第6話『恋の始まりは韓国語から』
「야스카와 씨、また間違ってる。“사랑해요”じゃなくて、“사랑해(愛してる)”って言いきらなきゃ意味が変わるの」
「うっ……微妙なニュアンス、難しいな」
韓国・ソウル郊外のカフェ。
安川傑と朴成旼は、恋人としての時間を重ねながら、言葉と心を通わせようとしていた。
プロ野球選手と元チアリーダー。
華やかで、でも時に注目されすぎる関係。
それでも2人は、互いの“素の声”を求めていた。
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きっかけは、交際3か月目の夜――
傑がうっかり、SNSで「오늘은 성민씨랑 데이트!(今日は成旼さんとデート)」と書き込んでしまったことからだった。
翌朝、スポーツ新聞の一面に写真とともに掲載され、騒ぎは瞬く間に広がった。
球団も記者も、そしてファンまでもが騒ぎ出す中、傑は記者会見でこう語った。
「Yes. We are in a relationship. And I’m proud of her.(はい、私たちは交際しています。彼女を誇りに思っています)」
韓国語でも、ゆっくりと言葉を選びながら話した。
「성민 씨는 저에게 매우 소중한 사람입니다.(成旼さんは、僕にとってとても大切な人です)」
この誠実な姿勢が、多くの韓国ファンの心を打った。
“ヤスカワ、ナムチン(韓国語で「彼氏」)最高!”という言葉がSNSでトレンド入りするほどだった。
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それからの2人は、さらに仲を深めた。
シーズンオフになると、ソウルの街を手をつないで歩き、屋台でトッポギを頬張り、韓国語学校にも通った。
成旼の協力のもと、傑は着実に韓国語を習得していった。
「다음에는 제 가족을 소개할게요(次は私の家族を紹介しますね)」
成旼がそう言ったのは、交際1年目の冬だった。
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紹介されたのは、成旼の妹――朴 梵夜。
現役の韓国女優兼モデル。脚が長く、妖艶な雰囲気を持つ美貌の女性だった。
「안녕하세요, 언니의 남자분이시죠?(こんにちは、姉の彼氏さんですね?)」
「처음 뵙겠습니다.(初めまして)」
成旼が驚くほど、傑の発音は自然だった。
その場には、ソヨンの娘――**朴 信恵**と、**朴 凛奈**の姿もあった。
「私は信恵です。大学では映画を学んでいます」
「凛奈って呼んで。高校生だけど、探偵もやってるの♪」
「た、探偵……!?」
傑は思わず目を丸くした。
「凛奈はちょっと特殊で……キムチを食べると、未来が見えるっていう設定でね、ネットドラマに出てるの」
「それ、設定じゃなくてリアルじゃないのか……?」
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その日の食事会では、韓国式の家族紹介が行われた。
乾杯の音頭を取ったのは、家長である火野 洋佑(ひの・ようすけ/韓国名:朴 洋佑)。
元日本の警察官、現在は国内に5店舗を展開する日本料理店の社長だ。
「傑くん。うちの娘をよろしく頼む」
「はい。命をかけて、守ります」
真っ直ぐなその言葉に、成旼はこっそり目を潤ませた。
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交際5年――
ついに、安川傑は決断を下す。
斗山ベアーズの本拠地、蚕室球場のセンター後方。
オフシーズンに行われたファン感謝デーのイベントで、傑はマイクを持った。
「오늘, 중요한 발표가 있습니다(今日は、重大な発表があります)」
観客がざわつく中、傑は深く一礼し、ポケットから小さな箱を取り出した。
「성민 씨――나랑 결혼해줄래요?(成旼さん、僕と結婚してくれますか?)」
スタンドから大歓声が巻き起こる。
「……네(はい)」
涙ぐむ成旼に、傑はそっと指輪をはめた。
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こうして――
斗山のマウンドで出会った2人は、国境と言葉を越え、家族となった。
野球がくれた絆。
恋が導いた未来。
それはまだ、始まりに過ぎなかった。