06.皇太子の母は怒りに震える
* * *
王 朱亞は怒りに震えていた。
偵察をしていた女官からの報告に納得ができなかったのだ。
「どうして!」
怒りに身を任せて声を荒げる。
そして、泣き崩れた。
朱亞の目には成長することのできなくなった息子、李 音繰の霊が見えている。泣き崩れてしまっている母を心配する声は届かなかったものの、音繰の姿を見て、朱亞は殺されたのだと確信を得た。
昭儀宮の女官や下女の大半も音繰の霊を見ている。
泣き崩れてしまった母に寄り添う優しい息子は成仏ができなかった。母を置いていくことなど、優しすぎる音繰にはできなかったのだ。
それが朱亞を誤解させた。
恨みを果たしてくれと言っているのだと誤解したまま、悲しみと怒りに身を任せる。優しい息子は泣き崩れている母が気がかりなだけだとも知らず、復讐を決意する。
「申し訳ございません。極秘に調査を依頼した宦官は杖刑の処されることとなり、これ以上の調査をすれば死刑は免れないかと思われます」
「宦官なんてどうでもいいわ! それよりも、楊充媛の情報はないの!?」
「宦官の命乞いをしたそうです。陛下はそれに感銘を受け、死刑ではなく、杖刑に処すことにしたと噂が回っております。後宮内でも楊充媛の評価は高まるばかりです」
女官の言葉を聞き、朱亞は愕然とした。
後宮では皇太子が殺されたことを嘆く者はいない。皇太子である息子が命を落としたことに悲しみを抱いているのは、朱亞だけだ。
朱亞だけが取り残されてしまった。
梓豪は音繰の遺体を霊廟に運ぶ指示を出すためだけに顔をだしたものの、朱亞の懸命な訴えは聞いてもらえなかった。それどころか、狂ってしまったのだというかのような視線を向けられた。
「王昭儀様」
女官は涙を堪えながら、声をかけた。
女官の目にも音繰の霊の姿が見えていた。
「公子が成仏することができません。あなた様が悲しんでいられる限り、公子はあなた様の傍を離れようとしないでしょう」
女官の助言を聞き、朱亞は首を横に振った。
「公子が成仏できないのは復讐のためよ」
朱亞は音繰が殺されたのだと信じていた。
そのような証拠はどこにもなかった。真実も異なる。
音繰は重度の小麦アレルギーなのにもかかわらず、饅頭を2つも食べてしまっただけだ。そのことが原因となり、激しい発作を起こし、呼吸困難の末に死に至った。
その姿を見ている。
呼吸ができず、苦しんでいる息子に対し、なにもできなかった。
医者を呼ぶことしかできなかった。その医者も間に合わず、音繰は命を落としてしまった。
それが真実である。
朱亞は苦しむ息子を前にしてなにもできなかった。
「……音繰」
朱亞の目には音繰の霊が見えている。
霊に手を伸ばしても、触れることはできない。目の前にいるのに抱きしめることさえもできない。それが死というものだ。
朱亞の目から大粒の涙が零れ落ちる。
立ち直れなかった。
たった一人のかわいい自慢の息子の死を受け入れられなかった。
「あなたは、どうして、饅頭を食べてしまったの……」
朱亞は問いかける。
それに音繰の霊が答えることはなかった。
「小麦は食べてはいけないとあれほどに言い聞かせたというのに」
朱亞は何度も言っていた。
何度も言い聞かせてきた。
それなのに痛ましい事件が起きてしまった。
「楊充媛から饅頭をもらったのは、わかっているのよ」
「しかし、証拠はありません」
「あの女ならばやるわ」
朱亞は言い切った。
その言葉に女官は首を傾げた。
可馨といえば、可憐で美しい容姿をしているだけではなく、お人よしで人見知りが激しい性格をしていると噂になっている。寵妃であることを自慢するわけでもなく、高価な衣類や宝物品を強請ることもしない。謙虚な性格をしており、今も、質素な生活を好んでいるというのは後宮の誰もが知っている話だ。
しかし、朱亞は違った。
可馨の性格の歪さに気づいていた。
「大人しい皮を被っている野心家だもの」
朱亞の言葉を理解する者はいなかった。
朱亞は見抜いていた。
楊家の三女は大人しいわけではない。
引きこもっていたわけではない。
そのことを知っていた。
「妓女の分際で皇太后の座を狙っているのだわ」
「まさか。楊充媛様は三年間も家に引きこもっていたと噂ではないですか」
「違うわ。三年前に売られて妓女になったのよ」
朱亞は言い切った。
それから椅子に座り直す。
「兄上がおっしゃっていたわ」
朱亞の兄は武官だ。
皇帝付きの武官ではないものの、それなりの出世道を歩んでいる。
しかし、妓女に惚れ込んでいた。
その妓女こそが梅花だった。
「楊家の三女が後宮入りをした三日前に、お気に入りの妓女が姿を消したそうよ。その妓女の正体こそが楊可馨に決まっているわ」
朱亞は兄の情報を信じていた。
それこそが隠された真実なのだと言い切る。
それに対し、女官は首を傾げたままだった。
「妓女でも後宮入りはできますよね」
「ええ。妓女が妃賓に選ばれることもあるわ」
「でしたら、隠す必要はありますか?」
女官の問いかけに対し、朱亞は笑った。
「陛下の好みの女になるためよ」
朱亞は賢い女性だ。
巧みに妓女であったことを隠している可馨の裏の顔に気づいている。
「皇太后になるつもりなのよ、あの女は。私の息子を殺して、今度は第二公子を殺すつもりよ」
「それを陛下に申し上げたのですか」
「ええ。妄言と切り捨てられてしまったわ」
朱亞は梓豪に忠告をした。
第二公子の命が狙われていると訴え、第二公子の護衛を増やすように頼んだ。第二公子の母は宋国の長公主だ。宋国の先代国王の娘である。後宮で生まれ育ったからこそ、警戒心が強く、簡単には近づけないだろう。
それでも、息子を奪われた朱亞は必死だった。
第二公主まで奪われるわけにはいかなかったのだ。




