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1話

森の中は新緑で溢れ、可愛らしい花々の蕾が開く季節。


燃えるような赤髪をひとつに括った少年──ユジュアは、黒い毛並みを持つ狼の群れを木の上で見つけそっと弓を構える。


「通りかかった、晩御飯!」


ひとり小さく呟くと矢から手を離した。群れに向かって飛び出したそれが目標の横を掠って地面に突き刺さると、群れは横道の茂みへと駆け込んだ。


「逃げられたか……」


ユジュアは残念そうに木から飛び降り、地面に刺さってしまった矢を抜き取って矢筒に放り込む。


「花の村カシュラ。この近くのはずなんだが」


一息ついて天を仰ぐ。視界には、晴天の青空が広がる。


「真っ赤な花の、大樹」


ユジュアは気まぐれに向いた方角へと歩みを進める。


伝聞を頼りに目指した村は一向に姿を現さず、ユジュアはただ一人深い森の中を数日彷徨っていた。


ふとした瞬間。導かれるように自然に運ぶ足取りは無意識に眩い光へ向かっていく。視界を奪われるほどの光に。


導かれるように進むユジュアの足が突然歩みを止めた。ぴたりと足が硬直したその瞬間、今まで歩いてきた一本の道から強い風が駆け抜けて背中がぐっと押し出される。


開けた視界には白い花畑が雪原のように一面に広がり、そんな花畑も強風に煽られて花びらが舞う。


霞んだ視界の先に大きい花の影がちらつく。目を凝らして見つめると、毛先が青紫色で染まる白い髪の少女が花畑の中央に座り込んでいる。その少女の頭上には髪色と同じ色の白く大きい花弁がついていた。大きな花と見間違えた正体はこれだった。



────キレイだ。



少女の佇まいは、ユジュアが体感した先程の強風が瞞しであったというようにゆったりとしていた。


風に掬われる長い白髪はサラサラと揺れて、彼女の髪を押さえる仕草は滑らかで優雅で。


シースルーの袖がずり落ちて見える手首は適度に肉づいているが細く、手先はしなやかさを持っていて。


花を見つめるその大きな瞳は海のようで、思わず呼吸を忘れてしまうほどに飲み込まれる。


見れば見るほど、まるで彼女自身が美しい花のようで。


止むことなく襲ってくる胸の高鳴りと顔の紅潮。その少女の行動が、表情が、どうしても目を離せない。ユジュアが今まで感じたことの無い感情だった。


──あの姿を見つめていたい。


ユジュアは呼吸すら忘れて息を飲み、手汗がじわりと滲む手を握っては突然の口の渇きを感じて、その美しい花に声を掛けることすらできない。


その視界の端に映る炎に気付いて、先に声を発したのは彼女の方からだった。


「ねえ、キミはどこから来たの?」


少女の喉から出てきた音は透き通った声だった。首を傾げる彼女のその深い海は炎を捉えて離さない。


「アゼンタっていう、ここからだと山を越えた先の町から」


「そっか。キミはそこから来たんだね」


「ああ」


「ここへは、何か目的があってきたの?」


「それは──」


そのときだった。少女越しに見える草むらが揺れる。


「あぶない!」


ユジュアの身体は咄嗟に動いた。腰のベルトで止めている弓と背中の矢筒から矢を取り出すと、身体を後ろに倒しながら弧を描く矢を放つ。すると、小さな鳴き声と共に見覚えのある姿がそこに現れた。それは、先程狩りそびれた狼だった。一見、狼であるそれは真っ黒な毛並みに見えるほど、僅かな魔力がその姿を覆っている。


それは魔物と呼ばれる異物。


白い花畑に踏み込んだ黒き魔物は天に向けて甲高く鳴いた。その声に呼ばれた魔物が四匹、白い花畑でユジュアたちと対峙する。


ユジュアは続けて矢を放つが華麗に躱される。魔物は当てられるものなら当ててみろと言わんばかりに堂々と立ち尽くす。


「魔物だ、君は早く逃げ……」


ユジュアが矢筒に手をかけて少女に促すと少女はユジュアの後ろへ隠れるがそこから離れる気配がない。それどころか、その場で膝立ちで祈るように手を胸の前に結ぶ。


「……時間を稼いで」


「わかった!」


それなら魔物の視線から少女の姿を消そうと、ユジュアは弓矢を収めて左腰にぶら下げている剣の柄を握りしめ引き抜く。光に反射して銀色に輝くそれを魔物たちは瞳に映して一斉に動き出した。


全部で五匹。右に一匹、左に二匹。そして、真っ正面に二匹。


先手を打ってきたのは一番近い右の魔物だった。その尖った牙で右腕を噛みちぎろうと口を開けて涎を垂らしたまま飛んでくる。ユジュアは魔物の右足を打ち上げるように剣を振るい、そのまま右に薙ぎ払う。


薙ぎ払われたそれは、足元に広がる白い花畑に落ちることはなかった。斬った感触を確かに残したまま、黒い泡となって空へと消える。ユジュアは目の前で起きた不可思議な現象に一瞬怪訝そうな顔をしたが、気にせず次の魔物へ視線を向けた。


「まずは一匹、次は!!」


ユジュアは右足を後ろに下げて大きく時計回りに剣を振るう。半回転した頃に確かに感じる重さ。視界には映らなかったが、その大きく開けた口から臭う気配に外れはなかった。


背後に飛びかかっていた魔物を二匹まとめて薙ぎ払う。


手前の魔物は同様に黒い泡に姿を変えて、もう一匹は宙を舞う。着地と共に花々をその鋭い爪で抉り、低く構えては高らかに吠えた。


魔物たちの視線はすぐさまユジュアから宙に浮く物体に奪われた。背後で奏でられる詠唱により具現化された謎の球体は徐々にその姿は肥大化していく。人の頭ほどの大きさになった球体は、物々しくその場の視線を釘付けにする。


そして、ぴたりと透き通った声が止む。


「いけっ!」


力強い少女の一言で、その球体から槍によく似た形状をした三本の光が放たれる。


弧を描いて宙から放たれるそれは、魔物たちの胴を真っ直ぐに穿いては魔物たちの残骸と共に空で消える。


「光の槍?これは……魔術か?」


「そうだよ」


白いスカートについた泥を払いながら少女は明るく話す。


「驚いたよ。俺は戦えるほど強い魔術が使えないから」


「魔術は多少覚えがあるの。それにこの頭、白い花があるでしょう? この子はラウウェっていうんだけど。この子が集めた魔力を使うことだけは昔から得意でね」


「え。その頭上の花は、髪飾りじゃなかったのか」


ユジュアは驚いた。この少女は、花と共に生きている。


「ちゃんとこの子も生きているよ。そういえば、キミには花がない?」


「────ないな。花を宿す人なんて噂で聞いたことがあるくらいで。カシュラ村で暮らすラーン族はその身に花を宿すとか。待てよ、つまり──」


唇に手を当て考えていたユジュアは、会話の中で導かれた答に気付き少女の方へ振り向く。


「私はカシュラ村に住むラーン族のアリーシア。キミは?」


「俺は、ユジュア。ノアル族のユジュアだ。カシュラを目指して旅しているんだ」


「旅を?

うん──なら、村まで案内してあげる」


「ほ、本当か!?ありがとう、アリーシア」


お互いに差し出した手を握りしめて微笑む。


そんな二人の出会いを祝福するように足元に広がる花々は揺れた。

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