表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/50

慧き眼と

 あの日、初めて面従腹背にある種の心地良さを見た。


 生まれ持ってしまった異能、人の表裏を映す青紫の慧眼。この力を理解するより先に二枚舌の生き物達への不快感が刻み込まれていた。

 大抵の人間の発する声には金切り音や雑音が混ざり、向けられる感情の色はドブに等しく濁り臭気すら覚えるほど。誰も彼も本音と建前を持ち、裏に意図を抱いている。そんな当たり前のことが不快に思えてしまう僕は、並より遥かに秀でながらも大きく劣っているのだろう。

 ギルスナッドはいい。脳と口が直結している。

 コンラードも許せる。あれの足掻きはあれの信じる正義に帰結する。

 彼らが発するものに重なる音や色はブレや濁りが少なく、不快を起こさない。そういった人間は貴重だ。


 ()()()、会場の隅の陰りに佇んでいた根の暗そうな女児。アルハ・リューンは。


「会場に戻られた方がよろしいのではなくて?あなたのような見目麗しい見事な鯛に相応しい生き餌がウネウネしているわよ」


 目が合った瞬間、僕の身の内に沸いた苛立ちを察知して牽制してきた。いっそ清々しいほどの拒絶は珍しく、それでいて吐いたばかりの言葉に尻込みしているのがおかしくて躊躇いなく声を重ねていた。


「その生き餌とやらが煩わしくて抜けてきたのだけどね」


 同じ理由で物陰に辿り着いた者なのだと察するに易い理由をわざわざ告げてやると、彼女はなぜか居場所を追い出されまいと身構えつつ無害アピールをはじめた。

 生き餌、ルアー、疑似餌。何故釣りに例えるのか首を傾げつつ聞きなれない単語を脳に刻む。釣りが好きなのかと思い問えば、知識はあるが嗜むわけではないと。淡々と受け応える彼女の「気まずい」「帰りたい」という心境を捉え観察しながら言葉を加えるも、何故か癇癪を起こして去ってしまった。会場の菓子を掴む彼女が僕に侮辱されていると勘違いするに至った理由を省みるも答えには至らず、早々に匙を投げる。耳に残る聞き取りやすい声と聞きなれない道具の名前に、淡く興味がわいた。


 早回しの月日を眺め、記憶を辿る。そう、()()()だ。

 何故か受け答えの内容を釣りに例えるよくわからない幼女。彼女がアルハ・リューンという悪評ある男爵家の娘だということは調べなくとも耳に入ってきた。幾分か成長した彼女は自家の評判を知っているのか、卓につこうともその姿勢は物陰に在った前回と変わらず時間の経過をただ待っているだけだ。

 どう言葉をかけようか、今度はどういう返答だろうかと妙に浮足立つ内心に呆れながら、結局自身で釣りの話題を持ち出してしまった。自称疑似餌の彼女は僕が覚えていたことが意外だったようで瞠目し、数拍置いてから脱力しつつ微笑んだ。両親に操られる気はないらしく、糸がついていないのだと呆れ苦笑う。やはりおもしろいと次句を紡ごうとした僕だが、不快な色の奔流が襲いきて交流は打ち止めとなってしまった。

 押し寄せる雑音と臭気を捌きながら、生餌に囲まれた自らの有様を内側で笑った。まるで本来鰯の群れを追い立てて食らう鮫が、鰯の群れに食われているようだと。

 それからアルザとトラブルを起こした彼女に会うことはなく、ぶすくれたギルスナッドの相手をしながら彼女の残滓を追った。手の者を使っても、書をいくら捲っても、たどり着けないルアーという疑似餌。手にできないことに苛立ち、諸事の傍ら彼女の言葉を反芻しては木っ端を削る日々。

 やがてオルガイアが産まれ、神々しいまでの白き光を放つその赤子に膝をつき自らの役目を定めると、たった二度の邂逅は新たな記憶にたやすく埋もれてしまった。


 故に三度目の()()()、記憶を手繰るのにいささかの時間を要したのだ。

 ふらふらと迷い込んできたカトラリーナイフを持った少女。(じん)舎利(しゃり)を抱えた古木のような髪に暗いモスグリーンの瞳。深淵の森を思わせる色彩への既視感に遠い記憶を手繰ってようやくアルハ・リューンへ辿り着く。

 一度目の邂逅と同じく人気のない物陰に訪れた彼女の瞳は虚ろ。慧眼が捉えるぶれた音、重なる色が、彼女が必死で絶望に抗っているのだと私に告げた。怖い、悍ましいと不幸な未来を吐露して泣き崩れた彼女を抱き支える。逡巡の後に要領を得難い会話を終わらせて担ぎ上げると、心の片隅で湧いた水が溜まり波打つように広がっていくのを感じた。

 彼女はいつだって人並みに二心を持っていた。混乱し謙遜し裏腹に悪態を思い描いている。しかしそれはあまりに浅く、くだらない。懸命に脳を回転させてはいる割に大したことを考えていないのだ。阿りや害意はなく、後ろ向きな割に前にしか進めない孤独で不器用な女。声は拙い和音のように、滲み出る色彩はどこか心を落ち着かせる不思議な女。馬車に揺られながら、これを手中に収めたのだと思い至ったときの私は冷静であっただろうか。


 ()()()()、彼女の胡乱な寝惚け(まなこ)と、寝間着に透ける胸とその頂が、私に初めての雄の感覚を呼び起こした。沸騰する感情を押さえ込み、無謀にも市井に下ろうとする彼女を言いくるめて私の一存で仕えさせることを決める。

 この事後報告にはセバストはもちろん父母も動揺を隠せなかったらしい。複雑な色を束ねた彼らが一瞬でも単色に染まる様は私の新たな扉を開いてしまった。瞳の底に湧いた愉悦を察知したのだろう。突然女を囲った私に性的篭絡(ハニートラップ)を警戒したのか、急ぎ組み込まれた房中の知識はすぐに実践を経ることになる。


 あれを夢のような時間と称するのだろう。泣き弱る半裸の少女に欲情し、これ幸いと手を出したあの夜。初めて味わう性交の快楽は、相手を気のままに染め抜く愉悦は、自分が沈み染まっていく感覚は、まさに陶酔だった。挿し貫いたときのぶつりとした感触は、彼女の身か己が手綱か。


 その後も幾度か身を絡めても、合わさる瞳から不快は拾えない。打算も擦り寄りもない。拒否も要求もないが、組み敷けば受け入れて甘熱に染まる。彼女の従順さはあまりにも都合が良過ぎた。

雲か霧か、掴みとれないがそこに在り包まれている。それでよかったはずだ。しかし、自制が聞かずに抱きつぶした挙句の出血に焦ったあと、交わりの先に生じる未来を当然とばかりに破り捨てていることを知った時は足場を失った心地だった。

 何がしたい?何をしてほしい?彼女に問うているのか自らに問うているのかもわからず、虚ろに放り込まれる。間もなく彼女のいない日々を送る羽目になり、巡礼の終盤に降りかかった憎悪の塊を浴びてプツリと映像は千切れた。


「追憶…か」


 記憶の反芻を終え、我に返ったライオットは闇に揺蕩っていた。なぞった記憶は気恥ずかしさも遠慮するほど特定の人物に沿っている。あれはもう手に入れたものなのに、なお欲しいと逸るのはなぜなのか。

 どくり、どくりと欲が湧くたびに、ぽつり、ぽつりと淡くくすんだ灯りが道を示す。導くような灯りを辿り道を下ると最後の一つは底に転がっていた。誰と連想するに容易い見慣れた色相の光。身を屈めて触れるとすべての灯りは消え、ライオットの手中に淡く光る鍵が残った。


「これは、アルハ…なのか?」


 巡礼による作用なのかと思案しながら鍵をつまむとほろりと溶けて空間が揺らぐ。瞬きの間に景色は一変し、不可視の床と星空のただ中に書棚が並んでいた。


「『書庫』…!」


 アルハとローズを結ぶ書庫であると瞬時に理解したライオットは書棚に駆け寄った。そこかしこから引っ張り出して書に目を通していくと、文字という概念を超えた情報が雪崩れ込んでくる。ロストテクノロジーか遥か未来の叡智かと思われる精細な(ことわり)は身慄いするほどの興奮をもたらした。様々な分野を読み漁り、その有用性を吟味し加味した未来を脳内構築していく。

 そして、ある一冊と手に取り広げたとき、心身の勢いはピタリと止まる。

 本を模した箱には先程の鍵が嵌め込まれていた。


「試そうというのか」


 声なき意思が迫る選択とその意図を読み取り、暫し間をもってからライオットは緩く笑む。


「覗き得た(ことわり)は放棄しよう。鍵は、あるべき場所へ」


 箱を閉じ額を委ねた。書庫が遠ざかる気配に目を開けてはいけないと悟り、痼りのような未練は見ぬふりをした。疑うような、問うような意思が声もなく響くがライオットは結論を崩さない。


「鍵を以て取り込む必要などない。彼女の全てはすでに私のものだ」


 ライオットが欲するのはアルハに内包された書庫(データ)ではない。アルハそのものだ。楔を打ち込んだ柔い肉体も、決して裏切るまいとする献身的な心もすでに。ならばこの書庫すらも。

 書庫の情報をアルハが正確に引き出せなくても構わない。世に余る情報など、あれば使うが無いなら無いで構わないのだから。ライオットは世界を便利にするより、己の欲を満たしたいのだ。

 やがて箱の感触も溶け消えて、閉じた瞼の向こうに光が弾ける。


 ライオットの内心を捉えたか否かはわからないが、淡く清らかな光の奔流は声なき意思の祝福のように来訪者を見送った。


「げほっ…ぷはっ…!」

「お、ライオットおけえりー」


 憔悴した顔に喜色を浮かべてギルスナッドが駆け寄る。ライオットは自らが泉に浸かっていることにも腕の中にいるアルハにもこと現状に関する情報がない。きょろきょろと状況把握のために辺りを見やるライオットをギルスナッドがアルハごと抱えて泉を脱し、床に座らせる。


「おキレイな顔が戻ってよかったな。相当やばいことになってたんだぜ…アルハに感謝しろよ」


 痛ましそうにアルハの張り付いた前髪を掻きあげるギルスナッドに視線を下ろすと、腕の中のアルハにはむごいほどに痘痕が広がっていた。慧眼が痘痕から滲み出ている汚泥のような黒い靄を捉える。

 記憶の最後にあった憎悪の塊、王城最奥の白亜の聖堂と生聖泉、状況をある程度推察してライオットの腕に力が籠った。馬鹿な事を、そう思うものの口には出さない。発したが最後目の前の直情男の拳が炸裂するだろうが、それ以上にギルスナッドやウィルオストを庇った己を否定することになるからだ。


「ライライおまたせー!あれっ、アルハが穢れてるの!?」


 ぱたぱたと走り寄ってきたオルガイアは祭礼服に身を包んでいて、纏う異能の光は姿が眩むほどの輝きに満ちていた。慧眼だからこそ尊ぶに値すると理解させられるその光はこれほどではなかったはずだ。瞠目するライオットにオルガイアは微笑む。


「アルハのくにの王様はね、王様だけど神主のおさ?なんだって。統治能力に優れた尊き神が優れた糧と知恵を携えて降り立った。その神の末裔の一族。腹を満たし知恵を持った幸いの民と国を想い、安らかにあれとご先祖様含む神様たちに祈り奉るのがアルハの知る天皇というものなんだって」


 祭礼服が濡れるのも厭わずオルガイアがアルハの痘痕を撫でていくと、ゆっくりと痘痕が引いてく。ライオットの慧眼には、オルガイアの発する清浄な光がアルハに染み込んでいる靄を蒸発させている様子がありありと見て取れた。もうだいじょうぶだよ、と幼子を慰めるような声かけと処置に首を傾げていたギルスナッドも、目の前で痘痕が引いていく様子に唖然としている。


「アルハの世界はね、始まりの祖神が二の神三の神を飲み込んでお腹の中に広がる人世を抱えているの。お母さんがお腹の赤ちゃんを愛でるみたいに見守り慈しんでくれてるんだって。僕はその神様の子孫ではないけど、そんな神様の末端のような王様になりたい」


 ギルスナッドはいつかアルハが言っていたオルガイアの王の資質に納得した。抱え続けていた、誕生したばかりの新たな第一王子殿下にライオットが会うなり膝を折ったという不可解も解けた。ライオットのような見透かす異能なんてなくてもわかる。この少年の慈愛はあまねく世を照らすのだろうと。

 オルガイアはライオットとアルハを丸ごとその小さな体で抱きしめて数拍。体を離して笑った。


「ふー。終わったよ!ライライもおつかれさま。僕もおつかれさまー」


 すっかり元に戻ったアルハの睫毛が震える。そしてゆっくりと仄暗いモスグリーンが覗いた。


「アールハーだーいじょーぶかー?」

「ライライもアルハも風邪ひいちゃうよ。湯殿行こーよー」




__来訪者の消えた書庫に、とさりと本を模した箱が落ちる。衝撃でぱかりと開いたその中にはただ鍵の形の窪みがあるのみ。

ライオット視点でした。

根暗世界の異能や術のシステムが宙ぶらりんですが、主人公がよくわかっていないのでそのままお付き合いくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ