所と変わりなく幾人もの使用人の行きかう館だった。適性に性別は関係ないが、館で男性の使用人を見かけることはめったにない。
「…次代、お気に召しませんか。」
「興味がない。お前は、熟れた桃は飽いたろうと炉端の石を差し出すのか。」
栗色のひっつめ髪にややきつめの面差しの侍女頭がそっとライオットの後ろに回り伺いを立てたが、すげなく。お手付きを増やさんと代々奮闘しているジェルル家の娘ミラースは控えめに肩を落とした。当代にも次代にも身の回りにこれでもかと人員を配するも功を奏する気配はない。過去には重用されていたこともあったようだが二代続けてのハズレにずいぶんと苦心しているのは把握している。
概ねこの世界においては、アルザ領で一般化している産腹制度も、王妃陛下の算段に使われる女性も、大抵の貴族婚姻の有様も、アルハの憂いる尊厳の搾取に当てはまらない。提示された報酬や立場を得るため割り切って子を成せる女性がいるため、拒む女性に強いる必要がない。産腹など特に新生児を抱くこともなく報酬なり証書と引き換えられることは良心であるし、いざ心変わりをして取引を拒んだところで報酬の返納や違約の賠償を担えるはずもないので諦めも早い。
むやみに下心で愛を謳った場合こそ禍根を生じるのが大概なほど。惚れた腫れたを伴って実を結びがちな平民ですら、寄る辺なければ労務や貧困と己の性を秤にかけては折り合いをつけていく。そこに交合を用いない生殖方法が周知されてしまえば少なくともイフスエルにおいて少子化が懸念されることはないだろう。
だからといって、ライオット自身は産腹を使って子孫を残そうとは思わない。理想主義だ潔癖かと揶揄われようが、おそらく揺らぐことはない。
「それほどまでにあの娘を…」
「…お前は、手が届かないからと熟れた桃を眺めながら綿を食んだことがあるか。」
困惑を発しながら否を示したミラース・ジェルルを労うように、懐から取り出した紙片を渡す。王妃陛下の筆跡を食い入るように辿った視線はいきいきとして、紙片を燃やし灰を砕いて頭を垂れた。
「お望みに近い食感の綿を用意してみせましょう。」
心得た使用人が去り、ライオットは速足になりかけた己を諫めながら口元を覆う。涎を啜る醜態は避けたものの、軽く喉が鳴った己にうんざりとして隠匿の術へより深く潜った。どれだけの深みで干渉を拒んでも世界は変わらずライオットの知覚へ情報を塗りたくってくる。生臭く濡れそぼったに等しい不快感を紛らわせたい。方法はいくつかある。
桃が食べたい。
好みに熟れた、自分だけの桃が。
帰寮し自室に入るなり隣室から姿を見せたアルハへ上着を渡し、席に座る。上着を掛け終えたアルハが出ていく。そう待つことなく用意された適温の白湯で喉を温め潤す。事務的なやり取りをいくつかこなせば早々に二人のやりとりは尽きた。翌日の服を確認して配しているアルハを眺めながら色や匂いを分析するライオットの視線に、準備を終えて居た堪れなくなったアルハは何かしら要望を伺うか使用人部屋に戻るべきか目を泳がせる。
「公爵に、念を押してきた。君以外を娶る気はないと。」
それはあかんでしょう…。と言いたげなアルハへライオットは立ち上がって詰め寄る。
あわあわと後ずさるアルハは己の下腹部に手を添えて俯いた。
「お嫁様は別の人の方が。だって、私は…」
子が成せないからと零すアルハにライオットはうっそりと笑んだ。
「子を成せばいい。」
あれよという間に組み敷かれたアルハは疑問符を浮かべてどもり喚いた。ルインの異能でもって不妊と断じられたのに種をまいても仕方がない、と。いくら励もうと無駄撃ちです、と。
ライオットは上機嫌にアルハの身体を懐柔しながら、色めいた獣の息を吐く。
「君に種を注ぎ続ける。実るまで幾月幾年かかろうと、一生授かるまいが私は別に構わない。」
困惑から抜け出せないアルハを色に沈めながら自身を浸す。慣れた果肉の甘味は、侵しているのに侵されているような、言い得ぬ痺れとなりライオットを慰めた。
「私は、君の敬慕に相応しくない卑しい俗物だ。それでも君は私のもの、だろう?」
アルハのように特段の上昇志向がなく保身によって無欲で使いやすい、他諸々の事情の重なった妊娠可能な令嬢。合致しなくとも都合のいい女性は探せばいるのだろう。だからなんだとしか言いようがない。ライオットが捕まえたのはアルハ。それがすべてなのだから。
血統の保存も家門の継承も知ったことではない。君をすくいあげたのがたまたま私であったように、私が欲したのは君だった。それだけだ。私は満ち足りている、と。
『今』に酔った若者の青臭い戯言、たかが睦言と承知しながら、アルハは苦く笑ってライオットの頭を引き寄せた。一緒に酔ってしまえとばかりに。
二卵性双生融合児の忌み → 相方を取り込んで生まれたと知ったライオットの自責・自虐の表現であり、現象や該当する方を貶める意図はありません。正式名称でもありません。




