48話 おもい扉 (sideヘレナ)
コツ、コツ、コツ、木製の床を打つ足音が校舎の中に二つほど響いていた。前を歩く私はアリシアがどこかへふらふらと行かないように注意を払いつつ、緊張で鼓動が早くなってしまわないように深く息をのむ……。
今向かっているのは学園長室だ。どうにかして休みをもらえないか……それを相談しに行くのだ。ただ……それは正直了承されないだろう……。だから、お昼に少しだけ外に出られるように交渉したい。
お昼に魔物を狩って、それでそのお金をお母様に渡す。そしてスラムの人たちに炊き出しを……。
アリシアに言われた通り……私のやっていることはいつか破綻する。それに、以前までは気にもしていなかった人たちだ。たしかに自分の領地のことで手がいっぱいだったからだけど、今さらいい顔をしようなんて……少し虫が良すぎるのかもしれない。
でも……でも、昔と違って私には『力』がある――アリシアにもらった『力』が……。それに、気まぐれだろうけど、まだアリシアがそばにいてくれている。私が本当に困ったら……そのときはきっと……きっと力を貸してくれる。
そんなことは身勝手な『願い』と言うのは分かっている。一方的で独善的で……酷く浅ましい……そんな愚かな『願い』だけど……。それでもそう願ってしまう……。
これは私の『弱さ』なのかもしれない。アリシアなら私なんかより上手くことを運べるのだろう……。彼女からすれば私のしていることなんて、子どものままごとのように見えるのかもしれない。
私がしていることは『救い』がないことだ。スラムの人たちを『救いたい』と炊き出しをしているが……それはただの現状維持にしかならない。
たしかにご飯は食べられて『死ぬ』ことはない。しかし……彼らには『自分』で自らの糧を得る手段がない。もし、私が炊き出しをやめれば……それだけで以前の状況に逆戻りだ。
そんな暗くなる思考を助長するかのように廊下には私たちの足音しか聞こえない。
もうここは学園長室に近い。最上階だし、一般生徒や用事のない教師はここまで来ない。教室などもないためすごく静謐としているのだ。
魔道具によって灯りが灯されているこの長い廊下の先……そこには重々しい両開きの扉がある。
あの中には学園長がいる。そのお方は『公爵』の位を持ち、本来私なんかの低級貴族が会えないような人物だ。しかし、私は一応学園の教職員なので会えるには会えるのだ。
公爵様は穏やかな方なので……他の貴族と違って出会い頭に笑われることもないのだけど……それでも『公爵』というのにはすごく緊張する。正直……ものすごく会いたくないのだ。
でも……だけど……それでも、私はスラムの人たちを見捨てるなどしたくない……。一度は見捨ててしまった……。私はいつもこうだ……。自分の領が大変だからと彼らを見なかったことにし……その次は自分の領からさえも……目を逸らしてしまった……。
私はアリシアと出会って……『力』を得て……償いの機会を与えてもらった。そして今度はその『償い』を言い訳に……また『彼ら』を見捨ててしまうのか?
――そんなことは絶対にしてはいけない。
繰り返しだ……。『彼ら』を見捨てれば……繰り返してしまう。また目を逸らしてしまうことになる……。
だから私は『何が何でも』彼らを見続ける。例えそれが間違っていようと……どんなに愚かだとしても……『仕方がない』で片をつけるわけにはいかない。
はたから見ればきっとすごく惨めなのだろう。無駄なことを……そう笑われるかもしれない。それでも……それでも私は見捨てない。それこそアリシアにみっともなく縋り付いてでも……救ってみせる。
何一つ欠けさせず……笑顔で明日を迎えたい。そのためなら私は――アリシアに命を差し出すのにも躊躇いはない。
「ここが今日の目的地?」
「……はい」
固く……強く心を持つ。目の前には大きな大きな扉。あぁ……これはとっても重そうだ。だけど……こんな重い『扉』はこれから……これからの道にはいくつもある。そしてそれらを私は開けていかなければならない。いくつもいくつもいくつも……私はこじあけることになる。
さて、今日はその記念すべき1枚目の『扉』だ。
「ふぅ」
ゆっくりと深く息を吐いて乱れている心を落ち着かせる。すると扉に触れていた右手に、小さくて……とても温かい左の手のひらが重なる。ふと隣を見てみると、柔らかい笑みを携えたアリシアがいた。
手に手を重ねられた……。たったそれだけのことで……不思議と私の心は波一つ立っていないような平静になった。あれだけ乱れていたのにとても……とても……落ち着いた。
あぁ……アリシアはすごいです。貴女は本当に『魔族』なのでしょうか。私には……貴女が『神さま』のように思えますよ。
先程までは手のかかる子どものようだと思っていた彼女はそこにはいない。今のアリシアは心強く、とっても温かみのある最高の『魔王様』だった。
「ありがとうございます。……それでは、行きます」
コンコンコン、力が入らないように気をつけて三回扉を叩き、自分の名前をそっと口に出す。するとほどなくしてどうぞ、と中から声がかかった。それを確認した私はもう一度深呼吸をして、そして扉に手をかける。
私には見守ってくれている『王』が側にいるのだ。そんな彼女には……見っともない姿を見せたくはない。……いえ、今までのことは見なかったってことでおひとつ……。お願いします……本当に……。
そして今、始まりになるであろう『扉』を開く。たった一枚……一枚だけだが、それでも大きな進歩だ。なにせ……以前までの私ではその『扉』すら見つけることができなかったのだから。
「失礼します」
さぁ……頑張りましょう。相対するのは威厳のある風格を醸し出す立派な白い髭を生やした老人。しかし彼は『公爵』だ。公爵の前に『元』とつくが、その権力は今もなお健在だ。そして、年老いても衰えを見せない何かを秘した眼光は……流石といわざるをおえない。
はじめの挨拶が肝心だ。そう、肝心なのだ。舐められないように……しっかり前を向いて……それで意思を強く持って……さぁ行こう!
「が、がくえんひょうひゃま! お、お願いがありまひゅ!」
「はぁ……やはりヘレナか……」
う、うるさいです! 仕方がないじゃないですか! これは生来のものなんです! だって元とは言え『公爵』様ですよ? 無理に決まっているじゃないですか‼︎
私の記念すべき第一歩はこうして幕を開けた。
え、えっと……わ、私だってもっとカッコよく決めたかったのですよ? で、ですけど……ね? だ、だからそんな可哀想な子を見る目で見ないでください! ア、アリシア、ほ、本当にやめてください〜! 胸が、胸が痛いです〜!
***
「…………。まぁそこにかけたまえ」
学園長は呆れ顔をしつつ、私たち二人にそう声をかけてくる。学園長が指したのは高級な魔物の革を使っているであろう長椅子だ。その値段と壊してしまわないかに恐々としながらゆっくりと腰を下ろす。アリシアがドサッと勢いよく座ったのに恐れおののいたが、意外と学園長はなにも言ってこなかったので一安心する。
「それで……君は私に願いがあるとのことだが……。まず、そこのお嬢さんはどなたかな?」
学園長の位の高い貴族特有の話し方にはやはり慣れない。ゆっくりとしていて余裕をみせる。それでいて私は嫌でも『下』だと思わせられる堂々たる態度。口から出る一言一言が重々しく、ズッシリと体に重しが乗せられるような錯覚に陥ってしまう。
そんな重々しい言葉を受け、私は身を縮こませそうになるが……隣にどっしりと腰を下ろしている彼女の手を握り、震える口をなんとか動かす。
「こ、この子は……その……旅の際に私を護衛してくれていた方です」
「ほう」
スゥっと目を細め、学園長はアリシアのことを上から下までじっくりと見る。するとそれを不快に思ったのか、アリシアも目を細めて口を開く。
「ねぇ、初対面でそんなに見ないでくれるかな? そんだけ生きてて気づかないの? ウザいよ、君」
「ア、アリシア⁉︎ ほ、本当にそういうこと言わないでください! 私の首が、首が吹っ飛びます!」
「あはは、ないない。もしそうなっても、私がヘレナの首を飛ばそうとしている奴を消すからね」
ちょ⁉︎ じょ、冗談でもそんなことを言わないで下さい⁉︎ 貴女ならしかねないから怖いんですよ! そ、それになんでそんなにちょっと楽しそうなんですか⁉︎
謝ってください、学園長様に謝ってください。そう言ってアリシアの肩を激しく揺さぶっていると学園長から静止の声がかかり、大人しくそれに従ってアリシアの肩から手をはなす。
学園長はその立派な白い髭を触りながら、面白そうにアリシアを見る。
「そなたは私が誰か分かっているのかね?」
そう聞かれたアリシアは一応考える素振りを見せるが……どう見ても考えていないのは明白だった。どうせめんどいなぁとか考えているのだろう。
これ以上学園長に失礼なことはできないので、アリシアに答えてもらうように小声で頼む。
「アリシア、答えてください。お願いします」
「え〜めんどいし……」
「お ね が い し ま す!」
力強くそう言うと、しぶしぶながらにもアリシアは学園長に向かって口を開いてくれた。
「わたしは君のことなんて知らないし興味もない。ヘレナよりも『位』だけは高いんだなぁ〜としか君については思っていない」
「そなたは……私を愚弄しているのかね?」
「ん? していないよ? わたしって大体の初対面の相手にはこんな態度だよ?」
当然のこと、と気にもせずアリシアは言うが、学園長は……ちょっと頭にきかかっている。こめかみがピクっと動いて本当に怖い……。お願いします……抑えて……抑えて……!
「私は息子に当主の座を譲ったが……それでも『公爵』家の人間だぞ? それを知って……なおその口を改める気はないか?」
重々しくそう言い放ち、学園長は鋭い目つきでアリシアを見据える。しかしそんなことはなんのその……アリシアは変わらずに自分を突き通していた。
「で? なに?」
「……なに、とはなんだ?」
「言葉のままの意味だよ。君が『公爵』なのは分かった。で、それがどうだと言うのさ」
学園長の身も竦むような話し方の中、そうやって堂々と言える貴女は本当にスゴイですよ……。いえ、魔種でありその頂点である魔王様にはちっぽけなものなのでしょうけど……私からすればすっごく怖いのです……。
アリシアの言葉を受け取った学園長はさらに……さらにその自尊心を高め、傲慢さを身にまとって言葉を出す。
「そなたは今ここで処刑されても文句は言えないのだぞ? 貴族、それもよりによって『公爵』家に連なる私を愚弄しているのだからな」
や、ヤバイです。たしかにアリシアの出す魔力の方が怖いのですが……やはり苦手意識頂点のこの雰囲気は耐え難いです……。
しかしアリシアはそんな中でもなんらいつもと変わることはなく……その風貌からは予想できない風格を醸し出していた。
「だからなに? そろそろ『お前たち』は気づくべきだ。『狭い世界』でおままごとをしているだけに過ぎないってさ」
「…………」
「ん? 反論なしか」
つまらないなぁと呟きながら、それでもなお言葉を続ける。
「たしかに君はその『狭い世界』では『偉い』のだろう。だけどさ……だけどね? わたしからすれば……」
そんなのは儚いものでしかない。ボソッと呟かれたその言葉は……この静かな空間においてはしっかりと耳に入るだけの声量があった。
彼女が言った『儚い』の意味。……学園長には分からないだろうが私には分かる。彼女はこう言いたいのだ。
――いつでも壊せてしまう。
アリシアがその気になれば一瞬のうちにこの王国は滅ぶだろう。いや……滅ぶ。それも跡形もなく……どうしようもないくらいに……『全て』が無くなる。
彼女がいつものように腕を振るえば……それで『全て』が終わる。あぁ、彼女が腕を振るうのは私に『魔法を使った』と分かりやすくするためだったか。なら、意識がそれに向いた瞬間――地位も名誉も……金も威厳も……何もかもを無視して『終わる』のだ。
「私は……私は!!!」
気付いた時にはそう叫んでしまっていた。突然のことに学園長も珍しいくその表情を変えている。それが目に入ってしまい、ふっと頭の中が冷え切った。
私は学園長の……公爵様の前で叫んでしまったのだ。失礼に当たらないか……。身体を震わしていると、ふわっと私を何かが包み込んだ。
「ヘレナ……わたしは君に期待している。あいつが作った世界を……人種を……これ以上嫌いになりたくないからね……」
あぁこの暖かさは少し前に感じたことがある。ぽかぽかと……まるで陽気なお日様の柔らかい日の光に包まれているような……そんな暖かさ。前は自分がバケモノになってしまう恐怖を包み込んでくれた。そして今度のは……果たしてなんなのだろうか。
「アリシア……」
ギュッと年甲斐もなくアリシアの小さな背に手を回す。
落ち着くのだ……すごく、落ち着くのだ。母のような抱擁は……私に絶対的な安心感を与えてくれる。
「君はもっと誇っていい。なにせ、『わたし』が認めたんだ。それこそ、そこの公爵とやらよりも……ずっと……ずっと素敵な人種なんだよ」
そう言ってなだめるように私の頭をそっと撫でる。だけど……だけど私はそんなことを言ってもらえるほど……キレイじゃない。
今こうしている間にも耳元で見えない『誰か』が囁くのだ。
――二度も見捨てたじゃないか。
――お前は人殺しで快楽を得るバケモノじゃないか
それに嘘偽りなどなく、全てが真実だ。私はちっとも『素敵』なんかじゃない……。私は……私……は……。
「君はそれでも『素敵』なんだよ」
「!!!!」
「あはは。君がそうやって思い悩む姿はキレイだと思う。君のバカのような志も……まぁアホらしくは思うけど、君らしくていいんだろうね」
そんな、こと……。だ、だって私は――
「たしかに二度、君は見捨てたのだろう。血に興奮してしまうのだろう。だけどそれを忌めるのはいいことなんだ。…………わたしにはそれすらできなかったからね。……今でも出来ないけどね」
あぁ、そうだ。そうだった……。アリシアが『心』授かる前までは……彼女は私のあり得た姿だったのだ。そしてそれは彼女にとって消し去りたい過去なのだろう。しかし、聞かされた『魔種』としてのその本分からは外れていない……。『悔やみたい』と『何が悪い』、彼女はその二つの気持ちが混同している。
「わたしは君のその『綺麗』な心を尊重する。混じりっけないそれは……わたしが一番欲していて……それでいて絶対に手に入らないものだからね」
「ア、アリシア……」
「うふふん。だから自信を持って誇っていいんだ。誇らないとダメなんだ。そうじゃないと『こい願う者』に失礼だからね」
そう言う彼女の声はなんだか潤んでいた。欲しいもの……。
ずっとずっと追い求めていたもの……か。私にはそう言ったものは……残念なことにない。お金……は必要だから欲しいわけで、彼女のような『本物』ではない。
だから私に抱いている彼女の『気持ち』は分からない……。だけど……だけど何故なんだろう……。何故……私はこんなにも悲しく思うのだろう。
「ア、アリシア……」
頭の中がどんどんどんどん熱くなっていく。分からない、分かりたい、分からない、分かりたい……分からない。
そうやって思考の渦に入り出そうとした時――
「おっほん。そこまでにしてくれたまえ。流石に目のやり場に困るのでな」
そんな声がかけられ、今更ながらここがどこで誰がいるのかを思い出してしまった。
「うひゃい⁉︎」
改めて認識したことで、先程とは違う意味合いでカァーっと頭に熱がこもる。
わ、私は……よ、よりによって公爵様の前でこんなにも見っともない姿を……。
そうやって身悶えしていると、私から腕を解いたアリシアは何事もなかったように学園長に顔を向ける。
「で、どう? どう思った?」
「………そうだな」
や、やめて‼︎ こんな痴態を他人に評価させないで下さい‼︎ どんな嫌がらせですか⁉︎ 最悪にも程があります!!!!
しかしそんな思いも虚しく。目を伏せていた学園長は顔を上げ、言葉をゆっくりと紡ぐ。
「おもしろい。そう思ったな」
「ふふ、そうでしょ〜」
おもしろい……おもしろいってなんですか……。おもしろいって……。
もう私は力なくうな垂れるしか出来なかった。




