05.楊 可馨は涙を流す
可馨は涙を流した。
自然と零れてくる。それは恐怖によるものだった。
しかし、涙は可馨を可憐な少女に見せる武器でもあった。20歳を超えた可馨ではあったものの、まだまだ10代の少女のような可憐さを武器に後宮で戦っていた。
それは梓豪にとって効果的な武器であった。
「人が死ぬところを見たくはございません……」
可馨は困ってしまったというかのように泣きながら訴えた、
頭の悪い女に見せるのだ。
裏ではなにも考えることができない正直な女を演じる。
「可馨」
梓豪はまんまと騙されてしまった。
剣を鞘に戻し、宦官に預ける。
そして、可馨の涙を指で拭った。
「そなたがそこまでいうのならば、死刑はなしにしよう」
「ありがとうございます、陛下」
「代わりに杖刑とする。文句は聞かないからな」
梓豪は譲歩した。
杖刑も回数が多ければ死に至ることがある。それを可馨は知っていた。知っていたが、知らないふりをした。
人が死なないことを素直に喜んだ。
抱き心地が良いのか。再び寝始めた雹華に視線を落とす。
「ありがとうございます、陛下」
可馨は梓豪に礼を伝えた。
それに対し、梓豪は居心地が悪そうな顔をした。
……罪悪感かしら。
可馨がなにも知らないと思っているのだろう。
「杖刑は――。いや、なんでもない。そなたはなにも知らないままでいい」
「はい、陛下」
「そなたは純粋なままでいてくれ」
梓豪は可馨が純粋だと信じている。
可馨の頭を軽く撫でると、宦官から剣を受け取り、腰に付けた。
仕事に戻るのだろう。
……今日の夜、来なければ失敗ね。
寵愛を賭けた。
それがどちらに転ぶか、わからない。
……危険な賭けをするつもりはなかったのに。
可馨は宦官の命を守りたかったわけではない。充媛宮が血で汚れるのを防ぎたかっただけである。
そのために危険な賭けをしてしまったことを後悔した。
後悔を悟られぬように笑う。
杖刑がどのようなものかも知らない子どものような笑顔に、梓豪は癒しを感じていた。可馨を調査したことを報告し、後宮中で流れている子殺しの噂に惑わされぬようにと忠告をしようとしただけの宦官は震えていた。
「仕事に戻るとしよう」
「かしこまりました。お見送りをさせてくださいませ」
「そうしてくれ」
梓豪は穏やかに答えた。
それから部屋から出ていく。仕事が山になっていることは梓豪だけが知っていた。
「寂しそうな顔をしないでくれ」
「申し訳ございません。顔に出てしまいましたか」
「いや、謝るほどのことではない。ただ名残惜しくなってしまうだけだ」
梓豪は愛おしそうに可馨を見つめた。
それから触れるだけの口付けをした。
……心は離れていないみたいね。
それを初々しく受け入れる。
離れるのが名残惜しそうにしてみせたものの、梓豪は二回目の口付けはしなかった。してしまえば、この場を離れるのが名残惜しくなってしまうからだ。
……単純な人。
可馨はそれが愛おしいと感じる。
……離れたくないわね。
先を歩く手に触れてしまいたい。
しかし、積極的な女性は好みではなかったはずだ。
可馨は触れたい衝動を抑える。
「可馨は私を引き留めようとしないのだな」
「……引き留めてもよろしいのですか?」
「いや。引き留められた困るところだ」
梓豪の質問の意図がわからなかった。
……なぜ、変なことを聞くのだろうか。
純粋なふりをしながら考える。腕に抱いた娘は寝入っており、考えの邪魔にならない。
……王昭儀と比べたのか。
可馨は答えを導き出した。
可馨が後宮入りをした5年前までは寵愛を受けていたのは、王朱亞だ。朱亞は嫉妬深く、疑い深い性格をしていた。しかし、同時に慎重に物事を運ぶ性格をしており、そこが梓豪に気に入られたのだ。
梓豪の好みは大人しく自己主張のしない女性だ。しかし、聡明な女性も好みだった。
「昭儀は私を引き留めようとした」
梓豪は語る。
……正解か。
可馨は意外そうな顔をしてみせた。
まるでわかっていなかったかのように演じてみせる。
頭の足りない女性を演じる。そうすれば、自然と疑いは晴れていくだろう。
誰も可馨を疑わない。
そのようなことができる女性だとは思わない。実際に手を出したわけではない。音繰に乞われて饅頭を2つ渡しただけだ。小麦を口にしていけないということは充媛宮の誰もが知らなかったことになっている。
可馨に饅頭を多めに持っていくことと、散歩の道を変えることを提案したのは、女官の蘭玲だった。
「私はそれが酷く煩わしくてしかたがなかった。そなたは違うようでなによりだ」
梓豪は朱亞の主張を信じない。
……煩わしいか。
朱亞の主張は正しくはない。
可馨が強引に饅頭を与えたわけではない。提案をしたのは女官長の蘭玲だ。蘭玲は可馨こそが皇后にふさわしいのだと思っている。充媛である可馨を皇后にするためならば、殺人も厭わない。
恐ろしい女官を部下に持ったものだと可馨は思った。
同時に自分自身の手を汚さなくても良いことに安堵していた。
……私の性格を知れば寵愛はなくなる。
心が痛む。
演技をしているからこそ、寵愛されているのだ。本来の性格では見向きもされないのだろう。それをわかってしまっているからこそ、可馨は涙を流した。
「なぜ、泣く」
「王昭儀が不憫でなりません……」
「そなたは優しすぎるのだ。そなたを疑う者のことなど、放っておけばいい」
梓豪は騙されていることを知らない。
気づいていない。
それがおかしくてしかたがなかった。
可馨は涙を拭い、梓豪の手に少しだけ触れる。




