04.第一公主の死
* * *
事件は麗孝が帰ったから、翌日に起きた。
「楊充媛様!」
慌ただしく私室に入ってきた女官の顔色は青ざめていた。
なにか起きたのだろう。
「雹華公主が何者かに連れ攫われました!」
「どういうことかしら。雹華には女官を付けていたでしょう」
「女官は殺害されていました!」
女官の言葉を理解できなかった。
可馨は立ち上がり、傍で書物を書いていた子涵を抱きしめる。
「すぐに探しなさい。あなたは宦官に連絡をしてちょうだい」
「はい。楊充媛様」
女官はすぐに部屋を出ていく。
……雹華。
かわいい三か月の娘を思う。
しかし、探しに行くことはできなかった。
……次の狙いは子涵だわ。
体が恐怖で震えてくる。
震えながらも抱きしめる可馨に対し、不思議そうな顔をした。
「王朱亞!」
蘭玲が声をあげた。
そこには血まみれになりながら、立っていた朱亞の姿があった。共に行動していた若曦は部屋の外で待機していた女官に取り押さえられている。
にたりと笑った。
そして、中華包丁を捨てた。
「楊充媛」
朱亞は後ろから来た宦官に取り押さえられた。
それでも、にたりと笑っている。
……気が狂っているわ。
本当におかしくなってしまったのだろう。
「お前が音繰を殺したのよ!」
朱亞は叫ぶ。
以前も同じことを言われた。
本気でそう思っているのだろう。
にたりと笑う朱亞には狂気しか感じられなかった。
「だから、公主を、殺してやったわ! あははは!」
朱亞は簡単に自白した。
……殺した?
可馨は理解ができなかった。
茫然と座っている可馨の様子がおかしかったのだろうか。朱亞は高笑いを続けた。
……雹華が殺されたの?
怒りが沸々と湧いてくる。
怒りを抱く資格など可馨にはなかった。朱亞からも小鈴からも子どもを奪い、殺したのは蘭玲や春燕だ。直接関与はしていないだけで死ぬとわかっていて、見放した。
それは同罪だ。
裁かれないだけの罪だ。
「……雹華はどこにいるのですか……?」
「さあね! 充媛宮の中にはいるんじゃないの!」
「すぐに助けにいかなければ。蘭玲、子涵、部屋から出ましょう」
可馨はふらりと立ち上がった。
その腕には子涵が抱かれている。
「一人で歩けます。母上」
「危険な状況です。母が盾になりましょう」
可馨の言葉に子涵は黙った。
なにを言っても、今の母には通用しないと悟ったのだろう。
「殺された気分はどう? 最悪でしょう?」
「……宦官の方、王朱亞を黙らせてください」
「不愉快よね。不快よね。憎いわよね。私もずっとそうだったわ!」
朱亞は笑う。
壊れた人形のようだった。
……不快だわ。
相手はしていられない。
こうしている間にも雹華が苦しんでいるかもしれないのだ。
「生きているなんて思ってる?」
朱亞は黙らない。
床に押し付けられて捕獲されたあとも愉快そうに話を続ける。
「生きているわけがないじゃない! あははっ! かわいそうに! まだ三か月だったのに!」
朱亞は笑い続ける。
……不愉快だわ。
なにがそんなにおもしろいのだろうか。
可馨は子涵を抱き上げたまま、朱亞の隣を走る。
急がなくてはいけなかった。
……もう手遅れかもしれない。
朱亞が生かしておくとは考えられなかった。
朱亞の服は血まみれだった。返り血だろう。抵抗しない相手を殺したのだ。
……雹華!
中庭に飛び出すと女官や下女が泣いていた。
嫌な予感がした。
「雹華公主!」
可馨は名を叫んだ。
かわいらしい泣き声はしない。
嬉しそうな声もしない。
女官や下女は可馨の存在に気づき、慌てて横に避ける。
そこには濡れた服も気にせず、泣いている女官とその膝の上に置かれた血まみれの服を着た雹華の姿があった。
「公主は、公主は、池の中で横たわっておりました」
女官は泣きながら報告をする。
雹華は死んでいた。
池に入れられた時点で死んでいたのだろう。
「雹華……」
可馨は子涵を下ろし、亡くなった雹華に手を伸ばす。
触れると冷たかった。
凍えるほどに冷たい頬はまだやわらかい。
苦しまずに死ねたのだろう。その表情は眠っているかのようだった。
「どうして、こんなことに……」
可馨には理解ができなかった。
朱亞に恨まれていることは知っていた。
……私を狙えばよかったのに。
子を失う苦しみを初めて味わった。
自分が死ねばよかったのだと本気で思ってしまう。それほどに苦しかった。
「母上、雹華の服を変えてあげましょう」
子涵は涙を流しながら提案した。
「濡れたままではかわいそうです」
子涵はどこまでも優しい子だった。
妹が殺されたというのにもかかわらず、茫然としている母を気遣う。その優しさに救われた気がした。




