必殺料理人
まさか、里菜を保健室に運ぶのを手伝ってもらうだけでそんな結果になろうとは、誰か予想したというのだろうか。そりゃまったく影響でないとは思わなかったけど、痛みによるダメージを想像していたわけであって。……痺れて動けないみたいな面白いことがあるとは思いもしなかった。
「うぅん……ふあぁ」
里菜が目を覚まし、目を擦りつつキョロキョロと辺りを見渡す。
「保健室? ……ああ、負けたのか」
自嘲気味に苦笑する里菜。
「起きましたか。体調はいかがですか?」
桜井先生が誰よりも早く駆け寄る。その後に、僕、隼人、姫野さんはゆっくりと里菜の元へと足を向けた。
「……何回来ても小学生が保健室にいるのかとビックリしますね」
真顔でいう里菜に、
「う~ん、錯乱状態にあるみたいですね。頭でも打ちましたか?」と桜井先生
倒れた際に前頭部を軽く打っていたが錯乱状態にはないと思われる。だって、あんたが小学生だし。
「先生、ドンマイ」
ポンと先生の頭を叩く僕。
「ああ、小学生とは峰人君のことでしたか。なるほどなるほど」
「ちげぇよ! あんたのことだよ!」
「またまたぁ」
一向に認めようとしないとは……。
「いや、二人のことだから」
「黙れ里菜! 僕がお前をおんぶしてここまで運んできてやったんだぞ! 恩を忘れるな!」
「へ、そうだったの。……峰人が私を……」
何故か顔を赤くする里菜だった。この空気は何? キョロキョロとみんなの顔を見回してみると、隼人はニヤニヤ、姫野さんはむぅと口を尖らせ、先生は優しい目をしていた。
不明な沈黙が続く。とにかく空気が重い。けど、何故この空気が発生したのか分からない僕には何も言えない。もっと空気を悪くさせてしまう可能性があるし。
「あの、クッキー焼いたんで皆さんで食べませんか?」
姫野さんが沈黙を破る。その言葉は凄い威力だった。
「姫っちの手作りクッキーかぁ。おいしそうだなぁ」
人差し指を唇にあて涎を垂らす里菜と桜井先生。ほんのり暖かな空気の中、僕と隼人は目で会話を始めた。
『どうする隼人!? このままだと里菜と桜井先生も食べることになるぞ!?』
『ああ、それだけは防がないとな』
『防ぐってどうやって?』
『……保健室での飲食は良くないというところから切り出そう』
『まず桜井先生を退場させるわけだな?』
隼人はコクンと頷き作戦を実行する。
「あの、保健室で飲食はあまり良くないですよね?」
「それもそうですねぇ~。でも私も姫野さんお手製のクッキーを食べたいですし、特別に許可しましょう」
笑顔で権力を乱用する桜井先生。
「えっと、クッキーは教室なので取ってきますね」
「「待って姫野!」」
僕と隼人の声は届かず、去りゆく彼女の後ろ姿を見守るしかできなかった。
『どうするんだよ! 桜井先生を退場させれてねぇぞ!』
『んなこたぁ分かってるんだよ! くそっ! 二人にクッキーを食わせるわけにはいかねぇぞ!』
『だよなぁ。姫野さんのクッキーは二人にはまだ早い。早すぎる! 一枚たりとも、いや一欠けらたりとも与えるわけにはいかない!』
『よし、次の作戦で里菜を追い出そう』
『里菜を? どうするんだよ。足も腕も怪我しているんだから無茶はさせらんねぇぞ?』
『分かっている。ありきたりだが先生が呼んでいるとか言っておこう。ここに来る途中に廊下で現国の鈴木に会ったことにしておく』
『何で現国?』
『里菜は今日の一限に遅刻して現国の宿題提出してないんだ。実際に呼び出しが合っても不思議じゃねぇ』
流石隼人だ。これなら後々嘘がばれることがない。先生からしたら朝に遅刻をした生徒が宿題を提出しにきたのだ。生徒が当然の行動を取っただけで、少し説教して終わりだ。里菜も怒られることを覚悟して先生の元へ行くのだから余計なことを言いやせず、少しでも早く説教から抜けられるように反省の色をみせることだろう。
『いける! いけるぞ隼人!!』
『ああ!』
隼人は自信満々の笑みを浮かべ、
「なぁ里菜。さっき現国の鈴木と会ったんだが宿題を」
「お待たせしました!」
隼人の自信をブチ折って粉砕機にかける姫野さんは、右手に紙袋を持っていた。
「え、えらい早かったね。息もきれているようだけど?」と僕
「ええ。走っても意味はないと分かっていたんですが、皆さんに少しでも早く食べていただきたくて」
いや走ることには物凄い意味があった。作戦をぶち壊し食べる人数が増えてしまった。それがどれほどの意味を持つのかを理解しているのは僕と隼人だけだが。
(あの袋の大きさからすると多くて10枚程度だろ)
いつの間にか僕の後ろに移動していた隼人が誰にも聞こえないようにボソッと呟いた。
(10枚か。一人二枚か)
(ああ。十分過ぎる量だよな)
僕と隼人は顎に手を当て考える。二人を追い出し……、ここまで来たらクッキーを強奪するのがベストなのか?
「わぁ、いいにおい~。姫っちは料理上手なんだね」
「えへへへ。照れますね。上手いかは分からないですけど、好きなんですよ」
「へぇ姫野さんは上手なのですかぁ。羨ましいですね。先生はいつまで経っても上手くならないので」
女性三人のきゃぴきゃぴした会話だ。もう駄目か。こうなったら僕だけでも、
「「僕(俺)飲み物買ってくるよ」」
隼人と声が重なった。つまり隼人も……。
「隼人は痺れているんだろ。僕が買いに行ってくるよ。もちろん全員分」
「いいや、試合に負けてボロボロの峰人に買いに行かせるわけにはいかねぇな。俺が行ってこよう」
互いに微笑みをみせながら、表面上は相手を気遣った会話を淡々と繰り広げる。
「そう言うなよ。隼人はクッキーでも食べて休んでいてくれ」
「ばぁか。照れんなよ! お前、姫野の料理は上手いから誰にもあげるわけにはいかねぇとか言っていただろ! 遠慮せずにクッキーをいただいてこいよ!」
必要以上に大きな声で言いやがった。
「ば、ばか……」
横目で姫野さんを見ると凄く嬉しそうだった。それはもう否定しにくいくらいに。
「そうなんですか。綾人君はそんなに私の料理が」
凄く可愛い。まるで恋する乙女のように可愛い。
「ああ、綾人は誰にも渡したくないらしいぞ。もしよかったら、それ全部くれてやらねぇか?」
(隼人の馬鹿野郎! お前が全部もらえよ!)
耳元で怒りをぶつけるも隼人は歯牙にもかけず、
「頼むよ。この通り」
神様もプレッシャーを感じてしまうくらいに綺麗に拝んでいる。僕も心の中で拝む。コイツに最大級の不幸を、と。
「でも、先生や里菜ちゃんも楽しみにしていますし……」
オロオロと僕と里菜や先生を順に見る姫野さん。この流れは悪くない。もう一押ししてやれば流れは確定するはずだ。
「そうだよね。みんなが食べたがっているのに僕が一人占め」
「ふん。そんなに姫っちの料理が好きなら全部食べたらいいじゃない」
雫がぷいっとソッポを向いた。拗ねた? ……そんなことどうでもいい。問題は強制流れ転換の発言だ。どうにかしないと。
「そんなこと」
「そんなに好きな物を奪っても申し訳ないですね。先生も別の機会でいいので今日は綾人君が全部食べてください」
「そうですか。みなさんがそういうなら」
終わった。……まぁ女二人に食べさせないという最初の目標は奇しくも達成したわけだが。
一歩一歩姫野さんが近づいてくる。後ずさろうにも隼人が背中を抑えてくる。このクソ野郎め!
「では綾人君、どうぞ。隼人君にはまた今度作ってきますね?」
華やかな微笑みに隼人は、
「あ、ああ。……無理しなくていいぞ。ホントに気が向いたらで」
枯れ果てた薔薇のようなどす黒い声でかえした。僕も枯れて落ちてしまいそうな手でクッキーの入った紙袋を受けとる。
香ばしいバターの匂いが鼻孔をくすぐる。形も一切の崩れがない。匂い、見た目ともに一流だ。涎が出てくる。この前授業で聞いた条件反射とかいうやつだろう。おいしそうな匂いがしてきたらお腹が減るし、涎がでる。きっとまだ、僕の鼻や目は姫野さんの料理をおいしいと認識してしまっているのだろう。
「どうぞ食べてみてください。今回は自信作なんです」
「う、うん。そうだね。いただこうかな」
ひとまず一枚取り出してみる。……おいしそうだ。
「いただきます」
凄い。甘くて辛くて、しょっぱくて苦くて酸っぱい。辛みがうま味に変われば五大味クリアだ。砂糖と塩を、ゴーヤを絞った酢の中に入れて、最後にタバスコをふんだんに入れたら同じ味を味わえるのかな?
「あは、あはは。ちなみに辛みというのは味ではな痛みなんだ。痛いの一歩手前が辛み。あまりに辛いと痛くなるのはそういうことだ。あれ? 死んだはずのおじいちゃんが川の向こうに」
(……綾人。死ぬなら全部食ってから死ねよ)
耳元で誰かが呟いた。……隼人だ! ここで死んでたまるか!
「道連れになれえぇぇぇぇぇ!」
隼人の口に残りの全てを詰め込んでやる。一枚であの威力だ! 9枚なら死あるのみ!
「あまいわぁぁぁぁ!」
読まれた!? 毒物の握られた、本来は隼人の口の中にあるはずの手は、隼人の顔の横を通り過ぎていった。隼人はその腕を掴み握る。
「いたっ!? いたいいたい! 離せ、どんな握力してるんだよ!」
思わず手からクッキーが零れ落ちた。……かと思ったら、地面との衝突のスレスレで時間が止まったかのようにピタッと落下をやめた。まるで優しい風に吹かれているかのようにふわふわと浮かび、ゆっくりと僕の口の中へ……
「ぬおぉぉぉぉぉ!」
横っ飛びで避ける。
「流石にあのスピードだとお前も避けちまうか。……繊細に操作する場合には威力もスピードもあほみたいに落ちちまうからな。実践には全く持って使えねぇぜ」
ギリリという歯ぎしりをする音が聞こえてきそうなほど隼人は悔しがっていた。
その間に僕は体勢を立て直し隼人と向き合う。僕と隼人の間にプカプカと浮かぶ9枚のクッキー。
恐れることはない。スピードはないし、水魔も大量に使っているはずだから放っておけば水魔がきれる。
「って、痺れて水魔を練れないんじゃなかったのかよ!」
「人は大切な物(命)を失わないためには何でもできるんだ! なくなった水魔だって復活
させてみせるさ!」
「自分の大切な物(命)のために人の大切な物(命)を奪うな! 少年史的展開だと復活した水魔で仲間を守るものだぞ!」
「仲間より自分の命に決まってんだろ!! 現実みろや!」
魂の咆哮と共に味の革命が僕を襲う。
隼人から距離をとるように逃げる。
「ちっ、保健室は狭いな」
既に保健室の一番奥の窓の前。
「死ねぇ!」
一列にクッキーが口元へと向かってくる。
「この瞬間を待っていたぜ!」
しゃがむと同時に、身を低くしたまま隼人へ駆け寄る。ボコボコにした後、口に詰め込んでやればいい。大量の水魔で緻密なコントロールをしている今ならばよけられまい。
「引っかかったな隼人! より水魔を使わせるために遠くまで逃げたのさ! くらえぇ!」
僕の拳が隼人の顔面を捉えようかというその時、隼人がニヤッと口の端を吊り上げた。
「お前の策なんざお見通しだ! 水魔を練り込むには時間がかかるが、放出は一瞬だぜ」
拳を左手で受け止め僕の体を横に流した。そのまま脇腹に向かって隼人のアッパー気味のパンチが来る。ちっ、
「はぁぁぁぁぁ!」
ゴキン
低温の火でガードをする。脇腹のみのガードをするには時間がなさすぎ、足元から胸元まで火が上がった。
「おしかったなぁ隼人。お前が見破った時のこともしっかり考えていたのさ」
水魔を放出し火が消えたところでドヤ顔で言った。もちろん見破られるなんて思ってもいなかった。心臓ばくばくだ。
「くっ! 完全なる嘘をドヤ顔で言いやがって。どこまでもムカつく奴だ」
そのセリフを箱に入れてリボンをつけて返してやりたい。
「まああそこから火で咄嗟にガードしたことは褒めてやるよ。だが次はこちらも本気で行かせてもらう」
真っ赤になった拳をさすりながら強がる隼人は残念な男である。
「そんな目で見るな! まさかお前の頭で突如ガードなんて頭が回ると思っていなかったから本気で殴っちゃったんだよ! お前が知らない奴だったらガードまで計算に入れていたが……お前が馬鹿すぎるせぇで計算が狂った」
「……どうやら一度決着をつけなければいけないみたいだな」
「ああ、どちらが上か思い知らせてやるよ」
アニメだったら様々な角度から流れるような睨み合いが続く。先に動いたら負けだとかいうやつだ。
「来いよ。ビビってんのか?」
「隼人の方こそ。ビビッて挑発か?」
「はぁ。お前にビビるならゴキブリにビビるさ」
「ほぉ僕はゴキブリ以下だとでも言いたいんだな」
「どうした?額に青筋を立てて。もしかして怒っちゃっているの? もちろん冗談のつもりだったんだけど、怒るってことは自分でそう思っているということだよな。お前はゴキブリ以下だったのか。そうかそうか」
挑発的なニヤケ面をみせる隼人。もう限界だ。その挑発に乗ってやろう。
「ぶち殺お~す!」
ダッと床を蹴ろうとした瞬間、
「いい加減にしなさい! ここは保健室ですよ」
桜井先生の水魔たっぷり籠った水球が僕らの頭に落下した。水魔たっぷりの水は鉄よりも固い。それが後頭部に落下すれば、
「ぎゃあああああ、ごきゅっていったよ! 人生で初めて聞く擬音だよぉ!」
頭蓋骨割れたかも! ちなみに横で隼人が僕と同じように頭を押さえて床をゴロゴロ転がっている。
「保健室であばれないの! いくら姫野さんのクッキーが欲しいからって喧嘩することないでしょ! 頼んで作ってきてもらいなさい!」
桜井先生の言葉に僕らは同時に体を止めた。そして冷や汗を垂らしながらヒソヒソ話を始める。
(僕達って姫野さんのクッキーを取り合って喧嘩してた?)
(いや、発言、行動どれをとっても押し付けあっていたな)
(それに欲しいなら作ってきてもらえって……)
姫野さんを見てみると、世界の夜明けを見るヒロインのような表情をしていた。
「もう隼人君ったら。そんなに食べたいなら初めから言ってくれればよかたのにぃ」
「そ、そうなんだよ姫野さん。この馬鹿は自分の気持に素直じゃないから、照れ隠しに僕に全てあげるとか言いだしたんだ。本当は僕じゃなくて隼人が姫野さんの料理の大ファンなんだよ。僕の分はいいから隼人の分を、隼人だけの為に作ってあげて!」
死ぬのは一人で十分だ。
「俺の名前を強調するんじゃねぇ! 違うぞ姫野! 綾人が姫野の料理が好きで好きでたまらないんだ。綾人は友達思いの良い奴だから、おいしい物を友達である俺に分け与えようとしてくれているだけだ。でも彩人は本当は姫野の料理が食べたいんだ。頼む、俺のことはいいから綾人のために作ってやってくれ。俺はいいからな」
友達を死神に売り払おうとするお前は最低だ。
(本当に友達ならお前が貰ってくれよ!)
(馬鹿野郎! 甘やかすばかりが友情じゃねぇぞ!)
(死神に魂を売り渡す友情が成立してたまるか!)
「大丈夫ですよ二人とも。今度はもっとたくさん作ってきますから。二人共お腹一杯食べられるくらい。あ、ということクッキーのようなお菓子は駄目ですよねぇ。男の子ならボリュームのある、そうですねぇ
ハンバーグとかからあげを中心としたお弁当がいいですかねぇ? あ、それよりも……」
途中から一人の世界に入り込む姫野さんを見て僕と隼人は安堵と不安の混じった溜息をつつ立ち上がった。
寿命が今日から次回へと伸びたわけだが、次回は更に危ないことになりそうだ。……ホント、どうしよう。
「はい、ふたりとも。仲良くわけて食べなさい」
雫が僕達の前に紙袋を突きだした。さっき争いの原因を作っていたクッキーが入っている。
「ちょっと待ったぁ! それは床に落ちただろ!? 落ちた物を食べるのは無理だ!」
必死に命を守る隼人の横で首が取れるほどのスピードで僕は頷く。
「食べ物を粗末にしないの。それに好きで仕方ないんでしょ? 姫野の作った物が」
甘い声に可愛らしい笑顔なのに殺気立っていた。僕と隼人が揃って断れなくなるくらい。僕は袋を受け取り二枚取り出す。その内の一枚は隼人へ。
「なぁ隼人。悪かったな。争いは何も生まない」
「こちらこそ悪かった。俺がくだらないことを言い始めたせいで二度死ぬことになったんだ」
虚ろな目で僕と隼人は無言でクッキーを食べ続ける。9枚あったクッキーは残り一枚に。
「俺が食べるよ」
目の光をスッカリ失った隼人が口角をミリ単位であげた。もう限界なのだろう。
「いや半分こしよう」
クッキーを半分こし乾杯する。
バタン
最後の半分を食べ終えてから3日間ほど僕と隼人の記憶が飛んだ。死んだおじいちゃんと一緒に暮らしたのだが、それは捏造だと桜井先生が言っていた。あの綺麗なお花畑に囲まれた家はどこだったのだろうか?
……姫野葵。ある意味で学園最強の殺傷力を持つ人間である。
この時の僕たちは、彼女の料理に助けられることになるとはミジンコほども思ってもいなかった。