コミュ障令嬢の闇
流血描写有り
ふと気付くと、そこは私の部屋だった。
今まで何をしていたのか、どうも思い出せない。
まあいいか。
割り切り、私は聞き流していた声にふと耳を傾ける。
「君は可愛いよ。世界で一番だ。だから、怯えることは何もない。もっと我儘でいていいんだ」
メルがいなくなってから、もう三年になろうとしていた。
あの事件は、未だに私の心に影を落としている。
最近、悪夢を見るようになった。
何を意味しているのか分からないけど、そこでは私はいつも、最後には死んでしまうのだ。
それと、誰かの囁き声が頻繁にあった。
誰かから小さく囁かれることは今までも稀にあったけど、メルがいなくなってからは、はっきりと聞こえるようになっていた。
私を増長させようとする声、私を肯定してくれる声。
声を聞いてると、それでもいいのかな、なんて気持ちになってしまう。
その度にメルのことを思い出し、私は自分を戒めるようにしている。
我儘で、傲慢で、そんな私だからメルは嫌いになった。
あの時の自分に戻ってしまえば、今度は誰が私を嫌うだろう。
お父様?お母様?お兄様?それともクラルス殿下?
それを想像すると、とても怖い。
だから私は、絶対に我儘にはならない。
「行くぞ」
お兄様はいつも忙しい。
今日だって、急に学園から帰って来たかと思うと、何も説明せずに私を連れ出した。
お兄様が連れてきたのは、学園の、美しい庭園だった。
綺麗に整えられたそれに見惚れていると、手を引かれ、私は変な扉の前に引っ張られた。
どこにでもあるような扉、なのに絶対に、お兄様がいなかったら私はこの存在に気付かなかった。
お兄様に背中を押され、私は扉を開いて中に入った。
「...え?」
そこにいたのは、あの人ではなかった。
...あの人?誰のことだろう。
違和感を抱えつつも、こちらに背を向けて立っている人...長身で細身な、夜のような色の髪の男の人に、恐る恐る声をかける。
「あの...?」
「...お前のせいだ」
鮮血が迸った。
硬直。思考が停止する。
振り向いた男の人は、血を流し、空虚な目を晒す。
視線が絡み合い、彼は限りない憎悪に身を委ね、告げた。
「お前のせいでこうなった」
「い、やああああああああっ!!」
男の人...クラルス殿下は、真っ赤な体を、見せびらかすかのように広げた。
一挙一動が、血にまみれて湿った音を立てる。
何故、何で、どうして、こんなことに!?
「お、お兄様っ、お兄様ぁっ!!」
隣で立ち尽くす兄に助けを求め、すがりつく。
「...何故」
「え」
「何故、死なせなかった?」
ぼたぼたと、何かが落ちてきた。
それが頬を滑り、肩に落下する。
頬をぬぐい、目を下に向けると、それはどす黒い赤の塊で、
「死ぬ筈だった私を、何故引き留めた?」
「ぁ、ぁあ、あぁああぁあぁぁあ!?」
殿下と全く同じ形相の兄は、私を腕の中に閉じ込め、囁いた。
私の周りには、一緒にいたかった人達がいた。
家族が、友達が、一緒に生きてきた人達がいた。
その人達が、死に体の皆が、私を嫌い、憎い、死んでしまえと責め立てる。
聞きたくない。でもこれまで見せつけられた鮮やかな赤の光景を前にして、とっくに心は折られていた。
私は、暗闇の中皆に囲まれて、起き上がる力を失い、何も出来ずに啜り泣いていた。
「...これで分かっただろう?君がどれだけ忌むべきことをしたのか」
囁き。
柔らかく耳に入り込んできて、あの人に話し方が似ている。でも声はあの人のように高めではなく、どちらかというと低い。
...あの人って、誰だっけ?
分からない。何も。
「筋書き通りにいかない。それがどんなに恐ろしいか、ボク達がどんなに魂を砕いたか、君には計り知れまい」
そんなの分からない。怖い、怖い、怖い。
「ボクだって、君にひどいことはしたくなかった。君とは長い付き合いだからね。中身が違っても、外身は同じなんだ。親しみを...いや、仲間意識を持っていても、おかしくないだろう?」
何を言っているのか分からない。あなた、そもそも私、誰?
「ボクはね、精霊だから、君の気持ちは理解出来ない。人間と精霊の造りが違うのは当然だ。でも、それでも...君が魔王と呼ばれる存在になって、魔獣を操り、主人公に追い付かれ、果てるその時まで...君を守護しようと、導こうと、精一杯だったのは、本当なんだよ」
精霊、人間、魔獣、魔王、主人公。
よく分からない単語の羅列。
分からない、分からない、分からない。
記憶が、思考が、溶けていく感覚がする。
真っ黒な闇に。
「君は、何も悪くはなかった。ただ、君の側に異世界の魂の持ち主がいなければ、君がもっと強い心を持っていたなら、あの裏切り者に反抗していたら...そう、悔やむよ」
暗い、暗い、暗い。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。助けて。許して。
「今からでも、償うのは遅くないよ。目覚めたら、主人公の言うことに従って、死を受け入れるんだ。それで世界は救われる。君は許されるんだ」
...本当に?
そろそろと顔を上げると、いつの間にかいつも通りに戻った皆は、温かな笑顔で私を見守っていて、視線に気付くと大きく頷いた。
「わ、たし...は...」
「決めたかい」
「私は」
「イリス!」
誰かの声が、した。
「イリス、お前は、俺が...守るんだ!」
また、泣きたくなるくらい強くて優しい声。
知っている。
幼い頃からずっと、その声を聞いてきたから。
「...!そんな、ルナは何をやって...!?」
余裕をなくした囁きの主...闇の精霊の声を無視して、私は立ち上がる。
何故だかもう怖くなかった。
ずっと一緒にいた。昔は私が守って、従わせていた。私が人を信じられなくなってからも、可愛げがなくなっても、彼は私を見捨てずに、私を守ってくれていた。
あるいはそれは同情だったのかもしれない。
でもそれでもいい。それで構わない。
「クラルス!」
名前を呼び、ありったけの力を込めて叫ぶ。
「私を、助けて!」
瞬間、視界が柔らかく穏やかな、優しい光に包まれた。




