「チューニ」
目の前にあるのは、屈強な大男たちの顔と。
怪訝な顔をした、小さな女の子の顔だった。
「…………………………」
「…………………………」
大男たちを魅了するプレイをしていたのは、ハタじゃなかった。
その事実を突きつけられ、もしかしたらと浮き足立っていた気分も急激に冷める。しゃがみ込んだ足を立たせる気も起きない。もう疲れた、動きたくない。
しかしそんな駄々をこねていれば事態が解決するわけじゃないのだ。そこまで世の中甘くない。ここで座っていても迷惑になるだけだし。とりあえず店員さんに聞き込みをして……と思い、気を取り直して顔を上げると、そこにはまだ少女の顔があった。自然と目が合う。
「…………………………」
「…………………………」
しまった、目を逸らすタイミングを逃した。対する少女はどこまでも真っ直ぐ俺の目を見つめてくる。目の奥から、何を考えているのか見透かされてるんじゃないだろうか。ちょっと怖い。俺が見つめるものは少女の、迷いの無い、澄んだ目だ。その奥からはもちろん彼女が何を考えているかなんて読み取れない。生憎、俺にそんな特殊能力は無いのだ。
「…………へぇ」
やがて、彼女の方から目を逸らしてくれたのでほっとする。女の子とこんな長い時間目が合うなんてこと、滅多に無いし。しかし目を逸らしたとき、彼女が微笑を浮かべていたのはどういうことだろう。
俺が不思議に思っていると、彼女は急に身を翻して、座っている格闘ゲームの筐体に体を向け「フッ、隙あり」と言って、ガシャガシャ音を立てて操作を始めた。
「……えっ、あ、ちょっ、まっ」
少女とは反対側の筐体から戸惑った声が聞こえてくる。それにも構わず尚も少女は素早く操作を続ける。
「ククク……油断したキミが悪いのだよ! くらいたまえ……ホォォォリィィィスパァァァク!」
「ぎゃああああああああああああ!!」
少女が威勢良く叫んだ瞬間、画面の少女が操作していると思われる女キャラが、氷を帯びたパンチを相手に繰り出していた。おそらく必殺技的なやつだったんだろう。派手なエフェクトがかかって、見ていて実に爽快だ。それをまともにくらった相手キャラの末路は言うまでもない。画面には「KO」の文字が大きく表示されていた。瞬間、まわりの大男たちが大きな歓声を上げる。耳が痛い。
「おいこら卑怯者ー!」
たった今こっぴどくやられたキャラを操作していただろう人物が、反対側の筐体からこっちに回り込んできた。うわ、この人もまたでかいな。
「俺はお前のキャラが急に動かなくなったから、スポーツマンシップに則って待っててやったのによぉ……。なんで急に動き出すんだよ! なんか再開のサイン送れよサインを!」
大男が少女に向けて抗議の声を上げる。どうでもいいけど、ゲームの場合だとスポーツマンシップって言い方は適切なのだろうか。
「フフフ……そんなの知るものか……。私はお前が油断するように一時的に操作を止めただけだ……。それに何を勘違いしたのかなぁ……。スポーツマンシップ、だと? フン、片腹痛いわ。しかし、我が術中にまんまと嵌ってくれたようで助かるよ、デカブツくん」
少女は大男に微塵も怯まずに、そう言い放った。凄いなこの子、怖くないんだろうか。自分の背丈の二倍はありそうな大男に向けてこんな。俺だったら物怖じしてしまう。
「なっ……お前、ただじゃおかねぇ……!」
「心配するな、この勝負の金はいらん……」
ん、金?
「そういう問題じゃねぇ……あん?」
そのとき、大男の目が、床に座り込む俺の姿を捉える。え、俺?
「そうか、お前か……お前が俺たちの勝負に水を差したのか……」
「……えと」
水を差したのは事実なのだから謝ればいいのだけれど、近づいてくる大男の巨体に圧倒され、次の言葉を紡ぐことができない。ていうかこれは普通に謝っても許してくれない雰囲気だ。いやそれとも少女のように威勢良く吼えれば事態は収束してくれるだろうか。いやするわけないだろ。殴られて頭パーで終了に決まってる。
何を言えば最善か逡巡していると、
「おい、たった今私に負けたお前。兄上に手を出さないでくれたまえ」
……は?
……今こいつ俺を指してなんて言った。兄上?
「あぁ? ……こいつ、お前の兄貴なのか」
「その通りだ、デカブツ。言っとくが、兄上に手を出すようなことがあれば、私がただじゃおかない。そうだな、手始めにこのゲームの掲示板に”晒して”あげようかな。『潔く負けを認めなかった挙句、対戦者の連れに暴力を振るった』とか。ククク……そうなればたちまちお前の評判は下がり、陰口を叩かれることになるだろうよ」
「なっ」
「もちろんそんなことは私もしたくないよ、デカブツくん。だからここは穏便に済まそうじゃないか……。暴力を振るったってどちらも得にならないのだからね」
「てめ、何度も何度もデカブツって……ああもう、分かったよ好きにしやがれ」
「物分かりがよくて助かるねぇ」
俺は目の前で繰り広げられる少女と大男の会話を、ただ見ているしかなかった。なんというか、疎外感が凄い。こいつらは何の事について話してるんだ。
「おい君、兄貴って何のむぐっ」話しかけようとしたら、少女に口を塞がれた。
すばしっこいなこの子。
「ちょっと黙ってなさい。あんたにとっても、ここは私に合わせた方が都合が良いと思うけど」
俺と少女の二人にしか伝わらない声量で、そう耳元で囁かれた。たしかにここはこの子に合わせた方が賢明か。
「フフフ、それじゃ私たちはこれで失礼するっ……! さらばだっ」
はーはっはっはと高らかに笑い声を上げる少女。その少女の細い手に、入り口を目指して引っ張られる俺。なんだこの構図。タスケテー。
少女に連れられて入り口から外に出る前に大男たちのいた方を振り向くと、こちらを……たぶん俺に向けて、歓声を上げてくる人と睨んでくる人とで、半々だった。
やっぱ勝負の邪魔をしたのが、まずかったのかな。でも、なんで喜んでる人もいるんだろ。
***
「……賭け、か」
「そそ、賭け、よ」
がっくり、肩を落とす。そういうことか、喜んでる人がいたのは。
ハヤサカゲームランドから出た俺たちは、少し離れた場所にある公園のベンチに寄りかかっていた。あたりはもうすっかり暗くなっている。が、人の数はまだまだ多い。さすが都会だ。
「ということは、喜んでた人たちって」
「うん、賭けに勝った人たちでしょうねー。私に賭けて、私が勝った。あいつらは儲かった。それだけよ」
金って、そういう意味だったのか。そりゃたしかに怒るよなぁ。悪い事をした。
……ああ。これでもう、あの店には入れないな。
「でもあそこまで完璧な演技をしてくれるとは思わなかったわ。類稀なるポーカーフェイスね」
「よく言われる」昔からな。
「……まあ、おかげで助かったよ、ありがとう」
一応礼は言っておく。あのままだと、あのデカブツさんに頭パーされてたかもしれないし。
しかしそう言った俺に、彼女はなんでもなさそうに言う。
「恩なんか感じなくていいよー。私が帰りたいと思ってたときに、都合良く場を掻き乱してくれるやつが来て、それを利用しただけだもの」
「……そうかい」
そうですか俺を利用しただけですかそうですか。お礼言わなきゃよかったよ。
ほんのちょっとだけ心中で傷つきながらも、俺はさっきから彼女に訊きたかったことを思い出す。
「あ、そういえば」
「?」
「あの変な口調、今は普通になってるけど」
あの常に上から目線且つ毒舌的な物言いはなんだったんだ。
「変……? かっこいい、の間違いでしょ?」
「……………」
「あの口調はやってて気持ちいいけど、疲れるのよねー。ここぞって時に使わなきゃ。うん」
「……へぇ」
ぐはっ。何年か前の”そうだった”自分と、目の前の少女が重なる。あいたたた。
この子はやっぱり、アレか。俗に言うアレなのかな。
中二病ってやつか。
「えと、それにしても凄かったね、君のプレイ。どれだけやったらあそこまで上手くなれるの」
とりあえず話を逸らすことにした。
「あれをやったのは今日が初めてよ」マジすか。
「……………」
「……………」
……沈黙。
話を逸らせても二人とも黙っちゃ意味が無い。いつもはハタとか翼とかとしか、話してないからなぁ。何話せばいいんだろ。さっき店から出たときに、そのまますぐ別れればよかったかもしれない。出てからもずっと、彼女が手を離さなかったから、ここで今こんな風に話してるんだけど。
しかし外に出て改めて少女の姿を見てみると……なんというか。
ごく率直的な感想を言うなら、ちっさい。
背は140cm……あるかないかぐらいだろうか。こうしてベンチで隣り合って話していると、自然と見下ろす形になってしまう。髪は肩までのショートヘアで、なんていうんだっけこの髪型。ワンサイドアップ? ってやつだっけ。服は黒い柄のワンピース。それが凄く似合っていて、整った顔立ちも相まって、美少女と言って差し支えない。
しかし、なんでこんな子がこんな時間にゲーセンなんて場所にいたんだ。
「あんた、なんでこんな時間にあんな場所にいたの?」
突然そう質問されて、心を見透かされたんじゃないかと思った。それは本来こっちの台詞だと思うんだけど。
「ちょっと聞き込みを、してた」
「……聞き込み、ねぇ」
さらっと言ってしまったけど、よく考えると高校生が聞き込みっておいおい。変人に思われないかな。
「じゃあ私と同じね」
「え」
予想外の返しだった。私と同じ、って。この子も何かしらの聞き込みを行っていたのだろうか。
「でもゲームしてたけど」
「ゲームしながら聞き込みしてたのよ」
そりゃ凄い。なんだかだんだん胡散臭くなってきたぞ。
そこでまた言葉が途切れる。君はなんでこんな時間に、と同じ質問をしようかと思ったけど、もし並々ならぬ事情を抱えていたとしたら場の空気が悪くなる。
とりあえずは、あいつの事を聞いてみることにした。望み薄ではあるけど。あの店の店員には、もう聞きに行けないし。
「あのさ、田畑圭祐って名前、聞いたことあるかな。捜して……」
「田畑っ?」
最後まで言い終わる前に、少女は反応を見せた。目を見開いて俺の腕を強く掴んでくる。何か、知っているのか。
すると少女は、またゲーセンの時のようにじーっと俺の目を見つめてきた。透き通ったその瞳に、全てを見透かされるような感覚。うう、頼むからそんな見ないでくれ、耐性無いんだから。
「……んー、『同業者』かと思ったけど、違うみたいね。目が違う」
「同業者?」
「だってあんた、私と同じ人を捜してるから」
同じ人?
…って、まさかハタのことか。いやでも、なんで。
「ねーねー、同業者でもないのに田畑圭祐のことを捜してるのは何故なの? あんた何者よ? あ、それともスパイかなんか?」
彼女が愉快そうな顔をして尋ねてくる。そんな立て続けに質問されても困ってしまう。そもそも同業者ってなんだ。
「まあいいわ、詳しいことは事務所で聞きましょ。ほら、ついてきてー」
なんだその警察みたいな言い方。
少女は「でもその前に」と前置きして、ベンチから立ち上がって、近くにあった自動販売機の方へ向かい、お金を入れ始める。いやちょっと待ってくれ。
「事務所って、誰のさ」
「ん、そりゃもちろん私たちの。ああ、ここには私しかいないけど、事務所には師匠がいるからさー」
ああもう、こんがらがってきた。
「……単刀直入に聞いた方が早そうだ」
最初っから、こう質問しておけば早かったんだ。
「君さ、何者?」
「私はねー」
そうして、ガガコンと小気味のいい音を立てて出てきたドクペを握り締めて、目の前の少女は言った。
「探偵。かな?」