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魔導士な彼と眷属な彼女の怪異なる日常  作者: なるのるな
彼の話

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2 異世界の〝ハル〟

 ◆◆◆



「ハルよ。悪いがお前はクビだ。クラン〝(よい)明星(みょうじょう)〟から追放する。これは決定事項だ」


 古ぼけた応接用の机を挟み、二人の男がソファに腰掛け対峙していた。


 見るからに上質とは言い難いソファに、どっしりともたれた初老の男が堂々と宣告する。


 それは大聖堂の司祭のようであり、罪と罰を知らしめる裁判官のよう。


 たとえその場が、安酒場のような若干すえた臭いのする室内であってもだ。


「……理由を聞かせて欲しい。そりゃライエルやファティナたちに比べられると見劣りするだろうけど、俺だってそれなりにクランに貢献してきたはずだ」


 ハルと呼ばれた男が口を開く。


 クビを宣告された側であり、無精ひげのある、ひょろりとしてどこかくたびれた様子の三十路頃の男。


「ふぅ……理由を聞かせろだと? ハルよ、いちいち言われなきゃ分からないのか?」


 呆れながら応じる。五十も半ばを過ぎ、六十に届くかという男。がっしりとした体格で厳つい面持ちだが、身綺麗にしておりさっぱりとした清潔感を纏っている。


「分からないね。いや、別に追放が嫌だと言ってるわけじゃないんだ。それがクランの決定事項なら逆らう気なんてない。粛々と従うさ。……ただ、根無し草の〝漂流者(ドリフター)〟である俺なんかを拾い、この世界で曲がりなりにも生活できるようにしてくれたのはヘイウッドさんだ。追放されるのはいい。だけど、俺はクランマスターであり、大恩人でもあるヘイウッドさんの口から、直接その理由を聞きたいんだ」


 一見すると、そのくたびれた雰囲気も相まって眠そうな目つきではあったが、その瞳はまっすぐに強面の男……向いに座るヘイウッドに向けられている。そこには確かな本気が宿っている。


「そうか……ふっ。この世界に流れ着き、泣きじゃくってるだけだったガキが……一丁前の口を利くようになったもんだな」


 ふと、ヘイウッドの厳しい顔が少し緩む。彼の胸には、目の前にいるハルと過ごした日々が去来しているのか。


「はは。ヘイウッドさんに鍛えられたからね。無様なのは変わらないかも知れないけど、泣きじゃくってたガキの頃に比べれば、俺も少しはマシになったよ」


 ハルも少し頬を緩める。彼は彼で、どうしようもない現実を受け入れている。その発した言葉の通り、追放自体を否定したいわけでもない模様。


「だったら……俺もはっきり言ってやろう。ハルよ、心して聞け」


 軽く笑みを浮かべながらも、ヘイウッドの言葉に重みが増す。


「……あぁ、聞かせてくれ」


 応じるハルも覚悟はできている。そもそも彼には、追放の事情について心当たりがありありとある。ヘイウッドの心情も理解している。


 クランマスターであり、ハルの〝この世界〟での育ての親とも言えるヘイウッドが、僅かな沈黙の後に告げる。


「ハル。お前、クランの金を盗んだな?」


「……」


「その盗んだ金を貢いで、ローズ娼館のリエルナ嬢を店の外でこそこそ口説いてたそうだな?」


「…………」


「で、とうとうリエルナ嬢と一夜を共にしたとか? それもローズ娼館に無断で。許可なしで」


「………………」


「更に、残った金をちらつかせて、教会の修繕と引き換えにガラ地区の修道女(シスター)ケイトにも言い寄ってたとか?」


「……………………」


「他にもクラン〝白銀(しろがね)〟のアーラ嬢にも粉を掛けていたそうだな?」


「…………………………」


「あと、〝宵の明星〟ライエル名義の掛け払いで、ヒュージ商会から宝飾品をいくつか買ったな?」


「………………………………」


「その宝飾品の一つを、ライエル名義の証文と熱烈な恋文付きでミーシャに渡しただろ? ご丁寧に、代書屋で筆跡を似せるように依頼までしてたんだってな? で、残りの宝飾品は逃走資金にでもしたか?」


「……………………………………」


「……ハル、お前なぁ。他はともかくとして……いや、他も酷いんだが……いくらファティナに手酷くフラれたからといって、今さらライエルに洒落にならない嫌がらせをするな。あいつらは新婚なんだぞ? ミーシャまで巻き込みやがって……お前がフラれたのは何年も前だろ? 流石に今回は二人とも本気でブチギレて、お前の身柄を確保しようと躍起になってる。あぁ、ちなみにお前を追ってるのは二人だけじゃないぞ。ローズ娼館やリエルナ嬢の後ろ盾の貴族家に、ガラ地区の有志一同や〝白銀〟のアーラ嬢の親衛隊たち、ヒュージ商会の用心棒連中もだ。あと、都合よく利用されたミーシャも当然に怒り心頭だ」


「…………………………………………」


 宣告自体は真剣ながら、その内容はくだらなくて酷いもの。


 きりっとしたシリアス顔で宣告を聞くハルだが……ヘイウッドの語る内容が事実ならば、この馬鹿がクランを追放されるのは当然の帰結。むしろ、追放だけでは手緩いだろう。


「ったく、余計な手間を掛けさせやがって……まさかこんな片田舎に潜伏してたとはな。なにが恩人の口から直接理由を聞きたいだ! 散々逃げ回ってたくせに訳の分からない格好をつけやがって! 往生際がいいのか悪いのかはっきりしろッ! そもそも本気で逃げる気満々だったくせによォッ!」


 ついに耐えられなくなったヘイウッドが吠える。


 彼からすれば、身元引受をした馬鹿の後始末に奔走する羽目になった上、ようやく片田舎の安宿で当人を捕まえたかと思えば、謝罪や言い訳はなく、いけしゃあしゃあとそれっぽく気障(きざ)なセリフを吐くという有様。即座にブチキレなかっただけで偉い。ヘイウッドの忍耐力に幸あれ。


「はは。ヘイウッドさん、あんまりカッカすると身体に(さわ)るよ? もう若くないんだから健康にも気付けないと……」


「元凶であるお前に心配される筋合いはねェェッッ!!」


 ここにきて更に煽るハル。もうヘイウッドも我慢しない。即座に目の前の机を蹴り上げ、実力行使に出る。飛び掛かる。


「おっと。そう簡単に捕まってやれないね! ま、俺はもうじき〝強制退場〟だから、別に捕まっても構わないんだけどさ! はははッ!」


 追われる身として動きを読んでいたのか、ハルはソファから立ち上がりヘイウッドから退避する。飛び退く。


「ッ!! てめぇ! やっぱりか! 最後の最後にこんな面倒な騒動起こしやがってェッ! この俺に恨みでもあるってのかッ!?」


「ははは! もちろんあるに決まってるだろ! 右も左も分からない、(かどわ)かされた直後のいたいけな異世界人を騙しやがって!! な~にが〝漂流者(ドリフター)〟はダンジョン攻略が責務だ! クラン加入が義務だ! そんな責務も義務も! 風習すらもなかっただろうが!」


「お、おまッ! 十年も前のことを! なんだかんだでお前も納得してたんじゃないのか!? ねちっこいやつだなッ! そんな性根だからファティナにフラれたんだぞ! あと、ミーシャやアーラ嬢にもな!」


「う、うるさいな! それは今関係ないだろ!?」


 子供の口喧嘩のようなやり取りではあったが、それぞれ身体だけは立派な大人であり、二人ともがそこそこ以上に〝戦える者〟という性質(たち)の悪さ。


 逃げるハルに追うヘイウッド。


 魔法により底上げされた身体能力で暴れる。安宿の狭い室内だ。当然に建付けも上等ではないため、二人の追いかけっこの反動であっさりと備品が壊れる。ドアが弾ける。壁が軋む。床に穴が開く。


「ちょこまかと鬱陶しい! 諦めておとなしく捕まりやがれ!! じきにライエルたちも来る! もう逃げられねェぞ!!」


「HAHAHA! I・YA・DA・NE! どうせならタイムリミットまで逃げ切ってやるさ! せいぜい俺がいなくなった後、関係者たちに言い訳して回るんだなァ!」


「この野郎! 説明しにくいのを知りながらッ!」


 逃がさない。ここで捕まえるという意思と魔力(エーテル)が込められた手を伸ばすヘイウッド。


 まさにその手がハルの腕を掴んだ瞬間。


「ぐッ!? し、しまったッ!!」


 ばちりという音と共にヘイウッドの手が弾かれる。思わずたたらを踏むように体が流れる。


「あ、甘いぜ老いぼれッ!(うぉ!? い、今のはやばかった!)」


 ヘイウッドの一手はハルの虚を突きはしたが、結果としては不発。思う結果に届かない。


 淡く光る薄い膜のような風魔法を身に纏っていたため、半自動的にヘイウッドの手を払った形。ハルの優位だ。


「ははは! ここは俺の勝ちだなヘイウッドさんよォ!!」


 流石にクランマスターと言えども寄る年波には勝てないのか、一転して隙を突かれる。


 ハルが宿の窓を突き破って逃げるのを許してしまう。


「くそ! 待ちやがれハル!!」


 古今東西津々浦々。たとえ世界が違っても、待てと言われて待つ者などいない。


 部屋は三階だったが、身に纏う風魔法によってハルは事も無げに悠々と着地して見せる。逃げ果せる。


「じゃあな! ヘイウッドさん! 今まで世話になったよ! これまでの世話ついでに諸々の後始末も頼むぜ!! ああ、リエルナにはよろしく伝えてくれッ!」


 煽り散らかす。ハルは()()()であるヘイウッドへの捨てゼリフも忘れない。ご丁寧に、あっかんべーとお尻ぺんぺんまで添えて。子供か。


「んなッ!? こ、この野郎ォォッッ!! お、おい! 神使(しんし)ネロ様よッ! まさかハルをこのまま逃す気か!? こんな所業を〝神〟は黙認するのかッ!?」


 それは〝この世界〟においての反則。


 ヘイウッドは無理を承知で訴える。この世界の()()()()に呼び掛ける。


「……はっ。無駄だよヘイウッドさん。そもそも俺が強制退場させられるのは、その〝神使様〟の指示だ。別にこっちは望んじゃいないってのによ……くそ」


 脱兎のごとく駆けながら、ヘイウッドの反則的な訴えを背に聞いたハルがぼそりと呟く。


 その表情(かお)は陰鬱。少なくとも楽しげではないのは確か。


 馬鹿げた騒動を引き起こしはしたが、それはそれとして……彼は彼で〝強制退場〟の決定に不服がある模様。


 考えれば当然の話だ。


 なにしろハルは、十年以上前にこの世界に強制的に連れて来られた異世界人。日本人だ。当時は高校一年生だった。


 発端こそ自身の決断だったが、別に異世界転生や異世界転移を望んでいたわけでもない。色々と追い詰められていたが、現実とファンタジーの区別は付いていた。その辺りの正気は保っていた。


 が、自身の命を終わらせようとマンションの廊下から跳んだ時……彼は思い知る。気付かされた。


 自身の認識していた〝世界(現実)〟が、思いの外に荒唐無稽でフィクション的だということに。


 ()()()()()だ。


 マンションから跳び、楽しくもない束の間の紐なしバンジーを堪能している時に、彼は連れ去られた。()ばれた。


 しかも、彼が異世界へ送られたのは、選ばれるべくして選ばれたという類のものでもなければ、隠された力の覚醒がどうの、血筋がナンタラなどでもない。


 他の者の巻き添え的なオマケ。早い話が喚んだ側のミスだった。


 当然、そんな理由で異世界に飛ばされたハルは納得などしなかった。しなかったのだが……元々、どうしようもない現実から逃れたくて自死を決意した彼だ。


 しがらみのない世界。フィクションでお馴染みなファンタジーな異世界で、新たにやり直すことができるという状況に心惹かれたのも事実。


 諸々のトラブルや葛藤を乗り越え、自身の境遇を受け入れ、元の世界と決別し、〝ハル〟という異世界人として、クラン〝宵の明星〟の一員となり、剣と魔法とダンジョンのあるこの世界でやっていくと決めた。


 そして、実際に十年以上の月日を異世界で過ごした。なんとかやってきた。


 にもかかわらず、ある日、ハルは〝神使〟から唐突に告げられる。


『元の世界に戻す』と。


 今のハルにとっての生活の基盤、ヘイウッドをはじめとした諸々の人間関係などはこの世界にある。もはや〝こちら〟に根付いていると言えるほど。転移直後ならいざ知らず、今さら元の世界に戻されたところで手放しで喜べるはずもない。


 この世界に留まるためにごねて反抗したり、取引を持ち掛けたり、おもねって懇願もしたが……どうやっても〝神使〟の決定が覆らないとハルは知った。


 結果として荒れる。


〝どうせなら、今までやれなかったことをやってやる!〟というある種の自暴自棄メンタルに至り一連の騒動を起こした。


 ただ、実際にやったことといえば、恩人の金を盗んで高嶺の花の女性を口説き、片思い相手と結婚した年下のイケメンへの嫌がらせというのだから、そのスケール感は小さい。みみっちい。


 しかも、事が露見しそうになると、大っぴらに開き直るほど振り切れず、罪悪感に駆られて逃亡するという有様。自暴自棄になったわりには小者(こもの)メンタルだ。


「あばよ、ヘイウッドさん。色々とあったけど……本当に感謝してるんだ。最後に顔を見れて良かったよ」


 石畳の路地を駆けながら、寂し気に呟く騒動の元凶たる小者。素直に寂しいと言えない、面と向かって真剣に感謝を伝えることもできない捻くれ者。


 ハルからすれば、ヘイウッドは〝神使〟が選んだこの世界の案内人(ガイド)だったのだが……異質な異世界人としてではなく、一人の人間として、彼が正面からハルに向き合ってくれたのは紛れもない事実。


 本気で叱り、本気で誉めた。共に笑い、共に泣いた。


 ハルをクランメンバーとして、家族として迎え入れてくれたのは、他でもないヘイウッドだ。


 元の世界では、ハルはそんな人物に巡り会わなかった。会えなかった。


 実の両親ですら、目に見えない壁を挟んで当たり障りのないやり取りに終始していた。そうとしか思えなかった。


 もっとも、今となっては、嫌なことから目を背け、平気なフリをしてやり過ごし、他者に対して本気で踏み込もうとしなかった馬鹿なクソガキだった自分が悪かったのだと……そう振り返る余裕すらハルにはある。


 ただ、諸々の反動なのか、ハルはヘイウッドにはついつい甘えが出てしまう。無自覚に。


 恩人である彼の金を盗んだのも……親に甘えてじゃれるようなもの、構って欲しくてやってしまったようなものだったのかも知れない。


 いい歳をした三十前の息子と六十に届く親の醜くもくだらない親子喧嘩。


 巻き込まれた者たちにとっては迷惑極まりない話だ。


『ハル。そこでストップだよ』


 内心で勝手にヘイウッドへの別れを告げ、調子よく路地を駆けていたハルはそんな声を聞いた。


「んがァッ!?」


 次の瞬間、まるで電流を流されたかのように頭から足先までがピンと伸び、いきなり硬直するハル。


 走っている最中の強制停止。全力疾走の勢いそのままに、受け身も取れずに顔面から石畳に叩きつけられて滑って行く。


 不幸中の幸いなのか、薄い膜のように身に纏っていた風魔法の護りは効果を維持しており、顔面が無惨にすりおろされるのだけは回避できた模様。


「おぅふ! ぐぶッ……おぇ……!」


 しかしながら、転倒時の激しい衝撃までは吸収できなかったのか、彼は滑りながら()せるという稀有な体験を味わう羽目に。


『まったく。元の世界に戻れるってタイミングでなにをやってるんだか』


 再度声がする。呆れたような声がハルの頭に響く。


「ぐぇ……ネ、ネロか!? な、なんだよ今さら! こ、ここで介入してくるのかよッ!?」


 強制ヘッドスライディングは止まったが、硬直して動けないまま。起き上がれない。石畳の路地に倒れた状態でハルが怒鳴る。


 身体の自由が奪われるという混乱はあったが、彼は自分の身に起きた出来事を理解していた。


 それは〝神使〟からの介入。矮小なるヒトが逆らえない事象だ。


『ふぅ……別に君が()()()()になにをしようが介入するつもりはなかったよ。ボクだってこんなくだらないことに、いちいち目くじらを立てたりしないし』


「だ、だったらこれはどういうことなんだよ!?」


 腑に落ちないとしてハルが(わめ)く。ネロと呼ばれた〝神の使い〟に。


『いや、普通に案内人(ガイド)から要請があったからだよ。〝神々〟は、漂流者(ドリフター)が現地の法を犯す程度じゃ介入なんてしない。けど、担当の案内人から要請があり、それが現地の法に照らし合わせて適正なら介入するってだけ。()()()ボクにこんな説明をさせないで欲しいんだけど?』


「んな!? そ、そんなの聞いてないぞッ!? ヘイウッドさんが要請したらネロは応じるのかッ!?」


 ハルからすれば寝耳に水。長らくの異世界生活で、そんなルールがあるなど聞いていなかった。知らなかった。


『直接的には知らせてなかったけど、いつも口酸っぱく言ってたでしょ? 君にとっては荒唐無稽なフィクション的な世界だとしても、この世界で生きる人々はNPCなんかじゃない。法を犯せば法で裁かれるし、相手次第では権力や違法によってやり返される可能性だってある。殺されれば当然に死ぬ。次の()()()()はないって』


 ネロからすれば当たり前の説明。これまで、折を見てハルに言って聞かせてきた内容を繰り返す。


「うぐ……ッ……い、いや、論点がずれてるし! 俺が聞いてるのは、ヘイウッドさんの要請にネロが応じるのかどうかってことだ!」


『まだ言うの? 相変わらず往生際が悪いね、ハルは。あのさぁ、今回の君は〝元の世界に戻る〟というシステム的な状況を利用して悪事を働いたんだよ? ボクというシステムを通じてやり返されても仕方ないでしょ? これが神々の裁定と無関係な状況だったなら、ボクだってヘイウッドの要請に応じてないさ。だけど、今回の要請は至極まともだったからね。決裁もすんなりと下りたよ』


 片田舎の薄暗い路地に座り、長い尻尾をゆらゆらと左右に揺らしながら、地に伏したハルを見下ろす猫がいる。


 黒猫だ。


 真っ黒で艶のある毛並みに、金色の光彩が見える。


 呆れの色を滲ませながら淡々と説明を重ねる黒猫。神使ネロ。異世界人ハルを……漂流者(ドリフター)をサポートするデバイスであり、彼を異世界に喚んだ存在。つまりは〝ミス〟をした張本人だ。


 ネロは長々とハルに語っているが、ようするに〝どうせもう終わりだから〟と、小心者が最後の最後にはっちゃけたところで碌な結果にならないということ。


 因果応報や自業自得と呼ばれるナニかが、今回については手早く確実に仕事をこなしたというだけだ。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! じゃ、じゃあ俺はどうなるんだ!? 直に元の世界へ戻すって言ってたじゃないかッ!? 今回の件で罰を受けるなら、そっちもなしになるのか!?」


 ハルが気になるのはそれ。


〝神々〟の決裁が下りてこの世界で罰せられるなら、元の世界への送還もなしになるのでは……と期待してしまう。


 元の世界に戻らなくいいなら、罰を受けるのもやぶさかではない。恥など飲み込み、関係各所への土下座行脚でもなんでもして見せる。


『残念だけど、このままヘイウッドたちにボコボコにされた上で元の世界へ送還されるってだけ。あ、盗んだお金や壊した宿の弁済については、リエルナが肩代わりするって申し出てくれたから、そっちは〝上〟もスルーしてくれたよ。良かったね。彼女は前々から君のことを憎からず想ってたんだってさ。最後だからと自暴自棄的に金を積んで口説くより、そのままの君で正々堂々と普通に口説いていたら……色々と結果は違っただろうにねぇ……はぁ、情けない。これだから童貞は……』


「どどどど童貞ちゃうわ! ……って結局元の世界に戻されるのかよ! い、いや、それよりも! リエルナの申し出ってなんだよ!? 彼女もネロに接触できるのかッ!?」 


 路地で寝そべり、猫に向かってわーわーと叫く人物がいれば、都会であろうが片田舎であろうが不審者で間違いない。疑う余地はない。


 さらに、その当人を追っている者からすれば……これほど分かり易い騒ぎもない。


 追い着いたヘイウッドに、ハルがなす術もなく確保されるのは、まさに必定というもの。



 ◆◆◆ ◆◆◆



「えぇぇ……娼館って……邑山君は風俗とか行く感じの人だったわけ?」


「いや、食い付くとこソコなの?」


 邑山晴桂と沙原友希。


 二人は怪異どもがいなくなった領域に……国道沿いの公園に留まったまま。


 沙原はブランコに座り、邑山は遊具の横に設置されたベンチに腰掛けている。


 彼女との〝取引〟によって、彼は〝邑山晴桂〟が辿って来た道のりを語っていた。


 わざわざ、魔法による映像付きで。沙原の目の前には、プロジェクター投影されたかのような画面が浮かんでいる。


「ま、今さら沙原さんにどう思われようと構わないんだけど……娼館に通ってたのは、周りに同調するための儀式みたいなものだよ。別に()(この)んでってわけじゃない。〝向こう〟の人たちは誰も彼もが美形過ぎて引け目を感じたし、そもそも性病とかも普通に怖かったし……まぁぶっちゃけると性欲よりもヘタレ根性の方が勝って最後まで慣れなかったな……ははは……あー……くそ」


 どこか虚無的な遠い目をして、渇いた笑いと共に吐き出す邑山。


「うわぁ……めっちゃ後悔してるじゃん。〝本当はもっとはっちゃけたかったです!〟って感じが漂ってるんだけど? そういうところはちょっとキモいかも? 精神的な童貞臭さを感じるみたいな?」


「はぁ……もうなんとでも言えばいいさ。とにかく、俺は〝向こう〟の世界で、ダンジョン探索をする組織に属してたわけ。ほぼほぼ強制的にね」


〝神〟に喚ばれた異世界からの漂流者。


 邑山晴桂は、漂流者(ドリフター)のハルとして生活していたところ、強制的に元の世界に戻されることになったという話だ。


「結局のところ、邑山君が異世界に連れて行かれたのは本当にミスだったの? その……〝神様〟とか〝神使〟とかの」


 映像化された邑山晴桂の記憶のダイジェスト版を、当人からの説明込みで観ている沙原ではあったが、神、神使、異世界人、漂流者、ダンジョン、クラン、魔法、スキル……等々。その世界観の()()などについてはさっぱり分かっていない。もはや流し見や聞き流しという感じだ。


「確認する術がないけど、ネロはミスだったと認めていたよ。なんでも、あの日、ネロは別の人たちを異世界に〝招待〟したらしいんだけど、俺はその巻き添えだったんだと。元々、あの世界の神々は定期的に他の世界から人材を強制連行してるらしいんだけど、そのシステム自体が割りと大雑把で、巻き添えも普通に多いんだとか」


「……はた迷惑な話ね。それで邑山君は〝ミスだったから帰っていいよ〟ってなったの?」


「厳密にはこっちの世界に〝呼び戻された〟らしい。十三年という年月が経過した後にだけどね。どういう理屈でそうなったのかまでは知らないけど」


 邑山はテンプレ的な巻き添え異世界転移を果たし、チートとまではいかないものの、向こうの世界基準でそこそこの魔導士として成長する基礎的な加護を得た。半ば強制的に押し付けられた。


〝こっちのミスだったけど、どうせ元々死ぬつもりだったんだし別にいいよね? ちょっとしたお詫びはするから、あとはこっちの世界で頑張ってね〟という具合に。


 その上、十年以上の月日を経て〝そろそろ元の世界へ戻すね〟と来た。理不尽極まりない。


「詳細までは知らないけど、〝向こう〟で神として認知されてる存在は、この間の山の神様みたいな怪異的なモノじゃなくて、あきらかにニンゲンっぽい思考をした連中だったよ。少なくとも、俺が会った一人はそうだった。ミスもするし、辻褄合わせの嘘も吐くし、こっちの感情に訴えかけて来たり、ダンジョン攻略のために異世界から人を浚ったりもするしさ。地球文明を遥かに超えたテクノロジーなり魔法なりを持つ超越者なのは間違いないだろうけど、よくも悪くもニンゲン臭いというか……あと、神使なんて呼ばれていたけど、ネロは自分のことを神々のデバイスなんて名乗ってた」


「へぇー……もしかして、オカルト漫画じゃなくてSFっぽいやつ?」


 そう聞く沙原の口調は軽い。彼女はもう考えるのを止めている。分野違いが多少あるだけで、フィクション的なことに違いはないからと。


「さてね。少なくとも〝こっち〟に戻って来てからはオカルト〝バトル〟漫画って感じだけどね」


 そして、当の邑山もその辺りの思考は放棄した。確認のしようがない上に、考えてもどうにもならないからと。


「ふーん。まぁいいか。それで、この小汚くて軽薄な〝ハル〟はこの後どうなったの?」


「……悪かったね、小汚くて軽薄で。あれはあれで、俺なりの〝向こう〟での処世術ってやつだったの。ふぅ……じゃあ続きを見せるよ」


 止まっていた映像が……邑山の記憶を映像化したものが動き出す。



 ◆◆◆

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