01.第三公子が皇太子に選ばれる
立太子の儀礼が終わり、第三公子である子涵が皇太子に選ばれた。皇帝に忠誠を誓う文官や武官の中からは、若すぎるという声があがったものの、妨害を受けることなく無事に儀式は終わった。
……ついに、皇太子になったわ。
邪魔者はいない。
梓豪の子どもは可馨が産んだ二人だけだ。それ以外の子どもは死んでしまった。
……他の妃賓が妊娠する前でよかったわ。
可馨への寵愛は続いている。
しかし、数年も持たないだろう。
二十代後半になれば若い女に手を出すのは目に見えていた。
「子涵公子」
「はい、母上」
「これからは皇太子として皆の手本になるのですよ」
可馨は言い聞かせるように話をした。
それに対し、子涵は素直に頷いた。
皇太子に選ばれたという事の重大さを理解していないのだろう。
……命を狙われる危険性が高い。
可馨が二人の子どもの命を狙ったのと同じだ。皇太子になれば、命を狙われる。
「蘭玲」
可馨は蘭玲を呼ぶ。
蘭玲は当然のように傍に来た。その視界には子涵は入っていない。
「あなたが私のもっとも信頼できる人よ」
「光栄です、楊充媛様」
「だからこそ、お願いがあるの」
可馨の言葉に対し、蘭玲は真顔になった。
可馨はわがままを言わない。お願いを口にすることもなかった。まだ幼い公主と引き離されても文句の一つも言わなかった。昼間は好きなように会えるのだからと自分自身に言い聞かせ、我慢をした。
そんな可馨のお願いだ。
可馨に惚れ込んでいる者ならば、なんでも願いを聞いてしまうだろう。
「子涵公子を付きっ切りで守ってちょうだい」
「私は楊充媛様付きの女官です」
「ええ、でも、心配なのよ。この子の身になにかあれば、私は、きっと死んでしまうわ」
可馨は悲しそうに語った。
蘭玲は武術も呪術も優れている。なにかあれば対処できるはずだ。
……そう言えば蘭玲は断れない。
蘭玲がなによりも大事にしているのは可馨だ。可馨の身を案じているからこそ、女官長という立場になっても傍に居続けているのだろう。
そこまで言われ、ようやく、蘭玲は子涵を見た。梓豪に似た利発そうな見た目の子どもだ。蘭玲の好みとは離れていた。
蘭玲は美しく可憐な可馨を愛していた。
その言葉は口にすることすらも許されない。それならば、行動で愛を示した。
その結果、得られた信用だった。
「楊充媛様の頼みとあれば、断るわけにはいきませんね」
蘭玲は視線を可馨に向けた。
「子涵公子。これからよろしくお願いいたします」
蘭玲は子涵に向けて頭を下げた。
子涵は不満そうな顔をした。それから、可馨に抱きついた。
「春燕がいい」
子涵の言葉に可馨は困ってしまった。
5歳の子どもだ。直接見たわけではない死を理解していない。
「春燕は死にました」
可馨は言葉を選ばない。
素直な言葉でなければ子どもに通用しないというのは、子育ての経験を得て理解していた。
……懐いていたものね。
春燕がお気に入りだった。
だからこそ、蘭玲は春燕を利用したのだろう。
「春燕に会いたい」
「それはできません。公子はたった一人の尊い方に選ばれたのです。そのようなわがままは通用しません」
「そんなのにならなくてもいい!」
子涵は我慢の限界だった。
兄たちを亡くし、頼りにしていた下女も亡くなり、心が不安定になっていた。
「兄上たちはどうして死んだの!」
「説明したでしょう。病で亡くなったのです」
「嘘だ! だって、元気だったもん!」
子涵は泣き喚いた。
……それはそうよね。
直前まで元気だった人が病気に倒れて亡くなったなどというのには、無理がある。しかし、真相を話すわけにはいかなかった。
「流行り病でしょう」
蘭玲は答えた。
その言葉に子涵は泣き止んだ。
「子どもがかかる病と聞いております。子涵公子、あなたを病から守るために貴妃様は護符を作ってくださったのですよ」
「……そうなの、母上」
「護符は偶然もらったものですが。病から守ってくれる効果があるものでしたので、公子にお譲りしたのですよ。母上は大人ですので流行り病にはかかりませんから」
可馨は訂正をしながら説明をする。
すると、子涵も納得したようで涙を拭った。
「雹華の分もありますか?」
「いいえ。でも、父上から散歩の許可を得たら、貴妃にお願いをしにいきましょうか」
「はい、母上」
子涵は返事をした。
わがままは終わったのだろう。
そして、可馨に抱き着くのをやめて蘭玲に近づく。蘭玲の前に立つと偉そうに腕を組んだ。
「僕は次の皇帝だ」
子涵の可馨には見せない顔だった。
偉そうな性格は可馨に似たのだろう。
「なにがあっても僕を守れ。それが蘭玲の役目だ」
「心得ました。子涵公子」
蘭玲は膝をつき、子涵に忠誠を誓う。
……意外ね。
子涵の性格がお人よしではないことには、薄々気づいていた。暴君の素質があるのだろう。楊家の血が濃く出ている。
母親には甘えるものの、他の人には強い態度をとる。
……強気な態度でもいいのかしら。
可馨は苛烈な性格をしていた。
しかし、猫を被ることを強要されてから5年間、一度も本性を表に出していない。
「今日は武術の練習の日だ。蘭玲は心得があるのか?」
「多少ではありますが、心得がございます」
「そうか! なら、相手をしてくれ!」
子涵は嬉しそうに笑った。
春燕にも訓練の相手をさせていたことを思い出す。訓練の相手ができれば、誰だってよかったのかもしれない。




