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策し動く

 ライオットはここのところ忙しい。

 貴族名鑑や書類を眺めたかと思えば地図を広げたり、何か書き起こしていたり。そしてオルガイアやギルスナッドを呼び出しては何やら相談していたり、訪ねてきたコンラードに指示を出したり。時計を見て早足で出て行ったりと忙しそうだ。

 アルハは寮室の管理と茶くらいしか出せず、ライオットが抱える案件も全く分からない。侍女の領分ではないのだろうけれど、ついに差し出がましく声をかけてしまった。


「ライオット様、私にできることはありませんか?」


 心配を読み取ったライオットは緩く首を振った。


「君に相応の仕事を学ばせる前に連れ出したのは私だ。後悔はしていない。君は君にできることをしていてくれていれば構わない」


 相応の仕事に至らなくても講義にちゃんと出席していれば他にできることを学べたはずだ。周囲に気を使わせるからと遠ざけたことで今ライオットの力になれずにいる。自覚した怠惰にアルハの胸は軋んだ。


「では、せめて、この部屋にいる間だけでもライオット様の予定管理をさせていただけませんか?」

「予定管理?」

「今日の予定、明日の予定、何時に誰とどこで会うのかなど教えていただければ既定の時間に沿ってお声掛けいたします」


 前世での秘書業務の一部だ。ブランクはあるけれどたった一人の限定的管理くらいならまだできるはず。読み書きが不十分なため文書作成などはまだできないが、覚書程度なら前世の文字で速記すればいい。幸い今世の年月時間の仕組みは前世と同じだった。


「…お試しでもいいので、させてもらえませんか?」


 ライオットは逡巡したが、時間を気にして執務に身が入らないのは悩みの種であったのか半信半疑といった態度で了承した。アルハは急いで筆記用具を取り出し、ひとまずの今日の予定を聞き取り走り書きしていく。過密な時間割を作成できたところで、出発時間や到着時間に加え推定移動時間、声掛けは何分前希望か、決まって準備するものはあるか等多々聞き出していった。

 アルハの拾い集める確認事項の細かさに呆気にとられながら、ライオットは懐中時計をアルハに放る。


「頼む」


 短くも確かな期待の言葉にアルハの胸は躍った。

 結果として試みは型に嵌る。アルハは寮室の手入れや茶出しをこなしながらもライオットに時間を知らせ、向かう場所、会う人物、持参物の確認を取り、必要に合わせた服装を伺い整えてから送りだした。


「手慣れているな」


 訝し気な問いにアルハは照れて下を向く。


「書庫の知識のようなものですが、お役に立てているなら嬉しいです」

「明日も頼む」

「はい!」


 次の日、その次の日も仔細に日程を組み、体内時計と懐中時計を駆使してライオットを送り出していると次第に部屋の外への同伴を求められた。

 それから学院をさらに動き回るようになり、ライオットの人間関係が見えてくる。

 アルハが思っていたよりもライオットは人と関わっていた。公爵家嫡男として当然ではあるものの、当人の雰囲気や印象からは考えられないほど様々な人間と会話をしている。ただ、声をかけてくる者らは異様に恐れているか特別慕っているかで両極端だった。これが駒が多いが仲間は少ないというギルスナッドの言葉の指すところなのだろう。ちなみに野心溢れる令嬢や恋焦がれている令嬢は近づかせない、話を合わせない、最終的には無視で躱している。誰相手であれ、しつこさや縮められる距離に比例して虫を見るような目から汚物を蔑む目になり、挙句吐瀉物でも近付けられているかのように顔を顰めていく様は、対人能力の低さというよりは根底的に苦手なのだろうと推測させた。

 同行して知ったライオットのパーソナルスペースは、アルハが認識していたよりもずっと広い。それはアルハがずっとライオットの懐で庇護されていたということに他ならないだろう。面映ゆく感じながらも、それだけの見返りを用意しなくてはと背筋を伸ばした。


「少し人払いをする。待っていてくれ」


 オルガイアの居室前で肯定すると、中から近衛のルルスがでてきた。どうやら二人で待っていろということらしい。ライオットが部屋に入っていってしばらくは沈黙の場となったが、さすがは無邪気なオルガイアに仕える近衛というべきか、ルルスはちらちらと視線を寄越し、ついには話しかけてきた。


「ども!自分、ルルス・アゲンストと申します!なんだかんだ自己紹介がまだでしたよね!末永く御願いしたい感じなんでよろしくおねがいしますね!」

「アルハ・リューンです。こちらこそよろしくお願いいたします」

「またまたぁー!アルハ・アルザでしょー!大丈夫です。わかりますよ、わかります。家名が変わるとほんっとうに慣れるまでが大変で…」


 年若くもがっしりとした大きな体躯、日に焼けた肌、人懐っこい垂れ気味の茶目に短めの柔らかな金髪。話しかけられると、すごく、ゴールデンレトリバーです。と、アルハは名乗り間違いも吹っ飛ぶほど呆気にとられていた。

 ルルスはアゲンスト子爵の庶子で、平民として入隊した騎士団で優秀な成績を収めたところ子爵から声がかかり、あれよあれよという間に第一王子の近衛にまで出世したのだという。


「アゲンスト側妃の産んだ第四王子の護衛として送り込まれたのかな?って思ってたんですけど第一王子ですよ第一王子!もーすっげぇ、おっと、すっごいびっくりしてー。でもオルガイア殿下すっげーいい子、いえ、いい人なんですよ!自分、運が良かったです!」


 第四王子の親類が第一王子の近衛。うすら寒い背景しか浮かばない。視線を迷走させるアルハにルルスは何でもないように言い放った。


「おおかた背中からばっさりやっちまえってことなんでしょうけどアホですよね!ただ血が繋がってるだけで駒になるような木偶が剣なんて握るかよってね!…で、貴女はどういう理由で我が殿下に近付くんです?」


 屈んでまで合わせてきた目線。ルルスの仄暗い瞳にアルハは背筋を凍らせる。

 ガチムキ天然ワンコ風腹黒、殺意を添えて。おフランスメニューのようなフレーズに逃避しながら必死に言葉を探すが、拙く語句を繋ぎ合わせる前に敵意は散った。


「なーんて。殿下が懐いてるすなわち安全だとは思えないんです自分。だって殿下はこんな自分もお気に入りにしてくれちゃってますから。でも、貴女は大丈夫です。わかってるんです。

 …安心していいですよ。自分、長いものに巻かれるというか、頑丈で安全でしっかりしたものを選んでいますから。裏切れませんよ、あんないい子」


 と、あんな怖い人。

 言葉尻は開いた扉の音に掻き消され、出てきたすべてを見透かす水面のような慧眼と、汚泥を飲み込んだ澱み眼が束の間交わった。その脇を天使が通り抜ける。


「アルハだー!」

「オルガ殿下、お疲れ様です」

「オルちゃんでいいのに」

「うぐっ!なぜそれを、いえ、しかしですね、さすがに不敬罪ですからね」

「むー」


 脳内呼称なのでついつい口にしてしまいはするものの、認めるわけにはいかないのだ。さすがに。 


「ねえアルハ。またみんなでお話しよーよ」

「みんなで、ですか…。私のような使用人がほいほいと出しゃばるわけにはいかないでしょう」

「じゃあ、にほんの話が聞きたいなー!」

「日本のどんな話ですかね」

「国と国のなかよしさん!」

「では次の機会までにまとめておきます」

「いまからは?」

「すみません予定が詰まっておりまして」


 手を繋いでぴょんこぴょんこ跳ねるオルガイアに応えているアルハ。


「二本?見本?なんなんですかね?」

「他言無用だ」

「…わかってますよ」


 ルルスは、ライオットの即座の物言いに肩を竦めながら姉弟のような二人のやり取りを眺める。他言無用な会話を廊下でさせてどうするんですか、と文句の一つも言ってやろうと振り向いた時にはすでにライオットはいなかった。嫌な予感がして身構えると、身なりのいいおっさんと爺さんの男性二人がオルガイアに気が付いて歩み寄ってきている。


「ご機嫌いかがですかな?第一王子殿下」

「我が家のルルスがご迷惑をおかけしていませんか」


 ご機嫌さんだよ!ルルスはすっごく頑張り屋さんだよ!と屈託なく応答するオルガイアに向けられる生ぬるい嘲りの目に、アルハとルルスは内心眉を寄せた。


「先日は王制から民主制への移行についてご提案させていただきましたが、いかがですかな?」

「王位継承に積極的になられたということは自身の手で民に国を委ねるおつもりで?」


 ああ、これは。と、アルハはオルガイアとの出会いを思い出していた。彼らなのかはわからないが、彼ら一派がオルガイアを泣かせた、王制から貴族議会制もしくは他への意図をもっている者達なのだろう。使用人としては貴族連中にオルガイアの正面を譲り廊下の端で床を眺めるのが正解なのだろうが、アルハは守るようにオルガイアに寄り添う。

 当のオルガイアは泣かされた過去などないかのように無邪気な笑顔だ。


「ぼくはこの国の頂として立派な王様になるよ!よろしくね!」


 その朗らかな決意は柔く固く反王制派を斬って捨てる。そこに意志の強さや鋭さは一切ない。幼児が思いつきの夢を自信満々に披露するかのような様子が嘲られる要因なのだろう。しかし、アルハは表に決して現れないその真剣さを知っていた。

 前回は言葉に詰まって逃げ出した第一王子の反撃が癪だったのか、男性二人は人民の人民による人民のための政治的なことを説きはじめる。これが上手く飴役と鞭役をうまく演じながら己らの主張の正義を押し付けるのだ。オルガイアにはひとたまりもないだろう。

 が、少し成長したらしい第一王子殿下はきゅるんとした目を瞬かせるのみで挫ける様子はない。むしろ話の内容を理解しているのかさえ疑わしいほど平然としていた。相槌もなく瞬きする微笑み人形のようなオルガイアに反王制派の二人も効いているのかいないのか不安になったようで、おじさんの声聞こえてる?大丈夫?理解できてる?と阿りはじめる。返答を求められたオルガイアはちゃんと受け答えが出来た。


「聞いてるよ!大丈夫だよ!あのね、国のなりかたちはあらゆる三角でね、なまえが変わっても三角であることにかわりはないんだよ。だからぼくはよりよい三角形のとんがりさんになるの!」


 何言ってるんだこいつ、という顔をした二人はやれやれと呆れたように肩を竦める。どうやらオルガイアに話は通じないとみたらしい。

 くだらない貴族だなとアルハは心中で溜息をついた。九歳のオルガイアに二人がかりでプレゼンするも不発で、対するレスポンスを理解できないと匙を投げる。対象へ訴える力も対象から受け取る力もなくただ嘲るとか無能すぎるだろうと。


「お時間を取らせてすみませんでした殿下。まだまだ難しい話は荷が重いようですね」


 なんとなくでも王子という存在にマイナスイメージを植え付け、精神的負荷をかけることに成功した前回とは違う。揺るがないオルガイアに退く小物の最後っ屁をアルハは我慢できなかった。


「おそれながら殿下は、民主制であろうと王制であろうと議会制であろうと結局は統治する者とされる者が国を形作るものなのだとおっしゃっておいでです。そして現状の次期統治者として善き頂を志すと。殿下は差し出された議をきちんと理解し、誠実に返しておられます。どうぞお受け取り下さいませ」


 出過ぎた真似だとはわかっていてもやはり大事な人が貶されたりするのは嫌なものだ。端にも避けず口さえ挟んだアルハに悪感情が向けられる。そうだ、矢面に立つのは身の程知らずな侍女が適任なのだ。

 案の定こめかみを痙攣させながらアルハを揶揄し詰る男性二人にアルハは無抵抗に軽く頭を下げ続ける。こういう輩は持てるだけの泥玉をぶつけ終わらないと人間に戻れない生き物だ。代わりに泥をかぶるのも矛先を向けさせるのも秘書あるあるである。いや、前世の自分の役回りがそうであっただけかもしれないが。


「__ったく我らの国と民を想う崇高さもわからぬであろうに」


 権力者による最高権力者排除が崇高なわけないだろう。悪政でもあるまいに。伏せた顔を上げて、記憶の中で泣くかつてのオルガイアに説明するように断じる。


「価値を知らぬ故に軽んじるならまだしも、価値を知るものが軽んじると謀る為と受け取られても致し方なしと思われます。己の国の象徴たる尊い血族を無知故に軽んじるのが民衆ならば愚かの一言で済みますが、立場ある者に無知の盾は適用されません。そういった輩は総じて売国奴あるいは国民と国家の敵です」


 前世がそれだ。自国の象徴たる血族の成り立ちや歴史や外交的価値を教育から弾き、わかりずらく貶し、国民から遠ざけ、ついには男女平等などと女()と女()を混同させて連綿と紡いでいる(にしき)を潰えさせようとする扇動が世間を満たしはじめていた。遺伝子的真偽はさておき、男系として紡いできた意味を歴史の権力者は察している。

 藤原道真も、織田信長も、名だたる何人も成り代われなかった皇の主の座。掠め取ることも滅ぼすこともできず、血縁を嫁がせて大河に支流として加わることしかできなかった。皇の座は男性であろうが女性であろうが男系、父系の血脈こそ皇たる資格という万世一系の秩序。皇の座を簒奪した瞬間、そこに連綿と紡いだ重みはなくなる。成り代わって、乗っ取って、看板だけ変わらずに血がぐちゃぐちゃに入り乱れた血脈に大した価値はない。

 人間という生物の理として男系はY染色体を、女系はミトコンドリアを次代に遺し伝える。男系一系ということは皇血は初代より変わらぬY染色体をずっと保持しているのだ。そこにどんな意味があるのかわからなくてもすごくないだろうか。この先どのような嫁をもらっても皇の血はずっと、神と謳われた日本初代の皇のY染色体を保持する。男系である限りずっと。

 男系女系入り乱れては、初代と今上を繋ぐものは掠れ消える。そこには神秘の欠片もない。アルハは女()継承には大反対である。

 民族も文化もつぶし合い、塗り替え合いながら我が四千年の歴史!と謳う国があった。その地に人が住み続けているだけで歴史換算するなら大抵の国がそうだろうよと。そこに白き女王や教皇と並ぶ価値ある存在はない。マッカーサーだって、敗戦して膝を折ったのが一民衆の代表だったならば首を刎ねて日本という国を消しただろう。晴れて国民総奴隷の植民地。老いも若きも男も女もエンドレスギブミーチョコレートだ。解放されない植民地と有色人種。結果、白人だけを人間として認める世界がうまれたことでしょうよ。


「国の象徴たる柱を軽んじてへし折れば、国民は国民としての芯を失い惑います。国は国としての御旗を失います。民主主義自体を否定するわけではありませんが、民衆が地盤も背後も不確かな輩を適当に為政に放り込む怖さを貴方たちはまだ知らないのでしょう?」


 知っているか、国境なんてイラネ俺ら地球市民、だからタカらせろ、そして外国人である我が同胞に心地よい日本にする!なんて輩が入り込んでいる恐怖。国庫いくらあっても足りないし、税金はばんばん上げられ、自国民から搾り取って他国民に施すクソなシステムが構築していく絶望を。現状に満足し選挙権を放棄した多数派の陰で、少数派が団結して票を投じ悪政を紛れ込ませていくのだ。

 ふつふつと湧き上がる不条理への怒りに本題から逸れて前世の愚痴を巻き散らしてしまいそうなアルハ、惑っているルルス、喋り続ける小娘にたじろぐ反王制派の二人、目を輝かせて続きを待つ天使。そこにようやくストップがかかった。


「おや。スーヴェ公爵、アゲンスト子爵。第一王子殿下に何か御用ですか」


 ルルスがジト目で睨みつける。ライオットはさも今通りがかりましたよといわんばかりに涼やかに声を転がした。気持ちばかりの愛想の仮面でも顔面造形が優れていれば問題ないらしい。

 ライオットの声にアルハは我を取り戻して口を噤み、そっとオルガイアを誘導して反王制派の二人の相手を主に譲った。そこから始まる世間話という名の揶揄の応酬は語彙の剣戟に等しく、アルハの処理能力を超過している。右から左へ垂れ流しつつルルスの後ろにまで後退した。


「アルザ嬢は第一殿下の教育係なのですね。実はオルスター連邦あたりに留学経験が?」

「いえ、ちょっと何言ってるのかわからないです」


 盛大な過大評価と誤認を向けられたアルハは顔を引きつらせながら否定しライオットを伺う。なんとなく優勢なのだろうとは大人二人の顔色から察することができる。が、なんと通りがかったローズ公爵が参戦してきた。難しすぎて何を話しているのかよくわからないが、なんなのだろうか。第一王子居室前廊下は城の主要通路なのだろうか。


「ルルス様、オルガイア殿下の居室付近ってこんなに人通りが激しいのですか?」

「そんなわけないでしょう。王に謁見するには正規の申請手段がありますが、殿下にはまだそういう責は負わされていませんので直接来られたのでしょうけど普通に不敬です。ただ、親族である自分の様子伺いの名目で白といったところでしょうか。アゲンスト子爵は免罪符、スーヴェ公爵は通行手形。ローズ公爵は声が聞こえたから来ただけという建前てとこですかね」


 貴族怖い。


「いつもはね、しずかなんだよ!でもね、今日は賑やかになりそうなんだってライライが言ってた!」


 貴族怖い。計画的にオルガイアを取り囲もうとした敵対勢力ズに、それを察知していた我が主ということか。でも囲んでなにがしたかったのだろうかとアルハは首を傾げる。


「オルガイアの心を折りたいのでしょう。これの心は柔く脆く砕けやすいと思われがちだから」

「ひぇっ」

「母上だー」


 後方から差し出された言葉を象る声はあまりにも嫋やかで、アルハは電気が走ったように背筋を伸ばした。続けて王族に対する礼を取って廊下の端に避けて顔を伏せる。ルルスもぎょっとして礼を取り近衛として背筋を伸ばした。


「ライオット」


 艶めいた、愛しく慈しんで紡がれる音色。


「…メイディアナ陛下」


 反響は、気を許しているのだとわかるほどに解れた主の声。


「この娘、わたくしにちょうだい?」


 悪戯っけな声の象る意味を、権力が意味する効力を、ライオットは振り返った半身を再び男達に向けることで黙殺した。

ひさびさですみませんでした。読んでいただいてありがとうございます。

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