変に化ける
「でね、ジョシュとシルルなかよくなってね!それでね、ペリもお勉強もがんばるようになったんだって!アルハが話してくれたからなのに、ぼくが父上や先生たちにほめてもらっちゃった!」
嬉しそうに話すオルガイアにアルハは目じりを下げて、よかったですねと応え頭を撫でた。さらっさらで柔らかくふわりと適度な空気を含む薄桃紫の髪の感触に浸って現実逃避している。
だからってなぜ、陛下や各大臣が囲む卓の末席に加わらねばならないのか、と。
会議の冒頭に「この会議よりイフスエルにおいて、未知なる理の源を総じて『書国』と称する。加えて、書国のなんたるかを述べ伝播する行為、また追求することを禁ずる」と宣告された。この両手で足りないが三人は要らない人数間で、書庫と称した異界の情報は議題にするが存在は黙せよということだろう。無理があるのでは。
席に置かれた冊子に羅列されるオルガイア・レポートよりの抜粋事項。その項目の源が招集された面々の誰より遅く産まれた女性であることは公然の秘密。加えて第一王子殿下を膝に乗せている始末、さぞ小生意気な娘に映っていることだろう。離れて臨席している陛下はオルガイアに甘いらしく咎めはない。
アルハにのみチクチクと剣呑な感情が向けられるなか、議論だけならば国会中継よりは大分まともだったので真面目に聞いていられた。しかし、
「_かの知見は実に興味深い。適した解をお持ちであればなおよかったのですがね。」
不意に向けられる言葉に対して恐縮に緊張と焦りが相まって処理が追い付かない。数拍要してようやく自身への揶揄と理解し、カッと感情の奔流に飲まれて整然とした切り返しもできないのだ。まごつく間に話題は流れ、反論のタイミングも見失ってしまう。
試すような陛下の視線、値踏みする様々な男性に囲まれて委縮している間に爪弾きの空気が作られていく。その一切をオルガイアは感じ取れない。
議題は前世との文化文明の違いでなく、前世にあって現世にないものの列挙だ。その差を埋めるための最適解をアルハは持たなかった。前世でこうだったからこうすべき!だなどと無遠慮に言い張れるほど若くない。
前世における飛沫政党の面々はどんな心地で臆面無く悪態や言いがかりをさも正当な言論のように断言する様を公に晒せたのだろう。あれは国を良くするためのものではない、むしろその心の属するところは別にあるのだろうと察すればこそ議員として立てている現実にうすら寒さを覚えていたわけだが。
なんとなく中弛みしはじめた議場の気配にあたりをつけてアルハは挙手し名指しを待ち、オルガイアを一旦隣席に移して立ちあがり割り入った。
「私は、あまりにも世間知らずなのです。」
縮こまってやり過ごせばいい。それを、許容されていることはわかっている。女だからと舐められることも特段の抵抗があるわけではない。
ただ、逃げ出すには、大事な人が近すぎたのだとアルハは思う。次期国王とその後ろ盾でもある最側近。彼らは次代の最高権力そのもので、アルハはそんな彼らに近すぎた。
だから賽を投げ落としてしまうのだ。普通ならば届くはずもない一般人の些末な意見を、このどえらい有識者たちの頭上から。
「治安一つとってみても、女性が単身夜歩きしても危害を加えられることが極々稀である、という環境を具体的に想像できますか。災害時に暴徒化しない庶民を当たり前だと思いますか。
違った環境下で培われたものを、差異の考慮なしに「これが正解だ」と押し付けるのは早計以前の妄言でしょう。
書国の理はあくまで事例です。一例の事象と要因を分析し、照らし合わせ、イフスエル王国における取捨選択と改良余地を探る。それは現在イフスエルの威光を支えておられる皆様方でこそと心得ております。」
オルガイア・レポートの閲覧を許された数人によって抜粋された異界の文化文明を、さもすべて取り入れなくてはならないかのように並べられると反感は仕方がない。が、アルハにしてみればすべてを肯定し飲み込む必要などないのだ。
「ひとつ優先をと挙げさせていただくならば、公衆衛生の概念と上下水道の確立でしょうか。これは現文明を構築する技術者方が概要を理解して設計し、為政関係者方と協力して施設していくものです。なので、私は今件の根幹を簡潔に言います。
不潔によって引き起こされる害は伝播する。ので、公平に広く一帯を清潔に整えること。と」
疫病や汚染の害は大抵広範囲に及ぶ。人が侵されれば労働力が、作物に害があれば生産力が、身内が罹れば精神力が削がれる。なので国が、権力者が、貧者の分まで丸ごと整えたほうがいい。使い捨てて屍を積み汚染地を抱えるよりよほど長期的にみて益があり建設的だからだ。国家の施政は大抵これが念頭にあるとアルハは思っている。これがわからない国が領土拡大に逃げるのだと。
「清潔な水が分け隔てなくごく当たり前に手に入ること。排出される汚水をきちんと浄化して大地に還元すること。これは対と心得ることが必須です。」
「そんなこと、どれだけの規模で、どうやって!」
「だから、それは専門の方と悩んでください。私は書国での仕様の全てを把握しているわけではないのです。」
「妄想も大概にしろ!女子供の夢を語る場所ではないのだぞ!」
「っ、浄化消毒した水を!街中の地下・建物に張り巡らせた管に満たして圧かけて、各管の末端の栓を開けば流れ出るようにしてました!取水口付近に排水口があり、排水は専用の管を通り集積し濾過や細菌分解を用いて処理されていました!詳細図は書けません!この世は上下水道どうしてるのか皆目見当がつきませんが何か!?
すでに充実した環境がある、もしくは水がなくても手洗い掃除洗濯炊飯できるなら構いません。汚水や排泄物で市中や河川に影響がないのであれば無視すればいいでしょう。しかし項目化されているということは、そういうことなのでしょう!?」
隣席に置かれたオルガイアがごく自然に、いきり立ったアルハを座らせてその膝に乗りなおした。諫めてくれた意図を察し、口を噤む。
甘えられるままに薄い桃紫のお髪を梳かせば興奮の鎮火を待たず焦燥と羞恥が迫り上がってきた。もはや先ほどの相手と目を合わせることすらできない。
そろりと見渡せば話がつまらなかったのか、一心不乱に筆を動かす議員が見受けられてアルハは肩に入った力を抜いた。パラパラ漫画でも描いているのだろうかと思えば少し微笑ましくもある。
「書国における社会保障、控除、補助の概要を伺っても?」
次を担った主張者は明らかにアルハを指して問うた。先程アルハを諌めたかに思えたオルガイアはキラキラした目でアルハを見上げている。これでは起立すらできそうにない。
議長らしき人物を見遣ると苦笑ながら頷かれたので、仕方なく座したまま口を開いた。
「社会保障関連の項目は総じて治安の向上のため。食い詰めた犯罪者を出さないようにするためのものです。貧富構わず誰もが安心して町を歩き、不幸に怯えることなく健全に暮らすことを目的とした富の再分配になります。支出時に折半する・徴収を減らす・適宜支給するといった手段で下層の生活の底上げを図ります。
導入には負担割合の高い富裕層の反発があるでしょうが、馬車を使うために道を舗装するに等しく、住みよい環境を整えるという意味で先ほどの公衆衛生と意義は変わりません。」
やり過ぎるとセーフティネットに絡まって抜け出せなくなったり、ハンモック気分で堕落する者が現れる。挙句ハンモックを天蓋付きベッドにしろと勘違いに偉ぶって顰蹙を買う輩も。それらを切り捨てることがまた難しい。
別方から手が挙がり、議長の名指しを受ける。
「しかし、そうやって金を注ぎ環境を整え領地領民に安寧を与えれば与えるほど外から人が押し寄せることになるでしょう。負担が徴収を上回る。これは領の規模でなく国家規模での問題になるのでは。」
「はい。なので対象者を選別するために、全国民の戸籍管理…民の所属を確定させる何かしらの措置が必要かと。」
なんとなくの想像で平民に対しての住民票的な管理の有無を問えば、王都などの塀で囲み検問を行っている街で出入りの際に通行証をこそ発行しているが、住民総管理の仕組みはやはりないとのこと。
「待ちなさい。それは民を固定し移民を締め出すということか。」
「正当に差別するということです。外国人が制度を利用しに来るということは国や国民の積み立てた資産を掠め取りに来るということですから。書国において実在していた問題ですが納税者としてこれほど不条理で腹立たしいことはないですよ。国民に対する出産促進のために産院等が発達し充実したのなら、以外の需要からはきっちり利益をとるべきであって、わざわざ施す意味がわからないでしょう。」
「誰がそんな馬鹿な真似を、といいたいところだが。単に利益供与云々のみならず、領力や国力を削る手法として確立されかねないというのだね。拒否すれば人道に反するとでも非難するつもりか。受け入れれば出資している民の反感も煽れると。」
大きく頷いたアルハに議場が呻く。
増税や保育難に国民が喘ぎ辟易するなか悠々と外国人が来日して手厚く手当や補助を受け取りながら子を育み闊歩する苛立ちよ。挙句自称難民だ?生活保護だ?子供は日本生まれだとか関係ないだろう。海外赴任とか転勤って知ってる?子供は親次第よ?親が退去なら子もろとも当然よ。
引き出した記憶に沸々と苛立つアルハの視界の端で陛下が顎をしゃくり、頷いた一人が議長に場を鎮めさせてから立った。
「アルザ嬢、書国での戸籍・国籍の運用をわが国にそのまま取り入れることが可能だと思いますか。」
静かに否を示したアルハに議場が落胆する。
「書国では情報管理が発達しており、戸籍に紐付けた割振り番号等を各地で照合できました。しかし罰則を設けても証書の貸与や売買なり偽造は行われ、最悪殺害の上強奪し背乗り…なりすましも。かといって個人特定のための生体情報などの付帯は進まず…。当国は国境が陸にあるので検問も難しいのではないでしょうか。」
「なぜ生体情報?の付帯?は進まなかったのでしょう?おそらく個体波長に似たものと推察しますが…。」
「指紋等の身体情報は漏洩や悪用を心配する声もあり。遺伝子情報は父と母を特定できてしまいますし稀な事例でいらぬ波風や混乱をきたす可能性もありました。利点よりも不都合を煽られたともいいますか。」
「…なるほど。ありがとうございます。」
納得できたらしい一人が座ると、さらに別の者が発言を求めた。
「さきほどの事例ですが、なぜ出産の促進を?書国では人口減少が?」
アルハは少し悩んでから言葉を選ぶ。
「当国の現状と未来はわかりませんが、文化文明が発展すると出生率は下がります。個人的見解として。貧しいと子が産まれるんです。治安が悪く、他に娯楽がなく、生存率も低く、最悪は親が子を労働力とみなして。
豊かであれば、性行為以外の娯楽があり、悪意による妊娠から逃れる術があり、子を持つか否かを含め人生を自由に計画し選択できる幅がうまれます。子の成長さえ計画し手を掛けがちになる。」
「生活水準の向上に伴う生き方の多様化により婚姻の減少する一方、出産数を絞り一子あたりに多くの投資をしようとする傾向へというわけですか。では、出産費用の補助だけでは出生率は上がりませんよね。」
アルハは頷いて指折り挙げた。経過観察、医療補助、保育、納税額の控除、手当金の支給。そして、はたと手を止める。
「質問で返してしまうのですが、当国の婚姻について…同性は組み込まれているのでしょうか?」
アルハの問いに議場が静まり返った。今世は乙女ゲームであるらしいが、ギルスナッドがバイセクシャル設定と聞いていたので、同性愛自体には寛容なのかもしれないと思った故の確認だったわけだが。もたらされた沈黙の指し示すものは不穏。
気まずい沈黙を破ったのはアルハの膝におわす第一王子だった。
「それは、男の人どうし、女の人どうしが結婚するっていうこと?なら、できないよ。結婚は夫婦を結ぶものだから。」
「同性愛は確立されていないのですか?」
「どーせーあい?」
同性同士で愛し合うことですよ、僕は父上やライライを愛してるよ?などという不毛な会話を遮って最高権力者の声がよく通った。
「国教で言及されておらんので禁忌ではない。ゆえに国としては認知も関知もせぬよ。それが?」
議場の緊張が、陛下の解答によって緩んだのがわかった。別組織である国教の教義に差し障る事案に振れてしまったらしい。
立ったままだった発言者が議長に再びの名指しをもらってから少し悩み、おそるおそるアルハに続きを促した。場内が固唾を飲んで待ち構えるありさまにアルハは心中で悲鳴を上げるが、逃げられるものではない。
「いえ、あの、…書国の故国?では、男女の婚姻はすなわち男が女を養うことに始まり出産による家族形成を当然としていたからか、婚姻関係を国家に届出ることで税制控除が得られたのです。もちろん相続等互いの人生を預け合う責任と権利を法で定めてもいました。
…それに対し一部の同性愛者や同調者が、同性愛者とて異性愛者と同様に愛し合っているのだから婚姻関係であるとして国家に認めてほしい、という訴えをはじめていたところでして。」
男が女を養う、と固定してしまうのは時代錯誤で、今は男女関係なく基本収入が多い方が少ない方を扶養して控除を受ける。それは、なぜか。と考えるなら、愛の証明や祝福だと浮かれるよりは次世代創出への投資や期待であると捉えたほうがまともではないだろうか。男女の婚姻を推奨し次世代の育みを歓迎していると。そこに個人の選択や身体的要因等による結果は関係なく、男と女が番うという流れを国益としているのだと。
なんでそこにも国際婚でない外国人夫婦が紛れ込んでしまうのかはさておき。
多くの信徒を抱えることで君臨できる宗教においても禁忌と定めることがあるのは、大多数の忌避や嫌悪感によらず、性交方法における衛生上の問題よりも、おそらくは信徒増を望み永き安寧と繁栄へ繋ぐ主流を保護するため。
「…その主張が罷り通るのですか?」
侮蔑というより素朴な疑問として「馬鹿なの?」という副音声が聞こえた気がした。
罷り通っている国もあったが、しかし該当国における婚姻の特典がどういったものであったのかをアルハは把握していないので、副音声に肯定はしない。単なる祝福や愛の認定であるならば、相手が学生だろうが猫だろうが二次元だろうが快く紙一枚印刷すればいいものなのだから。
「書国の主観する国ではまだ、とだけ。ただ、同性同士で生涯を共にしようという仲に、当人同士のみの相互的な後見手続きを行える権利を認めることは検討に値すると思います。外国籍が絡むことにより想定される不都合をどこまで取り除けるか。節税や配偶者として準国民の地位を得るがための実態なき婚姻やその売買をはじめとして資産流出、準国民の地位を利用した親戚招致等の移民流入、虚偽申告による助成詐取、異性婚においても噴出する問題と重なるものが多いですから。
婚姻と出産に関わる補助控除をそれすなわち一体として認識する前に、宗教解釈に依らない意義と規定を設けておくことを進言したかったのです。意味を考えず感情で不遇不満を訴える声は、つい頷いてしまいたいほど耳障りで目障りでけたたましいですよ。人数が少なくとも扇動する輩はどこからとなく現れて小火を大火にしてしまう。」
声の特段大きな輩の言う異性婚と同性婚の同等認定には故国での制度を前提にアルハは拒む。それは同性愛の否定でなく、好きに自由に恋愛してどうぞ、なのだ。身内に許された諸手続きを限定的に可能にする立場として確立させる配慮は試みても、国がわざわざ奨励することではないだろう。養子縁組という手段も禁じられていない。
冷静に考えて、婚姻手続きは愛の国家承認ではない。しかし男女カップルが手続きをしてキャッキャウフフとしていてば、同性同士としては何かしら抱くのだろう。ただし、それを「ずるい」と称するのは甚だ幼稚で筋違いだ。
「男女のように認めてほしくなるのなら、一部はおそらく男女と同じことをやりたがる…。となれば貴族の皆様方が積みっぱなしの問題が沼となる。私の出自も絡んで深みに嵌るでしょう。」
「…婚外子や養子か。確かにすべて円満にとは言い難いだろうが。…まあ、そりゃあ、同性間で子を持ちたいと願えば養子をとるか、婚外子として不貞行為で子を作り引き取るなど…いや、そもそも子を成すような不貞を、彼らが行えるのか?…貴女の、その…」
思い至ったのだろう。イフスエルでも禁忌とされているリューン男爵家の犯した罪へと。
労働人材ですら使用用途によって違法な調達に手を出してしまうのに、貴族社会問題である養子・非嫡出子・落胤云々ですら金銭授受が主な解決法であろうに、「子供が欲しい」=「誰か引き取ろう」あるいは「産んでもらおう」に対し無償でことが収まり続けるわけがない。
少数であることが望ましい境遇の供給が求められて流通がうまれる。命を生みだす腹が、なにより、無垢な命が需要に振り回されることだ。
事情を慮ってそっとしているやりとりを表に引きずり出して常態化してしまえば、母に子に仲介者に名目如何にしろ金銭を絡めてしまえば、それはもはや飼育・愛玩を用途とした人身売買になってしまう。
それが当たり前になった状況で、買った子供が、手軽に手に入れた命が、気に入らなくなったら? ペット問題が今世に存在しなくとも道筋は綺麗に重なっていくだろう。人の命は畜生に等しく、畜生の命はモノに等しく、モノは安易に製造され容易く手に入りやがて売れ残りともどもゴミとして捨てられていくことになる。
ガンッ! と大きな音に一同の目線は集まり、卓を殴りつけた陛下に総員速やかに背筋を伸ばした。
「禁忌と定めよ。」
なにか種馬陛下の逆鱗に触れたらしい。しかし、禁じれば付け入られるのだ。書国で彼らは配慮である黙認すら蹴り飛ばして「認められたい」と訴えたのだから。だからといってその旨を発言できる雰囲気ではない。
委縮する面々の間を縫って意外な場所から朗らかに反論が躍り出た。
「父上、赤ちゃんができなくてかなしい人や、ひとりになっちゃった子は放っておくの?ふたりぼっちとひとりぼっちが出会って笑顔になれるならそれは良い事でしょ?」
もっともだ。問題はその尊き出会いに商いや悪事を絡めて穢す輩が湧くこと。あとはその後の現実。
陛下は息子の発言に見開いた眼を柔く弛ませた。
「ふむ。…大義としては結ばれ命を授かることを歓迎する旨とし、公然の抜け道を用意するのが無難であるが、時流によってその配慮を突く輩が湧きかねんならばいっそ婚姻と生殖を分けてしまうか。そも少子化なる現象もわが国には遠い。…いや、これは我が国における家族形態の概念をこれと定めるに等しい。宰相。」
「は。重要議題としてより分けておきます。」
「さて、外国人嫌いのアルザはそれでよいか。」
揶揄うようにレッテルを貼られたアルハは反射的に思考を零す。
「孤児の救済や管理を、宗教組織に任せていませんか? 奉仕も商いも寄付も絡まない国の管理下に置き、窓口を限定してしまえばあるいは…」
そもそも宗教組織こそが人身売買組織だったことも、と言いかけた口を塞がれる。オルガイアがはしゃぐ。
突如現れ、アルハの口を手で覆いながら無言で陛下を見据えるライオットに陛下は上機嫌に肩をすかし、いくらか言葉を交わしてから閉会を告げた。
内密に特別席で会議を覗いていた二人は、閉会も気にせず届かぬ頭を突き合わせて紙面に筆を走らせている。
綴っているのは主に会議冒頭に持ち上がっていた教育に関する事項だ。『すべての民に教育の機会を与えるために全ての親に教育を受けさせる義務を課す』これについて、陛下にオルガイア・レポートの閲覧を願い出た際に所見を纏めるよう言い渡された。
試されている、それはジョッシュはもちろん五歳のシルブルムも察した。
王質たる紫を携えて産まれた待望の第一子ウィルオストと違い、二人に王位継承の発破をかけるものなどいなかった。王子だから、血族だから、男系だから、ひょっとすると利用価値が出るかもしれないと一応程度に擦り寄られキープされているような状況で我がまさかと夢見るには、下位貴族にすぎない母方の実家に対する上位貴族の卑しい顔をいやというほど見てきた。
代替にもならない程度の王子教育を受けながら、上位貴族やその子息達から軽んじられ、いずれ屠られるのだと王家の系譜を片手に嗤われてきた。能天気なオルガイアより、その隣で冷ややかに佇むライオットが怖かった。何を目標に生きるもない、諦めた死刑囚の心地で、抗うウィルオストを眺めていたのだ。
「義務ほどでないにしろ教育の門徒は広く開け放ちたいが人手と昼飯代の天秤は心もとないな。それに、学歴社会なるものの弊害で家業の放棄が増えて後継者不足に陥るのは厄介が過ぎる。」
「寺子屋なるものと書館をまぜて、手ほどきを受けながらすきなことを書物でさらにたんきゅうできる場所をつくるのはどうでしょう。わたしはそれがたのしいと実感しています!孤児院もくっつけてしまえば、家業にとらわれず学べる層ができませんか?」
いいんじゃないかと応えて異母弟の楽しそうな顔を見る。王子という牢に共に収監されていながら特に交流のなかったシルブルムではあるが、いざ顔を突き合わせてみればこれほど気安い相手もいなかった。
己の半分以下の年齢、年齢の割に落ち着いた性格。体格も知識も圧倒的に勝ち越しのうえ、母方が男爵位であるジョッシュに子爵位の母方を持つシルブルムは偉ぶらず従順だった。
「だけどな、刑務所の待遇向上による再犯率と犯罪抑止力の話を思い出せ。孤児という万歳からほど遠い境遇を優遇しすぎると一般民衆の反感や子捨てを誘発しかねない。あれが異常に警戒する外来の混入もあるかもな。」
「公の子ゆえと安く給与をせっていして、よほど優秀であれば貴族に養子にとってもらい正規の役職をつけていくというのは?」
「まっさらな人材が貴族の派閥に揉まれるのは惜しい。だが、国が専用に組織したとして蔑みの対象になりかねない。」
「でしたら、わたしたちが爵位をいただいたうえで一族として取り込んでいくことはかんがえられますか?」
ジョッシュは理解に数拍要したあと思わず声を上げて笑った。おそらく子を持つことを許されない自分たちが、他人だらけの家門を興そうというのかと。それがなぜだか泣きたくなるほどおかしくって胸を締め上げる。
「あの女は、流入した民が福祉に寄生するばかりか主権を脅かさんとする事例を知っている。それをこそ目的に行われる植民を懸念し、民主主義というものが浸透を加速させるその毒を恐れ嫌悪している。
だからこそ、はみ出し者の帰属場所と矜持を作り出すというんだな。俺とおまえで。」
歓迎の意にシルブルムの丸く大きな瞳が輝いた。
「わたしは!読み書きや一定の算術に次いで、国のなりたちやあり方、民と貴族と王族の関係性なりの、世のしくみ、とらえかたというものを主軸に学ばせることをかんがえました!思想でなく理解を。さきほどの会議も聞いてあらためて、仕組みがもつ目的と利用する者の認識がずれることにより問題がはっせいしているとおもうのです!」
「ああ。中途半端に思考力を育て、理解を怠っている。だから偏った情報や感情に踊らされるのだと俺も思う。」
基礎学力をもっと生活必需に寄せて、個と全体・民と国の絆を理解させる。国の成り立ち、国が民に与えるもの、民が国に与えるものをより具体的に。尊き地位が担うもの、平民・貴族・王族の役割を根本的に理解させる。それにより互いの理解を深め合うことがどれだけ不可視の利を産むだろうか。
「おまえがやれ、シルブルム。俺が外枠を担おう。媚び諂って強請りとってでも箱をつくりあげてみせる。二人でイフスエルに賢民の杭を穿つぞ。振り回されぬ知をもつ民を、侵略の芽をも取り込んで強かに永らえる国を。千年の安寧の礎に俺たちの名を刻んでやろう。」
誰も必要としなかった互いの手を結ぶ。空いた手で誰かの手を掴もう。音もなく交わす誓いを確かめるように小さく拳をぶつけ合った。
ひと心地つき、卓にひろげた諸々を片しながらシルブルムは思い慕うように紙面に記したアルハ・アルザの名を撫でる。
「あのライオネル様が手中におさめたほどのひと。アルハ様は『鳴らすたび未知の音を奏でる』、そんな方ですね…」
ジョッシュは事もなげに引用を拾った。
「『歪な一音は閃きの扉を叩き、その奔流に神の旋律を聴く』 …解放の福音、だな? さながら没した天界の鐘か。性根を腐らせるような否定と世迷い事を並び立てる異界の亡霊だと思うけどな俺は。ま、死神の娶る妃としてお似合いじゃないか。」
あまりの言い様に青ざめ頬を引き攣らせながら、ふと長兄の言葉を思い起こす。ウィルオスト兄さまのお嫁さま、ローズ公爵夫人はかの方を“魔王”と形容されているそうですよと声を潜めると、ジョッシュは口元を隠しながら痙攣し、魔の王が人世の王に侍るのかよと零して撃沈した。
先に退出したジョッシュを見送って、荷を抱えたシルブルムはようやく立ち上がり目を閉じる。
民草に智を。自らを誇り、他を慮り、国を尊ぶ思考をかたちづくる。
思想は要らない。数式を教えるように、無色の理を植える。
すべては環境だ。己を使いこなせ。自重し、自戒し、公平に、公正に良き心を以て彼らに接したとき、それと気付かぬ色がつく。それを重ねて、思い通りの色をつくろう。
底を蹴って顔をだせ、怖いだけだった世界を灯せ。
閉ざされた瞼の下で、大海を切り取ったような穏やかな青がすっと波引いていった。
未来を見据え開いた瞳は穏やかに、まだ。
主義主張は話半分に目を滑らせてください。当社比、とても長くなってしまいました。




