10.皇帝の盲目な愛は寵妃にだけ向けられる
その夜、可馨の元に梓豪が現れた。
疲れた様子の梓豪は可馨を抱きしめる。
「陛下?」
可馨は突然のことに戸惑いを隠さなかった。
……かなり疲れている様子ね。
劉帆が亡くなったことによる衝撃が大きいのだろう。
それでも、劉帆の母親である宋小鈴ではなく、可馨の元を訪れた。
「宋昭容が来たと聞いた」
「ええ、昼間に訪ねて来られましたわ」
「恐ろしい目に遭っただろう。あの女は気性が荒くてな。すぐに駆け付けられず、悪かった」
梓豪は後悔をしているようだった。
小鈴を抱いたことがあるはずだ。宋国の第二公主を嫁にもらいながら、放置するわけにはいかなかったのだろう。しかし、気性の荒い小鈴の元には一度しか通わなかった。
「いいえ」
可馨は困ったような表情をした。
どのような言葉を選べばいいのか、わからないといった様子だ。それも演技だった。
「第二公子様を亡くしたばかりで動揺していたのでしょう」
「そなたが悪いわけではない。そなたの下女がしたことだ」
「いいえ。下女の管理を怠った私にも原因はあります」
可馨は悲しそうに言った。
……春燕は利用されただけだ。
元凶は蘭玲だ。
蘭玲が生きている限り、可馨の子ども以外は生き残れない。
これ以上の惨劇を防ぐためには可馨は寵愛を受け続けるしかなかった。そうしなければ、可馨の邪魔になる生まれたばかりの子にも手をかけてしまうだろう。
「そなたは優しいな」
梓豪は苦笑した。
可馨の言葉を本音だと思っているのだろう。
……優しい、か。
言われるたびに胸が痛む。
本音ではそのようなことは思っていない。
……私の本性を知れば離れていくのに。
梓豪だけではない。蘭玲を筆頭とした女官や下女たちも、離れていくことだろう。それを知っているからこそ、演技を続けるしかなかった。
「可馨」
梓豪は優しく抱きしめる。
それに対し、可馨も応えるように抱きしめた。
「愛おしい人よ」
梓豪は愛を囁く。
その盲目的な愛は寵妃にだけ向けられるものだ。梓豪は器用ではなかった。同時に何人も愛せるほどに器用ではなく、一途な愛を貫いた。
その愛を利用されているとも知らずに盲目的に愛する。
「どうか、そのまま、変わらずいてくれ」
「はい、陛下」
「そなたは素直でかわいらしい。必ず、皇后にしてみせるから。もうしばらく、待っていてくれ」
梓豪の言葉に可馨は驚いた。
……皇后。
皇太后の次に権力を持つ女性の称号だ。
それを手に入れてしまえば、他の妃賓に見下されることはない。
「皇后になれば、宋昭容も手出しはできないはずだ」
梓豪は可馨を守るために皇后にしようとしている。
そのことに感激した。
……なんて、かわいらしい人。
小鈴に怯えていると勝手に思っているのだ。
あのような癇癪、かわいらしいと思っているくらいだった。我が子を失えば我を失うだろう。可馨にとって小鈴よりも朱亞の方が恐ろしかった。
……私が皇后になれる?
皇后にさえなってしまえば、猫かぶりの必要もなくなるだろう。
本性を露にしても問題はないはずだ。
……この生活から解放されるの?
苦痛でしかなかった。
本性を隠し続けるのは苦難な日々だった。
本性を露にすれば皇帝の寵愛は消えるだろう。蘭玲たちにも愛想を尽かされるだろう。しかし、皇后になってしまえば、それらがなくても生きていける。蘭玲たちも皇后付きの女官や下女という立場から離れたがらないはずだ。
「私は王昭儀の方が恐ろしいですわ」
可馨は本音を零した。
小鈴と違い、朱亞は明らかに正気を失っていた。霊視の才があるのがいけなかったのだろう。音繰の仇を討つためならばなんでもしそうな勢いだった。
「昭儀? あれは正気ではない。近寄らないことだ。冷宮に行けば落ち着くと思ったが、逆効果だったようでな。日に日におかしくなっていると聞いている」
梓豪は呆れたように言った。
冷宮送りになり頭が冷え、冷静になると思っていたのだろう。
……第一公子が悪霊化してなければいいけれど。
母親である朱亞を見捨てられないのだろう。
散歩の際に見た時には綺麗な霊ではあったが、朱亞の影響を受けて悪霊化する可能性もなくはない。
……王昭儀は危険だ。
梓豪が思っているよりも、危険な状態にある。
それに気づいていないほどに鈍感だった。
「散歩も控えるようにせよ。私は子涵まで失いたくはない」
「はい、陛下のおっしゃる通りにいたします」
「それがいい。そなたを危険に晒したくもない」
梓豪はどこまでも優しい男だった。
盲目的に他人を愛せる人だ。
……羨ましい。
可馨は違う。盲目的に愛せなかった。
愛してはいるものの、それは我が子に対する愛よりも劣る。なにかが起きれば、真っ先に皇帝ではなく我が子を守るだろう。
「近々、充媛宮の護衛に宦官を派遣することにした」
「ありがとうございます」
「元々は武官だった者で揃えている。なにか起きても対応できるだろう」
梓豪の言葉に頷いた。
少なくとも、小鈴の暴行は避けられるだろう。
……兄上ではないわよね。
憂炎は皇帝付きの武官だ。
優秀な成績を収めていると聞いている。
「楊武官の推薦によるものだ。兄の推薦ならば、安心できるだろう」
梓豪は慰めるようにそう言った。
……邪魔者を押し付けたわけね。
出世をするために邪魔だったのだろう。
皇帝に仕える優秀な宦官を可馨の護衛にさせることにより、自分の地位を守ったのだ。一瞬でも兄の心配をしたことを後悔した。
「ありがとうございます。陛下」
可馨はにこりと笑いかけた。




