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この日

「釣れてますか?」


 何言ってんだこいつと振り向けば、あの日の蜂蜜坊やがお上品に絡んできた。

 あの日の格上主催のパーティで成果はなくとも失態なく参加できたからか、両親は上級者向けの釣り堀に嬉々として疑似餌を放り込んでいる。いや、名も知らぬ殿方である蜂蜜坊やを極上の獲物と期待して必死になっているのやも。両親の執念が叶ったのか、件の獲物はあの日から三回空けて四度目の正直で再び姿を現した。男爵ごときの参加できる格上主催は門が狭く、初回の邂逅のあの日から一年半経過していた。

 蜂蜜坊やがいくつかしらないが、アルハは五歳。あとひと月もたてば六歳になる。前世ではそろそろ小学校入学だろうか。そんな幼児から児童になる間の記憶力がそんなにもつとは思えないので感心した。私にとっては両親が夢見ている獲物だが、彼にとってのアルハは草むらに座った際に見かけたダンゴムシのようなものだろうに、交わした会話まで覚えているとは。ハイスペックなこどもだ。

 懐かしい彼の揶揄する問いかけに呆れ、アルハは自らの頭頂部を指してみせる。


「糸付いてますか?」


 意外にも蜂蜜坊やは怪訝な表情ながらアルハの旋毛を覗き込み、いや、と答えた。でしょうとも。


「釣れるわけがない」


 糸もつけずただ疑似餌を釣り堀に放っている馬鹿な両親の姿を思い浮かべて苦笑する。蜂蜜坊やを伺うと、彼は何か言いかけるもわらわらと出現したませた幼女に囲まれて飲まれて消えていった。

 本来鰯の群れを追い立てて食らう鮫が、鰯の群れに食われているようで哀れに笑えた。

 幼い子は遊び、賢い子は人脈を広げ、気後れした子は俯き、ませた子は異性を取り合う。駆ける幼児にときたまぶつかられながら人脈派の声かけに適当に応えつつ、蜂蜜坊や狙いのはぐれ鰯に威嚇をうけながら俯き耐え忍ぶ子らの付近で茶菓子に舌鼓を打っていた。

 不意にトントンと肩を(つつ)かれ振り返ると、目つきの鋭い葡萄(えび)色の髪の男児が頰を指で()いてきた。厳密には振り向きざまにアルハが彼の指に頰を突っ込ませたことになる。ありがちな悪戯だ。したり顔の彼は興味深々に聞いてきた。


「なぁあんたライオットの知り合い?」


 誰だそれは。


「今、発情期のメス犬共にさらわれたやつ」

「あぁ、蜂蜜坊や…」

「『はちみつぼうや』」


 蜂蜜坊やはライオットというらしい。おそらく明日には記憶から消えているであろうが。


「なぁ、はちみつぼうやってライオットのことか?」


 己の記憶力の脆弱さに遠くを見ていたところ、赤毛君は楽し気にまた何か聞いてきている。会話を反芻して幼児に発情期という単語の組み合わせはいかがなものかと眉を顰めていると、無視する形になっている赤毛君が剣呑な眼差しで指をワキワキさせていた。それは幼少期ならば本能で感じ取り逃走形態や守備形態を意識させるこちょこちょの構え。アルハは気構えつつ口を走らせた。


「い、今しがた、鰯の群れに飲まれていったのがライオット氏なのでしょう?」

「そうそう。あんたライオットのことはちみつぼうやって呼んでんの?まじで?」

「い、いえ…」

「いやあんた呟いただろ」


 脳内呼称が口からこぼれ出ていたことに、かっと頰が染まる。名を知らなかったこと、どこぞの坊ちゃんが蜂蜜色の髪なので合併して蜂蜜坊やになってしまったこと、会話は二度目でしかないこと、人の顔と名を覚えることが苦手なことまでアルハは慌てて捲し立てた。

 彼は悪戯好きそうな顔と雰囲気に似合わず、言い訳を興味深そうに聞いてくれた。そして、俺も大概馬鹿だけどと前置きしたうえで


「ライオット・ライオネル公爵令息。現王妃の血縁だから覚えといたほうがいいぞ。沸点高めの真面目堅物の人見知りな!あいつあのナリで珈琲飲めねえの。ちょいダサなの」


 幼児に珈琲が飲めないところでダサくともなんとも思わないが、赤毛君は飲めるとでもいうのか。ちなみにアルハは飲める。

 王妃輩出の公爵家。これはこの先上手く生きていくうえで覚えておかなくてはならないだろう。そう、あの日のあの子は公爵息。あの日のあの坊ちゃん。


「蜂蜜公爵息…」


 再び零れた脳内呼称改訂版に赤毛君は、覚える気ないわこいつと呆れながら


「ライオット・ライオネル公爵令息、ギルスナッド・アルザ辺境伯息、この二つは覚えて帰れ。ほら復唱!」

「らいおっとらいおねる、と、ぎるすなっとあるさ?」

「ギルスナッド!アルザ!復唱!」

「ギルスナッド・アルザ!」


 覚えられる気がしない。誰だよギルスナッド・アルザ辺境伯息って。名前だけ覚えろといわれても無理だわ蜂蜜公爵息だって実物とセットでも覚えられそうもないのに。心中文句たらたらでいると、赤毛君は私がなにやつかいまごろ気になったらしい。


「それで?あんたは?」

「わ、私はアルハ。リューン男爵家のアルハ・リューンでございます」


 アルハの名乗りを聞いた瞬間、赤毛君は顔を歪ませた。まさか下端男爵令嬢ごときに時間を割いているとは思わなかったのだろう。人脈派の紺髪君に名乗った時もまじかよ(づら)をされている。名乗る流れなく会話してたのだから仕方ないでしょうすみませんねお手間とらせて、とアルハの気分も急降下だ。


「まじかよ。あのリューン男爵夫婦の娘なのかあんた」

「まじですそうですすみませんね。最初に木端男爵家のしみったれた娘だと言っておけばよかったですねすみません無駄な時間を過ごさせてしまってしつれいします」

「待てよ何キレてんの」

「キレてないっすよ」

「は?」

「いえ、すみません」


 つい前世ネタで声色を変え指を振ってしまった。本当何をしてるのだろうね申し訳ない。

 離れてあげようと席を立ったのに、赤毛君が立ち阻む。どうにか赤毛君から距離を取ってあげようと隙を狙い腰を落とすとなぜか逃すまいとする赤毛君も腰を落とし、二人して謎のカバディ状態を十秒ほど続けたところで赤毛君が噴きだした。


「逃げんなよアルハ。けったいな親持ちかよって思っただけじゃん?あの揉み手小悪党の娘とか罰ゲームかよってドン引きしただけじゃん?怒るなよ」


 我が家族に家族愛が存在していたらとは思わないのだろうかこの子は。ないけども。


「その揉み手小悪党の娘として、せめて関わりを断って差し上げようとしたまでです」

「いらねーからそんな気遣い。俺んちはアルハの親にどうこうできるもんじゃねえから」


 俺あんたのこと気に入ったわ、と差し出された手に恐る恐るアルハが手を合わせると、ガッと掴まれギュッと握られブンブン上下に振られた。

 周囲が騒がしくなり、気が付くと親たちが会合を終えたらしく子供を迎えに来ている。赤毛君は握手に塞がっていない手でベシッと私の肩を叩くと、手紙でもだすわ!と元気に去っていった。

 解放された温まった手のひらを眺めて、握って開いてを無心に二度三度繰り返す。ほわりと淡く胸に灯がともったような気がした。私自身を気に入ってもらった先ほどの出来事が思いのほか嬉しかったらしい。


 帰りの馬車で毎度のごとく両親が釣果を聞いてくる。蜂蜜坊やたるあの日のあの子を見かけたがすぐに攫われていったこと。違う殿方が手紙をくれるかもしれないということをやんわり伝えるとすごく喜んでいた。手紙をくれる子は誰だと聞かれたが、そういえば名前を聞いていない。両親は頬を張ろうと振りかぶったものの、手紙が来ることで誰かすぐわかると思い至ったのか、励ますように肩を叩くにとどめた。


 手紙は届くことはなく、茶会に駆り出されることがなくなり、弟が生まれた。

娘の利用価値が下がり両親の関心も減ったのは幸いにしても、成人となる16歳にはきっと売りに出されるに等しく嬉しくないところに嫁がされるのだろうなというのは漠然と理解していた。

 管理されている身で足掻く術などないことは理解しているし夢見るほど精神的に幼くはないが、屈託ない赤毛の彼を思い出す。好転無き未来を座して待つ身でも一度くらいご褒美がほしかった、などと思うのは贅沢だろうか。彼はどんな言葉を綴っただろうか、どんな字を書いただろうか。どのような名を持っていたのだろうか。

 仄暗い未来に携えたい手紙も、人の名も、もうきっと手に入らない。


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