01.楊充媛
あれから早いもので5年の月日が流れた。
可馨は22歳となり、第三公子と第一公主の二人の子宝に恵まれた。皇帝である梓豪の寵愛は変わらず、三人目の子宝に恵まれるのも時間の問題だと言われていた。それほどに寵愛されているのにもかかわらず、可馨は気弱な女性のままであり、豪華絢爛な衣装や派手な化粧を好まず、嫁いだ時と変わらない生活を送っていた。
そのことが梓豪の興味を刺激し続けるのだろう。
他の妃賓とは明らかに違う。
それが偽物の性格だとは知らないまま、可馨を愛し続けた。
「子涵公子」
可馨は五歳となった第三公子である子涵を呼ぶ。
呼ばれた子涵は手にしていた書物を持ったまま、母親の元に駆け寄る。その愛くるしい姿に可馨は盲目的なまでに愛した。
「公主の散歩に付き合っていただけますか?」
「はい。母上! すぐに行きます!」
「ありがとうございます、公子」
可馨は生まれて三か月となる第二子、李 雹華を抱き上げた。
「おぎゃあおぎゃあ!」
眠りを起こされた雹華は大きな声で泣く。
二人目となれば、泣き止ませるのは簡単だった。可馨は雹華を軽くゆすり、泣き止ませる。ご機嫌になった雹華は楽しそうな笑い声をあげていた。
「蘭玲」
信頼している女官の蘭玲を呼ぶ。
六年目の付き合いとなる蘭玲は充媛宮の女官長に抜擢されていた。蘭玲はすぐに散歩の準備を整え、可馨の様子を伺う。
「散歩に行くわ。着いてきてちょうだい」
「かしこまりました」
蘭玲は頭を深々と下げる。
散歩の際、必ず、おやつを持参した。途中でお腹がすいたと騒ぐことが予想されたからだ。それもいつものことだった。
「蘭玲もいくのか? 心強いな!」
子涵は笑顔を見せた。
……なんてかわいいのだろう。
五歳となった子涵は頭が良かった。母親に依存をしていることを除けば、有能な人材になるだろう。持っていた書籍を元の場所に戻し、当然のように可馨の足に抱き着いた。
……この子を皇帝にしなければいけない。
可馨の父親である楊宰相からも催促されている。
なんとしてでも、子涵を李帝国三代皇帝にしなければいけなかった。それが可馨に与えられた使命である。
そのためには、第一公子と第二公子が邪魔だった。
……どうすればいいのか。
可馨は足元に抱き着いている幼い子涵の頭を優しく撫ぜながら考える。
「充媛様」
蘭玲は籠の中にいくつもの饅頭を入れる。
……数が多いわね。
いつもよりも多い。
それに気づいた可馨はにこりと笑う。
……第一公子に食べさせましょう。
第一公子は食事を制限している。しかし、十歳になったばかりの子どもが食事制限を守れるはずもなく、与えられたものを口にしてしまう癖があった。
「予備はいくつあっても足りないものです」
「ええ、そうね」
「充媛様ならばわかってくださると思っておりました」
蘭玲はにこりと笑った。
蘭玲は梓豪に与えられた女官の一人ではあるのだが、この五年間で梓豪ではなく、可馨に惚れ込んでいた。元々女性に対し好意を抱きやすい性格をしていたのだろう。
……蘭玲は使えるわ。
他の女官たちも可馨のためならば、なんでもするだろう。
その中でも蘭玲は飛び抜けていた。
「母上、散歩はまだですか?」
「いえ。今すぐに参りましょう」
子涵に催促をされて、可馨はすぐに返事をした。
* * *
「皇太子殿下にご挨拶を申し上げます」
可馨は優雅に頭を下げた。
散歩の途中、勉学の本を抱えた第一公子、李 音繰に出くわしたのだ。
元々、音繰が通る道だと知っていた。普段とは違う散歩道を選んだのには、音繰と接触をする必要があったからだ。
……幸先が良いわ。
可馨は心の中で笑っていた。
「楊充媛か」
「ご存知でしたのね」
「美貌の持ち主といえば、楊充媛だ」
音繰は十歳とは思えないほどに淡々とした口調で話す。
李帝国の皇太子に選ばれただけのことがある。警戒心は強くないものの、賢い。それは音繰が李帝国の皇帝になれば、李帝国の治安は安定するだろう。
それほどの才能が音繰にはあった。
一目見ただけで理解をした。
この子どもを生かしておくわけにはいかなかった。
「ありがとうございます。殿下」
可馨は笑顔を見せる。
美貌を褒められたことは純粋に喜ぶべきことだ。
十歳の子どもがお世辞を使えるはずもない。ただ、楊充媛は絶世の美女であると知っていたのだろう。
母親である王 朱亞への寵愛を奪い取った憎い相手のはずなのにもかかわらず、音繰は純粋に美貌を讃えた。
「父上が羨ましいくらいだ」
音繰は笑った。
その笑顔は十歳の子どもらしいものだった。
……この子は生かしてはおけないわ。
すべては我が子のためである。
後宮とはそういう場所だ。互いに憎悪を抱き、時には命の奪い合いさえも起きる。皇太子に選ばれたからといって安全が保障されているわけではなく、多くの後宮の妃賓から命を狙われる立場に立たされただけだ。
生き残れば皇帝になれる。
しかし、生き残るのは至難の業だった。
「僕も楊充媛のような妃賓を手に入れたいものだな」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。殿下」
「事実を言っただけだ」
音繰は他人を疑わない。
視線は可馨ではなく、蘭玲の持つ籠に向けられた。
「それは?」
音繰は食い意地が張っていた。
母親の厳しい食事制限に嫌気がさしていたのだろう。食事制限をされている意味を説明されても、うまく、理解をすることができていなかった。美味しいと知っているものを禁止されるのは心が悲鳴をあげるほどにきついのだ。




