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相し愛たい

 時は遡る。


「おいライオット!ライオット・ライオネル!」


 ギルスナッドが勘と感覚で辿り着いたのは、かつて親友が生死を彷徨っていた白亜の礼拝堂のような聖生泉の間だった。

 お偉方が瀕死の際に担ぎ込まれて投げ込まれたり、王族の婚姻の誓いの儀に使われたり、王族の誕生を祝福し清めたりとお偉方にとっては汎用性の高い場所である。予定がなければとくに人員を配することもなく、その扉は開くことはない。祭司といえども独断で立ち入ることはできず、必ず直系王族の立ち合いが必要になる。

 本来ギルスナッドはそんな豆知識を知りはしないし身分的にも立ち入ることもない。が、そういう機会があったのは割と最近で、ウィルオストからご丁寧に聞かされて久しくなかった。

 しかし、聖生泉の間に一人佇む親友の訳ありな光景はギルスナッドの怒りを惑わすことはない。名を呼んだことで隠密の術は解け親友の姿を捉えた。ならば一発殴り飛ばすのみ。


「歯ァ食いしばれ!」


 アルハを泣かしやがった。という間違っているがあながち間違っていない理由で振りかざした怒りの鉄拳を炸裂させたことで、ようやく脳がまわりはじめたギルスナッドは無抵抗に殴られ吹っ飛んだライオットを欠片の気兼ねもなく助け起こし座らせる。

 赤くなって乙女のように逃げ出したと思ったらこんな清らかな場所でなに仄暗く黄昏てやがる、といった感想やら疑問がようやく顔を覗かせてきた。


「何がしてえのおまえは!」

「…わからない」

「は?嘘だろ…ライがわからねえもん俺にわかるわけねえじゃん…」


 不明瞭な様子にギルスナッドは青ざめ早々に匙を投げる。コンラードに任せればよかったと後悔するものの、追跡を任せることはできなかった。

 ライオネル家の隠密は、危害を加えないことを条件に発動させる術なので他派の隠密術や暗殺術に比べ隠匿力は群を抜いている。ライオットの隠密など嗜む程度のものらしいが、幼少期より発動を見慣れているギルスナッドでも相当な集中力を要する。コンラードでは到底ライオットをみつけることができないのだ。

 しかたなく、しばらく無言で寄り添った。


「…なあ、アルハ落ち込んでたぞ。俺んちで回収するぞこら」

「そ、れは、困る」

「んでだよ。手に入れたい女じゃないんだろ?アルハは」

「は?」

「手に入れたいものはないって言ってただろ」


 互いに互いの言っている意味がわかりませんといった空気を出していて双方首を傾げる。


「彼女はすでに私の手中にあるが?」


 心の底からそうですが何かといったライオットの言葉にギルスナッドはあんぐりと口をあけ呆けた。その様子に、え、何か間違ってるのとでもいいたげなポンコツめいた視線が刺さる。


「んならなにわざわざ狼狽えて逃げて落ち込んでんだ」

「わからない。彼女の言葉によって身の内の感情に飲まれたのは自覚しているが、その感情が上手く捌けない。…彼女は私の傍らにある。この手で好き勝手出来るのに、足りない。足りないのはなぜだ」

「ライ、おまえな。それまだ手に入ってねえってことじゃねえの」

「どういうことだ?」

「知るかよ」


 求めれば応じ、決して逆らわず従順であろうとし、自ら進んで役に立とうとさえする。そんな人物を手中にあらずというならば手に入れるとは。

 悩むライオットにギルスナッドは閃く。


「そこで結婚だ!ほれ、そういうこったろ!な?」

「意味がわからん」


 素気無い返答にギルスナッドは苦虫を噛み潰す。


「結婚しちまえばアルハは名実ともにライのもんになるだろ?子供こさえたっていいし」

「子供などいつでも産めばいい。そのくらいの甲斐性はあるつもりだ」

「いやいやいや、私生児じゃねえか」

「認知すればいいだけの話だろ。するさ何人でも。不都合だと喚く輩がいないわけではないが、そんなもの私の知ったところではないしな」


 懐に入れて離さないのに、血を繋げることに忌避もないのに、なぜそう頑なにアルハを娶らないのか。ギルスナッドには皆目見当がつかない。何かしらの手段として残しておきたいのかというとそうでもないらしく、ライオットは生涯結婚という儀式をしたくないのだという。


「結婚はさ、互いが互いの唯一だと誓う儀式だろ?なんで嫌がるよ」

「本命を他人に捧ぐアルザが言うか。婚姻は、特定人物や伝手や財を手中に収めるための手段だ。庶民ならばともかく、互いに唯一を誓う儀式でないことなど王陛下その人が証明している」

「あー、確かに」


 納得してしまったギルスナッドは唸る。だからといって義妹が娶られもせず宙ぶらりんに孕ませ続けられる事態はとてもじゃないが許容できるものではない。


「あれか、俺が娶っておまえ付きの侍女として貸せばよかった話か。王都の公爵家で働かせてれば国境向こうのアイツらは手を出せないだろうし?早まったなー!まじで!ライオットくんは?アルハと結婚しないんだもんな?俺が結婚すればよかったー!」

「やらん」

「うるせえぶっとばすぞ」


 粗末な揶揄にも即拒の割にその声に覇気はなく。

 どうしたもんかなと遠い目をするギルスナッドに、深く深い海の底からあがってきた小さなあぶくが水面を破るような、そんな呟きが零れた。


「私には、三人混じっている」


 ライオットの底に沈めているものを語るのだと悟る。ギルスナッドは理解しようと努めるもかなわず、聞き漏らすことだけはないよう耳を澄ませた。


「ライオネル公爵と、陛下と、王妃だ。私という肉の成り立ちは不可解で歪んでいる」


 婚姻とは何なのだろう。とライオットは語る。

 陛下は王妃を妹のように慮り、王妃は陛下を兄のように慕い、王妃の実弟であるライオネル公爵は実姉である王妃を異性として愛している。母はそんな父ライオネル公爵を敬愛しつつも警戒し見張っている。

 上辺のみで読み取れる情報ではあるがしかし、それだけではない。折り重なった色々は醜く混じり、混沌と絡まり合ってひどく気持ちが悪い。その血が不自然に交ざり流れる己もまた酷く歪で気持ち悪いものなのだろうと。

 なぜ私が生まれた。オルガイアは何だ。

 婚姻とは手段だ。人を絡めとり、便宜を引き寄せ、引き換えに次代を作りだす義務を負うものだ。


「あのような薄汚れた誓約など必要ない。王血である己らこそ特別にとこの聖生泉で禊ぎ、清め誓い合っておきながら私という怪を作り出すような取り決めなど。私にはアルザ子息夫妻のほうがよっぽどまともに見え__」


 最後まで言わせることなくギルスナッドはライオットの口を塞いだ。驚愕に染まった双眸が無抵抗ながら落ち着いたのを確認してゆっくりと解放する。


「俺は、お前とヤれって言われたらヤれるぞ。爺婆はさすがに遠慮したいが、スカイラーラみたいな幼女だってまあ普通にヤれんだろうよ。それは俺にとって性交が腰振って快楽を得るだけの行為だからだ。軍人として昂りを吐き出せるように、アルザとしてウミバラに種を蒔けるように、そういう教育をされちまったからだ。貴族なんてのは大抵そんなもんなんだよ。

 おまえがそうじゃねえことぐらいわかってる。だからアルハを託してんだろ。俺のライと!俺のアルハなら!んな虚しい関係にはならねえだろうから!

 どうしてアルハを抱いた!?必要だったから!?そんな理由でおっ勃てられるほど器用か!違えだろ!!陛下と王妃とライの親父が三人で乳繰り合ったからなんだ?アルハんとこは乱痴気騒ぎだろ?まさかんな理由で側に置いたのか!?」

「違う!彼女は混ざってない」


 違うならいい、と。ポンコツ化した秀才と馬鹿な自分では気持ちよく埋まる解答が期待できない。言えることは言ったと鼻やら口から気墳を吐き出して、無理矢理に気は晴らしたと腰を上げたギルスナッドに待ったの声がかかる。


「久々に、少し殴り合わないか」


 うじうじ鬱々としてしまったものを発散したいのならば否やはない。ライオットからの珍しすぎる誘いに内の獣が涎を垂らす。そんなギルスナッドを慧眼はとても澄んだ色で映し出していた。


 しばらくして、殴打の応酬を終えてくったりと草臥れた銭湯帰りのような二人は帰路につく。


「ギル、聖生泉の間の扉を開けてみろ」


 結構な距離を歩いてから言うなよ面倒くせえ、何忘れたんだよ。と大股で扉前まで戻ったギルスナッドが押すも扉は開かない。力を込めても、引いても開かない。

 首を傾げて開かぬ扉を一発蹴り飛ばしてから走り寄ってきたギルスナッドにライオットはこともなげに告げる。


「聖生泉の間の扉は開けてはならないわけではない。王族の男系男子が一定範囲内にいないと開かないんだ」

「ふぅん?」

「ライオネル公爵は女系故に開けられないが、私は陛下の血によって開けられる」

「…ん?三つ巴の乳繰り合いがあったとしても『子は男女の一対の素に芽吹く』だろ。おまえの父親はどうみても見たままそっくりくっきりライオネル公爵じゃねえの?」

「ああ、故に、父の血も陛下の血も私の内に流れていると。少しは理解したか?」

「おー、おお。…は?ちょ、は?おま、どゆこと?」

「だろ?」

「はあ、やっぱ意味わかんねーわ」

「ふっ…おまえはおまえでしかないな」

「そらおめえもだわ」


 歪な身体の歪んだ生い立ちだとしても変わらないギルスナッドの態度に、その義妹になったアルハも準ずるのだろうとなんとなしに想像して肩が垂れた。


「おうおう緩んだ顔しやがって。どんな意味不明な身体でも俺もアルハもたぶんコンラードも気にしねえよ。でもな、何も解決してないからな?わかってっか?ん?」


 疑問符を浮かべるライオットに、このポンコツはまだポンコツのままだなと半目のギルスナッドはわざわざ追いかけて殴り飛ばすに至った理由を説明する。

 アルハの告白に混乱し逃げ出した赤面乙女野郎に対し皆呆然とするのみであったが、アルハは蒼白になっていたのだと。真っ赤な顔して姿を消したから怒って出ていったと勘違いしているのではないかと。


「フられたって思ってんぞありゃあ。あーあ。あーあ!」

「うるさい。フるもフられるもないだろう。私は彼女の主で、彼女は私に従う。彼女の思慕は予想外だったが現状の妨げになるものではない」

「だーめだこりゃ」


 がっくりと首を折るギルスナッドにライオットは納得できないと眉を顰めた。

 道中に使用人から退場後の顛末が伝えられつつ、やがて、各々の寮室への分岐点に差し掛かる。挨拶もなく別れようとするライオットを今度はギルスナッドが呼び止めた。その表情は一転して真剣に、断じた。


「ライオット。アルハのこと好きだろ」


 今件の傍観者として至極まっとうな確信をもった言葉にライオットは立ち止まる。少し視線が落ちるも、諦めたようにギルスナッドに向き合い自嘲した。


「どうだろうな…」


 不思議な話や不可解な言い回しをする声も、清廉とはいえない折り重なる感情の色も。あれほど接していて不快に思わない女性は珍しいと好ましくは思っている。しかし、揺蕩うような穏やかな印象の水面は掻き混ぜれば掻き混ぜるほどに濁るのだ。


「…彼女の好意に寄り添えるほど綺麗な感情(いろ)ではない」


 捕えて、引きずり込んで、溺れさせて、沈めてしまいたい。沈めた気でいた。しかし足りないでいる。まだ手に入っていないという。どうすれば手に入るだろうか。直接縋るような好意を聞いてもなお手に入ったと思えないのは何が不足しているのか。


「…出かけろ。二人で。イチャイチャしろ。キャッキャウフフしろ」


 心底おもしろくなさそうなぶすくれながらの言葉の指す光景を想像してライオットは緩く頭を振る。


「…想像できないな。だが、そろそろ駒の補充に行こうとは思っていたし、城下に彼女を伴うとしよう。ギル、今日はすまなかった。ありがとう」

「おー…」


 ギルスナッドと別れたライオットにようやく公衆の面前で晒してしまった醜態への羞恥がこみ上がり、ひとり顔を覆う。そして、気まずさのあまり隠密を使って滑り込んだ寮の自室で目にしたのは、侍女服に着替え、誰もいない空間に頭を下げるアルハの姿。うつむいたまま振り返った彼女の手には小さすぎる包み。


「…帰りたい。日本に。ふつうに、暮らしたい」


 孤独な少女の呟きが、消え入るような揺らぎが、ライオットの芯を抉った。

 自身が不充足に悩むように彼女も苦しんでいる。手に入れておきながら、足りない。手に入れておきながら、満たせていない。なにかが、足りない。だから彼女は我が手の内から零れ落ちようとしていると。

 手放したくない。

 胸に彼女の額が収まって、甘く苦いものが滲んだ。突き動かされるように弱い自分が身の内から転がり出て彼女に縋りつく。


「すまなかった。どこへも、行くな__」




「…だめだーありゃ」


 仄暗く揺れる瞳をそっと逸らして帰っていったライオットの背中を見送り、ギルスナッドは暗い廊下でひとり頭を掻いた。ぽつりと転がり出た義妹と親友の二人を表した言葉に彼ら自身はまだまだ辿り着きそうもないらしい。熟語は虚しく空気に交じっていった。


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