9話
花嫁一行は長老の家の裏手から続く林中の細道を通ると、かつてユジュアがアリーシアと訪れた大樹の前の開けた花畑へとたどり着く。リンデッタの足元を彩る花畑を真っすぐ進み、丁度大樹の目の前、この花畑に入るための正道と重なる位置になったときのことだった。
加護が切れた村の中に魔物が三匹、姿を現した。足元には昨日も見た血で描かれる魔法陣が張られている。フレイは、ユジュアが瞬時にアリーシアを庇いながら剣を構えたことを確認すると、走りながら抜剣し、花を散らしながら駆け寄ってくる魔物の身体に流れるよう刃を入れた。綺麗に首が落とされたそれらは黒い泡となり宙に消えていく。
「ユジュアくん、アリーシアを頼む」
魔法陣から次々に湧き出る魔物に向かって、フレイは駆け出した。魔物たちは単調で、フレイに視線が向き、花嫁の姿は捉えてない。
「長老」
「急ぐぞ」
ユリハが短く問いかけたのに対し、長老は迷いなく答える。
花畑を進み、リンデッタの左側にある墓地を抜けて裏手に回ると、根が盛り上がり、二人通れるほどの空洞が空いている。その空洞には青白い光を放つ術式がかけられており、その前にあの少女が魔物を撫でながら立ち尽くしている。
「っ……!」
「やーっぱりお姉さん、やっぱり花嫁さんじゃない。嘘をつかれて、スイレン、泣いちゃう」
言葉に反してにこやかに笑う少女は、瞳の中にアリーシアを映す。
「アリーシア、下がって」
「うん……」
鞘から剣を抜き、刃先をスイレンと名乗る少女に向ける。
スイレンが手を前に突き出すと撫でられていた魔物は勢いよく手の先へと駆け出し、アリーシアを狙う。
「させない!」
ユジュアは魔物を斬るとスイレンを睨みつける。互いを瞳に映し少女は口角を歪ませた。先が広がっている袖からナイフを取りだし、邪魔者であるユジュアに襲いかかる。
ユジュアより一回り近く幼い小柄な少女は、気が付けば距離を詰めて、眼前に迫る。一瞬見せた予備動作で一か八か横にそれると先程まで首があった位置へナイフを突き出して薙ぎ払った。ユジュアは息を飲んでる間に、少女は軽い足並みでユジュアの刃先が届かない位置まで下がり構える。
そうして、再び飛び掛かってくると短い刀身に全身の体重を乗せた重い一撃を放ち、刃を滑らせて身を守ることしか叶わない。繰り替えされる素早い動きに押され続け、耐えた末に少女の攻撃を弾いた。
少女と距離の空いたユジュアは息を整え、視線を前に向ける。少女の動向を探りながら、どうにかしてアリーシアたちを先に進ませなければならない。と、考える時間すら与えられないこの状況で、ユジュアは腰を落として走り出しては足元の草を土ごと掴んで少女へ投げつけた。
咄嗟なことに少女はナイフを握る利き腕で土を庇う。その一瞬のことだった。ユジュアは躊躇いなく剣を振り下ろし、少女から悲痛な声があがる。
「アリーシア!」
「ユジュア、ありがとう」
花嫁姿のアリーシアと執行者である長老たちは術式がかかっている空洞に入っていき、この場にいるのはユジュアと少女の2人だけになった。
ユジュアはこの後の少女の行動は何も考えていなかった。
ただ、僅かな時間でもいい。アリーシアを儀式の間に送り届けるだけの時間を稼げれば十分だと強く思って動いた結果であった。
「あの方に愛される私を……よくも!」
逆上した少女は腕の痛みから目を背けて先ほどまでの的確さが欠けた乱撃を繰り返す。力の抜けた攻撃は、体格差のあるユジュアが遙かに有利であり、少女のナイフを弾き飛ばすと彼女の顔は歪んだ。
その表情は死を察した、絶望と悲痛が織り混ざるもので「……あ」と小さな声を上げると顔を伏せて目を瞑る。しかし、ユジュアが剣をそっとおろして鞘に納めると、少女は勢いよく顔をあげて、ユジュアを見つめた。
「……なぜ」
「俺はリンデッタの花嫁殿を無事に送り届けるためにいる。人を殺すためにここにいるわけじゃない」
「甘言を……!」
少女は腕を振るって詠唱し、魔法陣が浮かび上がるがそれは少女の意に反して何も起こらなかった。
「大樹の前の花畑に魔法陣があった。君は、魔力が枯渇してこれ以上魔物を呼び出せないんだろう?さっさとここから去った方がいい」
ユジュアはアリーシアたちが入っていった空洞を見つめて少女に告げる。少女も察したのだろうか。落としたナイフを拾い、「今度、邪魔したら許さないから」と吐き捨てると駆け足で去っていく。
少女の背中を見つめてため息をついたユジュアはその場で倒れこんだ。
空洞から大樹に入り込んだ三人は、薄暗い足元を魔術で作り出した光球で照らしながらゆっくりと降る。
大樹の中は螺旋階段があり、その最下層に儀式の間が存在していた。代わり映えのない景色をずっと降ってたどり着いたのは地下とは思えないほど眩しい部屋だった。
部屋一面に赤い花が咲き誇り、長老やユリハより聞いていた先代のリンデッタの花嫁──ユリハの母が頭上に付けていた花によく似ている。そして、そんな花の中心には八重咲きの花弁の形をした台座が佇んでいた。
「リンデッタ」
アリーシアは透き通る声で力強く話しかけた。その声に呼応するように台座は光を発する。それは、アリーシアを招き入れる合図であった。
その合図にアリーシアは無自覚に息を飲んだ。死を恐れているのではない。リンデッタに拒絶され、儀式が上手くいかないこと──村に加護が与えられないことを恐れた。
首に下げた銀のペンダントを鼓舞するように握りしめると、カーペットのような赤い花畑の中をゆっくりと進んでいく。
そうして、純白で無垢な花嫁は長老たちに見守られながら花の形をした台座に腰をかけて目を瞑った。
──何もかもを。この立場も、運命も。すべてを捨てられたら、どれほどよかったのだろう。しかし、それらをすべて捨てた私は、私であって私じゃない。
心の中で自問自答し、自然と力が抜けていく。
瞼の裏で。何も見えないはずの暗闇の中で、視線の先に彼女の姿が見える。
「リンデッタ」
アリーシアはすぐに悟った。これは迎えだと。
ゆっくりと近づき、彼女に手を差し伸べる。
「さあ、私を連れて行って」
諦めたように笑うと、リンデッタはアリーシアの手を取る。
「──ありがとう、アリーシア」
「お礼なんていらないよ」
花に魅入られた少女はアリーシアを手放した。
ユジュアは視界一杯を覆う大樹を視線を見つめていた。一目奪われただけの少女と過ごすたった数日間は充足に満ちていて。ユジュアにはその理由が理解できて、わからなかった。
そして。目の前に広がる世界では、青々と生い茂る緑に彩りを与えていた赤色ではなく、穢れを知らない純粋で美しい白色が開花する。
「アリーシアみたいだ」
思わず手を伸ばしてみたくなるほどに。
数日前に埋まって一杯となった心の一部がぽっかりと空いて呆然とした。
彼は覚悟を決めていた。だからこそ、彼の意志と反比例して、目から透明な花びらが舞い落ちる。
ぽつり、ぽつりと。
「君が俺に世界を教えて欲しいって言ったのに、なんで君は──」
ユジュアはリンデッタの足元から離れられなかった。




