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3話

二人は朝食を食べた後、村から南西に生い茂る林を抜けて、開けた、灘やかな丘にたどり着いた。


この丘は村より標高が高く、村の方角は突き出た崖で視界を遮るものもないため全貌が手に取るようにわかる。


赤い花と緑の葉を携える大樹が中央にそびえ立つカシュラは、北部は大樹の根が盛り上がりできた山と南部の平地という立地でできた村であり、主に、北部では棚畑が広がり、南部は木造家屋が立ち並ぶ。


そして、中央の大樹を守るように林ができており、大樹の足元は隠されている。


「ここは村一面が見渡せる、とっておきな場所なんだ」


アリーシアは満面な笑みを浮かべ、ユジュアは目の前の情景に心奪われた。


「ああ。とても……いい場所だ」


ユジュアは思わず笑みを浮かべる。そんな彼を見たアリーシアは満足気に笑った。


「そうだよ。とっても、とっても。いい場所なの」


少し小高く開いた丘にささやかな風が流れ、この世界にはたった二人しか存在していないような、そんな静けさの中、アリーシアは続ける。


「こういう景色は外の世界にもあるの?」


「似たような景色であれば、いくつか見たような気がするんだが、どうしてだろうな。どれもここには敵わないよ」


「ふふ、そっか。もしかして、ユジュアもここを気に入ってくれた?」


アリーシアは挑戦的な笑みを飛ばした。


ユジュアは目を見開いて驚いた。この子はこんな表情もするのだと。


言葉が途絶えたことに心配になったのか首を傾げる彼女を見て、ユジュアは慌てて口を開く。


「そう、だな。自分でも驚くほどに気に入ってしまったようだ」


「そっかそっか」


ユジュア自身、気付かない程に穏やかに発した言葉が、アリーシアはよほど喜ばしかったのか笑顔を咲かせる。そして、そのまま視線をやや下に向けて、両手の指の腹を合わせて何か言葉を選んでいるようだった。


「えっと、ね。私はカシュラが大好きなんだ。

だから。ユジュアにはもっと、もっと、カシュラを知ってほしい。キミの旅路にカシュラを残してほしいと思ってる」


彼女は小さく首を傾げて「どうかな」と問う。少し目線を逸らしてユジュアはゆっくりと口を開く。


「もちろん、聞かれるまでもないさ。俺もアリーシアを通じて、カシュラを知りたいと思っているよ」


ユジュアはそっと視界を彼女の方へ戻した。彼の目に映ったアリーシアは、満面な笑みを浮かべて「よかった」と安堵している。


「そういえば。ねぇ、ユジュア。

ユジュアは、どうしてカシュラを目指していたの?」


昨日の花畑で遮られてしまった問いを思い出したかのように投げかけられた。


ユジュアは頬を掻きながら「実は」と照れ臭そうに話し始める。


「俺の一族、ノアル族は20歳を迎えると一族の掟で家族と離れるんだ。半数は俺のように土地を巡って各地方でその血を根付かせる。何があってもその血が絶えないようにな。


そこで両親は共に一族の町で育って旅に出たそうだ。そのまま色んなところを練り歩いて、23年前に俺を産んだ。それが旅先のカシュラで、らしい」


ユジュアはアリーシアから視線を逸らして、赤い花をつけた大樹を見つめた。


「だから、カシュラが生まれ故郷と聞いて気になったんだ」


「ユジュアは真っ先に一族の町へと向かおうとは思わなかったの? 」


問いに対してユジュアは少し考えた。


「それは後でもいいかなって。ノアル族の町はここよりかは北東部だけど一応、大陸南部にあるからさ。何より、生まれた故郷ってものはどうなのか知りたかったし、赤い花を咲かす大樹を見てみたかったんだ」


「そっか」


アリーシアの口元は緩み、手を当て笑う。


「なら、生まれた故郷を思う存分みてもらわらないとだね」


「ああ、たくさん教えてくれ」


ふとした瞬間。


アリーシアの方から吹いた風は彼女の白い髪を掬い、ふわりと宙に浮かせる。風で運ばれてくる彼女の香りはユジュアの鼻腔を蕩かし、昨日のような現象に襲われる。


「そうと決まれば、次は大樹リンデッタを案内するよ」


強気に笑う彼女を見て、ユジュアは敵わないと悟った。






丘を降り、村へ戻った二人は、庭園のように一定の間隔で植えられた木々の間を抜けて出た、開けた花畑で真正面に佇む大樹リンデッタを見上げた。


大樹を目の前にして、ユジュアは正面から感じる迫力に言葉を失う。


「これがリンデッタ。私たちの大切な大樹」


「さっきの丘から見ても思ったんだが、この大樹はカシュラの守護者みたいだな」


「村の中心でずっと私たちを守っていてくれるからね」


アリーシアは大樹を真っすぐ見つめていたかと思えば、目を瞑り、祈るように手を胸の前で結ぶ。ユジュアはそんな光景を見守るように見つめていた。


「おめでとう」


「え」


目を瞑ったままアリーシアはユジュアに一言かけると、ユジュアは突然のことで短く驚きの声をあげた。


「な、なにがだ……?」


「リンデッタはキミを歓迎すると、ラウウェが教えてくれた」


自信ありげに頭部の白い花を指した。足元に咲く花々もまるでユジュアのことを祝うように揺れる。


ユジュアは驚いた様子でアリーシアに問う。


「その花と意思疎通ができるのか」


アリーシアは「うーん」と少し悩む。


「基本は花と植物が会話できるの。ただ、宿主である私たちがこの花たちに祈ると内容を教えてくれたり、花が溜めた魔力を分けてくれるんだ。教えてくれるかは花たちの気分次第だけど」


肩をすくめる彼女を見て、ユジュアはそういうものなのかと受け入れる。


足元で咲いている花を見て、ユジュアは一つ問いかけた。


「お前たちもアリーシアのラウウェとは話すことができるのか?」


ユジュアは祈っても決して聞こえることがない。投げかけた言葉は虚しく花に一方的に届けられただけで、何の返答もなかったが、花の代わりに人の言葉が返ってくる。


「ラウウェと話すことができるぞー。だってさ」


「え」


「私、実はラウウェを介さずにも話すことができるんだ。ただはっきりとは聞こえないけどね。この村では私だけができるんだ」


アリーシアはしゃがんで足元の花たちを愛おしそうにゆっくりと花弁を撫で、「そう、私だけ」と繰り返し、リンデッタの方を見据える。視界の左端に見える、削れらた石が並べられた墓地に人影が見えると、そこをぼんやりと見つめる。


人影は、悲しそうに微笑む。


「それは、アリーシアが特別ってことなのか?」


ユジュアからの問いに、アリーシアはユジュアの方へと目線を戻して、目を伏せて考える。


「そうだね。きっと、誰よりも花に愛されたんだ」


その時、ユジュアに向けられた彼女の表情は、いつもの花が咲いたような鮮やかな笑顔ではなく、喜ばしいはずなのにどこか諦めたような笑顔だった。それは、気付けば暮れた日差しの、寂しい赤色の灯りのせいではない。


「そうだ!明日は村の書庫へと行こう。そこで、もっとユジュアのことを教えて欲しいんだ」


「あ、あぁ」


ユジュアは静かに頷いた。それを見てアリーシアは優しく笑う。


「あとは宿まで遠回して帰ろう。さあ、こっち」


アリーシアは立ち上がり、歩き出す。


ユジュアはアリーシアの後ろを姿を一目見て、リンデッタを見上げた。


夕暮れに当てられた青葉の中で鮮やかに彩る赤の花は風に煽られその身を優雅に揺らし、その赤い花弁をユジュアの元へ舞い踊らせる。自然に左手に滑り込むその花弁は可憐でどこか危うさを感じる。


微小な魔力を放すその花弁を、ユジュアはただ美しく、悲しい花だと感じた。






「では、お先に失礼しますね。あと、アリーシア。また明日」


夕飯を食べ終えたユジュアは、宿の主たちとアリーシアに挨拶をして先に水汲みへと向かった。


笑顔で見送る三人だったが、ユジュアの足音も遠のきいなくなったことを確認すると、アリーシアは食器を洗うフレイの近くの壁に寄りかかり、淡々と話し始めた。


「今日はね、あの丘とリンデッタを案内したんだ」


「あはは、相変わらずだな。


しかし、近郊に魔物が出たのだから、気をつけなさい」


いつものように笑いながら注意したかと思えば、フレイは心配そうな顔で問いかけた。


「アリーシア。彼にリンデッタのことは」


アリーシアは眉ひとつ動かず淡々と答える。


「詳細は話してないよ」


「そうか」


「ただ、リンデッタにユジュアのことを伝えた。そうしたら彼を歓迎するって」


「そうか……」


フレイは驚く表情を見せながらも安堵した。


アリーシアは、そんな兄の姿を見ながら再び口を開く。


「ユジュアは元々悪い魂を感じなかったから──ただ、リンデッタが南東に反応してた。ユジュアじゃない、もう一つ何かいる」


「もう、一つ?」


フレイは手を止めて、アリーシアの方へと微かに振り向く。


「少なくとももう一つ。それが魔物なのか部外者なのか、それ以上は聞けなかった」


フレイはテーブルを拭いていたユリハと視線を合わせて目を伏せた。


「既に長老はお休みになってる頃だろう。明日、長老に報告しておく。アリーシアも気をつけて帰るんだよ」


「わかった。じゃあ、おやすみ」


「ああ、おやすみ」


小さく頷いたアリーシアはその場を立ち去り、宿を出たところで壁にもたれかかる。


視界に嫌でも入ってくるその大樹を見て、ため息をこぼす。


──兄さんたちに、言えなかったなぁ。


心の中でそう呟いて、目を瞑る。


「ねぇ、リンデッタ。あなたは一体何を伝えようとしたの」


力ない声で呟いた言葉は、風に乗ってかき消された。

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