2話
太陽が西から顔を出し始めた頃にユジュアは身支度を整え始めた。インナーを身につけて、ボサボサの頭に櫛を梳かしながら昨日のことを思い出す。
アリーシアとユジュアは村へと向かう道すがら、一つ、約束をした。
「ねぇ、カシュラのことを案内するから、どうか私にユジュアの旅路を教えてくれない?」
目的地であるカシュラに辿り着くだけでも喜ばしいユジュアにとっては、少女からのその提案は願ったり叶ったりであった。即座に頷いてアリーシアが提案を取り下げる前に承諾した。
「こちらこそ、俺の知っていることであれば話すよ。その代わりカシュラのことを教えてくれないか?」
と、回答するとアリーシアは満面な笑みを浮かべて喜ぶ。
「じゃあ、明日。約束だよ」
「ああ」
二人は「約束だ」といい、小指を結んだ。
──こんなに都合いいことがあるのだろうか。
ユジュアが悶々と頭を抱えている中、コンコンと木の戸が発する声に返事をすると聞き覚えのある声が一つ、ユジュアの名を呼んだ。身支度が途中のユジュアだったがその声に体が咄嗟に反応する。
「アリーシア!どうしてここに……」
戸を開けて姿を見せた声の主は昨日出会った村の少女アリーシア。彼女は手を後ろで組んでユジュアを下から覗き込むようにして見つめる。
ユジュアの驚いた表情に満足したのか、笑顔の花を咲かせると一歩下がって手すりに手をかける。
「兄さんとユリ姉の宿だからお手伝いしてるの。ご飯できたみたいだよ」
そう告げて階段を駆け下りていく彼女の後ろ姿を見て、ユジュアは顔を押えた。
「……可愛い」
慌てて身なりを整えたユジュアは、アリーシアを追って一階へ降りる。
階段から左へ曲がろうとすると、真っ白い布が視界に入る。
「っ!」
「あら、ごめんなさいね」
ユジュアは声がした方へ顔をあげると、茶髪の三つ編みを右肩から流した女性が立っている。彼女も右頭部に白い百合の花弁を宿している。
「昨晩はゆっくりできたかしら?食堂はあちらですよ」
手には大量のシーツを抱えるこの宿の女将の視線の先には、机に皿を用意する白髪の彼女の姿が見える。
「ええ、おかげ様でゆっくりできました。朝ごはん、いただきます」
「ゆっくりできたならよかったわ。どうぞ、召し上がってくださいね」
女将は一礼し外へと出た。その後ろ姿を視線で追って、扉が閉まると同時に食堂から漂う香ばしさに釣られて、その匂いの元へと足を進めた。
食堂に入ると、そこには四人席が二つあり、出入り口手前の机の上に白い皿が二枚置かれている。
「おはよう。今日はカシュラを案内するから、ちゃんとご飯を食べて」
パンが盛られたバスケットを机に置きながら、アリーシアはユジュアに声をかける。
「ああ。食は生きる活力だからな。きちんと戴くよ」
「うんうん、それがいいよ。ユジュアの席はここね。スープは今持ってくるから座っていて」
案内された一番手前の席に座ってその後ろ姿を見つめる。全体的にひらひらと揺れる姿を見て全く飽きることがない。ユジュアはその姿に見入っていて、背後に立つ人の気配を感じられていなかった。
「やあ、旅の人。君がユジュアくんかな?」
「っ!?」
「兄さんおかえり。どこか行ってたの? 」
驚いて後ろを振り返ると、アリーシアによく似た青年が立っていた。
アリーシアが「兄さん」と呼ぶ青年の笑う仕草は、昨日のアリーシアと重なる。
「ああ。これを取ってきたんだ」
視線の先には、足、もしくは手だろうか。突起物を紐で結んだ肉の塊がぶら下がっている。
「おじさんが山へ狩りに行ってただろ?血抜きしたから分けてやるって言ってくれてな」
「そっか。下準備したら夜ご飯に食べられるかな」
目を輝かせて、兄に尋ねる。
「ははっ、やっておくよ。そして、自己紹介が遅れてすまないね、ユジュアくん。俺は、アリーシアの兄でこの宿の料理人をしているフレイだ。女将が妻のユリハ。宿といっても、この村は客人が来ないから形だけではあるけれど。
昨日はアリーシアを助けてくれてどうもありがとう。感謝するよ。本来ならばこの辺りは魔物が寄り付かないハズなんだが……」
フレイは少し困ったように笑う傍ら、ユジュアは視線を左上に向けて考えた。
「それは珍しい。北部に位置するアルパレン王国の首都近郊であれば国仕えの魔術師たちが魔晶石に魔よけを施しますが、この村にも?」
その話を聞いた瞬間、フレイは目を見開いて驚き、口角を下げた。しかし、次の瞬間には何事もなかったようにユジュアへ笑いかけた。
「あはは。いや、この村近郊には魔晶石鉱山も存在しないし、そういう類いの魔術師もいないさ」
フレイの答えにユジュアは純粋な疑問を抱くが、問いかける間もなく、透き通っているが不機嫌そうな声が背後から奏でられる。
「兄さん。ユジュアはこれから食事なんだけど」
「おっと、すまなかったな。スープが冷えてしまうね。ゆっくり召し上がっておくれ。今日のスープも手によりをかけて調理したからさ」
「はい、いただきます」
フレイは調理場に向かっては肉の下準備を始める。フレイの後ろ姿を見てユジュアは無意識に探していた花を見つけた。彼は首の後ろに白いマーガレットを宿していた。
アリーシアの血縁者であり、同じ白髪の髪、海のような青い瞳であっても花の姿はまるで違う。ユジュアはそんな姿を遠目に、目の前に置かれた皿を見つめて、木でできたスプーンを手に、スープを掬う。湯気がたち少し甘い匂いがするそれを口に運ぶ。
「…………美味しい」
朝から食べるそのスープは、ユジュアの心に染みていた。




