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後宮の元妓女は寵愛を受ける  作者: 佐倉海斗
第一話 妓女
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02.楊 可馨

「可馨!」


 楊家に到着すると待ち構えていたのは母親だった。


 三年前、財政難を立ち直すために可馨を妓楼に売ることを真っ先に提案した母親は、涙を流して迎え入れた。まるでこの日を待っていたかのような演出に対し、可馨は求められていることがわかっていると言わんばかりの笑みを浮かべ、母親を抱きしめた。


「母上。ただいま、戻りました」


「わたくしのかわいい娘、よく、戻ってきてくれたわ。さあ、中に入りましょう」


「はい。母上」


 可馨は両親に逆らわない。


 李帝国では皇帝の次に逆らってはいけないのは両親だと決まっている。親の言う通りに生きることが子どもの務めであり、子どもの幸せにつながると信じられているからだ。


 三年前まで使っていた部屋に案内されると、すぐに着替えさせられる。


 妓女の服は捨てられ、楊家の三女としてふさわしい服装に着替えさせられた。


 ……皇帝の臣下になるとは、これほどの財力をもたらすのか。


 感心した。


 すべては武官に取り立てられた憂炎と、憂炎の功績により出世をした父親の財力によるものだろう。


 質のいい服に身を包み、可馨は思わず笑みを零してしまった。


 着替えを見守っていた母親はその笑みに目を見開く。


「陛下にも同じように笑いかけなさい」


「はい、母上」


「あなたは楊家の引きこもりの三女よ。気弱で大人しく、人見知りの子なの。それゆえに絶世の美女だと知られずに生きてきたのよ。いいわね」


 母親は可馨の設定を語る。


 ……演じるのは得意よ。


 妓女として妖艶に演じてきた。


 それを人見知りの気弱な16歳の少女に切り替えるだけの話だ。


 年相応の幼い笑みを浮かべてみせれば、母親は納得したように頷いた。


「母上」


 可馨は困ったように母親を呼んだ。


 演技は始まっている。


「陛下の妃賓など、私に務まるでしょうか」


 可馨の言葉に対し、母親は驚いたような顔をした。


 母親は可馨の欲深い性格を知っている。誰よりも欲深く、自尊心が高い高飛車な性格をしていた。それが一瞬で気弱な美女に変わったのだ。


「もちろんよ、可馨。あなたは誰よりも美しく、誰よりも気弱で守ってあげたくなる楊家の宝だもの」


 母親は肯定した。


 それから優しく抱きしめる。


 ……母上が優しいのは気味が悪い。


 母親は躾に厳しかった。


 高飛車な性格をしていた幼い頃の可馨は、頻繁に母親に怒られて泣いていた。幼い頃の記憶によるものだろうか。母親は厳しく恐ろしい存在だった。


 そんな母親に抱きしめられたのは幼少期以来だろう。


 はっきりとした記憶はない。もしかしたら、抱きしめられたことはなかったかもしれない。それほどにおぼろげな記憶の中、可馨は母親を抱きしめる。


 ……妃賓に選ばれたことがそれほどに嬉しいのか。


 皇帝の妃は大勢いる。


 その中でも有力視されているのは第一公子の母親である(オウ) 朱亞(シュア)だ。位は昭儀であり、四夫人の次の権力を握っている。


 ……男の子を生まなければ。


 そうしなければ、スタート地点に立つことすらもできない。


「母上の言う通りにいたします」


 可馨は弱弱しい声で呟いた。


 両親に忠実な子を演じるのだ。妓女として培ってきた演技力を生かし、可馨は母親すらも騙す。


「私はどうすればいいのでしょうか?」


「舞を披露しなさい。そして、楊家の三女として皇帝に寄り添うのよ」


「そうすれば、子を授かれますか?」


 可馨の問いかけに対し、母親は驚いたようだった。


 ……子を授かったところで、皇太子は決まっている。


 皇太子は第一公子だ。


 第一公子は五歳ではあるものの、母親の朱亞が皇帝の寵愛を受けていることもあり、すぐに皇太子に内定をした。


 ……邪魔ね。


 後宮では大人しい女性を演じなければならない。


 皇帝の好みは自己主張の激しい女性ではなく、気弱で大人しい女性だ。


「寵愛を勝ち取りなさい。そのための手段は選んではいけないわ」


 母親は答える。


 その言葉を聞き、可馨は頷いた。


 ……寵愛を勝ち取るのは簡単よ。


 可馨は妓女として色を売らなかったものの、その技術は老婆より伝授されている。芸だけで勝ち取ってきた人々の注目を忘れることはできないだろう。


 可馨は妓女ではない。


 楊家の三女だ。妓女だったことを知る男は少なくはないものの、後宮に入れば、それを知る者はいない。


 後宮は男子禁制だ。出入りができるのは宦官となった男だけである。


 宦官は妓楼を利用しない。


「はい、母上」


 可馨は返事をした。


 幼い子どものように純粋な目を母親に向けると、母親は気味が悪そうな顔をした。


「母上の言う通りにいたします」


 可馨の言葉を聞き、母親は抱きしめるのをやめた。


 必要ないと判断したのだろう。


 仲の良い親子を演じる必要はない。可馨は純粋に両親を信じる子どもを演じることができる。


「……お前は恐ろしい子ね」


 母親は小さな声で呟いた。


 この部屋には二人しかいない。それなのに、人に聞かれることを警戒しているようだった。


「なんのことでしょう」


 可馨は笑う。


 演技をするのならば、徹底的に行う。それが可馨の生き残るための術だ。


「世間知らずの私にはなにもわかりませんわ」


 可馨の言葉に母親は一歩後ろに下がった。


 ……母上は気味が悪いような目で私を見る。


 いつものことだ。三年前となにも変わらない。


 欲深い性格をしている可馨のことを母親は好んではいなかった。しかし、姉たちが嫁入りをした今となっては可馨を手元に引き戻すしか方法はなかった。


 ……慣れているわ。


 その視線を気にする必要はない。


 どうせ、すぐに後宮に連れていかれるのだ。


「陛下は若い子を好むわ」


「はい」


「その美貌で虜にしなさい。それがお前の役目よ」


 母親の言葉に対し、可馨は静かに頷いた。

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