1話 きっかけ
ずっと前からやりたいことが決まっていない。だから適当に高校を受験して、適当に大学まで進学してしまった。けれど、私は後悔していない。
なぜなら、貴重な資料に触れられたから。
「かなで君、ちょっといいかな?」
大学の講義終わりに『廣田 巡』先輩に声をかけられた。
彼、いや彼女は誰よりも個性が強かった。大学内では『本当は男では?』と噂されているが、ボーイッシュな髪形と顔立ち、そして声色によってそう見えているだけで、実際は女である。
今日も白い長袖シャツに黒いズボンというラフな格好で私の前に現れた。
「えっと、何か用ですか?」
「かなで君は鉄道は好きかい?」
「好きですけど……」
その質問をしてくる理由が分からない。鉄道好きなんてキャンバスを探し回ればいくらでも見つかりそうなのに。
「実は、かなで君に頼みたいことがあるんだ。明日の午前十時にここへ来てくれないかな?」
そう言って、巡先輩は一枚のメモ用紙を手渡してきた。そこには住所が書かれていた。
「ナビにでも打ち込めばヒットするだろうから。それじゃあ」
私に有無を言わせないまま、巡先輩は去っていった。まだ『行く』なんて一言も言ってないんですけど。
けれど、若干興味が生まれた。何か鉄道に関する建物なのだろうか?
「……行ってみようかな」
巡先輩からメモ用紙を手渡された翌日、私は愛車のルーミーで山道を駆け上がっていた。ゆるやかな傾斜をクネクネと曲がりながら順調に登っていく。『カスタムG-T』を選んで正解だった。
あの住所にたどり着くと、既に黒いFK2があった。
「集合時間より早いね」
「先輩の方こそ早いじゃないですか」
「このあたりは熟知してるから」
「それで、何なんですか? この建物は」
私たちの目の前には、レンガ造りの倉庫のような建物があった。壁は蔦で覆われていて、長い間手入れがされていないようだった。
「簡単に言えば、鉄道の資料が保管されている博物館だよ」
入り口にはネームプレートが飾られていて、『鉄道資料博物館』と書かれていた。そんな建物が、なぜこんなところに?
「ボクの先輩方がサークルを作っていてね。放置されていたこの建物を改修したんだ。そして、様々な車両の情報をここに集めた。けれど、年々ここに訪れる人が減ってこの有様なんだ」
「もしかして、巡先輩はそのサークルに?」
「もちろん、所属しているとも」
いつも講義後にどこかへ向かっていると思っていたけど、ここに来ていたのか……。
「中、見てみたい?」
「……入れるのなら見たいです」
「分かった」
巡先輩は南京錠を開錠し、博物館のドアを開けた。中から公共交通機関特有の匂いが漂ってきた。
中に入り、手慣れた様子で巡先輩はブレーカーを操作した。
パッ
「うわぁ…」
中央には湘南色の115系が置かれていて、照明がそれを照らしていた。塗装には艶があり、状態がいいことが伺えた。
「どうして115系がここにあるんですか?」
「これは本物じゃなくてレプリカ。ボクの本音は本物を入れたいけどね」
とてもレプリカとは思えない。台車、ボディ、前照灯……すべて本物にしか見えない。
「これを一人で維持してるなんて……」
「ん? 別に一人とは言っていないよ?」
どうやら今でも数人はここに来ているらしい。私は早とちりしていたようだ。
「それでなんだけど……」
巡先輩は本棚から一冊のノートを取り出した。見出しは『国鉄 115系』と書かれていた。中は色あせていて、年季が入っていた。
「これが問題なんだよね。ほら、本来文字が書き込まれていそうな空白が生まれている」
ノートを見てみると、『主電動機は を搭載する』という明らかに何かが抜け落ちている文章があった。
「誰かに消された可能性って」
「これは油性ペンで書かれたから消えないはずなんだ」
意図的に消された可能性はゼロに近い……。
「もしかして、私に犯人捜しをさせようとしてます?」
「そんなことは一ミクロンも思っていないから安心して」
よかった、いくら推理小説を読んでいるとはいえ、私は探偵ではない。
「かなで君には、こういった空白を埋めてもらいたい」
「『こういった』……まさか他にも」
「正解」
巡先輩は両腕を広げた。
「ここにある資料全てに空白があるんだ」
「全部私が埋めるんですか!? 無茶ですよ!」
「ボクも、他のサークルメンバーも手伝うから大丈夫。それに……」
唐突に顔を耳元に寄せてきて囁いた。
「ここに住むこともできる」
「えっ……」
「ただし、サークルに所属することが条件だけどね」
ここに、住む?
「大学へのアクセスも、街へのアクセスも良い。電気、水道、ネット、生活に必要なライフラインが備わっている。いい場所だと思わない?」
ガスが出てこなかったのは、コンロがIHだから。
それにしても、住み込みできて、それでいてアクセス良好。今借りているアパートよりは住みやすいだろう。
「サークルと言っても、最近は活動していないけど」
「……部屋を見せてください」
「もちろん」
「ここだよ」
巡先輩に案内されて二階へ。その一番奥にある部屋へ通された。
まさか私が借りている部屋よりも広いなんて。
「家電の持ち込みはOKだよ」
「ここに住みます!」
私は即決した。こんないい物件、住むしかない!
「ということは、サークルも?」
「入ります! それに、鉄道の知識を深く知れるのなら……」
「フッ、知れるとも。なんてったって博物館だから」
「これからよろしくお願いします」
こうして、私はこの博物館の仕事を任され、博物館に住むことになった。ついでに、サークルに所属した。




