57話 月と星と星
わたしには『憧れ』というものがあった。しかしそれは絶対に叶わないことだと知っていた。ありありと見せつけられて理解させられた。
だからその『憧れ』を持つものに嫉妬を抱くこともあるが、同時にある種の尊敬があった。
わたしには決して叶えられなくても、それを体現している者を見るだけでも満足であったのだ。
しかし、その憧れを体現した者が穢れようとしているのなら……わたしはその要因を全て排除しよう。そんな風に……思っていた。
だってそうだろう? 自分がどれだけ手を伸ばしても届かないそれが、目の前で汚れてしまうんだぞ? それを守らないわけがないじゃないか……。
キレイなままでいて欲しい……。何がなんでも……と考えるのは、果たしていけないことなのか?
あぁ……それは正しくないことだってくらい……言われなくてたって分かってはいたさ。だけどいつか崩れると知って、それでもなお防壁を築いてるのだ。
ヘレナには知って欲しくない……それだけのことだった。何せ……あまりにもバカバカしくて汚れきったことだからだ。自らの願いの真反対の思想にぶち当たったら……彼女は挫けないだろうか……。憎しみを溢れさせ汚れないだろうか……。
ただそんな思いが頭をぐるぐると駆け巡る。
「はぁ……」
今日も今日とて夜空は変わらぬ絵を見せてくれる。月が顔を出しているが、それでも星の煌めきは消せないようだ。
わたしやヘレナ、アレイシアをこの星空で例えてみよう。
まず星はヘレナだろう。キラキラと自分で輝く、しかしその光は小さくて……それでいて月の光に負けじと一生懸命なのが彼女らしい。
そして見えない星がアレイシアだ。月の明かりにその身を隠し、でもたしかにそこにあって、ひっそりとみんなの顔を見ている。あまり干渉したがらない彼女にはぴったりだ。
最後に月……。これはわたしだろう。月は夜空に浮かぶ何ものよりも明るく大きい。しかしその実、太陽の光を借りて光っているだけで、自分一人では何もできないただの大きな塊だ。
その月は星を羨んでいるのだろう。自分よりも遥かに小さく、光で見えなくなってしまうような……そんなちいさな星に……。
その二つの違いは大きさじゃない。『自力で光っているか』『借り物の力で光っているか』……ただそれだけ。
「ふぅ」
消えてしまえ。そう込めて息を吹いてみるも、そんなことでは光は消えるわけもなく、月は当然のようにそこで輝いていた。
「何やってんだろうね……わたしって……」
ヘレナ家の屋根の上でゴロンと寝転び、届くわけもないのに手を伸ばす。
ヘレナたちから見れば分からないだろうけど、わたしからすればすっごく眩しいものなんだ。そうなりたいと……誰にも言わず、ずっと秘していた。恥ずかしいからね。
羨ましいという嫉妬心から壊したいと思った。しかし同時に守りたいとも思っていたのだ。だからヘレナを鳥かごで囲うような真似をした。
汚いものを排除し、キレイな部分だけを見せてあげよう。しかしその考えは酷く……酷く独善的なものだ。
あいつの言った『標本にするようなもの』ってのには反論する余地がなかった。何せその通りだからだ。
わたしは極力ヘレナの自由意志を尊重しているつもりだった。しかしそれにたどり着くように誘導しているだけだったのだ。
ヘレナがキレイな意思を持つように、そして汚いものに触れないように……。わたしはヘレナにいくつかの選択肢を渡し、その実一つしか選べないようにしていただけだ。
そう考えると、勇者がカーコフ領を破壊したのをつい口をついてしまってヘレナに教えたが……失敗だった。だけど汚れずにむしろキレイになってくれてホッとした。
「まぁ、それはたまたまなんだろうさ……」
あの時は本当に偶然、彼女が自分自身に問いかけたからどうにもならなかったのだ。悪いのは自分だと。力がなかったから守れなかったのだ……と。彼女はそう言っていた。
しかし、今回のことはヘレナ自身の力がどうこうってわけじゃない。こればかりはヘレナがアホで良かったと思う。もし情報収集が上手かったのなら……即座にこのスラムに住む者らを王都から出そうって計画を立てるだろう。それこそ、わたしに頼み込んでスラムの住民たちをあの集落に転移させるだろうさ。
アレイシアが言った通りヘレナはじきに真実を知る……正直、時間はあまり残っていないのだ。それでもわたしがアレイシアの依頼を断ったのは……その時間を集落の住民たちに限界まで使ってもらいたかったからだ。
あの集落はまだ完全に落ち着いたとは言えない。そんな状況でよそ者を入れれば……少し統治が難しくなるかもしれない。出来るだけ万全の体制を整えてヘレナに任せたかった。
「はぁ……」
何度目かも分からないため息を夜空に向かって落とす。
かなり前に家を出て言った二人は未だに帰ってこない。何をしにどこへ……そう深く考えそうになるが、そんなこと考えなくても分かることだった。
――だけどどうか……どうかそうじゃありませんように。
茫然と見上げていた夜空に一筋の光が流れ、頰を伝う温かい何かを感じる。
次に相対する彼女は……果たしてわたしの好きな彼女なのだろうか……。
ただただ不安を胸に抱きつつ、ちらほらと流れる星空を眺めていた。
***
屋根の上で寝転んで一体どれくらい経っただろうか……。体感で大体二時間くらいかなぁと考えていると、下からわたしを呼ぶ囁くような声が聞こえてきた。
「アリシア〜どこですか〜。出てきてくださ〜い」
夜分遅くで大声を出せず、しかし姿の見えないわたしを探すために迷惑にならない程度の声で呼んでいるのだろう。
ふらっと屋根を転がり玄関近くを見下ろすと、そこにはきょろきょろと辺りを見回しているヘレナと、眠そうにしているアレイシアがいた。
「どこですか〜お菓子もありますよ〜」
そう言って手に持ったカバンから小包を出し、それを揺さぶっている。だけどそんなものでわたしが出ていくと思ったら大間違いだ。それに、今のわたしには消費しきれないほどの和菓子があるのだ。施しなんて受けるわけがない。
しかしヘレナは気づかなくても、さすがにアレイシアは気づいたようだ。彼女はくるっと身を翻し、屋根からのぞいていたわたしを見上げる。
「降りてきてください。あなたも気になっているのですよね」
「……まぁね」
「ア、アリシア⁉︎ なんでそんなところに⁉︎」
そういう気分だったってだけだよ。そう言って屋根からちょこっと飛んでヘレナとアレイシアの正面に背を向けて降り立つ。
「随分と遅かったね……。まぁ話は中で聞くよ。春といっても夜は冷えるしね」
言って、わたしは振り返ることなく扉を開け中に入る。少し後に二人が続くのを感じながら、一足先に居間にある椅子に腰掛ける。程なくして二人も居間に入ってきて、わたしの正面に二人とも座って、出だしを探るような間ができる。
そしてその沈黙を破るようにアレイシアは口を開く。
「ヘレナさんには大体のことを話してきました」
「…………国の目的と勇者らの目的か……?」
「それとあなたのことも、です。誕生の仕方としてきたこと。それとわたしがあなたをどうやって止めたのか。それと最近あなたが抱いていた感情もですね」
「……そう。お前はちと厳しすぎるよ」
淡々とそう事実だけを伝えてくる。そこには何ら特別な感情は含まれておらず、ただあったことを言っているだけだった。
そんな彼女の様子は酷く冷たく、どこか突き放しているようにも思えた。
「いや〜ごめんね〜。……言おうとは……ね」
思っていなかったけどね。そう言おうとしたのだが、また曖昧な答えで場を濁してしまう。
これが彼女とわたしの違いだ。アレイシアはこんな曖昧さを許しはしない。普段はおちゃらけている彼女だが、大事なことだけは絶対に『ごまかし』をしないのだ。憎んですらいるのだろう。
だからアレイシアからは苛立ったような態度を見せる。
「あなたはまた……!」
「うるさいなぁ……。これがわたしなんだよ。いくらお前の人格とそっくりになったとは言っても、流石に全部が全部じゃないんだよ」
「それとこれとは違います!」
そうやって言い合いになりそうなのを、ヘレナが落ち着いてください! と声を張って間に入ってくる。
「その話はまた今度にしてください。話すべきことがほかにあります!」
「……そうですね」
「ちっ……」
言われなくてても分かってる。突っかかってきたのはこいつからだ。わたしが悪いことなんて何もないじゃないか。
「で、何を今さら話したいのさ。わたしは君がどう思ったか知りたいだけなんだよ」
不機嫌さを隠さずにそう言う。するとヘレナは背筋を伸ばし、アレイシアは目を細める。しかし二人はそれっきり話出そうとしない。
わたしはもう待ちくたびれてしまい、怒気を含ませながら少し乱暴な口調で問いかける。
「どうなのさ……。酒も飲んでないし、我慢できなくなる前にさっさと言えよ……」
「あ、あの……! そんなに怒らないでくだ……さい」
「だからさ! さっさと言えよ!」
視線を落とし、口ごもる彼女はいつになくうざく感じる。怒るなだと? わたしは怒ってなんかいない。ムカついているだけだ。だから早く話してほしい。
ヘレナはそんなわたしに気圧されつつも、ゆっくりを言葉を紡ぐ。
「ま、まずアリシアのことですが……」
彼女はそう言って、息を飲んでその先を話す。
「か、覚悟はしていました……。だからどうも思いません。それにアリシアには返しきれない恩があります……。だから殺されてもかまいません」
まっすぐにわたしを見つめてそう言い切った彼女の言葉には……一切の嘘は感じられなかった。
それに少し安堵しつつ、しかしまだ他のことを聞いていないため、まだわたしは姿勢を崩さずに呟く。
「そう……本当にアホだね。……で、他の話については?」
「それは……」
ヘレナは一瞬暗い顔を見せるが、それでもわたしを見据えて意思を強く持っている。
「正直に言って……この国――貴族どもを皆殺しにしてやりたい、そう思いました」
「……だろうね。でも、ました?」
過去形だったのが気になって静かに問う。するとヘレナはその瞳を濁さないまま、しっかりと自分の……自分だけの言葉をゆっくり紡ぐ。
「アレイシアさんから話を聞いたとき、私は飛び出して行きそうになりました」
まぁ予想できることだ。あんな大層な志を掲げるヘレナが知ればそうしようとするのも頷ける。いや、そうなると確信してわたしは話さなかったのだ。
だけどそうならなかったのなら、多分なにかが起こったのだろう。そしてそんなことが出来そうなのは……。
そう思ってまぶたを閉じているアレイシアを見ると、その隣に座っているヘレナがそうです、と言って話し出す。
「アリシアは私にそうさせないように隠していたのです。そうアレイシアさんが止めてくれたのです」
それを踏まえて考えなさい。そうアレイシアは言ったそうだ。
こいつはわたしにあんなことを言っておきながら、自分も選びようのない選択肢を渡しているではないか。
――偉そうにしてたくせに……。
だけど選びようがないわけでもないのか……。ヘレナが王都に住む貴族どもを襲うって未来もたしかにあった。だってヘレナの『願い』を成就させるには、どうしてもあの貴族どものような思想を持つ者たちは邪魔になるからだ。
自分さえ良ければいい。そんなことを誇っている彼らはとても醜いものに見えただろう。
「そして勇者は……早くこの世界からいなくなって欲しいです」
だからアレイシアの依頼を受けて欲しいとでも言うのだろうか。なにちゃっかりとしてるんだか……。
内心ため息をつきつつ、いいようにされているヘレナに問いを投げる。
「で? それをすればヘレナはこの国に居場所がなくなるよ?」
「いいです。そもそも、わたしも今ではスラムに住んでいます。この国に居場所なんてそもそもありません」
「……それもそうだね」
あぁ確かにそうだ。どうせここはなくなる。そしてそれはこの『スラム』に住む者もだ。もちろんそこにはヘレナ――カーコフ家が含まれているのは間違いない。
でも、それでも……だ。そもそも、この国を出たヘレナたちには居場所などない。そこをどうするつもりなのかを聞く。
すると、ヘレナはこともなげにアホなことを言ってきた。
「大丈夫ですそこはアレイシアさんと相談してバッチリ決めました」
「…………。ごめん、すっごく聞きたくない」
なぜだろうか、なぜか分からないがヘレナのそんな自身に満ち溢れた声を聞いた瞬間、もう耳を閉ざしたくなってしまった。
しかしそんなことはお構い無しにヘレナは先を続ける。
「アリシアのとこにみんなで行けばいいじゃん! ってことです!」
「…………はぁ」
「それにカーコフ領にあった街も村も作ってくれるってアレイシアさんが言ってました!」
これで万事解決です! とにこやかに言うが……。おい、これってどう考えても問題を遠ざけているようにしか思えないんだけど? ヘレナの口ぶりからはアレイシアが提案したようだけど……ダメだろこれ……。わたしに偉そうに言っておいて、当の本人はこれか?
「おい、説明しやがれ……。これはどういうことだ?」
威圧するように聞くと、アレイシアはそっと目を開き、何か真面目なことを言うのかと思ったら……。
「いえね? ほんの冗談のつもり、笑い話にでもしようかと提案してみればこうなったのですよ」
「えぇ⁉︎ じょ、冗談だったんですか⁉︎」
「ええ、本当は違うことを本題にしようかと思ったのですが……それもありかな? って思いました。許してください☆」
「許すかぁぁぁぁ!!!!」
ダメだこいつ……。もう頭ん中まで腐ってんじゃねぇのか? どうして真剣な雰囲気の中でそんなアホみたいな冗談をかませるんだよ。……いや、こいつはそのくらいのアホだったよ……。
しかしそのアホウは懲りずにも口を開く。
「なぜ許さないのですか」
「は? それは目を逸らしているだけだろ? お前がわたしにそれはするなって言ったんじゃん」
言われたことが分からず、キョトンとして返す。するとアレイシアは声をひそめ、静かに語りかけてきた。
「いいえ、これは違います。ヘレナさんの『夢』がなんなのか思い出してください」
あぁ? ヘレナの夢だぁ? そんなの思い出すべくもない。『不幸な人々を助けたい』なんてバカげたものだよ。だけどそれと今の状況と何が関係があるんだ?
訝しんでアレイシアを見ていると、その口がおもむろに開かれる。
「ヘレナさんは別に『国』だの『貴族』だのを気にしてなんかいません。目的は『不幸な人々を救う』ただそれだけです。だからあなたの国に行ったところで、何も――何からも目を逸らしてなんかいません。住む場所が変わるだけです」
「……はぁ。確かにな。ヘレナがこの国に思い入れなんてないだろうし、あるとしても自分たちの領だけだよな」
そうだ。その通りだ。住む場所が変わるだけで、大事なところからは目を逸らしてはいない。
だからといって、このアホの提案を受け入れられない。それだけの理由がきちんとある。
「だけど許すわけにはいかない。わたしはお前ら神じゃない。移り住んできた人種をずっと守れとでも? 流石にそれは無理だ。あそこは魔物がかなり強い。危険すぎるぞ」
「あ、ですよね〜。流れでいけるかと思ったんですけどね〜」
「テメェ殴るぞ⁉︎ ちょっとはまじめにしろよ!」
「うひゃ〜殴らないでくださいー」
いや、その要求は却下する。もうお前のせいでめちゃくちゃだよ……。あんなに覚悟していたわたしがバカみたいだ……。
あとで泣いて謝るまでボコボコにしてやろうと決意する。だけど今はそれは横に置いておいて、一応確認だけはする。
「はぁ……。で? 本当はヘレナに何を言うつもりだったのさ」
呆れたように聞くと、またまたこやつはアホなことを言い出した。
「それはですね〜。ヘレナさんが新しく国を作っちゃえばいいじゃない! って言うつもりだったんです」
もうそれにヘレナはびっくり仰天だよ。驚きすぎて口をパクパクさせている。わたしだって呆れてものも言えないよ。
だってあのヘレナだよ? 貴族(笑)のヘレナがそんなことを出来るとでも? それにこのアホの口ぶりからすると、どうにもその国の王をヘレナにしようとしている節がある。
正直、試す前から無理だよ! って誰しもが思うよ。うん。
さて……このアホウは一体何がしたいんだか……。




