第3話『虎の魂、燃ゆ』
「……阪神、だと?」
その知らせは、突然だった。
楽天で着実に信頼を得はじめていた安川傑にとって、トレードという言葉はあまりに唐突で、そして残酷だった。
「トレード相手は……左のセットアッパー。チーム事情だ。お前を評価しての移籍だ」
三木監督のその言葉に、傑は深く一礼してグラウンドを後にした。仙台の夜が、心にしんしんと沁みた。
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翌週。
ユニフォームが楽天の赤から、タイガースの縦縞に変わった。
「関西か……クセの強いチームって印象だったが」
鳴尾浜の二軍練習場。どこか冷たい空気。知らない選手、知らない首脳陣、知らない文化。
だが、安川傑は怯まなかった。
「よろしくお願いします。安川傑です」
その一言で、練習中の選手たちの視線が集まる。
「おう、よう来たな。甲子園優勝の投打二刀流やな」
最初に声をかけてきたのは、リリーフ左腕の岩貞祐太。続いて、ベンチ奥から岩崎優が顔を出した。
「ま、実力でのし上がるしかないよな。ウチは上下関係キツイけど、結果出せば誰も文句言わん」
その言葉の奥に、どこか“虎”の矜持が感じられた。
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ブルペンに立つ傑。捕手は坂本誠志郎。
「俺、キャッチングにクセあるって言われるけど、まあ慣れてくれや」
淡々と構える坂本。傑は初球、内角低めにストレートを投げ込んだ。
「……お、ええ球投げるな。次、スライダー頼むわ」
一球、一球に“野性”のような手応え。楽天の精緻なバッテリーと違い、阪神の捕手陣は“読み”と“感覚”で構成されているようだった。
その後、ブルペンを見守っていた才木浩人や村上頌樹、大竹耕太郎といった先発投手たちが声をかけてきた。
「安川さん、俺ら同世代ですけど、ずっと見てました。甲子園の決勝、マジで神でしたよ」
「次、合同登板でバッター立たせてみましょうよ。ウチの打線なら、ちょっとやそっとじゃ抑えられませんからね」
傑は苦笑しながらも、その空気に居心地の良さを感じていた。
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阪神一軍昇格――
その知らせは、思いのほか早く届いた。
甲子園のベンチ。縦縞のユニフォームに袖を通した傑がマウンドに向かう。
「相手は中日。3点リードの7回。流れを止めるなよ」
そう告げたのは、リリーフの絶対的守護神・ゲラ。ベネズエラ出身の剛腕だが、日本語は完璧。傑の背中を軽く叩いて送り出す。
「プレイボール!」
一人目の打者に、ストレートを外角に決める。続く二球目、スライダーで空振り。
「打てないぞ!」
内野からの声――木浪聖也、中野拓夢、糸原健斗が声を張り上げる。捕手は梅野隆太郎。鋭いリードと、沈黙の中の“熱”があった。
結果――三者凡退。ベンチへ戻ると、控え組が出迎えてくれた。
「ナイスピッチ、傑!」
声をかけたのは、若手の井上広大、森下翔太、前川右京、小野寺暖、野口恭佑ら。どこか兄貴分のように扱われている自分が、少し可笑しかった。
そして、傑が驚いたのは――
“打撃”で代打に立たされた日のことだった。
「え、打つんすか?」
「二刀流って聞いてるぞ。原口の代打の代打、お前で行く。覚悟決めろ」
ベンチの原口文仁が笑いながらバットを渡してきた。
「マジかよ……」
だが、その打席で傑はしっかりとセンター前ヒットを放つ。球場はどよめき、ファンが騒然とした。
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試合後、佐藤輝明と大山悠輔が缶コーヒーを差し出してきた。
「傑、すげぇな。あの打球、マジでプロのそれだった」
「二刀流でそのままいけばええやん。ウチ、そーゆーの好きやし」
笑いながら話すその姿に、傑は自然と口角を上げた。
(このチームも、悪くない)
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その夜、宿舎で一人の選手が部屋を訪ねてきた。
「安川さん、門別啓人です。話、聞かせてくれませんか?」
礼儀正しく、まっすぐな瞳。若き左腕。傑はコーヒーを淹れながら、静かに語り始めた。
「俺も最初は、阪神って怖いチームだと思ってた。でもな――“虎”ってのは、意外と家族みたいなんだよ」