05.元妓女は皇太后になる夢を抱く
後宮入りをしてから早いもので一年の月日が経った。
この日は充媛宮に医師が呼ばれていた。医師は助産もする。日が昇り始めた頃から苦しみだした可馨に対し、医師はようやくの思いで子を抱き上げた。
可馨の第一子の誕生である。
「楊充媛様、おめでとうございます。男児にございます」
医師の言葉に可馨は微笑んだ。
そして、産まれて来たばかりの子を抱きしめる。
神聖な出産の場所には皇帝である梓豪も立ち入ることができず、近くの部屋で待機をしていた。元気な産声を聞き、従者の止めも聞かず、部屋に入ってきた。
その眼は輝いていた。
「可馨! よくやった!」
梓豪はベッドの上にいる可馨に声をかける。
……無粋な人。
外に子を連れて行くまで待てなかったのだろう。
「陛下。男児にございます」
可馨は嬉しそうに笑った。
……皇太子、邪魔になったわね。
男児を手に入れた。
皇太子に選ばれているのは第一公子だ。六歳になる子どもを手にかけるのには抵抗があるものの、可馨の欲は収まりそうもない。
……どうにかして、この子を皇帝にしなければ。
欲が膨らむ。
梓豪は生まれてきたばかりの子の手を指で触れる。
「そうか。第三公子か」
「はい」
「名を子涵としよう」
梓豪は事前に男児の名を用意してあったのだろう。
……子涵。
第三公子、李 子涵は泣き声をあげる。
生まれてきたばかりの我が子が愛おしくてしかたがなかった。
……読み方を似せたのかしら。
可馨は与えられた我が子の名を拒むことはしない。
皇帝から名を授かるのは公子や公主の特権だ。直接、名を与えられるのは寵愛されている妃賓の子である証でもあった。
「子涵」
可馨は与えられた子の名を呼ぶ。
愛おしくてしかたがなかった。
「泣かないでちょうだい」
可馨は優しく抱きしめる。
生まれてきたばかりの我が子はなにもわからない。それを知りながらも、優しい母を演じる。気弱な女性を演じることを忘れず、困ったような顔をして子涵を抱いていた。
「子は泣くのが仕事だ」
「そうなのですか?」
「そうだ。だから、好きなように泣かせておけ」
梓豪の言葉に可馨は頷いた。
……慣れているわね。
第一公子と第二公子の時も見守っていたのだろうか。
37歳にしては子宝に恵まれていない。
一度、執着をすると同じ宮にばかり通う影響があるのだろうか。同時に寵愛を受ける妃賓はいなかった。一年の間、ほとんどの夜を可馨と過ごしている。
……寵愛を受け続けなければ。
子涵のためには必要不可欠のことだ。
寵愛を受けなくなった妃賓の扱いはかわいそうなものだ。再び、寵愛を受けようと必死に化粧や衣裳に気を遣う妃賓を見て来た。それでも、再び目を向けられることはなかった。
可馨はそうなりたくはなかった。
常に一番でなければ気が済まない。
「陛下」
可馨は甘えた声をだす。
それに対し、梓豪は露骨なまでに反応をする。
「子どもはかわいいものですわね」
「そうだろう」
「陛下によく似ている子に育ちますわ」
可馨は優しく微笑んだ。
気の弱い少女を演じる。
「でも、一人では育てられるか、不安ですわ」
「私がいる。一人ではない」
「陛下。なんて心強いお言葉でしょう。ありがとうございます」
可馨は思ってもいない言葉を口にする。
その言葉に感激をしたかのように可馨は涙を流した。
「楊充媛」
梓豪は可馨の髪に口付けをする。
……かっこいいわね。
惚れてしまった弱味だろうか。
なにをしてもかっこいいと思ってしまう。
……陛下。
心の中で梓豪を呼ぶ。
髪を離した梓豪はまっすぐな目で可馨を見る。
「お前を妃賓に迎えたのは私の誇りだ」
「ありがとうございます、陛下」
「楊宰相の言葉を信じてよかった」
梓豪の言葉に可馨は目を見開いた。
一瞬のことだったため、梓豪は気づかなかったようだ。
……宰相まで上り詰めていたとは。
兄が気に入られ、父も大出世をしたとは知っていた。しかし、中央管制である政治の中心人物となる複数人いる宰相の一人に抜擢されているとは思わなかった。
……宰相の娘を後宮入りさせるのは当然のことか。
美貌を買われたわけではない。
宰相の娘であったから初日は顔を出したのだろう。そこから、傾国の美女と呼ぶべき可馨の魅力に憑かれたように毎日通っている。
「父も喜んでいると思います」
可馨は大人しい。
家族の話題となっても、穏やかに話をする。
そういったところが、日々政治で頭を悩ませている梓豪にとって、癒しとなったのだろう。穏やかで心優しい人物を演じ続けるのは苦痛ではなかった。一年もすればそれが本性のように振る舞うことができる。
……皇太后になりたいわ。
不意に頭を過った欲をかき消せなかった。
……この子を皇帝にすれば叶う夢よ。
夢を描いてしまった。
そのためには敵となる第一公子と第二公子の命を狙わなければならない。後宮ではよくある話だ。しかし、成功する例は少ない。
抱いてしまった欲がばれないように、可馨は優しい笑顔を繕った。
……そのためには、陛下を利用しなければいけないわね。
恋心を寄せている人さえも利用する。目的のためならば手段を選ばない。それが可馨だった。




