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蒼海のシグルーン  作者: 田柄 満
国家技術保全庁編
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第12話 天使

「加藤!ダメ!」

 木村の叫びも届かず、加藤は発火装置のスイッチを入れた。


 アクパーラ号の無人通路では、高圧の燃料がパイプの亀裂から霧状に噴き出していた。

 空気中に湿った油の臭いが漂い、周囲には危険な緊張感が満ちていた。

 発火装置の火花が燃料に触れた瞬間、閃光が走り、爆発的な炎が通路を呑み込んだ。爆風が金属壁を叩き、船体の軋む音が響く。

 激しい揺れと爆発音がデッキに襲いかかり、誰もがパニックに陥った。悲鳴が交錯し、足音と金属の軋む音が混ざり合う。視界を奪う煙と立ち上がる炎が、人々を恐怖の渦に巻き込んでいった。


 ブリッジと応急処理所では、警報が鳴り響く中、怒号が交錯していた。

『隔壁を閉じろ!火の回りを遅らせろ!』

『消火ポンプは稼働しているのか!』

『ダメです!配管の配線が壊れて機能していません!』

 焦燥感に包まれた声が次々と飛び交う。小峰は舌打ちをし、汗ばむ額を拭きながら唇を噛んだ。


『総員退去の準備をしろ……この船はもう持たん』


 「総員退去」の声が響いた。

 

 油の焼ける臭いが充満しているデッキでは、乗組員が我先に救命ボートに向かっていた。

 木村と有田が担架を持って駆け寄ってきた。

「早く避難しないと!この船沈むっすよ!」

 田宮と共にノーマンを担架に乗せ、急いで運び出した。


「カーラ!君も避難しないと」


 カーラは振り返って加藤を見た、加藤は手すりに寄りかかり狂ったように笑い続けていた。


「アハハ!見て!みんな慌てふためいて逃げ回ってる……。もうすぐだよ。軽油タンクに火が届けば、全部終わりだよ!船も、人も、何もかも!」


 笑いながらも喉が震え声がかすれていく。気付けば、涙が頬を伝っていた。加藤の笑い声は、やがて嗚咽のように途切れ途切れになり、涙が頬を伝った。


「何もかも奪われた……もう、何も信じられない。」


 彼女の目には、故郷が沈んだ記憶が映り込んでいた。

『せめて、誰かを道連れに……それしか、私にはもう残されていない……』


 カーラは、加藤の狂気じみた笑いと燃え広がる炎を見つめながら、その場に立ち尽くしていた。


『終わる……?』――船も、人も、すべてが。


 炎と悲鳴に包まれた光景を見つめるうち、カーラの胸に鋭い痛みが走った。この混乱、この破壊、すべてが封印された記憶の中にある自分の罪に繋がっている気がした。


「もう終わりにしなくては……これ以上、誰も傷つけさせない。」


 彼女の心に湧き上がる決意と共に、額のオーブが赤く光を宿した。その光は徐々に強さを増し、カーラを包み込むように広がり始めた。


「カーラ!」

 ノーマンがカーラの異変に気付き、担架から身を乗り出してバランスを崩した。

「あ!危ないっすよ!ああっ!」

 ノーマンを助けようとした有田の動きが止まった。ノーマンの体が赤い光に包まれてフワリと浮いているのだ。

「な、なんで浮いてんすか!」

 赤い光に包まれ、宙に浮いたノーマンは何が起きたのかわからず目を瞬かせた、顔を上げると穏やかな笑みを浮かべるカーラの姿があった。


『守ってくれたのか……?』

 彼の胸に熱いものが込み上げた。


 カーラをじっと見つめると『君ならできる……』彼は誰にも聞こえないほどの小さな声でそう呟いた。その声に応えるかのように、カーラはゆっくりと優しく微笑んだ。


「大丈夫……」


 カーラの胸の奥から湧き上がる感情が、まるで堰を切ったように溢れ出した。

『もう誰も、失わせない!』

 彼女の強い願いがオーブに反応し、額から放たれた光が広がっていった。


 その光は生命を守るためのカーラの意志そのものであり、まるで生きているかのように周囲に広がった。


 光は炎を捉えると、周囲の空気を丸ごと包み込むように球状の光の膜を作り上げた。膜の内側では、炎が窒息したかのようにその勢いを失い、黒煙が静かに沈静化していく。

 光の球が次々と現れ、アクパーラ号の炎を包み込んでいった。


 やがて、最後の炎が静かに消え去った時、船上には静寂が戻り、波の音だけが鳴っていた。


 先ほどまで燃え盛っていた火炎が消えた場所には、炭化した鉄骨と燃え尽きた残骸が残るだけだった。


 静まり返ったデッキで、乗組員たちは恐る恐る立ち上がった。

 誰もが信じられないという表情で、カーラを見つめている。


 カーラは肩で息をしながら、その場に崩れるように膝をついた。


「カーラ!」


 ノーマンが足を引きずりながら近寄ると、カーラはわずかに顔を上げ、かすかな笑みを浮かべた。

「大丈夫です。少し……疲れただけです」


 加藤の叫び声が静かなデッキにこだました。

「どうして……どうしてそんな力が……!」


 加藤の声には、恐怖と嫉妬、そして理解できない存在への憎悪が入り混じっていた。

 カーラは静かに加藤に近づき、穏やかに言葉を紡いだ。


「あなたが感じている痛みも、私にはわかります。でも、その痛みを他の人に押し付けることは、もっと大きな悲しみを生むだけだと思います……だから私は守りたい。あなたも、みんなも。」


「そんなの……あたしが惨めすぎるじゃないか!」

 加藤は涙を流しながら訴えた。


「どうして……どうしてあんただけがそんな力を持てるんだよ!あたしは守れなかった!誰一人、何一つ守れなかった!」


 その声には、自分が抱えてきた痛みと、カーラへの羨望、そして自身の無力さへの怒りが混ざっていた。

 加藤はデッキの端まで走り、手すりに手をかけた。振り返った彼女の目には、絶望と涙が入り混じっていた。


「あたしは……あんたの思う通りにはならない……!」


 加藤の背中が震え、指が手すりを強く握る。


「誰も助けてくれなかった。ずっと一人だった……!もう、何も信じられないんだ……!」


 彼女の声は、誰に届くわけでもなく、ただ波の音の中に溶けていく。


「だったら、私なんか、いらない……!」


 そう言うと、加藤は目を閉じ、静かに海へと身を投げた。


 水面に落ちた瞬間、冷たい水が全身を包み、衝撃で意識が遠のいていく――。

 海の中から見る太陽はゆらゆらと揺れながら、いく筋もの光を広げていた。

 加藤は海底に沈みながら『もう少し生きていたかったかな……』と太陽に向かって手を差し出した。


 太陽の光の中心に、赤い点のような輝きが浮かび上がる。それは、みるみるうちに大きくなり、まばゆい光へと変わった。


 『きれい……』


 意識が薄れていく中、白い光の粒が水中に舞い始めた。

 静かに近づく光の向こうに、カーラがいた。

 カーラの背後には、無数の光の翼がキラキラと広がっていた。


 そして――カーラはそっと手を翳し、加藤を包み込むように、赤い光の球を作り出した。

 加藤の体が、柔らかな光に包まれ、まるで海そのものが優しく抱きしめるようだった。

 光の球の中は空気があり、加藤は意識を取り戻して激しく咳き込んで水を吐いた。

「なに?」周りを見渡して自分がまだ海中にいて光の泡に包まれている事を知った。


 カーラは目を閉じると、静かに右手を翳した。

 赤い光球がカーラの指先に共鳴するように、優しく脈動する。まるで鼓動のように、柔らかく、温かく。


 そして、ゆっくりと光球が海面へと昇り始めた。

 まるで、世界そのものを導くかのように、カーラは腕を静かに持ち上げる。

 それに応えるように、光球は彼女と共に空へと舞い上がった――。


 カーラは微笑むと光の泡に手を翳して海上に向かった、光の泡も従う様に一緒に上がっていった。


 アクパーラ号のデッキではノーマンたちが固唾をのんで海面を見ていた。加藤が海に飛び込んですぐ、カーラがノーマンの制止も聞かずに飛び込んだのだ。


「あ!あそこ!」木村が指を刺して叫んだ。


 木村の指差した先の海面からカーラと光球が水飛沫を上げて飛び出した。

 カーラの背中からはゆらめく光の粒子の羽根が広がり、まるで天使の翼のように──空に舞い上った。赤い光球がぶら下がるように、ゆっくりとついてきている。


「天使……か」星野が空を見上げて唖然としながらつぶやいた。


 カーラはアクパーラ号の周りを一周するとデッキにふわりと降りてきた。光球もデッキに降り立つと同時に消え去り、中の加藤だけが残った。

 

 加藤はぼんやりした表情で周囲を見渡し、自分がアクパーラ号のデッキに戻ったと分かると、様々な想いが入り混じった感情が吹き出して爆発した。

 

「うわあああああ!」


 加藤の泣き声がデッキに響き渡る。うずくまり、まるで子供のように泣きじゃくった。


 木村は静かに歩み寄り、加藤の背中にそっと毛布を掛けた。やがて、毛布の縁をつかんで加藤はゆっくりと顔を上げた。


 ぼんやりとした目でカーラを見つめる。


「……なんで、助けたの?」


 かすれた声で呟くと、カーラはただ微笑んだ。


「あなたを、守りたかったから。」


 その瞬間、加藤の中で何かが弾けた。

 ずっと信じられなかったもの――優しさ、温もり、救済。


 彼女の瞳から、新しい涙が流れた。

 だが、それは先ほどまでの悲しみだけではなく、何か別の感情も含まれていた。


 それが何なのか、加藤自身もまだわからなかった。

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