第2話『仙台の夜明け』
――『傑、遥かなる白球の彼方へ ―日韓を駆けた名将と6人の物語―』
プロ入り1年目――
安川傑は、まだ自分がプロの世界にいる実感をつかめずにいた。
仙台の室内練習場。吐く息が白く染まる冬の朝。新人合同自主トレ。
「安川、次、シャドーピッチング5分な」
コーチの声に反応し、傑は返事もなくうなずいた。背中に背負った背番号「41」が重く感じる。
(通用するか、なんて考えてたら、置いてかれる)
彼の前に立ちはだかるのは、楽天の主力選手たち。テレビ越しに見てきた憧れの人たちが、今は同じロッカーにいる。
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同じ投手陣には、エースの田中将大、闘志を前面に出す則本昂大、キレのある変化球が武器の早川隆久。中継ぎには技巧派の加治屋蓮、球威で押す藤平尚真、安定感のある辛島航。
「あんた、甲子園優勝したって? でもここじゃ関係ねぇよ」
そう言ったのは、同じ新人で入団した真田 拓朗。派手な外野手で、言動は大胆だが、実力も本物だった。
「……言われなくても分かってる」
傑が短く返すと、真田は不敵に笑った。
「気に入った。お互い、上でやろうぜ」
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春のキャンプ。傑は練習試合のマウンドに立つ。対戦相手は二軍チーム。しかしその初登板は――
3回5安打3失点。ほろ苦いデビューだった。
「ストレートが全然通用しない……」
ベンチ裏で悔しさを噛み締めていた傑に、ある人物が近づいた。
それは、冷静な表情をした捕手――榊原 慶。
「安川、もう少し肩の力を抜いて投げたほうがいい」
「でも……打たれてるんだ」
「力じゃなくて、間だよ。タイミングをずらせば、球速以上の武器になる」
榊原のアドバイスは理にかなっていた。実戦を重ねるごとに、傑は彼とのバッテリーに手応えを感じ始めた。
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そして、開幕直前――
三木肇監督が発表した一軍メンバーに、傑の名前はなかった。
「くそっ……!」
ホテルの部屋で拳を握る傑。だがその夜、田中将大がふらりと傑の部屋を訪れた。
「焦るな。俺も1年目、最初は結果出せなかった」
「でも、田中さんは――」
「違うよ。結果が出ないとき、どう過ごすかがプロなんだ。今やるべきは、自分を壊さず、積み上げること」
傑は深くうなずいた。超一流の男の言葉は、どんな理屈よりも胸に響いた。
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二軍戦を続ける中で、傑は着実に成績を残していった。緩急、コース、高低――すべてを榊原とともに見直し、再構築していった。
そして夏――
一軍昇格の知らせが届いた。
「マウンドでやってやるよ」
彼の前に立つのは、スタメンの強打者たち。浅村栄斗、辰巳涼介、岡島豪郎、島内宏明ら、楽天を支える存在たちだ。
試合直前、傑はベンチ裏で最後の調整をしていた。そこに現れたのは、一人の内野手――
「安川さん、よろしくお願いします」
二塁手の北城 優斗。まだ20歳。だが目は真っ直ぐだった。
「お前……俺がいたポジションを継いだのか」
「はい。でも、負けるつもりはありません」
「ふっ、ならマウンドで結果出すから、しっかり守ってくれよ」
「もちろんです!」
こうして――
プロ初登板のマウンドへ。
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マウンドから見たスタジアムは、甲子園とはまるで違う景色だった。だが傑の心は、いつかの夏と同じだった。
「プレイ!」
初球――
ストレート。137km/h。打者は見送ってストライク。
榊原が笑みを浮かべる。
「いいね、ようやく安川傑らしくなってきたじゃないか」
この日、傑は5回1失点。プロ初勝利はお預けとなったが、確かな存在感を示した。
ベンチに戻ると、三木監督が短く言った。
「明日からもよろしくな」
安川傑、プロの世界でついに――
『自分の居場所』をつかみ始めたのだった。