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私の物

 夕食後、アルハは寮部屋で大いに語った。

 ラノベ、ジャンプ、それが空想を描き架空の物語を共有するための媒介の一つであるということ。自分が心奪われた物語はどのようなものだったか。異能力でくくるには多すぎる各世界観、多彩で心躍る戦闘描写や人生観等。

 ライオットはアルハには推し量れない穏やかな表情でそれらを聞いていた。リューン男爵家に蔵書など皆無で、アルハの妄言など聞くに値するものではないと一蹴したとしてもそれこそが当然であるというのに。次から次へと飛び出す想像の世界をクラシックでも聞いているかのように受け止め、続きさえ促す。アルハは拒絶されないことが嬉しく、惜しむことなく前世の記憶に眠る創造物を披露し続けた。


「__とこんな感じで。でも完結してないものも多くて残念なのです」


 どうあがいても結末を知ることができない作品は少なくない。アルハはしょんぼりと肩を落とす。


「リューン男爵家から持ってくるか?」

「あ、いえ、その、大丈夫です。あの家の物はあの家の物ですし、そもそも、あの」

「取り繕わなくていい。構わない。楽にしろ」


 隠し事をする罪悪感を、必要ないと、わかってるよと慰めるように優しく頭を撫でられる。アルハの頬はわかりやすくカッと染まった。はしゃいでぺらぺら一方的に喋り倒したことも振り返ると恥ずかしい限りだ。


「また思い出したら話してくれ、聞きたい」

「は、はい!よろこんで!」


 ライオットはふと思い至ったようにアルハから離れ、執務机の引き出しから何かを取り出した。針があって危ないと一言注意を促してからアルハの手のひらに乗せる。


「るあーというものを私なりに作ってみたものだ。忌憚のない意見を聞かせてくれ」


 それはやや不格好な螺鈿細工だった。小指ほどの歪な小魚は螺鈿が埋め込まれ、尻尾の先から見慣れたフック型の釣針が一本突き出ている。


「すごい、と思います。綺麗です…」

「君の記憶と相違ないか?」

「これ、螺鈿ですよね。私の知るルアーは塗装されたものが主で螺鈿が使われたものは知りません。でも、煌めいて魚を誘う意図は間違ってないです。釣針は三又の茹でた蛸みたいなのが腹と尾に揺れるようについていたかと」

「…そうか」


 どことなく悔しそうなのは気のせいだろうか。アルハはすっくと立ちあがって使用人部屋から支給された手帳と羽ペンとインクを持ってきてルアーを描いて見せた。ライオットはアルハの許可をとって頁を破り、絵を懐にしまう。この際きっちりルアーを完成させるつもりらしい。


「ソレは処分しておいてくれ」


 ソレとはこの試作品のことだろうかとアルハは螺鈿ルアーに目を落とす。ライオットは恥じるように試作品から目を逸らしたが、アルハは目が離せなかった。


「いただいてもいいですか?」


 ぽつりと零れた言葉を拾ったライオットは片眉を上げる。

 価値はないぞという言葉に小さく頷きながら、アルハは心中では首を左右に振った。だってこれは何年も前のほんの少しの会話が形になったものだ。なんてことない幼少期の会話が幾年も超えて化石のように(かたど)られて手の中にある。嬉しいのか懐かしいのか息が詰まった。


「ありがとうございます!いい夢が見れそうです、おやすみなさいませ!」


 あっさりと譲られた所有権に礼を述べ、そそくさと部屋を出て自分に割り当てられた収納にハンカチでくるんで大事にそっとしまい込む。それはアルハがようやく手に入れた私物(たからもの)

 高揚した気分が落ち着いて眠気が勝るまで、アルハはずっと収納に寄り添い胸を押さえていた。

 

 一方、心底嬉しそうに拙い試作品を攫って行った侍女に放置された男が呼び止めようとのばしていた腕を諦めて下ろすと、物陰からくすくすと揶揄うような笑い声が漏れる。


「お猿様は残念ですが良い仕事をしましたね。ときめきなのです!あぁ、セレネアは幸せです…!」

「だまれ覗き魔」


 翌朝、アルハは未だ浮かれていた。ライオットはそんなアルハを訝し気につつも放置している。セレネアは上機嫌なアルハにこれまた上機嫌にお祝いを述べ、さらにはいつもは所用だと別行動をとるのに朝からアルハに引っ付いていた。


「アルハ様が幸せそうでセレネアも嬉しいです!幸せオーラいただきです!」


 照れたように微笑むアルハにセレネアは内心悶えながら寄り添う。幸せの理由をおうかがいしてもよろしいですか、と冗談半分に尋ねてみると意外にもアルハは答えた。それも綻ぶような笑みで。


「生活に関係ない、ほんとにただの、ただのね、私の物があるの。ライオット様がくださったの」


 セレネアはそれはよかったですねとはしゃぎながら、心中は祝福と憐憫が激しく渦巻いた。アルハは実家から着の身着のままライオネル家に来て、支給品を身に纏い外出もせず給金もまだ渡されていない。おそらく実家でもアルハのものとして与えられたものはないのだろう。どこにも私物がひとつもない。それは、どんな気分だろうか。

 想い極まってセレネアはアルハに抱き着いてしまう。


「アルハ様!今度セレネアのお買い物に付き合ってくださいませ!」

「は、はい!よろこんで!?」


 お友達の印とでもいえば拒めまい。謙虚なアルハに私物を増やしてほしくてセレネアはライオットから資金と時間を引き出す算段を立てつつ一日アルハにじゃれて過ごした。

 深夜、一日仕事をさぼったセレネアを責めるでもないライオットにセレネアは告げる。


「アルハ様とお買い物に行くのでお休みとお金を要求します」

「わかった。三日後でいいなら空けてやる。金額は任せる」


 向き直りもせずに無感情に返答し執務に取り組むライオットにセレネアは算段が無駄になった腹立ち紛れに一石を投じた。あの拙い試作品が、アルハの浮かれようが、何を意味するのか。それはもう尊大な態度で教えてやった。


「お猿様、出番ですよ」

「うるさい」


 恥じらいの欠片もなく夜這いにいった主を見送って、セレネアは主の寝具に潜り込む。

 セレネアはライオットは割とどうでもいいが、アルハには幸せになってもらいたいと思っている。アルハがライオットを受け入れるならばいくらでも焚きつける。幸いあの朴念仁はアルハに対し一定の関心を持っているし、性欲の発散先と定めているようなのだ。いままでどの令嬢の粉かけも煩わしそうに払いのけるのみだった堅物がなし崩しの措置であっけなく沼に嵌っているのは拍子抜けに呆れもするが、表面に現れないながらも童貞卒業でネジが緩んでいる間に子供でもこさえてくれればセレネア的には万々歳だ。

 セレネアは義務としての婚姻は課せられていない。特に希望もないのでほぼ一生ライオットに仕えるだろう。その傍らにアルハがいれば、アルハはセレネアのものも同然だ。

 聞こえてくる隣室の秘め事の音に耳を澄ませる。困惑、驚き、安堵と声色は移ろい染まりきって交じり合っていく。今日は本当に何もしなかったな、と自嘲しながら満ち足りた気分で目を閉じた。


 アルハは真青になりながらとりあえず床に正座していた。セレネアと相部屋にもかかわらずライオットの相手をしてしまったのだ。お湯いれときましたよ、とすでに起きて働いているセレネアに爽やかに笑まれても元気よく返事はできない。申し訳ない。申し訳ない。未だ寝こけているライオットは棚上げにしてアルハは粛々と上体を折った。


「アルハ様!?動けませんか!?大丈夫ですか!?」

「申し訳ありませんでした…っ!」

「なぜ謝るのです!?」


 締めだしたことになったことを説明するとセレネアはライオットの部屋で寝たから大丈夫だという。主人を弄んで申し訳ないと謝れば、弄ばれているのはアルハ様の方ですがご安心くださいと胸を張られる。聞くに堪えない声や音を聞かせたかもしれないと羞恥に耐えながら告げるも使用人を長年やっていれば慣れっこだと励まされた。


「セレネアはおじいさまに課題を出されたことがあります。なんだと思いますか?」

「なんでしょう?」

「若旦那様の自慰を盗み見てこい、と」


 アルハは声も出ず、未だ眠るライオットに哀れみの視線を向ける。使用人とはとんでもない職業なのだな、とセレネアに視線を戻した。セレネアは気取られず潜む苦労や、肝心のライオットが行為に至らない苦労などを切々と演じるように語り、いつのまにか二人は顔を見合わせて笑っていた。


「だからアルハ様は憂うことなくお過ごしください。若旦那様が煩わしければセレネアに申し付けてくださいね!ひっぺがしますので!」


 こうやって!と、いい笑顔でライオットの布団をひっぺがした。くぐもった不満の声が上がる。


「セレネアさん、ありがとう。これからも宜しくお願いします。お風呂いただきます」


 ふらふらと風呂場へ向かったアルハを硬直して見送ったセレネアは、呻きながら上体を起こしたライオットの肩をべしべし叩く。


「アルハ様が名前を呼んでくださいました!今!今!セレネアさんって!また!」

「やめろ痛い。…よかったな」

「生きててよかったのですー!」


 セレネアがアルハに固執する理由は知らないが、何やら感涙している小憎らしい一応妹分の頭をライオットはぽんぽんと投げやりに撫でてみる。通常ならば触れさせず避けるだろうに三度目で空振りさせられた。


「今日はどんなところにも潜める気がするのです!」

「そうか。ならば第二王子の陣営を探ってきてくれ」

「おまかせあーれ!なのです!」


 あらゆる技術を使ってセレネアの気配が消える。あれほど浮かれた状態で大丈夫かと疑いの気持ちもあったライオットだが、信頼するセバストが心血を注いで作り上げた『影』は上機嫌の方がよく潜れるらしい。感心しながらいつの間にか用意されている手桶の湯とタオルで身を清め着替えに袖を通す。

 自分とセレネアとギルスナッドの奇妙なアルハとの好意的関係性に作為的なものを感じなくはないが、未だ人為的な要素は見つけられない。

 リューン夫妻によれば、アルハは愛嬌があって逆らわない七歳ほどの年齢で精神の成長を阻害する段取りだったらしい。呆惑香の配分は管理され、三歳の頃から定期的に焚かれていたという。しかしアルハは赤子から幼女へと成長するにつれ物静かに、落ち着いた人格形成を始めた。最低限の教養のみ形式的に学ばせていたというが、実際ライオットが接した四歳のアルハにはそれ以上の知性が宿っていた。

 茶会への参加回数は四回。大人と子供を別にする茶会を狙っていたため貴族にしては少ない。催し物には極力出席を心掛けアルハの出席を網羅していたコンラードによれば、どの茶会でもアルハは大人しく当たり障りなく過ごしていたようだ。気になることといえば人の名が極端に覚えられないこと。しかし、独特の称し方で覚えようとする意志はあった。ギルスナッドの失策でアルザ家に出禁を言い渡された以降は屋敷に軟禁。この間も呆惑香は焚かれ続けていた。

 アルハの想定外の自我の発達。内に眠る不可解な情報とその膨大さ。都合のいい上位爵位との関わり。謎は紐解かれてはいないがライオットはあくまで片手間に思案するのみだ。アルハのライオットへの献身と忠誠は本物だ。加えて、一生忘れることのない感触と光景がアルハを疑う必要性を排除する。


 彼女は、私のものだ。


 浴室の扉が開いて、大抵の特徴は知り尽くした裸体が姿を現した。

 ライオットは仕上げのタイを締め、羞恥を振り払って一心に着替えるアルハを眺めながら朝食を待つのだった。

視点がころころ。

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