第5話『韓国の空の下で』
メジャー3年目の終盤、ロサンゼルス・ドジャースから「戦力外通告」。
年齢、成績、そして何より”怪我のリスク”を懸念された――。
安川傑、34歳。
MLBを退き、次に選んだのは韓国・KBOリーグ。
チームは、ソウルに本拠地を構える名門――斗山ベアーズだった。
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「ヤスカワ、パンガプスムニダ!(初めまして!)」
初日の球場練習。
グラウンドに降り立った瞬間、ベンチから勢いよく手を振ったのは、斗山の外野手・チョン・スビン(정수빈)。明るく、誰にでも気さくなムードメーカーだった。
「안녕하세요… 잘 부탁드립니다(こんにちは、よろしくお願いします)」
拙い韓国語で挨拶すると、周囲が一斉に拍手した。
「おー、発音うまい!」
「メジャーのスターが来たぞー!」
投手陣のエース、**クァク・ビョンウク(곽빈)**もニヤリと笑う。
「おい、ホ・ギュン(허경민)、お前英語できるだろ? 通訳してやれ」
「やめろ、俺は日ハムにいたわけじゃないからな!」
笑いに包まれるベンチ――だが、彼らのまなざしには「戦う仲間」を迎える覚悟もあった。
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練習後、球団主催の歓迎会。
斗山の主砲・キム・ジェファン(金宰煥)、外国人助っ人の**ホセ・フェルナンデス(José Fernández)**も加わり、和気あいあいとした雰囲気が流れる。
「やはり…焼酎ですね?」
傑の問いに、ベテラン捕手の**ヤン・ウィジ(양의지)**が声を上げた。
「おい、日本でも飲んでたんだろ? 韓国式で行こう!」
傑が思わず噴き出したその瞬間――
目の前に、1人の女性が現れた。
「안녕하세요、私、斗山チアチームのリーダーをしています。朴成旼です」
黒髪を束ねたスタイル、笑顔に宿る知性と気品。
傑は一瞬で、彼女に視線を奪われた。
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「ヤスカワ選手って、すごく優しい目をしてますね」
数日後、球場で偶然再会した成旼がふと口にした。
「目…ですか?」
「ええ。強さと優しさって、目に出ますから」
その一言が、胸の奥で静かに灯った。
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4月。開幕戦。斗山ベアーズ対LGツインズ。ソウルの蚕室球場は満員だった。
スタンドを埋め尽くす応援団、鳴り響くブブゼラ、チアダンス、メガホンのリズム――
「これが韓国野球か……!」
圧倒されつつも、傑は斗山のユニフォームに袖を通し、ブルペンからゆっくりとマウンドへ。
「ピッチャー、ヤスカワ!」
場内アナウンスと同時に、成旼のチアチームが踊り出す。大きな“ヤスカワ”の横断幕が揺れ、歓声がスタジアムを包んだ。
(……応えなきゃな)
初回、傑は3者凡退。
4回にソロホームランを浴びるも、7回2失点。韓国初登板としては上々の出来だった。
「ナイスピッチ、スグル!」
試合後、ベンチ裏で成旼が声をかけた。
彼女の笑顔が、不思議と心を満たした。
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5月。
斗山は上位争いを続ける中、傑も安定したローテ投手として定着していた。
ある雨の日、チアチームの控室を訪ねた傑は、傘を差し出しながら言った。
「오늘 비 오니까… 같이 걸어요(今日は雨だから、一緒に歩きませんか?)」
成旼は一瞬驚き、そして微笑んだ。
「네, 걸어요(ええ、歩きましょう)」
その夜。初めて2人は、言葉以上に深く“想い”を交わした。
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6月、傑は球団MVPを獲得。メディアの注目も集まる中、交際の噂も流れ始める。
ある夜、成旼がぽつりと呟いた。
「韓国って、恋愛も報道も派手です。でも……私、傑さんの隣なら、何を言われても平気です」
「ありがとう。でも俺が守るよ、君を。韓国でも、日本でも」
星空の下、2人の心は確かに一つになった。
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こうして――
安川傑と朴成旼。
KBOのマウンドと、スタンドから始まった恋は、やがて“人生の伴走者”へと変わっていく。