第49話 スルト・カーラ
ラウルス・プリーマのコア近くの階層に司令室が設けられ、ノーマンたちはアルケーの部下らと機器の調整をしていた。
司令室の扉が音もなく開くと、ヤハタインダストリアルのハズキが入ってきた。
「遅れたけど、エンタングルメント発生機の次元検出器の設置を終えました」
アルケーは振り向くと、眉ひとつ動かさずにハズキに「これで完成だな」と言った。
「間に合ったな」
「試運転はまだだけどね」
「それで、本当の勝算はどのくらいですか?」
ハズキが探る様な視線でアルケーの目を見た。
「議会で言った通りの数値だが」
「あれはエンタングルメント発生機が100%確実に稼働するのが前提の数字よね。この機械は不確定性原理的にも確実を保証しないわ」
「シュレディンガーの猫みたいなものだな」
ハズキは答えなかった。
コアの低い振動音だけが、部屋を満たしていた。
アルケーは天井近くに設置されたモニターに、一瞬目をやってから視線をハズキに戻した。
「我々が扱えるのは、定義された確率だけだ。本当の数値など、観測系の外には存在しない」
「あいつら、何の話をしてるんだ?」
加藤が聞くと、ノーマンが肩をすくめながら答えた。
「つまり、成功を祈れって事だ」
アルケーはモニターに映るチェック項目から目を逸らす事なく真剣に言った。
「理という名の神に抗うようなものだ」
「アルケーから神なんて言葉が出るとは」
「マザーオーブと完全同期したルミノイドは、宇宙開闢以来の情報にアクセス出来ている。それは神と言っても過言ではない」
加藤が目を丸くすると、カーラの方を見た。
「カーラを見てるとそうは思えないけどな。そうなのか? カーラ?」
カーラは眉尻を下げると困惑した。
「神の視点なんて考えたこともなかったわ」
アルケーが淡々と答える。
「そうだろう、今の君はリミッターの掛かった状態だからな。ルミノイドとデルタルミノイドの間に何かが起こったのだろう。極めて興味深い現象だ」
「もう、人のことだと思って」
カーラがふくれた。
「いや、恐らくルミノイド化した直後のカーラはマザーオーブの情報を全て受け入れたのだろう。情報の洪水に飲まれて自我を失ってしまっていた。その後、何かがあったか、一万年の時間を掛けて脳が情報の整理をしてデルタルミノイドになったのかもしれない」
アルケーはモニターに落としていた視線をカーラに移した。
「カーラ、君は間違いなく人の限界を超えてなお、人としての人格を宿している。これは僕にも解明できていない」
「褒めてんだか、観察してんだかわかんないな」
加藤がしらけて言う。
ハズキが肩をすくめた。
「つまり、神のみぞ知るってこと?」
「まあ、そういう事だ」
「失敗したら、慰霊碑がまたひとつ増えるだけね。文句を言う人もいなくなるわ」
「慰霊碑を建てる地面があると良いがな」
ハズキの軽口をアルケーがいなして皆の方を向いた。教師のように背筋を伸ばす。
「カーラと暴走中のカーラを呼び分けるために、これより暴走カーラはスルト・カーラと呼称する事にする」
「巨人スルトか……」
ノーマンが外の様子を映すモニターに目をやった。モニターには星空がくっきりと映っていた。
深夜、照明も消えたラウルス中央公園の瓦礫の山の中に人の形をした黒い霧が浮かんだ。
黒い霧は公園の北に向かい、慰霊碑の前で止まった。
ベールを脱ぐように黒い霧がすうっと晴れると、そこには両手を合わせ、膝をつき、慰霊碑に向かい祈っている女性の姿が現れた。
月明かりに写る銀色の髪、顔の右半分だけが黒い霧に覆われて、赤く澄んだ左の瞳は少しの迷いを感じさせなかった。
スルト・カーラはすっと立ち上がると周囲を見渡した。
破壊を免れた高層ビルの灯りが煌々と輝いている。
それぞれの窓の灯りの中で、子供を寝かしつける母親や、机に向かい仕事をしている人たち。そして抱擁する恋人たちの姿が、スルト・カーラの目にははっきりと見えていた。
その灯りの一つひとつに人が生きており生活をしていた。
スルト・カーラは深く息を吸い、静かに歌い始めた。
それは赦しを与える者の声だった。
苦しみを終わらせるための、救済の旋律。
スルト・カーラは歌いながら両手を広げ腕を天に向けた、ラウルスシティの上空に赤い宝石のような球体が現れた。月の灯りに煌めくその姿は息を呑むほどに美しかった。
スルト・カーラの歌声に呼応するかのように球体はその大きさを増していく。
そして、ラウルスシティ全体を覆うほどの大きさになった時。スルト・カーラが両手を強く握りしめる。
巨大な赤い球体が弾けた。
弾けた球体の赤い破片は、無数の矢衾のようにラウルスシティに降り注いだ。
ビルを貫き、コンクリートを砕き、鉄を切断し、地面に突き刺さると爆発した。
人々は悲鳴をあげる時間もなかった。
巨大なビルの崩落音と赤い破片の爆発音、コンクリートや鉄骨の激突音、ひしゃげる車の甲高い金属音。
ありとあらゆる破壊音がスルト・カーラを包み込んだ。
その中でも、スルト・カーラは歌い続けていた。
そして、静かになったとき。
かつて都市があった場所には、荒野が広がっていた。
そこには、スルト・カーラと慰霊碑だけだが立っていた。




