双ぶ角
「ギル、聞こえとったぞこのバカ孫。あんのクズ嫁は構わんが我がバカ息子は貶めるな」
「バカっつってるくせに。放牧したウミバラを陰から覗いてんのがクソうぜんだから仕方ねえだろ」
アルハは頼まれた茶器を配しながら、やや乱暴な言葉のやり取りに耳を傾ける。一通りギルスナッドの両親を貶し終えた二人は淹れたての紅茶を片手にようやくアルハに向き直った。
「ふふん、緊張しとるの。これがお前の捧ぐ角か」
「おうよ。俺の妹、ジジイの娘、しかしいずれはライの嫁ってな」
「ほお!ライオネルの坊が戴く角かい!また面倒なことに首突っ込んだもんだ。ローズの困っしゃくれがなんぞやっとるだろう」
「あーそういうのは俺知らね」
会話についていけないアルハは精一杯の愛想笑いを浮かべている。ライノヨメがライオットの嫁だというのなら否定しなくてはとは思うのだが、口を挟むタイミングが掴めない。
「とりあえずこの前学院で公言しといたから、俺らは第一王子陣営ってことになっからな。あの二匹にも伝えとけよジジイ」
「お前なあ、わしなんぞ明日をも知れぬ老い耄れぞ。親の面倒は子がみろ」
「ざっけんな。戸籍上俺はジジイの子だろ。子の面倒は親がみやがれ」
「バカ孫めが。っと、お嬢さんすまないね。どうもこのバカ孫と話し出すと止まらなくてね。わしはガグナード・アルザ。なんとか現役で辺境伯をやっとるしがない老いぼれジジイさ」
どう見てもしがない老い耄れジジイではないでしょう。とも言えず、愛想笑いに固まったアルハの目からただでさえ僅かな光の反射が失せていく。
「孫やら子やら話がややこしかろ?簡単に説明するから聞いてくれるかい」
ガグナードはガッチガチのアルハを慮って柔和に微笑み、語り出した。
アルザ辺境伯家の治める地域は近隣国との小競り合いが多く、本格的な侵攻や防衛も幾度となく行われてきた危険な場所なのだという。そこに迎える辺境伯家の伴侶は殺しても死なない優秀な嫁か、子を産ませるだけの殺されても構わぬ産腹が求められる。伯爵令嬢であったギルスナッドの母親は後者であり、伯爵家で問題を起こし修道院か放逐かというところで処々難航していたところ、アルザ家が頼まれ産腹として引き取ったという。幸か不幸か、引き合わされたギルスナッドの父親は彼女と馬が合った。
「めでたしめでたしですね」
アルハの漏らした感想にガグナードは力なく首を振る。ギルスナッドの父親は才も向上心もない腑抜けたちゃらんぽらんであり、爵位を継がせる選択肢はない。クズとバカが惹かれ合って盛大なお荷物となって後継がいないという危機にぶつかったのだと。
ある程度の自由と引き換えに産ませた子を養子にして取り上げ、後継とすべく鍛え上げられたのがギルスナッド。尊敬する祖父を親と仰ぎ厳しく鍛えられる傍ら、いつだってのんべんだらりと好き勝手している彼らが視界に映っていた。彼らはいつまでも我儘なガキのまま、ギルスナッドを産んだというだけでアルザ家のお荷物に甘んじ続ける。ギルスナッドにはそれが許せないらしく、産みの両親に対する強烈な蔑みの感情が深く根を張っているのだと。
「アルザ家の者は戴く角と捧ぐ角、すなわち仕える相手と…大切な相手だな。それを見つけられん者は剣に炎を宿せん。やる気が出んっちゅうわけだ。バカ息子はそれが顕著であったのだろうよ」
アルハの眉が寄る。産腹として嫁いできた女性を愛したのではないかと。アルハの表情に浮かぶ疑問を察したギルスナッドは、アルハのネックレストップに描かれたアルザ家の家紋を指さした。
二角狼に炎の剣。二角は、戴く主、対として捧ぐ大切な者を指すのだという。角は己には見えなくとも頭上に冠している誇りなのだ。故に剣が纏うのは嫉妬の炎と揶揄されることもあるらしい。
「俺んちが代々相手してる主敵がな、よく当主の嫁を使うんだよ。攫ったり、人質にしたり、操ったり。…婆さんはそれで死んじまってる。だからアルザの当主は愛する者を娶らない」
ガグナードの顔が曇った。ギルスナッドの祖母は強くなくとも娶る決心に至るほど聡明な女性であったという。それでも、殺された。戦線にでていたガグナードが戻った時には、四人いた子供が一人残っているだけだったのだと。
「わしは戴く角を持たんかった。だから捧ぐ角を愛した。それはそれで幸せだったが、あん時は角を捧げなかったことを心の底から悔やんだもんだ…。だから、バカ息子が角を持たなかったからといってとやかくいう資格はわしにはない。ただクズ嫁が気に入らんだけだ」
「あのツノナシは捧ぐ角として愛してるわけじゃねえからなアルハ。昔ちょっと殺してやろうと思って斬りかかったらあいつ、ウミバラを盾にして逃げやがったからな。要するに欲情して盛ってるだけ」
「バカ孫口を慎まんか」
「やなこった」
愛する者は娶らず捧ぐ、捧ぐ角は戴く角の対。ギルスナッドから向けられている想いの色をようやく理解したアルハの体温が上がる。まさか、まさかと焦り、目が泳ぐ。耳まで真っ赤にして俯いたアルハにガグナードが豪快に笑った。
「可愛らしいお嬢ちゃんだな!ギル、お前どうせ大した説明もなく妹だ角だと言うとったのだろう」
「っせーな!いいじゃねえか。どうせ嫁にできねえのに口説くかよ!アルハ、気にするなよ。アルハの気持ちはわかってっから!ライオットの嫁になるために利用しろ、な?」
「しっかし、あのライオネルの坊は中々の曲者だろ。据えて受け取るタマか?」
「ジジイ安心しろ!もう唾つけられてっから!」
「ほう!」
「ギギギル様!」
明け透けな言葉にようやくアルハが声を発するが、ギルスナッドに制止の意は届かない。
「そもそもただの侍女なら仕方ねえって見守ってたぜ!ライオットが手籠めにしたとかいうから気に入らねえって、一枚噛んどかなきゃ気が済まねえってなったんだぞ!」
「バカ孫、お前はどっちに嫉妬しとるんだ」
「知るか!どっちもだ!」
親友が取られるのも、気になった女が取られたままなのも気に入らない。そこに割り込んでしまえば双方と切れぬ縁ができる。となれば噛まぬ手はないと。
ギルスナッドの行動原理にアルハの熱は落ち着いた。色々とぶっ飛んでいるその感情が、恋なのか愛なのか独占欲なのか判断はつかない。欲がないというか、幼いというか、とにかく脱力させられた。爛れた関係を持っているアルハには眩しすぎる単純な好意に苦くも笑ってしまう。
ただし、これだけはと口を挟む。
「申し訳ないのですが、私はライオット様の伴侶を望むつもりはありません」
「「は!?」」
二人ががばりと振り向くのに慄いてびくりと肩を跳ねさせながら、急いで視線で床を掃く。
「だったら何で辺境伯の養子にならんといかんのだ?」
「そらもう嫁に行けねえぞとは言ったけどな、身分が足りねえってだけだぞ?そのための養子縁組だろ!?」
「いえ、え?私が色々絡まれたりして手間がかかるので後ろ盾を用意して手っ取り早く牽制するという意図でしょう?違うんですか?」
三者三様に眉を寄せて考え込む。数拍置いてガグナードが机を叩き、吠えた。
「よおわからん!男爵位の侍女が後ろ盾を欲するほど絡まれる謂れも、あのライオネルの坊が軽々しく手籠めにしたってえのも、ギルが家を巻き込んでまで肩入れする理由も!ぜんっぜんわからん!」
ガグナードの主張にアルハもギルスナッドも数度頷く。全てさらりと説明できそうな人物はあいにく置いてきている。応接室に大きなため息が零れた。
「まあ、手続きは済んどる。もうお嬢ちゃんはアルザ家の、わしの娘だ。わしは娘のことを親として知っておきたい。経緯を全て話してくれるか?」
仮にも親となってくれる人だし、口も堅そうだし、ということでアルハはライオットへの事前確認が欠ける罪悪感を抱きつつも、思いつく限りの全てを吐露した。
四歳の時、いい獲物を引っかけてこいと茶会に放られはじめたこと。ライオットとの出会い、ギルスナッドとの出会いがあり、来なかった手紙が実は届いていて両親がアルザ家に迷惑をかけたこと。なくなった外出と弟の誕生と屋敷での虚無の日々。家の違和感に気付き探り、初夜会を前に両親の企みと裏家業を知ったこと。実の父親に性的行為を望まれる悍ましさに、なんとなく予想していた仄暗い未来を含め全てが嫌になって足掻いたこと。初夜会の日、どうすることもできなくて追い詰められた最後の最後にライオットが助けてくれたこと。
アルハがぽつぽつと語る言葉をガグナードは苦く噛みしめ、ギルスナッドは暗い表情で遠くを見ている。
「ライオット様に縋って、実家からの庇護と仕事をいただけることになり、充実した日々を送らせていただきました。しかし、私の破瓜を楽しみに語る父の声が離れなくて…。私にそこまでの価値はないのに、いずれ父が犯しに来るのではと被害妄想が止まらなくて。夢見悪く睡眠不足を起こし、ライオット様に気を使わせてしまいました。夜中様子を伺いに来てくださったライオット様は魘される私に慈悲をくださったのです。…いっそのこと父の狙う破瓜を終えてしまえばいい、と」
破瓜を終えたところで出荷物としての使い道が消えたわけではなかったが、根底にある最も悍ましい嫌悪を拭ってくれた。今思い返してみると、夜を共にしてくれたことで孤独の洞が埋まったように錯覚できたのも落ち着けた一因だろう。
「…わしの所為だなあ」
ガグナードが呟いた。
招待状を送るというギルスナッドに家の評判のみで判断し、やめとけと貶すにとどめた。ギルスナッドが聞かないことなど火を見るより明らかだったのに。そもそもがさつを体現したようなギルスナッドが、わざわざ汚い字で汚した紙を他人様に送りつけようなどという時点で違和感を覚えるべきだったのだ。リューン夫妻が調子こいて勝手に応対したバカ息子と喧嘩している状況だって異常だった。少しでも注視していればガグナードはアルハという不幸な少女の存在に気付けたはずなのに。
苦く、苦く呻くように零れた言葉にアルハは必死で否と首を振った。リューン家以外に悪はないのだ。迷惑をかけられたアルザ家に過失があったなどとんでもないことで。ただただライオットに救いあげられたのがこの上ない幸運であっただけなのだと。
「それから学院についていくことになり、ひょんなことからオルガイア殿下に気に入られました。実家の悪名で人が寄り付かず、公爵家侍女というやっかみもあり孤立したのですがそれは特段困ったことではなく。後にローズ公爵令嬢とその侍女アリスに目を付けられ面倒事が増えました。彼女たちは_」
恋フラなる創作物によるローズ・ノルウェットの攻略行動、攫われ燃やされかけ集団暴行に加え性的暴行未遂の憂き目に遭った。
語る口が震えると、ギルスナッドがアルハを抱え上げ頭を肩に押し付けた後、背中をさすってくれた。
「もういい。…そんでライが俺の提案に乗ったからアルハを妹にして公表した。俺はてっきり嫁に据えるためのワンクッションだと思ってたんだけどな」
「畏れ多いです…そして下ろしてください。ありがとうございますけど、すみません恥ずかしいです」
俯いているガグナードはしばらく考え込んでから立ち上がり、おもむろにアルハの頭を撫でた。
「ローズんとこの娘のなんだ、コイフラ?はわからんが、あとはだいたいわかった。話してくれてありがとよ。お嬢ちゃんはもうわしの娘だ。わしが親だからな。何かあってもなくてもわしを頼れよ」
何もないときにどう頼るのか疑問を感じながらも、とにかくアルハは頷き、感謝を述べた。
そして、明日には領地に帰るというガグナードの希望で晩餐をご馳走になってから帰路へ着いた。別れの際、ガグナードはギルスナッドの背を思い切り叩き、ライオネルの坊の嫁に据えたれと激励する。とんでもないと拒否するアルハを放って爺孫はやる気満々に拳を付き合わせていて、アルハの胃が控えめに悲鳴を上げたのだった。
子供二人、というより孫二人を見送ってからガグナードは顎を摩る。
正反対の性格であろうに幼いころからバカ孫と馬が合うらしい人嫌いのライオネル家の坊。敏く冷徹であろう彼ならば、奴隷業に手を染めたと知った時点でリューン家を斬り裁き、アルハの不安の種が芽吹いた時にはリューンの死を告げて終わらせそうなものなのだ。しかし、しばらくリューン家を軟禁したうえで、アルハの苦悩に対し軽率にも男女となることを選んでいる。そこが解せなかった。
アルハの様子では、先日ようやく夫妻の首が落ち、リューン男爵家が消滅したことも知らされていないのだろう。弟のベルダがキッツ家に引き取られていることも。
外堀を埋めているようにしか思えないが、どこか緩慢な囲い込みに坊のらしさを感じないのはなぜなのか。
ガグナードは一つの仮説を立てて、馬鹿らしいと掻き消した。姉贔屓のライオネル公爵に代わり、警戒心の欠如した第一王子を守り抜き続けている慧敏な彼にそれはないだろうと。
誰よりも人を見透かしているあの坊に、まさか最も身近で肝心なものが見えていないなんてことは。




