19話 当たり前 (side ヘレナ)
――アリシア。
果たして彼女の名を知る者は私以外にいるのだろうか……。
多種多様で意味がわからない強力なスキルを持ち、身体能力も信じられない程に高い。普段はおちゃらけているが時々理性的な顔を見せ、戦闘になると圧倒的な力で相手を捻り潰す。そして先ほど人間を相手にすると底冷えのするような笑顔で蹂躙してみせた。
あの時に黄金の髪の隙間から見た表情……。それは夢に出てきそうなくらいには怖かった。
アリシアの瞳は普段は透き通った青色でとても綺麗だけれど、盗賊たちを返り討ちにしていた時はその瞳に一切の光がなく、ただ濁っていた。そしてゾクッと寒気のするくらい艶かしい表情を浮かべ、とても嬉しそうな声を上げ、その容姿からは想像できないほどの腕力で男を吹き飛ばしていた。それもただの木の枝でだ。
私はアリシアのことが全く分からない。彼女を例えるのなら雲だろう。つかみどころがなく、ころころと表情を変える。知っている人などいるのだろうか……知っているのなら誰でもいいから教えてもらいたいものだ。
だからなぜこんなことになってしまったのか、知る者がいるならさっさと出てきて欲しい。
アリシアがスレクラットに来てから、久々の屋台にとても興奮してキョロキョロとしていて、あれはなに! と腕を引っ張りながらアリシアは楽しんでいた。
しかしそんな彼女が一転して低く震えた声であれはなに、と尋ねて来た。指差す方を見るとただの奴隷商だったので、これも知らなかったのかなと不思議に思いながら当然のように答えた。
するとアリシアは突然頭を抱えて震えだし、何か恐ろしいことを言いながらも立っていられなくなってしまったのか私に倒れかかってきた。どうしたんだとあたふたしているうちに彼女がおとなしくなって、落ち着いたのかと見てみれば彼女は意識を失っていた。
私はその場で深い思考の海に入りそうになったのだが、アリシアをこのままには出来ないだろうと思い至り近場の宿屋に行くことにした。
アリシアをベットの上にひとまず寝かせ、先の奴隷商でのことを思い返す。
なぜアリシアがああまで奴隷に反応したのかがまず分からない。そもそも奴隷は生まれた頃から普通にあった。常時金欠の私の家でも買ったことがあるように、貴族の社会では奴隷は使い勝手のいいものとして当たり前のことだ。それは平民にも言えることで、いい働き手や欲求の発散などで買う者がいる。冒険者などは戦力として買うこともある。
それほど『奴隷』など普遍的なものなのだ。だからなぜ彼女があんなに取り乱したのかが分からない。始めて奴隷商を見た者が怖がることがあるが、そのほとんどが子供の頃であり、成長して行くにつれて怖がることがなくなる。
そしてアリシアのあの乱れ方はそういったものたちとは違った。恐怖もあったのだろうが、一番彼女の頭を埋めていたのは『怒り』だった。
だからこそ私には何故なのか分からない。『恐怖』ならまだ過剰反応かなと思える。けれどアリシアは『怒り』を表した。盗賊のときとは比べ物にならないほどの威圧を彼女から受け、しかしそれはどこか怖くなく、悲しみがそこにはあった。
本当に分からない……。何に怒って、そして悲しんでいたのか。
意識を失っているからこそ眉間に少しシワを寄せる程度なんでしょうね。
「貴女は何を考えているのでしょうか……」
声をひそめて言い、アリシアの頭をそっと撫でる。
奴隷となる者は様々だ。先の盗賊たちのように一定以上の罪を犯した者や借金を返せなかった者、口減らしとして売られた者、……そして奴隷狩りにあった者など。もっとも、一番最後のは表の市場では売られることはなく、裏で捌かれる。もちろんこれは罪だ。
そういった過程はあれど、奴隷となった者は調教師から厳しく躾けられる。調教を受けた者は主人に――引いては奴隷ではない者に逆らえなくなるようになる。確かそれを補助する魔道具がある。それのおかげて躾が楽になったらしい。
そして奴隷の用途は様々だ。使用人に働き手、性処理、少し非道な使い方となれば魔法の試し打ちに武器の試し切り、肉壁など。ただ貴族くらいしかそういったことはしないが……。
苦しそうに眠るアリシアは『奴隷』を見て何を思ったのでしょう。
「慈悲、救済、不快……ダメですね。全くわかりせん」
いくつか声に出してみるもしっくりと来ない。
アリシアはあれでもかなり優しいのだろう。その優しさから奴隷たちを救いたいと慈悲を持ったのか、それとも奴隷たちを不快に思ったのか。そう考えてはみたものの、それではあの心の奥底から沸き立つような『怒り』の説明にならない。
だからこじつけかつ『怒り』から連想していくほうが核心に迫れるでしょう。
何故怒ったのか――奴隷が原因だ。
奴隷自身に問題がある――優しい彼女のことだそれはない。
なら問題は奴隷以外――アリシア自身か、人種。
どちらか――まあ人種か……。
だったらなぜ――
「……分かりません。分かりませんよ……当たり前なことです。無くてはならないものなのです」
言ってて余計に分からなくなって頭をくしゃくしゃとかきむしる。
奴隷はいい反面教師なのだ。誰しもがああはなりたくないと思い必死になる。そして奴隷は労働力としても非常にいいのだ。何せ言いつけたことは絶対に守るのだ。便利で色々な場所で使われているため、なくなってしまえばこの社会は成り立たなくなるかもしれない。
借金で奴隷に――そうしなければ金貸しが借金を回収出来ない。
口減らしで奴隷に――そうしなければ飢えで一家族が死ぬ。
犯罪で奴隷に――いちいち重い罪の者を殺すのはもったいない。
2番目を除いた他は見せしめの効果もある。
犯罪を未然に牽制出来るし、金貸しに頼らないように日々努力する。
奴隷となった者にはちゃんと理由がある。極限の状態にいる家族をたった一人で救えるため。怠慢ゆえ。自分勝手な行動ゆえ。
確かに攫われた者たちには同情はするが、その他についてはその余地がない。
ちゃんと『理由』があるからだ。そういった者たちが奴隷となることのどこにおかしなところがあるのだろうか……。
……そういえばアリシアは奴隷を全く知らないようだった。
しかしそれはあり得ない、普通に暮らせば必ず目にするはずだ。それに彼女は私よりも長く生きているのではなかったか? 不死の祝いとやらで死ななくなったとか……。
そんな彼女が『奴隷』を聞いたことすらないというのはいささかおかしな話だ。確か初めてあった時、アリシアは『迷子の旅人』をしていると言ってはいなかったか?
旅をしているはずのアリシアは一体どこを旅しているのだろうか……。あの性格上街に寄らないなんてことはまずあり得ない。
なら彼女の言った『迷子の旅人』というのは『嘘』なんだろうか。それが『嘘』だというのなら初めから――初めてあった時から『嘘』をついていたということだ。
なら一体彼女の『本当』は――
「……いいえ、今はそれを考えていたのではないですね。脱線はダメです。…………」
頭を振って思考を切り替える。今大事なのはそちらではない。
アリシアは奴隷を知らなかった。ここまではいいが、多分奴隷となった理由さえ知らないのだろう。
だからこそ非道なことを当たり前のようにしている人種を見て怒ったのだろう。
確かに事情を知らずにあの檻を見れば怒るのかもしれない。
アリシアには常識は通じない。そもそも彼女は常識をたぶん知らない。知っていたら自身の使うスキルがいかに異常なものなのか分かるだろうから。
私の中でようやく結論らしい結論が出ると、うぅ、といううめき声が聞こえ、アリシアの方へ目をやるとゆっくりと目を開けているところだった。
「大丈夫ですか? 突然倒れて心配しましたよ」
「……あぁごめんね。驚かせちゃったね」
身を起こしながらそう言うアリシアは何か深く落ち込んでいるように見えた。口調もいつもみたいな元気が無く、ズンと沈んだ声音だった。
「どれくらい寝てた?」
「えぇーっと、せいぜい数十分程度ですよ」
「そう、前程ではないのが救いだね」
アリシアは前髪をかきあげ、そのままの形で固まる。
どうやら奴隷のことを考えているらしい。ブツブツと聞こえる言葉が怖い……。
ひとまずかそんな彼女にはキチンと説明したほうがいいだろう。
「アリシア聞いてください。奴隷のことをについてお話しします」
「…………分かった、話して」
深く、重く、虚偽は絶対に許さないと、言われた言葉だけで分かってしまう。
だから私は姿勢を正し、しっかりと深呼吸をして、そしてゆっくりと間違って伝わらないように『奴隷』のことを話す。
**
私の話を聞き終えた彼女はフッとせせら笑い、バカだとそう言った。
「本当に人種はどいつもこいつも、いつでもどこでも汚い」
「ア、アリシア……?」
奴隷のあらましを知ったアリシアは私に見せたことのない表情を浮かべ、心底軽蔑する視線をここにはいない誰か――いや人種に向けている。
ふと私は暑くもないのに、ほおに汗が伝うの感じた。
怖い、恐ろしい……。今までに危機的状況に何回かあってきているが、それのどれ以上だと思う。
アリシアはまた前髪をかきあげ、うつむく。
「なぁヘレナ。君はあの子たちのことをどう思っている?」
「わ、私は……」
それはただの質疑応答だ。だけどこの圧迫感はなんなのだ…… 。答えを間違えたら死ぬ。そうとしか思えない。しかし答えなくても殺されてしまいそうだ。
彼女がその気になったら一瞬のうちに塵も残さず消し去られるのだろう。
私はその恐怖のあまり息が荒くなり、肩で呼吸するようになっていた。
それを見かねたのか、アリシアが冷たい声をかけてくる。
「怖がる必要はないよ。なにを勘違いをしているのか分からないけど、ヘレナがどう答えたとしても何もしないよ」
言われて、落ち着こう落ち着こうと何度も何度も吸っては吐きを繰り返し、ようやく安定しだして聞かれたことを途切れ途切れに答える。
「わ、私は……奴隷は必要、だと思います」
「ふーん、なぜ?」
冷酷に見つめる青い瞳にビックっと肩が震え、しかしそれでも言わなければならない。
「あそこで売られていたのは、正規の手順で奴隷となった者たちです。借金のかた、口減らし、罪、その他……。奴隷は労働力に最適で、犯罪発生率も下がります。見せしめにもなります。それに奴隷という制度があるおかげで救われる者がいます」
回らない頭で必死に考えた答えだ。全部が本心。隠しても偽ってもないものだ。
彼女はどんな反応を返してくるのだろうか。
「……自己利益のためね。ヘレナのことだからそれが一般的な考えなんだろうね。だからこそ本当にバカらしいよ。私はどれだけ人種に落胆させられないといけないのかな? 腐りすぎだよ」
「な、何がそんなにおかしいのですか⁉︎」
くすくすと嘲笑うアリシアに、つい大きなこえが出てしまった。
何せ『当たり前』のことなのだ。『常識』を知らないのはアリシアの方だ。この社会に染まっていない、染まるわけがない『彼女』にそうやってバカにされる理由がない。
おかしいのは人種ではなく、アリシアだ。そうやって嘲られるのは常識知らずのアリシアのはずだ。
「おかしいのは貴女です! 奴隷さえも知りさえしなかった常識知らずでしょう!」
詰め寄ってそういうも、アリシアはフッと笑い、私の手を払いのけ見下すような視線を向けてくる。
「あぁ、確かに常識知らずだよ。長年引きこもってたからね。ここのところの『お前ら』を知らない。あの時にばっちいものを見せられて気分が悪かったからね」
淡々とそう言い、でもねと継ぐ。
「『お前ら』の汚さだけは知っている。ただ奴隷の件は大多数の『お前ら』は仕方ないかな、とは思う。そこは訂正しよう」
「ど、どういうことですか……」
目が怖い、声が怖い、小さな体から放たれる威圧が怖い。だけど目をそらしてはダメだ……それだけはダメだ。何故か? そんなことは分からない……だけどダメだということだけが分かっていた。
「奴隷はかなり昔からあったんだよね? なら奴隷は『お前ら』の生活の中に常にあったんだと思う。あってるよね?」
「え、えぇ……」
「生活の中で繰り返し見ること、聞くことでその存在を知る。そしてそれが広まればいつしか『当たり前』となる。『お前たち』はそんな『当たり前』が定着した社会育つことで、常識が身につく。だから個人では悪くない。『お前たち』が悪くはあるのだけどね」
私をまっすぐ見つめそうアリシアは言った。
そして言われたことはキチンと理解出来た。確かに生まれたときから当たり前のようにそこにあればそうなのだろうと思ってしまう。しかもそれが便利で都合のいいものであればあるほどにだ。
いかにそれが汚いものであっても、皆がみな『異常』と思わず『普通』だと思ってしまえばそれが『常識』となってしまう。
私が言われたことに納得したと見抜いたアリシアは話を再開させる。
「常識なんてそんなものだよ。都合のいいようにどうとでも歪められる。いまさら正せなんて言っても仕方ないんだけどね……」
「それは……」
「まぁその話は終わり。確か、わたしが『お前ら』のことについて知っていることは汚さだって言ったよね」
「そ、そうですね」
言うと、アリシアはそっと視線を逸らし、開いている窓に視線を向けた。
「わたしは不本意ながらにも、とあるアホから大切なものを教えられたんだよ。それはわたしの力では手に入らないものなんだよ」
そう言葉にしたアリシアの口調は先ほどと変わり、懐かしむような声だ。
「大事なもの……ですか?」
「うん、後から生まれてきた子たちはみんな持っていたもの。もちろん君たちもね」
言葉の節々を濁しているので分かりにくい、しかしやはりアリシアはそうなんだろう。それだけは分かった。しかしそれを知りたかったのではないのだ。
「え、えっとー。すみません、分からないです……」
聞くと、アリシアは寂しそうな笑みを浮かべ、ゆっくりとした口調で答える。
「うふふん……。そうだろうね。それこそ『当たり前』なものだからね……君たちもあの子達もね……」
言って彼女はいっそう悲しそうな笑みを浮かべ、それはどこか泣いているようにも見えた。
「だけどわたしは持っていなかった。まぁ欲しいとは思ったことはなかったけど、もらってからは一番大切なものになったよ。もちろん食べ物とか以上にだよ」
「……よほど大切なものなのでしょうね、そのもらったものというのは……。それを当たり前に持っているのですよね……どちらも」
アリシアのいう『それ』が分からない。理解できない。人種も当たり前に持っている『それ』は一体なんなのだろうか……。
私はどれだけ考えても考えても答えが出ない。
だけど多分これが本当の『当たり前』なことなのだろう。
意識しなくても知っていること。そもそも『知る』必要がないこと。当たり前に等しくそこにあって、持っていない者が周りにいないからこそ認識が出来ないということ。
知らないけれど知っているもの……。矛盾しているけれど、多分そうなのだ……。
言われたことを私がしっかりと噛み砕き飲み込んで、待ったいてくれたアリシアに、ちゃんと消化したと視線に込めて送る。
すると、それ受け取ったアリシアはボソッと弱々しく言葉を紡ぐ。
「うん、みんなすまし顔で持っていてさ。もらってからだけど、心底羨ましいと思った……。なんでわたしは持ってなかったんだってね。まぁ知っているけど」
そう言うとがしがしと頭をかき、わたしらしくないねー、とおちゃらけて言い、だからこそねと話を続ける。
「それをああも簡単に壊して商品にしている人種は許せないんだよ……! どうしてそんな大切なものを壊せるのか分からない! そんなことができる人種は『それ』が汚れているとしか思えない!」
そのアリシアの必死な言葉は怒りが多く込められていたが、多分それと同じくらいに苦痛も含まれているのだろう。
それだけ彼女には『それ』が大切なんだ。
私はアリシアにかける言葉が見つからず、口をぱくぱくとさせていた。
そんな私の姿を見て、ふっとおかしなものを見たようにアリシアが楽しげに笑った。
「ヘレナったらおかしな顔してる。……ちょっと寝るね。疲れちゃったんだよ。……ごめんね、いなくなってくれてもいいよ」
じゃあね、と言い残し布団に潜り込んですぐに寝息を立て始めた彼女。
アリシアが最後に言った言葉。どう言うことかは分かっている。
私は今までの会話で彼女のことを知った。だから逃げてもいいよと言ったのだ。怖いでしょ? と。決して相容れないから避けてくれていいと。
私はアリシア――彼女の眠るベットに腰掛け、すやすや眠る彼女のことと、彼女の言った『それ』について考えようとする。
だけどそれはやめた。……きっと永遠に答えは出ない気がするからだ。
私はもういろいろあって疲れてしまったのだ。考えるのは明日からでいい。だから私も彼女のとなりのベットで一眠りをしよう。
別の宿に行くのはお金がもったいないですからね。




