愚に痴れる
巡礼一行の帰途の知らせに慌ただしくなる王城の様子をアルハはオルガイアを待つ扉を背に眺めていた。それは大事な令息たちを快く迎え入れようという逸りよりはアクシデントによる焦燥にみえ、嫌な予感という重しがアルハの芯にかかった。オルガイアの天使オーラを以てしても気落ちが止まることはなく、アルハの胸中は戻ってこないセレネアとライオットに占められていく。
今世でアルハの両隣に寄り添ってくれていた二人がこのまま戻ってこなかったら、という仮定は振り払っても振り払っても纏わりついてはなれなかった。二人がアルハに見切りをつけて離れていくのは辛くとも仕方ないが、そうでない離別に耐えられるだろうか。きっと耐えられないとアルハは胸元を握る。
数日後、ライオットの寮室と使用人部屋の清掃をしていたアルハのもとにコンラードが駆け込んできた。
「アルハ!ライオットが!!」
心中に吊った不安という砂袋の紐がブツリと切れ、ザラザラと砂が漏れ出るように失せていく血の気と感覚の無くなる下肢。思考停止に陥ったアルハをコンラードは引きずるように導いた。
我に返ったアルハがいたのは天上高く白亜の礼拝堂のような部屋だった。つるりとした光沢ある白石の床の先に泉があり、教会のようなモニュメントめいた壁が見下ろしている。泉の縁には司祭のような格好の男性とスカイラーラの背中があった。ライオットの欠けた巡礼一行もみな泉を向いている。その視線の先へとアルハは引き寄せられるように駆け寄った。
「ライオット様!」
泉には腰に一枚布を巻いただけの見覚えある裸体が沈んでいた。その身体には痛ましく醜い痘痕が広がっている。死。なぜ、どうしよう、どうして。ぺたりと座り込んで呆然とするアルハの頭がぽんぽんと撫でられた。
「こんなんだけどな、まだ死んでねえよ」
濡れた衣服を脇に抱えているギルスナッドの気落ちした声にぶわりと涙があふれる。
聖生水なる泉の水は呼吸できる特殊な水らしい。アルハは宇宙戦闘民族や他創作物で採用されている回復用培養液のようなものかと安堵も一瞬に後ろにいたローズに掴みかかった。
「こうなることもどうすればいいのかも知ってんでしょ!?これもイベントならはやくライオット様を!ヒロインなんでしょ!ねえ!はよどうにかしなや!」
「言われなくてもどうにかするわよ!キッツ様!オルガイア殿下は!?」
「殿下はしばらく来れないそうだ」
「なんですって!?」
ローズのドレスを掴むアルハの手を包み、震えて強張った指を丁寧に剥がしながらウィルオストが語る。
巡礼は順調で、各地の異変や魔獣害なんかを調査し解決しつつ災害の予兆に備蓄や対策を練りながら最後の指定地点に訪れた。その古の祭壇の奥に王家に向けらた呪いが仕掛けられていたのだと。本来ならば王家直系であるウィルオストを狙ったであろう呪いは、先行していたギルスナッドの隣に王家の紫を見出した。
「罠の先の祭壇に祈りを捧げたノルの手に聖石が生まれた。司祭曰く清き乙女のみが聖石を使って呪いを吸い出すことができるらしいのだ。しかし、ノルはその儀式にはオルガイアの立ち合いが不可欠だと…」
申し訳なさそうなウィルオストの弁明に司祭の焦る声が被さる。
「聖生水でも侵食を遅らせることしかできません!はやくしないと手遅れになります!ノルウェット様にできないのなら貴女はいかがです?未通の乙女であれば聖石にも受呪者にも親和性の問題なく呪いを中和できるはずなのですが…!」
「どうすればいいですか!」
「聖石を口に含んで受呪者と口付けを!」
「処女でない場合は!」
「ああぁ…それでは通じた男性との親和性が阻害して受呪者から呪いを吸い出せません…それに__」
聞き終わるより先にアルハはローズの握っていた聖石を奪い取り口に放り込んで泉に飛び込んだ。濡れる衣服にもがきながらライオットを手繰り寄せて口付ける。すると口内の聖石が熱を帯びる反面、合わせた唇の間から凍えるような憎悪が流れ込んできた。咽そうになるのも、吐きそうになるのも、逃げたくなるのも抑え込んでアルハはライオットと口を重ね続ける。この人を侵す毒は全てこちらに来いと願って。
「ちょっと!なんであんたが!!オルガイアさえいれば私が!ってかどうすんの!あの王子の浄化能力と治癒能力がないと死ぬわよ!そもそもなんでウィルじゃなくてライオットが!?もう意味わかんない!」
「オルガイアに浄化能力と治癒能力だって!?ノル、どういうことだ!」
「そのまんまよ!ウィルが倒れて私が聖石に移すけどつい飲み込んじゃって、それをオルガイアが命懸けで浄化する!そのはずだったのに!」
「コンラード!俺オルガイアつれてくるわ!」
「頼む!」
忙しない外野の声は泉の中に届かない。息ができるとは聞いたものの息を止めていたアルハの口から気泡が噴き出すと、ライオットの目がうっすらと開いた。生きている。その実感が侵食されていくアルハに安堵の喜びを灯した。
離れた唇が、焦点が曖昧なままのライオットによって今一度重ねられる。閨でのように深く。頬を包まれて強かに甘く。さらにはあろうことか口内の聖石を邪魔だとばかりに排除されてしまった。消えた聖石を探して逸れる顔を引き戻され、上下の唇をひたすら啄まれる。身体中が冷えて痛いのに、両の手に包まれた頬だけが熱い。
ライオットが正気か否か、アルハを認識しているのか、何一つわかるわけもないまま。まるで愛されているかのような交わりにアルハは酔った。
この人が好き。
心の底に沈めておいた想いに触れたとき、冷たいも熱いもすべてが消えた。
真っ黒な場所でアルハは我に返る。泉の中でもなくライオットもなく、濡れた感触もない。空間を埋め尽くす黒が留まることなくうねりまわっているのがなんとなく感覚で理解できた。
弱きもの、哀れなもの、挫けたもの、挫かれたもの。慟哭や悲鳴が音もなく響いている。アルハは近くに転がってきたそれらをぽつぽつと拾った。辛かった、悲しかった、悔しかった、許せないというそれらにそうだねと返す。それらが取り囲んできて王への恨み言を唱和しはじめると、アルハは緩く首を振って否を示した。
「嫌なことも、不条理なこともあるよ。だから、あなたたちの境遇はいたましく思うし、あなたたちを陥れた奴らは苦痛と後悔に溺れてくたばればいいって思うよ。でもさ、さすがに偉いから、頂点だからってあなたたちの全てを助くことはできないよ。王さまはなんだかんだ言って私たちと同じ人間なんだから」
立場があれば、権威があれば、できることは多い。けれど偉い人にも腕は二つしかなくて、優先順位があって、全部は見えないのだから。特にアルハの知る前世での至高は管理された雁字搦めのなかに在った。
アルハはしゃがみ、肉を引き千切るように捕まりついてくる黒のひとつをつつく。
「自分がひとり、愛してふたり。子が大事、兄妹が大事で家族ができて、隣人と手を取り合って村が町が市が県が地方が、そして国ができる。いっこいっこ大事に柵で囲って、尊重し合って守り合って譲り合って、人は人の営みを生きる。それで完結すれば世界は平和なのにね」
個でも国でも共存のための柵を壊してくる悪が発生する。それはどんな力を以ても制御できるものではない。アルハがあの夜会を無事終えた先にあった運命はきっと、この黒のひとつになりうるものだった。黒に染まる前に掬い上げてもらった側ゆえに、慰めても晴れない暗雲に囚われた黒にどう寄り添えばいいのかわからない。身の内から引っ張り出される恐怖や憎悪は不思議とアルハの自我とは切り離されていて、記憶をなぞりながら黒たちの不遇を悼んだ。
しばらく黒と戯れているとオルガイアの声が聞こえた気がした。音無き阿鼻驚嘆の蠢く黒に薄い光が差す。柔らかく広がる光に空間は徐々に眩く白んでいく。
『もうだいじょうぶ』
起こったことはなくならないけど、良くも悪くもおわったことなのだ。おつかれさま、がんばったんだね。もう起こらないことを祈ろう、目指そう。次の王様はめいっぱい腕を広げてくれる方だよ、と。消えていく黒たちを見送りながら眩しさに瞼が閉じる。
既視感がある。これは夢から覚めるときと一緒だと。瞼を持ち上げればきっと。
冷たい、寒い。髪やら服やらが張り付いていて気持ち悪い。目覚めるなり襲ってきた感覚に辟易するやいなや抱きしめられた。濡れた髪に差し込まれた指が固く温かい胸板にアルハの頭を押し付けている。右耳から聞こえる鼓動に、横抱きなのかなとどうでもいいことを思い浮かべながら擦り寄ると周囲の騒めきに気付いた。煩わしい喧騒はだんだんと声を形作っていく。
「アールハーだーいじょーぶかー?」
「ライライもアルハも風邪ひいちゃうよ。湯殿行こーよー」
声のもとを見上げれば安堵のギルスナッドと慈愛のオルガイアが。大丈夫ですの一言に自然と微笑みが乗った。
「ノル!君は一体なんなんだ!?どういうことなんだ!」
「わからないわよ!私の知ってる愛フラじゃないの?どうしてオルガイアが生きてるの?」
「ノル、まさかウィルオスト殿下のために…」
「違うわ!違う違うちがう!巡礼も、ウィルの受ける呪いも、オルガイアが浄化の反動で倒れるのもシナリオなんだから仕方ないじゃない!鍵!鍵はどうなったの!?聖石は!?」
やんややんやとしているローズ一行の会話を拾ってオルガイアを見やると、天使に不浄の言葉は届かないのか無邪気ににこにこしておいでだ。悪意を受け入れられないだのという意味が未だに理解できていないけれど、オルガイアが辛くないならいいか。ライオットが上手くフォローするのだろう。
「オルちゃん。助けてくれてありがとう。大丈夫?しんどくない?」
何が琴線に触れたのか、オルガイアは頰をぱっと紅潮させて華やいだ。
「だいじょーぶだよ、アルハありがと!」
天使。
視界一面に咲いた天使をひょいと肩に跨らせて、ギルスナッドが猫を愛でるように顎を掻いてくる。疲労困憊に任せて愚直にゴロゴロと口にしてみると押し付けられている胸板が震えた。
「立てるか?うーん、無理そうだな。ライ、抱えるぞー」
「…立てる」
「へいへいムリムリ。コンラード行くぞ!」
「ああ、わかった」
ボブサップンや某オリバのようなスーパームキムキマンでもないギルスナッドが、九歳のオルガイア少年を肩車したうえで同年代の女子を抱いた同級生の男子を抱えた。何を言っているかわからないと思うが以下略、ギルスナッドの膂力は人知を超えているのかもしれない。
横抱きが正面抱きになってようやく胸板の主、ライオットに意識が向いた。よかった。広がっていた痘痕は薄っすらとしている。きっと綺麗に消えるだろう。ようやく一仕事終えた実感が生まれた。
「ラ、ライオット様!」
抱えられて不満そうなほぼ全裸の濡れ鼠でも相変わらず麗しい。水も滴る良い男。その伏した瞳がアルハを映す。呼びかけたはいいものの身の内に様々なものが渦巻き過ぎて、飛び出したのは結局。
「おっおかえりなさい!…ませ」
ありふれた挨拶だった。ライオットは呆れたように力を抜いたが、口元が緩んでいるように見えた。
暖簾のような幕を潜り、脱衣所に入る。そこでコンラードが慌てて待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待った!待って!アルハは女性だよ!こっちじゃない!」
「ちっ」
「ギルスナッド…君ってやつは。殿下を含めた全員、もう少しアルハに配慮してあげようよ…」
一人で女湯に行かせるわけにもいかないとなり、オルガイアが呼んだ第一王子殿下専属侍女の幾人かに委ねられた。正直他人に身を清められるなど気が気でないアルハではあったが、入浴後のマッサージで極楽に連れていかれ気恥ずかしさも倦怠感も全て召された。全自動洗濯機で乾燥までかけられふんわりと畳まれた気分で男衆を待つ。
ローズ一行は揉めていたようだったけれど大丈夫だろうか。恋フラのシナリオに齟齬が生じていることに混乱していたがそんなもの、身体は少女・心は幼女・その名はアルハ・キッツ!であるはずのアルハが陰険ババアな時点でお察しのはずだろうに。
ひとまずのハッピーエンドの向こう側で、誰かが泣いているような気がした。




