弁えて明かす
「___ようやくギルの言っていた__を理解した」
「__俺の_にしておくほうが__だろ?どうせ手放す__なら__」
「_も__からな。__してくれるとまだ__」
「へへへ。俺がアルハの__か。__として____やらないとな」
話し声が聞こえる。もぞりと身じろぐと身体中から大小様々な鈍い痛みが沸き立って一瞬で動きを止めた。痛みで詰まった息をゆっくり吐いて、極上の寝具であることを感じ取り再び心地よいまどろみに沈んでいく。
「___うううぅ…何度も、何度も、何度も殺してやろうと思ったのです。わたしが助けたかったのです。約束を守りたかったのです。でも、わたしがわたしとしての価値を手放すと、もう、アルハ様の近くにいられないから…っ」
「泣くな。よく我慢したセレネア。積み重ねた誓約はこの先もずっとお前の願いを叶えるための手段になる。私が遅かった。すまなかった」
「…そうですよ。全部ライオット様のせいなのです」
「そうだな」
「そうです。アルハ様…心的外傷になっていないといいのですが…」
せいやくとせいやく。あぁ、あの漫画読みたいな。私のいなくなった世界で続いているのだろうか。
アルハは前世の残滓に未練を感じながらも、アリスとのやりとりを話す上でとうとうその件に触れなければならないのだろうなと感じていた。
「腹いせにあのアリスとかいうクソッタレをつけ回してやるのです」
「いや、アレは私が探る。お前はローズ公爵家に潜り込んで来い。できるか?」
「あれだけ我慢して順守して自制したのです。わたしの隠密はもう誰にも負ける気がしないのです」
「無理はするなよ」
「雪辱戦ですから」
「おい」
部屋に、ライオットの溜息だけが響いた。
それから紙をめくる音が心地よく時を刻み、やがて無音になる。しばらくして、 そっと髪を梳かれた感触にアルハが静かに目を開けると、ライオットはほんの少し意外そうに顔を強張らせた。そんな表情の変化も読み取れるほど近くにいるのだなと不思議な気分になってふわふわした気分のまま声量は押さえながらも声が弾む。
「私、突っ込まれちゃいました。ははは、ライオット様のって大きかったんですね。あ、あれのは指かってくらい大したことなくて、ふふふ、かの九センチ砲ってやつですか。私は、別に初めてでもないし、極上のイケメンとの艶めかしくも輝かしい思い出がありますから、あんなの、あんなのは大したことなっ__」
首から上の安寧を担っていた一級品の枕が奪われ、ばすんとアルハの顔面に叩きつけられた。枕越しにぐりぐりと口を塞がれ、息苦しさに抵抗しようにも身体中の痛みが相まって中途半端にしかもがけない。
「大したことないだと!?」
ライオットの怒声にアルハは身を竦ませた。怒っている、どうしよう、嫌われてしまう、捨てられてしまう。ぐるぐると不安と恐怖に苛まれ胸が絞られる。はぁ、とライオットの息を吐く音がアルハのカラカラの胸を抉った。
ライオットは布団の中のアルハの手を握り、諭す。
「馳走に腹が満ちたからと喜んで腐肉を貪るやつはいない。風呂で温まった心地よさに笑みながら冷えた汚泥に身を浸すやつはいない。…偽るな」
枕越しの圧が弱まり、どことなくライオットの声も沈んでいて。アルハは焦りと後ろめたさの中で状況を思い起こしていく。
「ありきたりな展開だなとか、奴のウインナーを食いちぎってやるぜ、とか、余裕ぶってたんですけど。今思い直すと口に入れたくもないです。ライオット様の言う通りですね。アイドルと握手して一生手を洗わないって決めて、結局洗わないなんてことはありえなくても、洗う前に道端の犬の糞をにぎるような奴はいないですもんね。洗った後でもそうそう握るものでもないですし、握りたくもないです。はい」
突拍子もなく意味のよくわからない言い回しをされるのは初めてではないものの、ライオットはアルハのくぐもった言葉を解読しながら身体中の力が抜ける思いだった。しかし、アルハの身体は徐々に震えはじめる。
「嫌でした。気持ち悪くて、怖くて、恐ろしくて、嫌でした。けど、頑張ったけど、敵いませんでした!それで…ラ、ライオット様に汚いって思われるのかなぁって、もういらないって言われたらっ、でも、どうにもできなかっ…ふぐっ…うぇ…望まぬ、種を植え付ける行為は、殺人に等しいと、改めて思った次第で…ぇっく…強姦は、死刑にしろ…っ!ふぅう…」
泣き震えて枕に嗚咽を吸わせるアルハにライオットの眉が寄った。握った手に力を込めてただ時が過ぎるのを待つ。落ち着けばまた状況を思い出させ語らせ事態を把握しなければならない。しかし、被害を受けた身内に寄り添うだけの心苦しい時間は皮肉にもライオットに安らぎをもたらしていた。
しばらくして落ち着いたのか、アルハは枕の向こうで深呼吸し、もごもごと語りだす。
「こ、今回の件、私がアリスさんを襲わせたとかは嘘で」
「わかりきったことを」
とりあえず濡れ衣に弁明するも一瞬でカタがついてしまった。
「あと、えと、ローズ嬢とアリスさんの間にそこまで信頼関係はないのかもしれません」
「どういうことだ」
「ローズ嬢が持つ情報を、アリスさんはごく一部しか共有されていないのだと思います」
沈黙は先を促しているのだろう。どう伝えればいいのか、どうしたらわかりやすいか、必死に考える。単に前世を称すれば一気に胡散臭い話になってしまわないか。未だ繋がれたままの手に祈りを込めた。
「ぎ、じえ。そう、疑似餌のルアーというものは一般的ではないのでしょうか」
「私の調べた限りでは。似た釣具はあるがルアーというものは見当たらなかった」
「おそらく、ルアーというものをローズ嬢も知っている可能性が高いです」
ぴくりと反応を示すライオットにますます緊張しながら、アルハは言い募る。
「…えっと、ローズ嬢はこの世界を物語のなかだと思っていると申し上げましたが、正しくはフラグオンゲットなる乙女ゲームの世界だと思っているということなのです。が、私はそのゲームで遊んだことがないので世界観や攻略情報やらはてんでわからなくて、でも」
「待て」
枕を剥がし、放り投げたライオットは懐から取り出した三節ある細い棒状のアンプルを割って四方に放った。今世の特殊システムだろうかと不思議に思いつつ、アルハはライオットに真っ直ぐに視線を合わせられながら先を促される。
「前たくさんお話しした創作物、あれらもローズ嬢は知っているかもしれない。そ、そうだ!ローズ嬢も私も、この世の誰も知らない書庫に入っていたことがあるというか、そんな感じで!」
ローズがどんな本を読んでいたかはわからない。アルハがどの本を読んでいたかも知られていない。しかし、同じ書庫にいた。恋フラなる乙女ゲームは膨大な蔵書の一冊に過ぎず、ローズは読み込み、アルハは読まなかったのだと伝えた。
ライオットの瞳孔が縮む。アルハは届いてくれと祈りながら目に手のひらに力を込める。
アルハはローズがその書庫の他の本の内容をもアリスに話していると思いきっていた。だから率直に尋ねてみたのだが、アリスには心当たりがないようだった。ローズが隠しているのか話題にならなかっただけかはわからないが。
「その書庫の蔵書量は、主な分野は?」
「一個の世界と等しく膨大で多岐に渡ります」
「再度赴くことは?」
「死んで生まれ変わればあるいは」
「…死んで、生まれ変われば。か」
なんとなく察してくれただろうか。視線を外し考え込むライオットをアルハは不安げに見つめる。
「ライオット様にお話しした創作物のように単なる空想で無害なものもあれば、構造を知らなくても仕組みと効果だけで再現可能なものもあります。それは利も害ももたらす危険なものだと思い、晒す機会はありませんでしたがある程度自粛もしていました」
「…ローズ嬢の意図はどうあれ、アリスはこの世界を模したかのような一冊の存在しか知らなかった」
「はい」
「アリスに分け与えられた蔵書は一冊と把握した。が、同時に蔵書は一冊ではないと知られた?」
「…はい」
「それを失態と察して追求を拒んだのか」
ライオットは頷いたアルハの腕を布団から引き出して、痛みにまみれたその痕を眺めた。歯痒くも、この程度で済んだのは幸運と思わなければならない。
予知予見とも言える知識で王子のみならず側近候補達まで籠絡するローズにアリスが抱く感情は穏やかなものではなかったのだろう。それでも一連の流れに寄添い、自分は情報を共有されているという安心感があった。それが、アルハの言葉で砕けた。
「……よくやった」
ライオットはそう言わざるを得ない。この世にない知識情報をみだりに敵陣営はおろか貴族や商人の誰にも与えるわけにはいかないからだ。
ローズが第二王子含む有力者子息の輪に入る前にそういう者だと分かっていたら、ライオットはあらゆる手を使って情報を引き出そうとしただろう。甘言でかなわぬなら、アルハの受けた責め苦など生温いと言えるほどの行為を駆使してでも。その後はアルハのように忠誠を誓わせられれば残すかもしれないが、処分も厭わない。
よく何も与えず、よく無事に帰ってきた。そう絞り出した褒め句に喜色はなかった。
「か、噛むのですか?」
恐る恐る窺う声に顔を向ければ、若干の怯えを見せるアルハが映る。腕どころか身体中に刻まれた痣に先日のフォルクスのときのような悋気を起こすことを危惧しているのか。ライオットの瞼から力が抜けた。身体中に浮き出た暴行の跡を思い出すだけで澱が沸騰するようだが、その跡を己が痕で蹂躙した様を想像すると自然と口端が上がる。その様子にますます固くなるアルハにライオットはもはや笑んでいた。
「この忌々しい他人の足跡が消えたあとにしようか」
「ひぇ」
「君が、君と君の秘密を守り切った褒美も受け取ってもらわないとな」
「っ!」
軽口のつもりで放った言葉に予想外の反応を示すアルハにライオットは首を傾げる。
「私は、その、もうお相手できません。ただでさえイケメンすぎて気が引けるのに、ライオット様を名も知れぬ下衆野郎の穴兄弟にするわけにもいきませんから」
「穴兄弟?」
「げげげ下衆な言葉なんですけど、同じ女の股の穴を使った兄弟、的な?」
「…だからと軽んじるつもりはないが、君に指を突っ込んだのは私と、あの下衆と、老いた医者だ。私は三人兄弟だな」
「ゆ、指?」
「指だ」
「ゆび」
ゆび。そう何度も繰り返すアルハの腕を布団の中にしまって、眠れとばかりに温まった掌で目元を覆った。
「最初でも最後でもない事だ忘れろ。あの下衆の指は健在だが股にぶら下がった汚物は断っておいた。それで一旦溜飲を下げ…眠ったか」
入眠時の言葉の所為か、アルハはかつて悪夢で集ってきた男どもと先日の下衆野郎三人が股を押さえながらホッケーマスクの抜刀男から逃げ惑っているのを眺める夢を見ることになる。
前話今話ともに作中描写で不快に思った方などいましたらお詫びいたします。




