02.皇太子の母になる
……父上らしいわ。
手紙を受け取り、ため息を零す。
孫である子涵が皇太子になったことにより、一度だけ後宮に来ることが許されたそうだ。それは手紙をもらった日のことだった。
……おもてなしは必要かしら。
子涵に忠誠を誓う為に来るのだろう。
皇帝になった際には楊家の人間を多く使ってもらうために、媚びを売りに来るのだ。
父親の考えなど目に見えていた。
* * *
「皇太子殿下」
父親は子涵に頭を下げた。
後宮に来る男は父親である皇帝と、処置が施された宦官だけだ。武芸に長けているだろう宦官の青年を護衛にした初老の男性は初めて見るものだった。
……怯えているわね。
子涵は可馨の前に出る。
怯えながらも母親を守ろうとしたのだ。
「楊 麗孝と申します」
「何用だ」
「孫の顔を見に来ただけでございます、殿下。5年もかかりましたが、ようやく、孫の顔を見ることが叶いました」
父親、楊麗孝は頭を深々と下げる。
言葉の意味がわからなかった子涵は可馨を見た。
「母上の父上になります。あなたのおじい様ですよ」
「おじい様?」
「はい。そうです。陛下の許可を得て今日だけは顔を出せることになりました」
可馨はていねいに説明をする。
後宮は女の園だ。本来ならば許されないことである。
しかし、娘を溺愛していたという麗孝の嘘を真に受けた梓豪は簡単に許可をしてしまった。
「……楊麗孝」
子涵はおじい様と呼ばなかった。
「お前は私に忠誠を誓うのか?」
子涵は試すようなことを口にする。
その言葉を聞き、可馨の息子らしいと感じていた。
「当然でございます。皇太子殿下」
麗孝は迷うことなく返事をした。
「殿下の世のため、働く所存でございます」
麗孝の言葉に子涵は首を傾げた。
……難しい言葉を選ぶからよ。
ていねいに説明をする身にもなってほしい。
可馨は子涵の耳元で囁く。
「楊家の人間はあなたの味方です」
「そうなのですか?」
「はい。楊家は母の出身の家ですから」
可馨はそう囁いた。子涵はその言葉を疑わない。
最愛の母の言葉を疑わないのだ。
そうなるように教育をしてきた。
「父上。そうでしょう?」
可馨は麗孝に問いかけた。
今では麗孝よりも皇帝の寵愛を受ける可馨の方が優位だ。
「はい、皇后陛下。――おや、失礼しました。今はまだ充媛様でしたか」
「そうですわ。私が皇后なんておかしな話だこと」
「いやいや、陛下は貴女様こそが皇后にふさわしいと仰せになっております」
わざとらしい会話だった。
麗孝は可馨が皇后になると信じて疑わない。
しかし、充媛から皇后に選ばれる可能性は低い。
……昭儀の位が欲しいわ。
妃賓の中でも四夫人に次ぐ地位である昭儀の座にいるのは、王朱亞だ。元は女官であったのにもかかわらず、皇帝の目に留まり、昭儀にまで駆け上った。
……早くあの女を追い出さないかしら。
庶民に落とすとは聞いている。
しかし、実際は冷宮送りで止まっていた。
「まさか、私のかわいい末娘が皇后になる日がくるとは。世の中はなにが起きるかわかりませんな」
麗孝はわざとらしくそう言った。
昔からかわいがっていたかのような言い方だ。そのような事実はどこにもない。
……感心するわ。
盛大な嘘をついている。
その嘘を子涵は見抜けない。愛されて育った子涵は、愛されて育つことが当然のことだと思っているのだ。
……楊家は嘘つきの家ね。
誰もが嘘をついている。
「父上のおかげですわ」
可馨はにこりと笑った。
その笑顔に麗孝は寒気がした。親の前でも演技を続ける可馨が恐ろしかったのだろう。
……寒気がするのはお互い様よ。
可馨も麗孝の思ってもいない言葉に寒気を感じていた。
「後宮に入れていただいたこと、感謝申し上げます」
可馨は本音を口にした。
感謝していた。
後宮に入らなければ皇帝と出会うこともなく、愛おしい我が子たちと出会うこともなかた。しかし、同時に女の醜い争いに巻き込まれることになったのだが、それは、蘭玲が解決してくれるので関係ないことのように扱った。
「いやいや、私こそ。後宮入りを拒む娘を説得したかいがあったというものですよ」
麗孝は嘘をつく。
最初から後宮入りは決まっていた。
……妓女の次は後宮妃かと、自分の運命を呪ったものよ。
後宮妃にはなりたくなかった。
大勢いる妃賓のうちの一人に成り下がりたくなかった。
……寵愛を受けれたから、よかったものの。
その寵愛も近いうちに他の妃賓に移るだろう。
若い妃賓を迎え入れようとする動きが出ているのは、知っていた。
「さて、かわいい娘と孫の顔を見れてたことです。帰るとしましょう」
「公主には会っていかないのですか?」
「眠っている公主を起こすのは申し訳ないですからね」
麗孝はそれらしいことを言って立ち上がった。
……公主には興味がないってことか。
苛立ちを感じる。
麗孝が興味があるのは皇太子に選ばれた子涵だけだ。いずれ、国を繋ぐための政略結婚に出される雹華には興味がなかった。
……あいかわらずの偏見ね。
女児には興味がないのだ。
楊家では女児が生まれてしまえば、政略結婚の駒として扱うのが一般的だった。その思考は宰相になっても変わらない。
立ち去っていく麗孝を見て、心の傷が開いたような気分だった。




