06.毎夜、涙で枕を濡らす妃を心配するのは皇帝だけだった
雹華が亡くなっても日は進んでいく。
雹華が亡くなったことを理解した子涵は母を守らなければならないと、苦手意識のあった勉学や得意な武術に力を入れ始めた。蘭玲をお供にするのにも慣れたのか、あれこれと指示を飛ばす姿は、母に甘える姿とは別人のようだった。
日に日に子涵はたくましく成長していく。
その姿を雹華と共に見れないことが残念で仕方がなかった。
妊婦ということもあり、可馨は部屋から動かない。日課にしていた散歩もしなくなった。後宮の外に出るのが恐ろしくてしかたがなかったのだ。
……私だけが取り残されていく。
わかっていた。
悔やんでも雹華が生き返ることはないということは、わかっているのだ。
……誰も私の心配をしなくなった。
泣いてばかりの妃を気にかける人はいない。
それよりも、皇太子に選ばれている子涵に媚びを売ることで必死になっていた。
……これなら、本性を露にしたって同じことね。
子涵の活発さを見れば、可馨が大人しくなかったことを察する人もいるだろう。蘭玲ならば気づいているかもしれない。
蘭玲は可馨の命令に忠実だ。
子涵を守るため、今日も子涵の武芸の相手を務めている。強くなくては母を守れないと教えたのは蘭玲だろう。
* * *
「……可馨」
その日の晩、可馨を慰めるように抱きしめて眠っていたはずの梓豪が小さな声をかけた。それに敏感に気づき、目を覚ました可馨は目を擦る。
また夢を見ていた。毎夜、同じ夢を見る。
雹華が生きている夢ばかりを見て、涙を流すのだ。
「泣くほど苦しいか」
梓豪は可馨に問いかける。
可馨のことを考え、慰める人は梓豪だけだった。
……陛下だけは私を思ってくれる。
そんな人を騙しているのは我慢の限界だった。
「……陛下」
可馨は覚悟を決めた。
嘘を打ち明けることにしたのだ。たとえ、積み重ねてきたものが消えようともかまわなかった。それにより楊家の地位が下がろうともかまわなかった。
「私の昔話を聞いてくださりますか?」
可馨は問いかける。
それに対し、梓豪は頷いた。
「いいだろう。今宵は話をして過ごそうか」
「ありがとうございます。陛下」
可馨は礼の言葉を口にした。
……どこから話そうかしら。
幼い頃の思い出には良い思い出はない。
しかし、妓女として働いていた頃も良い思い出はなかった。
苦難の日々を歩んで生きて来た。
「私は陛下の知るような大人しい女性ではありません」
可馨はすべてを打ち明けることにした。
それにより他の妃賓に寵愛が移ったとしても、かまわなかった。目の前の純粋すぎる人を騙しているよりも良いと思った。
「幼い頃は兄たちとは別に育てられました。楊家では女性は政略の駒として育てる風習がありました。私も姉たちも、男に媚びるような教育ばかりを受けて育ちました」
「楊宰相の話とはずいぶん違うな」
「父上は都合のいい話を作り上げているだけです。信じないでください。父上は権力を手に入れるために、私を後宮入りさせたのですから」
可馨は父親の立場を悪くしたのも同然だ。
それに対し、梓豪は衝撃を受けていなかった。まるで知っていたかのようだ。
……陛下は動じないのね。
言葉遣いを崩すことはしない。
それは陛下に対する侮辱に値すると知っているからだ。
「楊家は貧乏でした。その日暮らしも困るような家でした」
可馨の言葉に少しだけ驚いた様子だった。
……楊家は朱家に仕えている家だもの。
貧乏なはずがないと思っていたのだろう。
少なくとも、後宮入りをした時の衣装は華やかなものだった。
「朱家に仕えることができるのは男性だけでした。ですが、今回は必要ないと断られてしまったのです。それで、一気に貧乏になりました」
可馨は詳しく説明をする。
元々は朱家に仕える家だと知らなかったようだ。
「貧乏から抜け出すために、母上は、私を妓楼に売りました」
可馨の目から涙が流れた。
売られた日のことを思い出したのだろう。
「私は、3年間、部屋に籠っていたわけではありません」
可馨は父親が作り上げた設定を否定する。
人見知りが激しく、大人しい女性の演技をやめる。それを打ち明けてるのにもかかわらず、梓豪は動揺することなく聞いていた。
「3年間、妓楼で働いていました。色――、体は売らず、芸事だけで生き抜いていました」
可馨は上半身を起こし、そのまま、梓豪に向かって深々と頭を下げる。
「騙していて申し訳ございませんでした」
可馨の覚悟は決まっていた。
不敬罪として斬り殺されても文句は言えない。
それでも、これ以上、騙していることはできなかった。
「……知っていた」
梓豪は想定外の返事をした。
「私がなにも調べさせず、楊宰相の言う通りに動くわけがないだろう」
「知っていたのにもかかわらず、寵愛してくださったのですか……?」
「そうだ。健気な真似をしているそなたがかわいくてしかたがなかったのだ」
梓豪の言葉に対し、可馨はなにも言えなかった。
ただ大粒の涙が零れ落ちる。
それを拭う梓豪の手はいつも通り優しかった。
……私は愛されていたの?
偽物の性格を愛していたわけではなかった。
それだけですべてが救われたような気がした。
「梅花だったか?」
梓豪は妓女としての名を呟いた。
「妓女だったことも知っている。色を売らない妓女として有名だったことも、舞で皆を魅了していたことも知っていた」
「そうでしたか……。それでも、寵愛してくださったのですね……」
「そなたが初恋だった。一目惚れというやつだな。騙そうとしていても、なんでもよかった。そなたさえ手に入るのならば、私は騙された真似をした」
梓豪の本音を聞き、可馨は頬を赤らめた。
……最初から欲しかったものは手に入っていたのに。
欲をかいてしまった。
それゆえに大切な子を奪われてしまった。
「陛下。私も恋い慕っております」
可馨は優しく微笑んだ。
初めて演技ではない笑顔だった。




