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頂き戴く

 オルガイアの居室の扉の向こうからルルスの声がかかる。届くことの多くなった第一王子殿下宛ての書類は、アルハが受取りに出てオルガイアへ手渡すのが本来の在り方なのだろうが、今日もルルスの声を聞くなりオルガイアが飛び出していった。


「シンブンでーす。」

「ごくろうさまでーす!」


 新聞ではないけれど、この応酬が気に入っているらしい。

 今世では識字率こそ高いが大衆を対象にした広報関連は絵本程度の文章量に簡素な文体での直喩が基本のため、歪曲の余地が著しく少ない。貴族社会においても歪曲・偏向された情報は虚言と同等の厳しい非難を浴びるために、公文書と私書は全く違う文面になるのだとか。

 官にしてみれば、平和と一言にしてもその実態はじりじりとした睨みあいの中で絶えず互いの立ち位置を計っている膠着状態にすぎない故に。民としては、真実を(つまび)らかにした英雄はいても、疑惑を声高に追及して栄光を掴んだ者はいないのだとして。情報伝達は不義なく正確に、という意識を官民共通で保持している。アルハは素直にすごいと思った。今後伝達手段が増えたとしても、その姿勢を失わないでほしいとも。

 治安的にはどうあれ、前世のように噂話で標的を失脚させようと喧伝したり遺族へのお気持ち取材なんてやろうものなら広場に吊るされて礫の的にされるだろうほどに情報管理の危機意識が高いらしい。

 そんなこんなで新聞自体にはさほど興味のないオルガイアだったが、国教会を教育機関という箱にすべくジョッシュやシルブルムは国家管理のもと政府広報として新聞の活用を模索しているし、摩訶不思議と都合よく国教会長が聖教会へ召喚されたとたん、幹部である協議会から辞退の声が次々と上がって人員が入れ替わり、新協議会が国教会長代理となって国教会書院司書に任命したトーサ・バイソンにより書院蔵書の再編が宣言されたりと。課外訪問以降、教会関連は随分と賑わっている。

 アルハは変わらずオルガイアの御側付きかつ指南役のような要護衛対象として囲われながら侍女研修に取り組み続け、アルハの持ち出し禁止を受けたノルウェットがならばと学院学園共催の進学祝賀交流会を企画した結果、ひさびさに顔を合わせたギルスナッドに公衆の面前で抱きつかれ、止めに入ったコンラードともども振り回されたりと。貴人か女官かはたまた使用人か、最終的にどういう立ち位置に収まるつもりなのか周囲が首を傾げる状況にアルハ自身が一番困惑している。


「アルハ、今日からライライの寮室のほうに帰っていいって!」


 受け取った封筒を読み終えたオルガイアが瞳をキラキラさせながらライオットの帰還に声を弾ませた。諸々問題を棚上げしているアルハにとっては嬉しさより戸惑いと後ろめたさが大きかった報いか、オルガイアは続ける。


「今夜母上がみんなでいっしょにごはん食べようって!」


 アルハの背中を冷たいものが這い上がった。

 それは、宮中晩餐会というものではないだろうか。



 夜、王宮のあまりにも煌びやかな食堂に集まっていたのは、側妃三名と王子二人に王女一人。そして、ローズ公爵夫妻。

 扉の前でルルスと別れジャクター他数名の護衛騎士に頭を下げて踏み入った先の面々に、ふらりと気を失ってしまえたならどれだけ後々呵責に苛まれようとも今この時からだけは逃げられるのにとアルハは心中白目をむいてしまう。オルガイアに携わられるように、上座を開けて平行に並んだ面々の下座を塞ぐ形で椅子に腰かけた。


「そろったわね。」


 するりと上座から卓を縦断した声にびくりと側妃と王子王女ノルウェットらの肩が跳ねる。当然に在ったのだといわんばかりに上座で円座を繋げているメイディアナに気をとられた面々が手元に視線を戻すと、ごく自然に配膳されている前菜。チラチラと見渡すも、誰も食堂内に使用人を確認できない有様に改めて背筋を伸ばした。自分たちは他ならぬメイディアナ・ライオネル・イフスエル王妃陛下の支配領域にいるのだと。


「杯は満ちたかしら。よさそうね、では、いただきましょう。」


 挨拶さえ許されず、いつのまにやら満たされたグラスを各々視認して大半が恐る恐る掲げた。食前に赤い飲み物を入れた杯を軽く掲げるのは「民の血肉をいただく」という「いただきます」代わりの貴族仕草なのだとか。それが捕食者の悦なのか、統治者の自戒なのかは分かれるところなのだろうけれど、今この時だけは普段の心持とは全く違うものになっているのではないだろうか。 

 しばらく上品ながらぎこちなく食事が進んだところでメイディアナが口火を切った。


「今日は祝宴のつもりで皆を集めたの。」


 撫でるような甘い声が紡いだ言葉の意味を正確に捉えられなかったのは側妃たちだろう。ジョッシュとシルブルムがメイディアナに注ぐ視線は、畏れながらも敬慕を含んでいる。ローズ公爵夫妻の緊張は解けないながらもそこまで深刻そうではない。王女のペリオミズは継承権同様蚊帳の外の身であることを自覚して一歩引いた心地におり、アルハはある種のジャイアニズムによりすでに所有物認定されているので現実逃避がてら傍らのオルガイアに集中している。


「第一王子と定められながら冠を継ぐ意思のなかったオルガイアが心を決めた。ウィルオストは失脚したローズ先代に代わり公爵家を牽引し、ジョッシュとシルブルムはイフスエルの永劫に寄与すべく教会の改革に取り組むそうよ。陛下が撒き散らして芽吹いた尊い苗木のすべて打ち捨てられることなくこの地に根を張ると決まったこと、とても喜ばしいことね。育手の私たちも甲斐があったというものだわ。」


 ジョッシュとシルブルムにしてみれば、内々の面子を集めての告示であろうと王妃の口から直接に公的な生存許可を言い渡されたのだ。排除に怯えていたその心中はどれだけ救われただろうか。

 メイディアナが小首を傾げて同意を求めれば、側妃は是と応じるしかない。そもそもの地位が違う。

 この晩餐会におけるメイディアナの目的は継承権争い完結の宣言。それぞれに道を定めた王子たちを認めて、親ならば変な気を起こすなよ、と。盛大なマウンティングを行うがためだったのだろう。


「オルガイアの決意を固めてくれたのが、隣のアルハよ。アルハ。」


 呼ばれて混乱しつつ慌てて立ち上がり礼をとったアルハを側妃たちは困惑気に見やった。メイディアナは「粗忽でかわいらしいでしょう?」と微笑ましそうにしている。


「いろいろと複雑な娘なのだけれどそれなりに無力でありながらさまざまな夢をみせてくれるわ。

 私たち妃は王陛下すなわち国家の妻として、賜った種を身に宿し国家の次代を育んだの。でも、もう一歩、なにか残したくはない? 女としてでなく、いえ、女として。産婦としてではなく、女として。なにか成せるのではないかという可能性をこの娘は語ってくれるのよ。」


 ブルームとアゲンストの側妃二人は怪訝な顔をしたが、ジョッシュの母親であるカカロンの側妃がアルハを見たのを確認してメイディアナは満足そうに笑んだ。すかさずカカロンの側妃との茶会を取り決めてうきうきとしている。


「もとはリューン男爵家でしたわよね? 今はアルザ辺境伯の…。その娘を王子妃に推されるのでしょうか。」


 ウィルオストとペリオミズの母親であるブルームの側妃の問いに、メイディアナは笑いに震えながら否を示した。


「ライオットからお気に入りを取り上げたらたいへんだもの。わたくしとしては婚約だなんていっていないで婚姻してくれたらと思っているのよ。ローズ公爵夫妻のように仲良くライオネル家を引き継いでくれたらこれ以上のことはないわ。ねえ?」


 言外にさっさと愚弟こと現ライオネル公爵を引きずりおろしてしまえと聞こえた気がしたが、だれも突っ込まなかった。ふられたローズ夫妻は何とも言えず苦笑いである。ノルウェットがアルハへアイコンタクトを送ってきたが、事前の打ち合わせもなく意思を推し測れるはずもないので首を傾げることしかできない。 

 婚姻=恋バナ換算なのか、側妃たちが静々とアルハの方を向いたのでアルハは心中で悲鳴を上げる。あからさまに「どうなの?」と問う四対の目線にアルハは震えるように首を左右に振った。


「わたし、わたしは、ライオット様に相応しくありません…。地位も貴族教養も、生き残る術もさることながら、己の浅慮で…子も望めない、と。教えていただきました…ので…」


 三人の側妃の表情はとてもわかりやすく悲痛な同情に染まったが、メイディアナは不服そうに目を細めた。


「ふーん、そう。…さてはルインね。忍び込んで返り討ちにあったかわいそうなルインに何か言われたのでしょう。」


 名前にぎくりと強張ってしまったアルハの背中をオルガイアが撫でる。涙目になるアルハと他人を慰める我が子に目じりを下げたメイディアナはふっと笑って妖しく口角を上げた。


「気にしなくていいのよ。あの子、自分が愚弟に種付けしてもらえないからって貴女にあたっているのだわ。みっともない。

 地位も礼節も異能も術もなくたって、オルガイアとライオットの庇護を得ている。それすなわち価値が存在するのだと推し測れないから、いつまでも愚弟を矯正できずに臍を噛んだままなのでしょうに。不妊がなあに? 王室と違って直系主義である必要もなし、ライオットの手札には後継に据え置ける人間くらい取り揃えてあるわよ。」


 なあんにも問題ないのに。そう言って優雅に皿を彩る芸術品を切り分けて口に運び咀嚼をする。メイディアナに倣うように他も食べ物を口に運び、咀嚼しつつ聞き耳を立てていた。

 桃花色の髪がほんのりと赤みを加えた白磁の肌のもと、真っ赤に縁どられた控えめな唇が血色の果実酒を取り込んで、空になったグラスがそっと沈黙を断つ。


「ルインにしても王太后にしても、後継なり孫なりが欲しいのなら好きなだけ自分で産めばいいの。他人の胎をあてにするだなんて無粋もいいところだわ。

 懲りもせずにまたやっかんできたなら鸚鵡返ししてやりなさいな。子を成せないのは貴女こそなのに、とね。ふふ。門外の拾われのカゲ、未婚の公爵夫人、養母という名の母親代理。代替品の分際でずいぶんと大きなお口をしているのね、ともね。泣いちゃうわよあの子。うふふ。」


 不在の相手を心底楽しそうに言葉で嬲り、うっそりと笑む様は猫のように可愛らしく。ネズミ心地の小市民であるアルハにはことのほか空恐ろしい。クスクスと忍び笑いの側妃たちも猫側だ。夫妻と王子王女らは蚊帳の外を悟ってお行儀よく食事に集中していた。

 メイディアナとルインの間には相当な確執があるのだろう。長男を奪った女VS夫の心を奪っている女と邪推するだけでも相当根深そうではある。だからといって代理戦争やら板挟みやらは勘弁願いたいもので。


「無理です。嫁姑、嫁小姑戦争…ムリです…。嫁ではないですけど…特段親密になりたいわけもなく、傷つけたいわけでもなく…」

「そ、なら、私が言っておくわ!」


 ふんす、と鼻息荒く豊満な胸を張る王妃にアルハは心中平伏の心地でお断り申しあげた。当たり障りなく過ごせたらそれでいいのだと言うアルハにメイディアナはきょとんとする。


「当たり障られてるのでしょうに。

 損な子ねえ。まず強く見せなきゃ御せると勘違いした粗野な輩が角を立てに列をなすのよ? まぁ後ろ盾があるのだからそんな立ち回りでもかまわないけれど。」


 前世でいう性善説譲り合い事なかれ(かど)を立てずとりあえず謝罪する日本式を踏み散らすグローバルスタンダードスタンス。己をきちんと誇示するのも不要な衝突を防ぐマナーなのだと理解はできるがそうあれるかと問われれば難しい。

 オルガイアを、ジョッシュとシルブルムを奮い立たせた。ローズとライオネルという表裏を担う公爵家を繋ぐ橋となった。人材乏しい地方領主が術や異能に頼り切らないインフラ構築に取り組んで一定の成果を上げてきている。学園生の意欲向上に貢献している、など。皆に聞かせるように指を立てて並べられる功績らしき物事も、アルハにしてみれば真偽不明かつ己のとった杵柄と称するようなものではなく。


「私はただ、前世…イフスエルとは無縁などこぞの、庶民の苦情を、愚痴っていたようなもので」

「それが偶然であったとしても、意図の有無に関わらずとも、君はそれを為政者に届けるに至り結果政治を動かしている。そこに価値がないというのなら動いた人間を貶すと同義だと思わないか。」


 謙遜をやんわりと諫める声に誰より驚いたのはアルハだった。反射的に斜め後上方を振り返ると冷めきった瞳で見下ろしているのだから質が悪い。近い。ライオネル家の面々は隠匿の術を好き勝手に乱用しすぎじゃないだろうか。なまじ公爵家だから誰も咎められないのか。


「そうよね、ライオット。だから婚約なんて悠長にしていないで娶りなさいな。攫われてしまうわよ? そして愚弟をさっさと追い落としてどこかに閉じ込めておいてちょうだい。」

「母上、おじちゃんお仕事なくなっちゃったらぬけだして好きなことばっかりしちゃうよ?」

「まぁ、なんてこと! たしかにそうね…そうよね。それはよろしくないわね。」

「結論が出たようなので、私はこれで失礼します。皆様ごゆるりと。」


 何をしに来たのか、ライオットはさっさと扉を開けて出て行った。出張帰りの挨拶みたいなものだったのだろうか。

 食事が終わるとその場で解散となり、しかしアルハは連れ立ったメイディアナとカカロンの側妃に首根っこを掴まれ引き摺られるがごとく湯殿へ連行され、侍女組に洗われ揉み解されながら女性の社会進出その他について語り聞かせる羽目になった。


 久方ぶりの寮室使用人部屋を開けると続き扉の向こうから呼鈴が鳴る。主を待ちわびた犬のように扉に駆け寄って、ノックを四回。許可を得て扉を引くと、月明かりに浮かぶ美丈夫。久方ぶりの主・ライオットがいた。

 寮室にライオットがいる。ただそれだけなのにアルハの胸は引き絞られる。その痛みを覆うように重ねた手のひらを強く握りしめた。


「お互い、忙しかったようだな。」

「え? あ、その、お疲れ様です。おかえりなさいませ。」


 ライオットの言う「お互い」の意味がわからなくて頓珍漢になった返答を呆れたように笑われる。その和らいだ双眸が思い出したように揺らいで、眉間に皺を寄せた。


「君は相変わらずのようだ。…留守中のことは聞いている。すまなかった。…何か、詫びをしたいのだが…なんでもいい、望みはあるか?」


 アルハの脳裏にルインの言葉がへばりつく。そして、己はまさしく娼婦に等しいのだと思い知った。

 だって、なんでもできてしまうこの人に何を捧げればいい? 躊躇いなく抱ける相手として認識してもらえる幸福にどう報いていけばいい。冷めきった彼の熱を受け止められる立場にはしたなく浮かれて、結婚に意義を見出すことなしという彼の主張に浅ましく安堵していた、こんな私が。

 見つめられて、その視線から顔を背けて。背中の冷たさと顔の熱さ、居た堪れなさを誤魔化すように冗談ぶった。


「…ごっ、褒美を…賜りたい、な、なんて…はは…っ、その…」


 なにがほしい、と問い直す前にライオットの眼はすべて捉えたのだろう。

 恵まれた環境にいながらこんなに我儘な心地でいたのか、と呆れたに違いない。アルハはつっかえる己の吐いた言葉を聞いて人並みに醜い泣き顔を晒しているのだと気づき、がばりと顔を覆い隠した。


 さびしい、さびしい。


 ライオットは感知した。心配、安心、嬉しい、申し訳ない、恥ずかしいと渦巻く色々なアルハの感情、その中心が叫んでいるなにより心地よい悲鳴を。

 好意を抱いていると伝えた相手に虚と欲の矛先を向けられて狂わぬはずもない。ただでさえ精神(こころ)は怪しくとも、肉体は繋げた仲なのだ。察するや否や早々にベッドに連れ込んで、圧し掛かる。そんなライオットの余裕のなさに気を損ねたかと身を強張らせたアルハだったが、目が合うより先に重ねられた唇の熱さが諸々を溶かし有耶無耶にしていく。


「…次は私が、君に、褒美を強請ろう思っていた。…差し出すつもりはあるな?」


 今必死に膳を据えているつもりですと頷く前に(なぶ)られる。丁重に水底へ押しやり、激しく息を奪いつくして、二度と浮かぶことを許さないように。穿たれて、楔を打たれる。幾度も、幾度も。

 それは今まで通り、アルハに与えられてきたご褒美に違いなかった。

登場メモ

側妃①ブルーム子爵家…ウィルオスト、ペリオミズ

側妃②カカロン男爵家…ジョッシュ

側妃③アゲンスト子爵家…シルブルム


未登場

未婚庶民…スカイラーラ

側妃④…妊娠中


 排出家門…産んだ王子王女

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