「シンジュク」
そしてようやく放課後。クラスメイトへの別れの挨拶もほどほどに、教室から退散する。もうすっかりハタの事について聞いてくるやつはいなくなったけど、翼とはなんとなく顔を合わせづらかったし。とにかく早く外に出たかった。
階段を素早く下って下駄箱に着くと、まだ生徒は誰もいなかった。どうやら一番乗りってやつかな。いえーい。うちのクラスの担任はホームルームを早く終わらせることで有名なのだ。
「さてと……うわ」
上履きから革靴に履き替えると、まだ底が濡れている革靴の感触に思わずしかめっ面にな……りそうになった。昨日の雨で盛大に濡らしてしまったんだけど、まだ乾いてなかったか。せっかく乾いた靴下がまたびしょ濡れだ。歩くたびに、ぺたんぺたんと間抜けな擬音が響いてかっこ悪い。
玄関を抜けると、5月の中旬とは思えないような日光に迎えられる。いやいや、もうこれ夏だろ。濡れた靴下が足裏に張り付く感触を振り払うように、大股で校門を抜ける。ぺたん、ぺたん。
まあどうせ、歩いてるうちに乾くだろ。
「……うーん。何度見ても、でっかいなぁ」
蒸し暑い駅のホームから出ると、今日もいつもと同じように、そびえ立つ高層ビルたちに圧倒させられた。ここ最近は毎日この街に来てるけど、このデカブツにはまだ慣れない。
というのも仕方ない。俺の家はたしかにこっちの都市部に近いけど、全然来る機会なんて無かったからなぁ。プライベートで来ることなんて滅多になかったし。ていうか、俺は人が多いところが嫌いだから、翼やハタに誘われでもしない限り行くことなんて無いわけで。
そういうわけなので、都会に住んでいながら田舎根性を持っているという特殊体質な俺にとって、久しぶりに来るこの街は新鮮でありながら異質で、畏怖の念を感じすらした。普段は教室の窓際から眺めるだけの存在が、今自分の目の前にある。変な感じ。教室から見ると親指と同じぐらいの大きさだけど、ここまで近づくとさすがにでかいや。
それにしてもこういう、無機質な物ばかりならまだしも。
「わー。人がゴミのようだ」
一度言ってみたかったセリフなので使ってみたが、よくよく考えるとこれって人を見下ろしてる状態じゃなきゃダメなんだっけ。
そんなことはどうでもいい。問題はこの目の前の人、人、人。駅前で行き交う人の群れは、遠目に見るとぐにゃぐにゃと蠢いて一つの生物のようにも見える。ああもう人多すぎ。気持ち悪くなるー。勘弁してくれ。
まあ、そういうわけで。
俺、椿幹太は新宿へ来たのであった。
***
なんで普段は来ない新宿なんかに来てるのか。そんなのもちろんハタのためだ。
二週間前、ハタが失踪した日に新宿で起きた集団自殺事件。ハタの失踪と関係があるとすれば、同日に起きたこの事件しか考えられなかった。理由も、そう思う根拠もあるわけない。なにしろ証拠なんて一切皆無なんだから。
でも、じっとなんてしてられなかった。
ハタがいなくなってから、もしかしたら家族で一家心中……なんて最悪な想像をして悶々とする日々が続いて。そんなことをしている時間を、もっと有意義に使いたくて。
それならせめて、ハタの失踪と関わりがあるかもしれない事件が起きた場所である新宿で聞き込みをするぐらい、足掻いてやりたかった。
しかし、いつからこんな熱血キャラになったんだろーなぁ、俺。らしくないにも程がある。
それでもこれが、バカがバカなりに考えたやり方だから。バカなりに突き通すしかないんだ。
今日はなんか手がかり掴めるといいな、と一縷の望みに賭けて、いざ。
***
それから経つこと三時間。
「今日も進展無し、か」
歩き回って疲れ果てた俺は、繁華街で立ちすくんでいた。
聞き込みとは言っても、俺の携帯電話に残っていた失踪前のハタの写真を使って、いろいろな店に入って「この人を見かけませんでしたか?」と言って回るという単純なものだ。それをここ一週間ずっとしているわけだけど、今日までついに進展はゼロだった。
そして、今日の聞き込みももう終わろうとしている。
これでも、なるべくハタが行きそうな店を選んで聞き込みしてるんだけどな。やっぱり新宿とは何の関連性も無いのかもしれない。もともとダメ元で始めた試みだから、こうなる事はもちろん予想してはいたけど。これじゃあいつが普段入り浸っていた秋葉原で聞き込みした方がまだ見込みあるかも、なんて思えてきた。
ぼーっとそんな事を考えながら、歩き疲れた足を引きずって目的地の無い道を進む。この時間になると人の種類が変化して、仕事帰りのビジネスマンが多くなってきた。そんな人たちの中、これから飲み会に行くのであろう一つのグループが目に入る。あの人たちは元気ハツラツとしているが、大多数の皆さんは大変お疲れのようで。中には目が真っ赤に充血してる人もいた。徹夜したのかな。帰ってぐっすり眠ってください。
そうして街行く人を見ながら、ネオンがキラキラと光る繁華街をとぼとぼ歩いていると、ふとボロっちいゲーセンが目に入った。なんとなく気になったので近づいてみると、遠くからは曖昧だった輪郭が鮮明になって、ボロさが増した。
看板を見ると、店の名前は「ハヤサカゲームランド」というらしい。まだ聞き込みをしたことがない店だ。ていうか、こんなボロい外観なら忘れられない。
ハタのゲーセン好きはそれはもう凄かった記憶があるので、ゲーセンも聞き込み対象に入れている。今日まで回った店に進展は無かったけど、ここもそうなのかな。まあ入ってみなきゃ分からない。
まわりを見回すとすっかり暗くなっていて、今日はここで最後にしようと決めた。あんまり遅いと心配かけるし。
棒になりかけの足に渇を入れて、ボロいゲーセンの入り口の前に立つと、
「ウオオオオォォォ!」
……え、なんか唸り声みたいなのが聞こえたんですけど。しかも大勢の。
どうやら中はかなり賑わっているようで、外にいるこっちにまで熱気が伝わってきた。中からは男の興奮した口調の大声も聞こえてくる。すげぇ、とか、なんだこいつ、とか。どれも驚いている様に聞こえる。
なんか場違いすぎてUターンしたい気分になったけど、ここで引き返すわけにもいかない。意を決して中に入った。
「…………………………」
……うわぁ。こりゃ凄い。
入ってみると、何の変哲も無い普通のゲーセンだった。少なくとも見た目は。しかしいやに暗いな。
とにかく店員に聞き込みをするべく、店の奥へと進む。すると。
薄暗く大して広くもないこの店内の中で、一際盛り上がりを見せている場所が見えた。
人が群がるその筐体の横から見えるロゴに見覚えがあった。たしか、某有名ゲームメーカーが作った格闘ゲームだ。家庭用ゲーム機にも移植されてるから、ゲームがちょっとでも好きな人なら誰でも知ってるようなタイトルだ。なにせ俺でさえ知ってるんだから。
驚いたのは、その格闘ゲームの筐体に群がっている人たちの見かけにだった。背丈はかなり高くて、見たところ全員180は軽々と超えているんじゃないだろうか。そんな人間が20人ほど集まっている様は、さながら山のようだ。上半身はランニング、下半身は迷彩柄のズボンというスタイルの人が多くて、ランニングの人は腫れ物でもできたみたいに屈強な筋肉が丸見えだった。
なにこの人たち。怖すぎだろ。
「見ろまた勝ちやがったぜ!」
「ありえねぇよ!一体なんなんだよこのガキ……!」
ありえないのはあんたらの腕についてる筋肉でしょ。
しかし、真っ直ぐ店員のところへ行こうとしていたのに、俺の脚は自然と大男たちが集う格闘ゲームの筐体へ向かっていた。
まさか。もしかして。さっき男が言っていた「ガキ」って……
ハタ?
もしかしてあそこで注目の的になってるのは、ハタなんじゃないか。そんな楽観的な考えを持った途端、自然と俺の歩調は早まった。冷静に考えれば、ハタなわけ無い。でもこのとき、俺の短絡的な思考はそこまで追いつかなかった。
そして人だかりができている筐体の近くまで来たはいいものの。大男たちの壁に阻まれて、全くプレイしている人の姿が見えない。
んじゃしょうがないから諦めて帰るか。
と、いつもの俺だったら思っただろうけど、今回は違う選択肢、それも結構大胆な行動を取る事にしてみた。
「ちょっとすいませーん」
とりあえず大男たちを、押し退けることにした。
「うぬぬ」
大男たちの間の僅かな隙間を押し広げるようにして自分の体を突っ込ませる。大男たちは腕だけでなく体の筋肉も鍛え上げているようで、わき腹は金属のように固い。体を前に進めるたびに、自分の体がミシミシと嫌な音を立てる。いてぇ。
「おいおいなんだこいつ」すいませーん。
「またガキかよ」ガキで悪かったですねー。
「今いいところなんだから邪魔すんなよチビっ子」あんたらがでかすぎるだけです。
抗議の声を上げる大男たちに脳内で謝罪しながら、なんとか体を前に進めていく。大男たちに吹っ飛ばされるんじゃないかと思ったけど、彼らはよほどプレイしている人の画面に集中しているのか、そんな事は無かった。肝を冷やす。
抜けろ、抜けろ……と思いながら、必死の思いで頭を突き出すと、
急に、体が軽くなる。
「っ」
頭、それに胴体に強い衝撃が走った。体中に痺れるような痛みが回るのを感じる。ついに我慢の限界になった大男に吹っ飛ばされたのかと一瞬思ったけど、目を開けてみるとすぐさまそんな事実は無いということを理解する。
目を開けるとそこには、カビた天井があった。それと、俺の顔を覗き込んでいる大男たちの顔。
……ああ、無事に隙間から抜けられたのか。
前に体を傾けすぎたせいで、床に思いっきり転がってしまったみたいだ。なんともマヌケ。
そう状況を判断するまでに、5秒の時間を要した。
それはそうと。
「……………………………」
俺の顔を、なんだこいつと言いたげな顔で覗き込んでくる大男たちの顔の中に、明らかに異質な顔が紛れ込んでいるんだけど。これはどういうわけなんだ。
「……あんた誰?」
それはこっちの台詞だって。
そこにいたのは、俺が探していたハタ……じゃなくて。
ちっさい、女の子だった。