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4話

翌日、夜明けに目覚めたユジュアは、一通り準備を終えて、窓の傍に置かれた椅子に腰を掛けて空を眺めていた。


村を囲むように生えている木々の葉の上に浮かぶ朝露は、陽の光を受けて眩しく輝く。


「こうして、寝場所が建物内っていうのも、いつぶりだろうなぁ」


座ったまま背を伸ばし脱力する。


野宿の際は、フードがついた茶色のマントに身を包んで木の上で眠っていた。地べたで寝るのに比べれば、まだ魔物や獣に睡眠を脅かされはしないが、それでも熟睡はできない。


「旅。この後はどうしようか」


昨日、村へと続く木々に囲まれた一本道を通る最中のことだった。


楽しそうにカシュラを語る彼女の表情が眩しかった。それほどまでに故郷という存在は愛おしいものなのだろうか、と眠気が混ざって落ち着いているユジュアは考えた。


元はと言えば、カシュラが生まれた土地だと両親から告げられて、数年。ユジュアにとってはやっと訪れた念願の地だった。ただ、今はまだ素敵な場所だとは思うばかりでそれといって特別な感情はなく、故郷の実感は湧いていない。そもそも、故郷の実感とは何たるか分かっていない。


「一族の村へ行くか。それとも、南西に下るか……」


この数年間、カシュラを目指しながらもあちらこちらに寄り道したりして自由に過ごしていた自身が行先に困ることを考えていなかったユジュアは膝を抱えた。






昨日と同じように宿で朝食を取り終えた二人は村の北部、棚畑より奥まった位置に建つ図書小屋へ、アリーシアの提案で遠回りしながら向かう。


道中、畑で農作業していたカシュラの村人たちの姿を何人か見かけるが、各々異なる形と色をした花を体のどこかに宿し、その花は太陽光を浴びて、心なしか喜んでいる気がした。


「ここが図書小屋だよ、ぜひはいって」


アリーシアがたて付きの悪い戸を引くとそこは、薄暗く中段に本が幾つか仕舞われている大きい棚が一つ、二つ置かれ、中央に図書を閲覧するための椅子と机が備え付けられているだけの小屋だった。東側、入って右手側には突き上げ戸があり、そこから漏れた光が微かに室内を照らす。


アリーシアは扉を石で固定させ、ユジュアに次いで小屋に入る。


「村の本が集まっているところなの。みんなに聞くところ、村の記録とか商人から買った謎の絵本とか」


「アリーシアは文字が読めるのか?」


「まさか!私はからっきしだよ。村のみんなは多少できるらしいけど、私はそういうの教えて貰えなかったからさ」


アリーシアは一つの本を手に取る。


「だから、私はこれが好きなの」


机に置かれた、黒表紙により挟まれているそれを開くと村の全体図と周辺図のようなものが現れる。


ユジュアは椅子を引いて、机の前に腰を掛けながら目の前で広がる紙をまじまじと見つめる。


「これは村の地図か?」


「そうだよ。あと村だけじゃないんだ」


次のページをめくり出てきたのはこの村が属しているであろうアーラム王国の王都周辺の地図のような図面。別のページにはカシュラから一番近い町への行き方を示すもの、村周辺に咲く花や昨日訪れた丘から見た村のスケッチ。


「すごいよね」


目を輝かせながらページを次々にめくるアリーシアのその声色は期待と夢が詰まっている。紙を静かに、でも愛おしげになぞっている彼女の目はとても暖かい。


「かつて、村を訪れた旅人が置いていったものらしいんだ。


描かれた文字みたいな線もただの模様にしか見えない。それでもこの地図や絵を眺めているのが楽しいんだ。開けば村には住んでいない花たちと出会うことができる。季節が巡れば枯れてしまう運命にあるこの子たちの姿を残していられる。


ねぇ、ユジュア。外の世界って楽しい?外の世界には、もっともっと、沢山の花たちがいるかな?」


ユジュアはアリーシアを、彼女がその本に向けた眼差しで見つめる。


「一昨日出会った白い花、昨日出会った赤の花。あの子たちとは違う姿形、色、香り。

俺だってラウウェと出会ったのが初めてだったんだ。個性的な花たちは外の世界に沢山いる。大陸南西部の半島にある花の都はなんかは、この村以上に咲いていたしな」


「そっか、そっかぁ」


「それに、今まで大陸南部から中央を歩いてきたんだが、今のような季節なら各地で花が咲き誇っていたはず──」


パァっと表情が明るくなったアリーシアを見てユジュアは問いかける。


「アリーシアは村の外に出てみたいのか?」


一瞬驚きの表情を見せたアリーシアは、口を押さえて目線を逸らす。


「…………興味はある」


アリーシアは花の絵を見つめ、その大きな瞳は伏せられた。


「村の外にいる花に会ってみたい。会話をしてみたい。

それは、この本を手にしてから私の心の中で渦巻いて、好奇心に満ち溢れているの。

けれど、私はこの村が大好きだし、外へと踏み出せない」


机の上で広げられた本は静かに閉じられた。


「ユジュアは旅の行先に迷ったことはないの?」


ユジュアはきょとんと眼を見開いた。


今朝の悩みを見抜かしたような問いに、答えが出ない。


「あー……。今までは悩んだことがなかった。ずっとカシュラを目的地にして近辺の町を点々と渡り歩いてきたからさ。だから、今すっごい迷ってる。どうやら目的があってこそ、そこに向かって歩いていられるだけで、気分の赴くままに旅をするのが苦手なみたいなんだ」


「ふーん……」


アリーシアは、少し考えた後、机に両肘をついて、その上で組んだ手の上に顎を乗せてはユジュアを見つめる。机が軋む音を幕開けにゆっくりと口を開いた。


「じゃあ」


「え」


「この本を書いた旅人の様に、外へ出る勇気がない私の代わりに世界の花を教えてくれないかな」


アリーシアは上目遣いのまま口角を上げて微笑む。


「俺が?」


「そう、ユジュアが」


その言葉は迷うユジュアへの道しるべ。戸惑うユジュアを差し置いて、彼女は言葉を続けて紡ぐ。


「もし、他の目標が見つかった時は、その目標に向かって進んでくれればいい。

これは、あくまでそれまでの繋ぎとしていいんだ。知り合ったばかりの友人の我儘として受け取ってくれないかな?」


「ま、待ってくれアリーシア。俺は、生まれてこの方絵を描いたことがない。期待に副えるものはとてもでも描けない」


「あはは。それは残念だ」


「ちっとも残念そうじゃない……」


ユジュアが小声で呟いている間、一息ついたアリーシアは立ち上がると背後の本棚に戻そうと動き始めるが、振り向いて本を持ち上げた瞬間よろめいた。


「アリーシア!」


ユジュアは咄嗟に机から身を動かし、辛うじて間に合って倒れる寸前のアリーシアの細い身体を左手で支える。


彼女の手から滑り落ちた本は大きな音を立てて床に転がった。


「大丈夫か?」


頭を、厳密には左頭にいるラウウェのあたりを抑えている彼女の呼吸は乱れていた。ユジュアに支えられたまま床にへたり込んだアリーシアの隣に座り背中を擦る。


少しして落ち着いたアリーシアは顔をあげて「大丈夫」と答える。


「たまに、ラウウェが何かに反応して頭痛が起こるんだ。でも、今は痛みが引いたよ、心配してくれてありがとう」


どこか引きつったような笑顔を見せるアリーシアに、ユジュアは一息ついてゆっくりと椅子へ腰かけるよう誘導する。


「収まったなら良かったが今日はこれ以上はやめておこう。少し落ち着いたら家まで送る。また明日、案内してくれないか?」


「ユジュアがそれでいいのなら」


ユジュアは静かに頷いて床に落ちてしまった本を拾い、表紙を見つめて棚へと戻した。それと同時のタイミングでため息をついたアリーシアは机の上で伸びる。


「これは、兄さんたちにも伝えられていないのだけど……近頃、この頭痛が頻繁に起こるんだ。


一度だけ、一番初めにこの村の長で私の育ての親でもある大婆様に話したことがあるけれど教えてはくれなくて。


って、どうしてこんなことを話し始めたんだろう、私」


「アリーシア」


ユジュアはアリーシアの頭をそっと撫でた。その予想もしていなかった行動に驚いたアリーシアは、急に起き上がり、その白い肌に紅を乗せている。


「す、すまない」


「謝らないで!少し驚いただけ……慣れていない、わけじゃないのに」


お互いに顔を逸らし、同じタイミングで目線が合う。二人は照れくさそうに笑う。


「あーあ。帰りたくなくなっちゃった」


意地悪そうにはにかむアリーシアの手を、膝を折るユジュアは受け取ってから甲に口付ける。


「そんなことは言わず帰りましょう、お姫様」


「わかっているよ」


立ち上がるユジュアの手に引かれ、ゆっくりと腰をあげる。


「また明日、楽しみにしてる」


「ああ」


狭い小屋の中、秘密の逢瀬は幕を閉じた。


帰路に着いた二人が互いの最後の戯れに赤面していたことを知るものはいない。

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