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52話 『人』

「ほんと〜〜〜に苦労したんですよ? あの時のあなたを止めるのは。上位神のわたしでさえ、手がまったく出せないほどでしたからね」



 冷めた声音からまた一転して、今度はぷんすか怒る子どものような口調になる。



「あなたが油断して、それでようやく『杭』を打てたから……今があります。わたしも命をかけた甲斐がありましたね!」

「そ、それは……。…………」

「あ、あぁあぁ。もう、うつむかないでくださいよ〜怒っているわけじゃないですからね?」



 ね? ね? とおどけるようにアレイシアはわたしの鼻を指先でつつく。

 しかし……わたしは何も反応を示すことが出来ないでいた。何千年も昔の……ずっと、ずっと……償うことの出来なかった罪を……たった今裁かれているような感じがしたからだ。



「あ、あれれ〜? な、泣いちゃうんですか? 最強最強うるさかったあのあなたが?」

「う、うるさい! 泣いてないもん!」



 言われてすぐに頰に温かい何かが伝うのを感じ、ごしごしと目をこする。


 あぁ……この公園はこんなにも色あせていただろうか……空気はここまで乾いていただろうか……。あんなにいた『人種』はどこに行ったのだろうか……。

 もう季節は冬じゃない。春うららかな日が続き、花は蕾を開いて街に彩りを与えた。人々はこもっていた家を抜け出し、やいやいわやわやと屋台などを出して冬明けを祝っている。


 しかし……つい先ほどまで聞こえていた賑やかな声が……ちっとも聞こえない。この公園を歩いていた人種も一人たりともいなくなっていた。



「わ、わたしは……‼︎」

「だから責めてなんかいませんってば……。はあ〜どうしたら伝わるんでしょう?」



 人種の集落を消しとばした後も……こんな静けさに包まれていた。その時の状況と今の状況が重なって、わたしは軽いパニックに陥る。


 殺していない。殺した。殺していない。殺した。殺していない。殺した。殺していない――


 そんな負の思いがグルグルと脳内をかき乱し、アレイシアの言葉など一切入ってくることがなかった。



「あれ? そもそも聞いています?」



 わたしはその場にうずくまり、久しぶりに肩を抱えて身体を震わせる。


 ずっと耳元で生を望む声がする。わたしが殺してきた者の『もっと生きていたかった……』そんな声が永遠と聞こえる。

 昔殺していた人種は……何の罪もない。今のわたしが大好きな『今を必死に生きている者たち』だった。

 そんな彼らを……目障りだから、やれば気持ちがいいから……そんなクソみたいな理由で……命を奪っていた。そして……気を抜いてしまえば今もそうしてしまいそうだった。



「あ〜こりゃダメですね。どうしましょうか?」



 わたしの中には二つの『心』がある。と言っても……片方は『心』なんて上等なモノなんかじゃ……絶対にない。それは便宜上の言葉だ。


 一つ目はアレイシアからもらった『心』。それは『心』そのものや『命』を尊ぶものだ。あろうことか、あの女神様は魔族(あのこたち)にすら……『命』を大切にして欲しいなんて想っているらしい。そして……それはバケモノであったわたしにですら……。本当に……彼女は……。


 二つ目は生まれたときから持っていた『(にせもの)』だ。わたしが生まれたときは『人種』がいなかったので『それ』を自覚してはいなかった。

 だけどアレイシアが『人種』を作り出して……それで最初に見た『ヒューマン』を殺したとき――わたしは『それ』を認識するに至った。

 人種を殺せば気持ちがいい。そしてそれはわたしの本分である……そう理解してしまった。


 とどのつまり、魔族を含んだ『魔種』というのは『人種』の対極に位置する存在なのだ。そして『魔種』とは――『人種』や『世界』によって作られる『淀み』から生じるものだ。



「ん〜どうしましょう……。ほ、ほら、泣き止んでくださいって! なんかわたしが泣かしたみたいじゃないですか〜。やですよも〜」



 そして……この『世界』が作られた当初、ろくにその『淀み』を管理せず、どっかの世界に行ったアホがいた。それがアレイシアなのだが……。彼女がこの世界に再び戻ってきた頃には、その『淀み』から溢れ出たものが『世界』全体に広がっていた。

 アレイシアはそれをどうにかこうにかしようとしていたんだろうが……どれも効果を示さず、次第にその『淀み』から溢れ出たものが一点に集まっていったのだ。そしてそれが一つにまとまり、人の形を成したモノが……この『わたし』だ。



「ベロベロ〜ばぁぁ〜。って! アリシアはそんな子どもじゃありませんよ!」



 そんな『淀み』が凝り固まって出来た『わたし』は……最も『人種』の対極に立っていると言っていい。『人種を殺したい』そんな感情を『魔種』は持っている。ただし……魔物はその感情を多く持っているが、『魔族』はほとんど持っていない。グラスの底に薄く溜まっている程度にしか……持っていない。

 それに対し、魔物がそのグラスの半分しか『感情』が溜まっていないとすれば……わたしのは溢れ続けているってところだろう。もうグラスの縁まで満ちているのに、それでもなお注がれる『感情』。

 つまりは殺したくて殺したくて仕方がないのだ。……しかし、それをアレイシアからもらった『心』で均衡を保つことが出来ていた。



「そ、そうだ! 殴れば直るぅ〜ってどっかで聞きました! よしそれじぁいきますよぉ〜。えいっ‼︎ ――――っ⁉︎ い、痛い‼︎ か、硬すぎますよ……。って、アリシアが池の方に吹っ飛んで行ってるぅぅぅ⁉︎」



 あぁ……なんだかふわふわする。……あ、よかった……まだ人種がいた、のか。


 空を舞う中、ちらっと大勢の人種が視界に入ってホッと胸をなでおろす。何せ、それはわたしが誰も殺していないってことだからだ。……もし暴走していたのなら、この王都には人種はいなくなっていただろうから。


 そうホッとしていると、ボチャっと何かに突っ込む衝撃が体にはしり、どんどん体が沈んでいった。



「あ! ぷぷっ。ア、アリシアが……ぽちゃって……ぽちゃって……。池ぽちゃなんて始めて見ましたよ! って、そうじゃないそうじゃない」



 どんどん……どんどん暗い水底に沈んでいく……。そしてこのまま意識さえも沈んでいってしまいそうだ……。手をどれだけ伸ばしても……揺れる空に輝く光には届かない……。


 はは、お似合いじゃないか……。わたしの一番嫌いなモノの最期には……。明るい場所なんて……最初から身に余っていたのだ。

 過去の罪から必死に目をそらし……知らん顔してヘレナのような素敵な子の隣に立っていたわたしなんか……。


 それに……ちょうどよかったよ。手を下してくれたのがあいつで……。わたしはどうにかなる前に終わることができる。

 この旅の間中……何度、何度――ヘレナを殺したいって思ったことか……! あの子の希望に溢れる顔を……いつ絶望に染めてやろうか……何度そう思ったことか……。

 だからそうなる前にこうしてくれて……本当に良かった……。



「今まで言えなかったけど……初めて言うよ。ありがとう」



 さぁ……もういい頃合いだろう。立つ鳥跡を濁さずってね……なに、周りに被害はないさ。


 わたしはふっと全身の力を抜き、ゆらゆらと揺れるお日様をそっと眺め、そしてゆっくり目を閉じる。



「あぁ……あの酒、結局全種類飲んでなかったなぁ。まぁ……どうでもいいや」



 たくさんあったティーの酒たちもあらかた飲み尽くしたのだけど、ちょとばかし飲んでないものがあった。だけどそれは飲まなくていい。いまさら……だ。今からいくのに関係ないだろう。



「やっと……終われる……」



 そう言って、体の内から崩壊させようとしたとき――



「あなたも大概……アホですよ」



 呆れたような声とともに、空を舞っていたわたしの手が掴まれ、一気に水面まで引き上げられて抱っこされた状態になる。



「あなたはわたしの世界で生まれました。言ってみればわたしはあなたの『お母さん』なのです!」



 めっ、と子どもを叱るように言い、そっとわたしを下ろしたアレイシアはピィンと軽くデコピンをかましてきた。



「お母さんは自分の子どもはとことん愛するって決めているんです!」



 拳を固く握りしめるアレイシアの口調は強いものの、わたしの頭を撫でるその手は――とても、とても優しかった。



「わ、わたしは……‼︎ その『子ども』を散々、殺した……。なにも罪もない……! なにも罪もない人種を……殺したぞ」



 それに飽き足りず、その咎からずっと目をそらし続けてきた。わたしは悪くなんかない……って。全部わたしが悪いのは分かっていたけど……それでも……違うと言わなければどうにかなりそうだった。



「そういえば……『杭』を打ち込んだ直後も……あなたはそうなっていましたね」

「…………そうだった、な」



 あぁそれはよく覚えている。だからこそ……わたしは偉そうに『目を逸らすな、自分を律し続けろ』そうヘレナに言えたのだ。しかし……わたしはそんなことを言える立場なんかじゃなかった。

 だってわたしは目を逸らし続けているじゃないか……。一度も真正面か見つめたことがなく、怖いから、苦しいからと逃げ続けていたじゃないか。グータラして、お菓子を食べて、本を読んで……ずっと『人種』のことを考えないようにしていたじゃないか。人種に会えば嫌でも考えさせられるので引きこもっていたじゃないか。


 もう随分と時間が経ったし大丈夫だろう――そう考えて引きこもりをやめたが……時間でなんか解決などしなかった。



「確かあの時は……目を逸らさないで悩み続けなさい。時間がありませんでしたし、そうとしか伝えていませんでしたよね」

「あぁ……だけど……それは出来なかった」



 『(にせもの)』が邪魔してどうしてもダメだったのだ。『人種を殺したい』どうしてもそう思ってしまう。

 だからヘレナはすごいって思った。自分の破壊衝動を自覚して……それを忌々しく思いつつ、ちゃんとそれと向き合っているのだから。

 普通目を逸らしたくならないか? 汚くて汚くて仕方がないそこを……。たしかにヘレナとわたしの『罪』の比重は大きく違う。でも……快楽に身を任せたのは間違いはないのだ。


 いつ人種を手にかけたくなるか分からない。ヘレナはその恐怖とキチンと戦えている。

 対してわたしはどうだ? 『特別』な魔種だからこそ、ずっと人種を殺したいって思い、それを当然のことのように受け入れてしまう。だけどそれはしたくないと『(ほんもの)』は叫び声をあげる。その声を聞きたくないからと、わたしはずっと耳を、目を塞いでいた。聞こえれば狂いそうだから……見えれば殺してしまいそうだから……。

 お酒はいいものだ。酔えばその声も聞こえなくなるし、耳元で永遠に響くあの『声』も聞こえなくなる。


 そうやって……ずっとわたしは逃げていたのだ。美味しいものや面白いことを追い求めるのも……それのためだ。



「わたしは……! わたしは……ダメだったんだ」

「…………」

「なぁ……貴女は慈悲深い女神様なんだろ? ならさ……」



 終わらせてくれ。そう言おうとした口をそっとアレイシアの手によってふさがれた。そして彼女は泣きそうな顔になりながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。



「あなたはたくさんの罪なき人種を殺しました。わたしは……まだそれを許してはいません」

「っ⁉︎」

「その罪から逃げようとしていたのも……知っています」



 苦しそうに言葉を出すアレイシアはですが、と話を続ける。



「それすら出来ずにあなたがずっと苦しんでいたのも知っています」



 閑散とした公園に寂しくそんな声が消えていく。

 また、そっと抱きしめられたことで今どんな顔をしているのか……わたしからは全く分からない。

 わたしを抱きしめるアレイシアの声が少し後ろから聞こえる。



「だから……わたしはまだ許しませんが……その『償い』は認めましょう」



 まだまだですけどね〜と明るい声で茶化すけど……その優しい声は酷く……心に染み渡って行ってしまった。


 しかし、まだわたしがしがみついているのを感じたアレイシアはうふふんと楽しそうに笑う。



「ますます子供っぽく――」

「黙れ……」

「いてて……。ちょっと、泣いているまま殴ってこないでくださいよ〜! って、あ、謝ります! 謝りますからぁ!!」



 背が伸びないのは本当に悩んでいるのだ。周りはみんな大きくなっていって……一向に成長しないわたしはみんなにおいていかれている気がして……だから気にしているのだ。


 アホなことを言ったこやつの腹を何度かぼかぼか殴り、そして力を抜いて身体をこのアホに預ける。



「ふふ。そんなに疲れていたのなら、こうして誰かに寄りかかればよかったじゃないですか。ほらあなたの腹心とかヘレナさんとか」

「……るっさい。そんなこと……出来るわけないじゃん。これはわたしだけの『罪』だよ。……誰かに背負ってもらっちゃダメなんだよ」



 あの子たちにまでこの『苦しみ』を味合わせたくないのだ。また、自分の責任で出来たものだ……それを誰かに、なんて……。身勝手にも程があるじゃないか。それに、弱っているところなんて見せたくもなかった。



「でもわたしには寄りかかるんですね。あれ? アリシアってもしかしてわたしのことめっちゃ信頼してくれてる?」

「茶化すな……このアホ」

「な⁉︎ 言うに事欠いてアホですか⁉︎ 訂正してください‼︎」

「お、おいそんなに力を込めんなって⁉︎ く、苦しい……」

「あ、ごめんなさい」



 そう言って腕の力を抜き、わたしから体を離そうとするが、クッとアレイシアの背中に腕を回してそれを止めた。



「あ、あれれ? やっぱり寂しいんですか〜?」

「ちっがう! お前にこんな顔を見られたくないんだよ!」

「はぁ……つれませんね……」



 うっせ……元々は全部お前が悪いんだ。『心』なんていらない……いらない、モノなんか……押し付けたから……。

 ……大切と思えるものをもらったからこそ……こんなにクチャクチャになっているんだよ。



「まぁ分かっているんですけどね。こうしてくれるのは……わたしがきっかけだから、ですよね?」

「……そうだよ。分かってるんならあんなこと言うなよ……」

「あはは〜癖なんで仕方がないですっ。もしかしたらって思ったんですよ」



 もし……もし何を思ったのだろうか。わたしにはそれが分からないが……アレイシアが悲しそうなのが分かる。いや……わたしをかわいそうに思っているのが……分かる。



「知ってますか? 人種って支え合って生きていくんですよ」

「……それが?」

「ふふん。あなたも随分と鈍くなりましたね〜」



 そう言ってもったいぶって先を話そうとしないので、ボスッと軽くお腹にパンチを入れ催促する。

 すると少し咳き込んだあと、囁くようにこんなことを言ってきた。



「楽しいこともつらいことも……嬉しい時もつらい時も……共に支え合うのが人種……なんです。わたしは……そう願っています」

「……だから、何が言いたいのさ」

「はぁ……恥ずかしいので言いたくないんですけど」



 アレイシアはそこで一息区切って、確たる声音で先を続ける。



「それは魔族であっても、そうであって欲しい……そう思っているんです。それでいつしか両者が……ってね〜」



 その優しく紡がれた言葉はわたしの頭の中をいっぱいいっぱいにさせる。こいつは……最大級のお人好しだ。お人好し、なんて言葉では足りないくらいのそれだ。

 アレイシアの『願い』はヘレナのそれよりもよほど傲慢だ。『みんな』が幸せに……二人ともそうは言っているが、ヘレナのそれは『人種』に限った話だ。しかしアレイシアのそれは『魔族』も含めた『みんな』なのだ。


 なんて傲慢で無茶な願いだろうか。分かり合えないと……そう分かっているはずなのに、それでも諦めないなんて……。



「だからアリシアもそんなに辛かったのなら支えて貰えば良かったのですよ。あなたは支えになっているっていうのにね」

「は……?」

「ルミエさんやカレンさんなどの腹心たち、そして最近ではヘレナさんもですね。そうそう、今の勇者たちがいる世界では人を『人』って書くらしいです」



 そう言って、アレイシアは器用にわたしの視線の先に『人』と言う文字を魔法で投影させた。

 見たことない字だなぁとボケ〜と見ていると、ぽんぽんとアレイシアが肩を叩いて話し出す。



「これは一人の『ひと』と『ひと』が支え合うのを表した文字らしいです。『支え』って、こうして互いに協力し合わないとダメなんだと、そう思います」



 だから沢山の者を支えているあなたは、寄りかかってあげないと。そう優しく……とても優しくアレイシアは声をかけてくれる。



「そんなこと……」

「出来ない。ですか? まぁそうでしょうね……。これまで独りでしたし……。なら……今日から頑張ればいいんですよ。試しにわたしに寄りかかってくださいよ」



 そんなの……そんなことをわたしに出来るはずが――



「うふふん。出来るに決まってます。わたしが保証しますって。あなたが敵わないって思ってくれている……わたしが保証します」



 あぁ……だからわたしは勝てないんだよ……。だからお前にだけは敵わない。ほら、だって……だってさ、どうしても頰を伝うものを止められないんだからさ。


 そうしてわたしは泣き止むまでアレイシアに抱きついたままだった。


 ふうぅと優しい春の暖かい風がわたしの頬を撫でる。柔らかいその風は……今までで一番気持ちのいい風だった。

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