天を穿つ闇
飛来する闇の剣はもはや一つの点ではなく、避けきれない面として【天】に降り注ぐ。
はたから見れば黒い空が落ちてくるかと思うほどの大質量をもっていた。
だが当の【天】は、焦ることもなく、旨い肉にありつく前のハイエナのような獰猛な笑みで悠々と歩いていく。
刺さる、もしくは掠ればそのまま闇に侵され消滅。
消滅とはすなわち「死」。
【天】にとっては「死」とは最上級のメシにありつくためのちょっとした味付け程度のこと。
その味が濃ければ濃いほどメシは旨くなる。
【天】は死をも楽しみ、そしてそれを喰らうことで自身の生を実感していた。
実感と言っても、長生きしたいだとか永遠の命が欲しいだとか言うわけではない。
ただ単純に生きるための食事が楽しいのだ。
「異常」
そう言われても否定はしないし、する気も本人にはないだろう。
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そもそも【天】とはいったい何なのか。
それはいまだに誰も……いや、本人以外はわからない。
数十年前のこと。
突然、人間の大陸に現れた謎の青年が一つの大陸を消滅させたところから始まる。
その大陸は、世界の中でも指折りの戦士がいることで有名で、軍事力も相当なものだった。
他大陸との戦争でも負けを知らないことでも有名だった。
だが、そんな大陸も【天】が現れたことで一変する。
たった一晩。
時間にすれば6時間……いや、3時間で軍が、大陸が世界から消えてしまったのだ。
恐ろしく強い戦士も、他の大陸を脅かすほどの軍力や装備も、【天】の前では単なる脆い角砂糖のようなもの。
旨味もなく、「死」や「恐怖」といったスパイスもない。
ただただ甘くて噛み応えのない、口の中で一瞬でなくなる角砂糖と同じ程度。
世界中は混乱の渦に巻き込まれた。
ある者は天災で大陸がなくなったと言い、ある者は軍事実験で消えたのだと言い、各所で様々な憶測が飛び交った。
それからまた数年が経ち、人々の頭からあの大陸のことも抜け落ちてしまったころだった。
【天】が別大陸の都市に現れたのは……
そこで知る。
その大陸の消滅の真相を。
あの恐ろしい出来事が起こった現況が目の前の青年によるものだということを。
人々がそれを知った時にはもう遅かった。
タクトのように指を振るだけで人の首が飛び、ただ横を通り過ぎただけで建物が吹き飛んだ。
逃げまどう人、立ち向かう人、都市の軍、老若男女、建物、草花、木々、すべての者、物を喰らい尽くしていく。
そしてたったの数分でその都市もあの大陸のように跡形もなく消え去った。
すべてが消え去ったはずなのだが……一人だけ、たった一人の男だけが生き残っていた。
【天】が現れてすぐに事の恐ろしさを理解した一人の旅人は、宿にあるすべての私物を放棄して全力で都市の外に逃げたのだ。
逃げ延びたその男は、この天災のような青年のことを何とか世界に広めようと数年をかけてその話を広め歩いた。
その恐ろしさを詩にのせて。
「天災のように突然現れ、すべてを喰らい尽くして消える。残るのは人のいた後も残らぬほど美しく照らされる大地のみ」
それを聞いた世界の人たちは心の底から恐れ、大都市に住む者はそこを離れ、各地に散っていた。
それから数十年と、【天】の姿を見るものはいなかったのだが……
今になり、なぜか人間の側について再び【天】が現れたのだ。
この魔の領地に。
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闇に染まる漆黒の剣に向かい進む【天】は、自身の左腕を肩から引きちぎり、乱暴に振り回し漆黒の剣をことごとく打ち消していく。
「あっはっはっはっは! この血が流れる感覚! 心臓が止まりそうになるほどの苦しさ! 飛来する死が迫ってくる恐怖! 最高だ!!」
「ッチ……このイカレた化け物め。剣の特性に気がついておったか」
闇の剣の特性は二つ。
一つは、触れた対象者は闇に飲まれて消滅するというもの。
髪の毛ほどの傷がつこうものなら、そこから闇が入り込んで、その対象者をこの世から消滅させてしまう。
二つ目は、無機物や相手の能力を透過し有機物にしか作用しないというもの。
簡単に言えば、建物やそれを防ごうとする盾、相手の能力をすり抜けるというものだ。
だから当たるのは生きたものや植物などの有機物なのである。
その二点を理解していればこの技を防ぐ、もしくは避ける方法は限られてくる。
他人を盾にして逃げるか、完全に見切って避けるか、もしくはこの技自体を消す力を使うか。
だが、【天】はそのどれをも選択せず、自身の腕を剣として闇の剣を薙ぎ払っている。
この技に対しては、言わずもがなもっとも効果的だといえよう。
しかし、今後の戦闘のことを考えると、単にその場しのぎの愚かな行為だとも言える。
が、【天】には関係のないこと。
「今」この時、この瞬間が面白おかしければそれでいいのだ。
「ほらほらほらほらほらほらほらぁぁぁ!! もっとだ!もっと死と恐怖をよこせ!!楽しませてくれよ! もっとおまえを喰わせろよっ!!」
「ふんっ。 望みとあればいくらでもくれてやろう。それとな、化け物……我の方ばかり見ていていいのか?」
「ック!!」
正面から迫るものだけではなく、背面や左右からも【天】を中心に囲むように展開されていた闇の剣が降り注ぐ。
「マジか! こんなもんで俺が死ぬかよっ! くっ、くそぉぉぉ!!」
無数に飛来する剣を避けきれず残った腕を切り裂き闇が体を侵食していく。
一つの剣が刺さると、体制を崩していったところにすべての剣が刺さっていく。
すべての剣が差し込まれた後には、真っ黒になった【天】であろう人型の物体がぐずぐずと崩れていく様子が見える。
だが、ザナルはなお消滅を確認しても周囲への警戒を怠ってはいなかった。
そして数秒が経過した頃、何もない大地に向かい口を開く。
「いい加減にしろ。 生きているのはわかっている。我を喰うのだろう?」
すると、ザナルの声に反応して何もなかった大地に小さな花の蕾がひょっこりと姿を現す。
やがて蕾は人一人の大きさまで育ち、一輪の光の花を咲かせる。
咲いた花から、淡い光を放ちながら一人の女性が産まれ落ちる。
腰元まである銀色の美しい長髪、すらりと伸びた足、一目で美しいと言えるほどの臀部胸元、摘みたての桃を思わせるような瑞々しい肌、切れ目に整った顔立ち。
まるで創られたかのような精巧な姿の女性が、空に浮かぶザナルに向かい獰猛な笑みを浮かべる。
「あぁ~、まったくよぉ。 いきなり殺すから転生しちまったじゃねぇかよ。せっかくなんだからもっと楽しもうぜ? っとその前に……今回は女かよ。 まぁ一回も女になったことねぇからこれで楽しむのもいいかもな。 さぁ続きをやろうぜ、さっさと!!」
ザナルは表情に出してはいなかったが、目の前にいる女のようなものに恐ろしさを感じていた。
生きてはいるという確信はあった。
気配も感じていた。
だが、まさか死から蘇ったとは思ってもいなかった。
その姿を見るまでは。
先ほどまで戦っていた青年の姿ではなく今は女性。
そこまでは別段何も恐れるところ、驚愕するところではない。
異質なのは別、また別のところ。
明らかに以前よりも戦闘の能力が上がってると感じられる。
肌を切るような殺気。
目に見えるほどに立ち上がる能力であろう力の本流。
大地をもまるで石ころだと言わんばかりに踏みしめる肉体。
すべてが、先ほどの青年の時のそれを上回っていた。
(我の最後は、ここになるかもしれんな……おまえに渡すはずの命を使ってしまうかもしれんな……すまんラシィル……)
ザナルの脳裏には足元をゆっくりと歩く【天】に引き裂かれる姿が浮かぶ。
(ふんっ……引き裂かれるならば、喰われるならば、せめてこの身を以ておまえを道連れにしてやろう)
「さぁ来い【天】よ。 おまえが飽きるまで我を堪能させてやろう。 ただし、骨一つ残す事も許さんと思え!!」
「いいなぁいいなぁ! カスの一つも残さねぇで喰ってやるよ!」




