07.皇帝の死
「……え?」
宦官の報告を理解できなかった。
昨夜まで共に過ごしていたのだ。急な報告を理解できない。
「今、なんと、おっしゃりましたの?」
可馨は聞き直す。
すると、顔色の悪い宦官は再び口を開いた。
「陛下が何者か暗殺されました」
「すぐに陛下の元に――」
「なりません! 未だに犯人は逃走中でございます!」
可馨はすぐにでも駆け付けたかった。
昨夜、ようやく、思いが通じ合ったばかりだった。それなのに、何者かに暗殺をされてしまったなどと信じられなかった。
「すべての妃賓様には宮に留まるように宰相から命令が出ております」
宦官は頭を下げた。
納得ができないと暴力を振るう妃賓もいたのだろう。
「楊宰相の命令ですね」
「はい。特に身重の楊充媛様には宮をでないようにと言い付けられております」
「……わかりました。部屋から出ないようにいたしましょう」
可馨は椅子に座り直す。
……犯人は誰?
梓豪は自己主張は激しいものの、騙されやすく、操るのにはちょうどいい傀儡人形だった。傀儡皇帝と陰で言われているほどだ。
先代とは違う。
そんな梓豪を狙って得する人物はいない。
「……王朱亞……」
反射的に名を呟く。
その名に宦官は反応をした。
「王家の人間は取り調べを行っております」
「そう。では、宋小鈴は?」
「宋国の人間を疑うわけにはまいりません」
宦官の答えは正しい。
国際問題に発展すれば、すぐに戦争が始まる。まだ創立して僅か数十年の李帝国には勝ち目がない。
……宋国の暗殺者かもしれないわね。
一番、疑わしいのは宋国だった。
宋国の国王は小鈴を溺愛していたことで有名だ。そのため、危険だとわかっていても、梓豪は小鈴の元に通ったのだ。
小鈴は天罰を信じていた。
その対象は可馨だけではなかったのだろう。
……小鈴があやしいわ。
後宮を封鎖したのも宋国に逃げないようにするためだろう。
可馨の予感は当たっていた。しかし、どうすることもできなかった。戦争を起こすわけにはいかない。
撒ければ属国として支配される。
それを目論見、暗殺されたのだろう。
「王朱亞の呪いの可能性はないのかしら?」
「処刑当日、貴妃様により祓っていただきましたので、可能性は低いと思われます」
「そう。……このままでは王家の人間の誰かが自白をするまで取り調べは続くのね」
可馨の言葉に宦官は頷いた。
……陛下が死んだ。
悲しくて涙が出てくる。
その涙を拭う姿も美しかった。
宦官が惚れ惚れとしている様子に気づきつつ、あえて、なにもしない。
……子涵が皇帝になる。
それは望んでいたはずのことだった。
それなのに少しも嬉しくない。
……陛下に死んでほしかったわけじゃない。
ようやく思いが通じ合ったのだ。
本性を露にしても引かれるどころか、最初から知られていた。それがどれほどに恥ずかしかったか、まだ話せていなかった。
話したいことは山のようにあった。
それでも、もう、あの優しい声を聞くことはできない。
「王家を助ける筋合いはないわ」
「わかっております。公主を殺した家ですから」
「でも、無実の人を殺めるのはやめてちょうだい。……陛下も、きっと、そのようなことを望んでいないわ」
可馨は泣きながら訴えた。
必要以上に人が死ぬのは好ましくはなかった。
……もうこれ以上は人が死んでほしくはないわ。
雹華が亡くなった心の傷も癒えていない。
それなのに、泣きつく人さえも失ってしまった。
「楊充媛様」
宦官は声をあげた。
その声は泣きそうな声だった。
「貴女様のおかげで陛下は人として過ごすことができました」
宦官は頭を深々と下げた。
梓豪の傍で働いていたのだろう。
おそらく、罪を犯したわけではなく、先代の政策の一環で宦官になったのだ。
「陛下と親しかったの?」
可馨は問いかける。
それに対し、宦官は深く頷いた。
「恐れ多くも、幼い頃から付き人をさせていただいておりました」
宦官の言葉に可馨はなにも言えなかった。
……幼い頃からね。
後宮で世話をするために宦官にされたのだろう。
宦官にされた理由など大したことなどなかったはずだ。それが初代皇帝の方針だったのだからしかたがない。
……泣きたいはずよね。
付き合いが長ければ長いほどに泣きたいはずだ。
しかし、宦官は仕事を優先しなければならない。
「そうなの。陛下がお世話になったわね」
可馨は宦官の気持ちを察していないかのように振る舞った。
どのように振る舞うことが求められているのか、わかっているのだ。
――後日、二代目皇帝、李梓豪の葬儀は粛々と行われた。
犯人は未だに見つかっていない。
……陛下。
遺体を拝見することすらも叶わなかった。
……愛していましたわ。
愛を心の中で呟く。
一度だけしか言えなかった言葉だ。
それが空しくてしかたがなかった。本当は遺体に泣きつきたい気持ちだったのだが、それが許される立場ではなかった。
今まだ妃賓の一人でしかない。
後宮の中から安らかな眠りを祈ることしかでいなかった。




