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東京ネバーランド  作者: こーへい
第二章「探偵事務所へようこそ」
12/12

「ディテクティブ」

 「はっはっは、ツバキ君は実に面白いねぇ」

 「はぁ」

 何が面白いのだろう。対になっているソファの反対側に座る、紳士的な風貌の橘さんが上品な笑いを上げた。

 ちなみに前置きしておくが、俺は別に冗談を言ってこのご老人のご機嫌を伺ったわけではない。というかそんなユーモアセンスは俺に備わっていない。この事務所に入ってからの発言といえば、玄関のドアを開けた後の挨拶ぐらいだ。ではなぜ橘さんは笑っているのか。そんなの俺にだって分かる筈が無かった。

 それは遡ること、約10分前だ。




***




 「それじゃ、入りましょー」

 「……うん」

 扉に提げられている『橘探偵事務所』の表札を尻目に、少女がドアを開ける。

 すると、

 「やぁおかえり、サヤカ! 収穫はあったかな?」

 紳士的な風貌の男が、待ち構えていた。

 「うわっ」

 虚を突かれた俺は、思わず後ろに仰け反りそうになる。それを、背後にいた少女に支えられてなんとか重心を元に戻すことができた。危ない危ない。

 「っとと、大丈夫かいツバキ? ……ちょっと師匠、いくら来るのが分かってるからって、玄関前で待ち構えてる必要は無いでしょ?」

 「おっと、それもそうだな。ツバキ君も、すまなかったね。驚かしてしまったかな?」

 「あっ……はい、全然大丈夫、です」

 スーツを着た中年のおじさんに腰を低くされて、こっちがどぎまぎしてしまう。

 「いやぁ、驚かすつもりは無かったんだけどねぇ。サヤカがあまりに珍しい客人を招いてきたものだから、つい待ち遠しくてね」

 「?」

 少女はぽかんとした顔で眉間に皺を寄せる。珍しい客人って……まあ俺しかいないよな。

 するとおじさんは、ニコニコと柔和な笑みを浮かべ、

 「サヤカが彼氏さんを連れてくるなんて、初めてのことだからねぇ。はっはっは」

 とんでもないことを言った。

 「……へ? いやいやいやいや、違うからね、師匠。とんでもない誤解してるって」

 「……はて、違うのかい?」

 少女は、慌てておじさんに訂正の言葉を投げかけた。サヤカ、と呼ばれていたが、おそらくそれが彼女の名前なのだろう―――は、気付けばほんのちょっぴり赤面しながら、おじさんを睨みつけている。さっきは手繋いでても平気そうな顔してたのに。

 ……正直に言えば、俺も赤面したい気分だった。できないけどさ。

 「ふむ……なるほどなるほど。いやぁ、またしてもすまなかった。私はとんでもない勘違いをしていたようだね。どうも最近、早とちりして物事を考えてしまうものでねぇ。自分の事でありながら、ほとほと困り果てているよ。とにかく、謝るよ。どうか許してほしい」

 と、またおじさんに頭を下げられる。その斜め45度の完璧なお辞儀が、この人物の礼儀を重んじる姿を表していた。

 「いやいや、そんな。大袈裟ですよ」

 自分より遥か年上の人に頭を下げられると、なぜか罪悪感が沸いてくるのでやめてください。

 するとおじさんは俺の言葉を聞くやすぐに「そうかい? ありがとう」と早口にまくしたてた。え、立ち直り早っ。

 「さて、気を取り直してと! とりあえず、中に入ろうじゃないか。勿論ツバキ君もね。彼氏じゃなくとも、サヤカが連れてきたのならば、何か重要な用があってここへ来たのだろう?」

 「……はい」

 ハタの事についてこの人たちが何か掴んでいるのなら、それを知りたい。そのために来たのだから、何か少しでも収穫が欲しい。

 「それならこんな所で立ち話もなんだし、事務所へ入ろうじゃないか。歓迎するよ」

 おじさんに手招きされて、事務所の中へおじさん、サヤカ、俺の順番に入っていった。

 ……ていうかそもそも立ち話することになった原因はあなたにあると思うのですが、とは、さすがに言えなかった。




***




 「はっはっは、ツバキ君は実に面白いねぇ」

 「はぁ」

 そして今、こんな状況になっているというわけだ。

 ごめん、自分で言っててなんだが、訳分からん。

 事務所に入り、おじさんに招かれるままソファに座ると、サヤカにゲーセンや公園でされたのと同じように、おじさんにも俺の目をじっと見られたのだ。一体これに何の意味があるのだろう。

 それからおじさんは「はっはっは」と軽快でありながら上品さを兼ね備えた笑い声を上げてずっとニコニコしていて、随分と機嫌が良さそうだ。

 「おっと、笑ってばかりではいかんな。話が進まない。それではまず、自己紹介といこうか」

 おじさんが気を取り直してとばかりに笑うのを止める。だが、顔はニコニコのままだった。

 「私はこの事務所のオーナーで、名前を橘源五郎という。サヤカから話は聞いているかもしれんが、世間で言うところの”探偵”をやらせてもらっているよ。と言っても、しがない探偵さ。歴史を書き換えるような大事件を解決した……だとか、そんな凄い人間なわけじゃない。映画やドラマ、アニメに出てくるような名探偵と、同系列に考えないでくれたまえよ?」

 ポケットから名刺を取り出し、それを俺に渡しながら橘さんは言った。そうは言われても、やっぱり俺の中での”探偵”は凄い人としか思えないような、そんなイメージが根強い。

 受け取った名刺に視線を落とす。よく考えてみると、人から名刺なんて物を渡されたのは生まれて初めてかもしれない。名刺上に明朝体で記された「橘源五郎」の文字がまぶしく見えた。

 「どう呼んでもらっても構わないが、周りからは名前の源五郎を略して、五郎と呼ばれることが多いね。勿論、もっとフレンドリーなネーミングを考えてもらってもいいが……」

 「じゃあ、五郎さんって呼ばせてもらいます」

 「ん、そうかい? じゃあ、そうしてくれたまえ」

 もっとフレンドリーな呼び方、か。俺には少し敷居が高かった。まだ会ったばかりだし。

 「サヤカは自己紹介しなくていいのかい?」

 「……いや、いいよー。さっきしたし」

 さっきようやく名前を知ることができた少女―――サヤカは、五郎さんの問いに目を背けてぶすっとした様子で答えた。……もしかしたらまださっきの事で怒ってたりするのかな。

 「じゃあ、最後は俺ですね。名前は、椿幹太っていいます。なんでここに連れてこ……いや、来たのかは、説明すると長くなるんですけど―――」

 それに関してはさっきサヤカが五郎さんに簡単に説明していたようなので、更に補足していく形で説明していく事にした。

 新宿で起きた集団自殺事件、その日に友達の一家が失踪したこと、ここ一週間は学校が終わったら新宿にハタの聞き込みに来ていること。その最中にサヤカに会ったということ……。二週間前から今日までの出来事を、足りない頭をフルに稼動させてできるだけ事細かに説明した。

 「―――と、そういうわけなんです」

 一連の出来事を言い終わる頃には喉がカラカラになっていた。口の中を潤すべく、先ほど五郎さんが淹れてくれたダージリンティーを口に含む。仄かな苦味が口の中に広がり、枯渇していた喉を潤していく。

 ……美味しい。普段はこんな上品なお茶を飲む機会なんてそうそう無いので、新鮮だった。

 「……ふむ、なるほどなるほど。そういうわけか」

 俺が言い終わるのを確認すると、興味深そうな顔をして五郎さんが頷く。先ほどのニコニコ顔はどこへやらだ。顔は穏やかではあるものの、その目は真剣そのものだった。

 「大体、理解できたよ。それにしてもツバキ君、君の行動力は凄いねぇ」

 「行動力、ですか?」

 「君はその集団自殺事件と、お友達の田畑君の失踪が何か関係していると踏んだから、新宿で聞き込みをしていたのだろう?」

 「……はい、まあそうです。もっとも、単純に同じ日に起きた事件だったからというのが大きいですけど。。何もせずにいるのが我慢ならなくて、がむしゃらに動いてただけです」

 「その君の行動力が凄いと思ったのさ。一週間もの間、この広い新宿で確証もなく友達の情報を追い求めるなんて、普通の人にはそうそうできるもんじゃない。せいぜい2日も捜せば、諦めてへばってしまうのが普通なんじゃないかな。やっぱり自分の思い違いだったんだ、勘違いだったんだ……ってね。それを君は一週間だ。だから凄い」

 「いや、そんな。全然凄くなんてないです。この街で一週間、一丁前に聞き込みなんて探偵じみた事してみましたけど、収穫なんて全然無かったし……」

 「だが今君は、ここにいるじゃないか」

 「…………」

 「あてもない自分の推測と勘を頼りに、諦めず、貪欲に情報を探した君の成果がこれだよ」

 そう言って五郎さんははにかむ。

 「我々と出会ったんだ。それが偶然だろうと必然だろうと些細な事さ。君の努力が身を結んだんだ。それを君は誇りに思っていい」

 「……そこまで言うって事は」

 「ああ、少しばかり情報を持っているよ。その田畑君の情報も、残念ながら本当にほんの少しだけだがね」

 その言葉を聞いて、全身から力が抜けていくようだった。ほっと息を吐く。この一週間の努力が実を結んだ、か。他人から言われると、だんだんそれが実感として感じられてきた。

 「……五郎さん。教えてくれますか、その情報」

 「それはつまり、」

 そこで五郎さんが一息置き、

 「……依頼、と受け取ってよろしいのかな」

 穏やかな表情で俺に問いかけてきた。

 「えっ。えと……まあたしかに、依頼、になる、のか、な?」

 たしかに特定の人間の情報が欲しいという意味では、これは「依頼」といえるのかもしれないが。ここでそう言われるとは予想していなかった。

 「そうか、よろしい。では、依頼を受けるに従って、条件があるのでよく聞いて欲しい」

 これに関しては予め予想できていた。ただ、無料で教えてくれるわけがないと覚悟してはいたものの、現在の所持金は5桁にも届かない。常識的に考えて一介の高校生がそんな大金を常時持っているわけがないのだ。一度家に戻る必要があるかな、なんて考えていると。

 「それとまず最初に。依頼金は結構。つまりタダだ」

 「はい?」

 この人は一体、何を言い出すんだろうか。タダ=無料。それは分かる。だけど、無料で引き受けてくれる探偵業者なんて、少なくとも俺は聞いたことが無い。ていうか、そんなの当然だ、利益にならないんだから。

 それと同時に、なんだか急にこの事務所が怪しく思えてきた。タダより高いものは無いってよく言うし。無料商法みたいな詐欺紛いの事に巻き込まれたんじゃ……と不安になってくる。

 「ははは……、タダと聞いて怪しむのは当然だが、そんな動揺しないでくれたまえよ。ここからが、重要なんだ」

 「ツバキー、よく聞いてなさいよ」

 暫く黙っていたサヤカも口を挟む。

 「まず一つ目。君にはこれから今後、私たちが必要とする分、この探偵事務所で働いてもらう。探偵業務その他諸々のね」

 ……なるほど、そういうことか。

 「そして二つ目。今回の君からの依頼は、私ではなく、サヤカが受け持つ」

 「えっ? ……五郎さんじゃなくて、サヤカが?」

 思わずサヤカの方を向いてしまう。反対側のソファで五郎さんの隣に佇む少女は、にひっと笑って「私が解決してあげる」と自信満々の表情で言った。この子が受け持つって、大丈夫なのだろうか。

 「もちろん私もサポートはするがね。条件はこれだけだ。さあ、どうするかね?」

 「…………」

 正直、迷った。

 こんな自分と同い年、いやそれ以下かもしれない子に依頼なんかして大丈夫なのか。だがここで、やっぱりいいですと言って立ち去ってどうする? 他にハタの情報に辿り着く宛てなんてない。この街もやれるだけ捜した。精一杯の事はした。でもダメだった。もうこれ以上自分に出来ることなんて思い浮かばない。なら、それなら。

 この小さな探偵に賭けてみよう。そう思った。

 「んと、サヤカ……さん?」

 「何よー、今更。呼び捨てでいいってば」

 それは助かる。気兼ねしなくていい。

 「じゃあえっと、サヤカ。俺から……いや、椿幹太から。依頼を申し込みたい」

 少し間を置き、言い放つ。


 「田畑圭祐を、捜し出してほしい」


 ちょっと欲張った。ただの「情報提供」じゃなく、「捜し出してほしい」。どうせ自分も協力する事になるのなら、構わないだろう。

 「その依頼、たしかに受け取った」

 そう言うと、サヤカはソファから立ち上がり、こちらへ歩いてくる。

 「改めて、これからよろしく、ツバキ」

 サヤカが手を差し出してくる。握手の意だろう。俺はそれに、立ち上がって応える。

 「ああ。こちらこそよろしく、サヤカ」

 握った少女の手は自分よりずっと細かったけど、俺は不思議とそれが、心強く見えた。


 この日は俺が、橘探偵事務所に足を踏み入れた、最初の日。

 5月16日。この街でいろんな事が始まった日だった。




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