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好きなバンドマンが死んだ日

作者: 暴走紅茶

 Tuesday 東京 厚手のコート


 *

 

 朝、いつも通り出勤して、いつも通りパソコンのスイッチを入れ、仕事を始める。

 事務所に流れるFM放送は、いつも通りのパーソナリティが、いつもの調子でお便りを読み、リクエストの曲を流している。

「紅沢君」

 上司に呼ばれ、仕事内容の打ち合わせ。聞いた仕事に取りかかる。

 そうこうして、昼過ぎ。

 懐かしい曲がFMから流れてきた。

 ――誰かのリクエストかな。

 その曲は大学時代によく聞いていたバンドの曲で、今ではすっかり音楽を聴かなくなった僕の耳に触れると、体の中に熱く浸透していくような、懐かしい感覚を覚えた気がした。

 懐かしいなと素直に思う。あの頃は毎日ギターを弾いて、好きなバンドの曲をコピーすることだけが生活であり、勉強もバイトもその副産物に過ぎなかった。ただただ楽しいだけの毎日。友達と集まっては酒を酌み交わし、音楽を聴く。勉強したことを次々に忘れていく体の中には、音楽と酒と煙草だけが蓄積されていった。好きな音楽と、好きな酒と、好きな煙草と、好きな人たちが世界の全てだった。

 そんな僕も気づけば社会人。転職だって経験した。仕事と仕事の為の勉強が、すっかりグタグタになった体へ入ろうとしては、浸透しない日々。決して仕事は嫌いじゃない。むしろ好きなくらいだった。今に不満はない。それでも、あの頃を懐かしみ、欲する心は確かにあった。

 ――また音楽を聴こうかな。

 そういえば、イヤホンは鞄に入れっぱなしだったんだっけ。帰りの電車は読書じゃなくて、音楽にしよう。

 心の中が、にまにました表情で溢れていく。

「そろそろお昼にしようか」

 独りごちてパソコンを閉じると、弁当袋を掴み、ホワイトボードに『お昼』のマグネットを貼る。そのままの足取りで休憩室に入った。

 今日のお弁当はなんだっけ。と、どうでもいいことを考える。自作のうえ、毎日中身が変わらない弁当なのに。弁当箱代わりの密閉容器を電子レンジに入れると、2分に設定した。待っている間、適当にスマホでも見ていよう。誰かがくだらないストーリーでも上げていないだろうか。

 スマホの画面が点灯する。

 途端、僕は言葉を失った。

【訃報】

 数ある通知の中で、ニュースサイトの、その文字が、真っ直ぐ目に飛び込んできた。

 先ほどまでの、いつも通りが、終わった。


 *


 好きなバンドマンが死んだらしい。

 好きなというのは字面のままで、胸を張って大好きとは言えないバンドマン。曲も声もギターの音色だって知っているけれど、別に全曲聴き倒して、ライブに行っていた訳では無い。それでもこの喪失感は、そのバンドマンが大学時代の思い出で、音楽を好きになり始めていた初期衝動の一部で、カッコイイオトナの一人で……、かけがえのない存在だった事を示していた。

 もっと聞いたら良かった。もっと好きになっていれば良かった。ライブに行けば良かった。生きている内にもっと、もっと。

 そう思っても、もう遅いことだというのは、頭の中で分かっていた。


 *


『好き』

 それはとても難しい感情。

 例えば恋愛だったら。それは甘くて酸っぱくて苦いなんて形容される、それはそれは青春の味がする甘美なモノかも知れない。

 しかし、恋愛以外に向けられる『好き』の感情は、また異なる難しさを内包している。

『好き』って言うくせに、全然知らないじゃん。

『好き』ならもっと語れよ。

『好き』ならもっと金を落とせよ。

 自分の方が『好き』だからという他者のマウント。それを向けられる度、変に納得してしまって、そこで終わってしまう。どうせ今から追っても、大好きを抱える他者に劣るなら適当でいいや。自分だけで勝手に楽しんでるだけ、別に好きとか言わないよ。あ~他にも好きな事あるしな~。適当な言葉で自分を取り繕い、『好き』の言葉から逃げ続ける。語ることも憚られるタブーを、胃の中に押し込んで、胸焼けを押し殺す。

 それは努力が足りないからだろう。

 勿論分かっている。

『好き』ならもっと知りたくならない?

 勿論分かっている。

『好き』じゃなかったんだ。

 そんなことはない。

 でも、『好き』と言えるようになるまで、時間を掛けなければいけない理由が分からなかった。今ここにある感情を言葉にするなら『好き』であるはずなのに、僕の中にある感情はどうやら『好き』とは違うモノらしい。

 じゃあ、これは、一体何なのだろう。

 それを積み重ねていく内に『好き』の感情がどんなものか、分からなくなってしまった。


 *


〈チンッ〉

 

 安い電子レンジは、未だに完了の音をベルで伝える。今時のモノは電子音らしく、それしか知らない子供には、「チンする」の意味なんて伝わらないらしい。何てことはどうでもよくて、今はその音が僕を現実に連れ戻してくれた。

 喪失感はあるのに、妙に頭は冴えている。

 ――そっか、だからFMで流れてたんだ。

 冷静に考えている自分は、やっぱりその程度だったのかと思った。

 昼飯を口に運びながら、Twitter(現:X)を眺める。沢山のニュースサイトと、沢山の仲間と、沢山のファンが追悼の投稿をし続け、僕が見たときには既にトレンド入りしていた。

 タイムラインに流れてくる故人との思い出はどれも楽しく、面白く、熱く、その瞬間だけは世界からアンチが消えたかのような気がした。きっとこの今日は、殺人なんて起こらない気がした。

 葬式は故人を思い出し、懐かしみ、語らうことが1番の供養になる。なんてどこかの僧侶だか葬儀屋の人が言っていた覚えがあるから、絶対この鎮魂歌は天に届いて、間違い無く魂を正しい方へ導いてくれるに違いないと思った。


 *


 昼食後、席に戻るとFMは追悼特集を始めていた。熱いファンレターと思い出の曲のリクエスト。流れてくる曲は知っているモノも、知らないモノも入り交じり、だがどれもカッコよくて魂を奮わせてくるから、仕事の手がはかどらない。

 数時間パソコンと格闘すると、スッと席を立ち、コンビニへ向かう。

 そこでとある煙草を買って、喫煙所へ向かった。

 いつもより重たいそれに火を付けると、紫煙を吐く。

 空を眺める。人々の悲しみを吸い上げた曇天が、重たく広がっていた。

 職場に戻るとまだ曲が流れていた。どうやら今日は19時の番組終了まで、追悼特集を続けるようだった。


 *


 その後も懐かしい曲を耳に仕事を続け、定時から丁度1時間過ぎたあたりで帰路に就いた。最近は専ら読書の時間に充てている通勤時間だが、流石に今日は音楽が聴きたい。ラジオの特集では流れていなかったお気に入りの曲を聴きたい。

 なのに、ずっと使っていなかったイヤホンは、そんな僕を嘲笑うように、絡まって解けなかった。聞きたい聞きたいと気持ちが急くほどに絡まっていく気がする。毎日使っていれば、こんな事にはならないだろうに。大学を卒業して、音楽と親しむ時間を取らなかった(ごう)だと思い、一つ一つ絡まっている部分を解きほぐしていく。

 ようやく解けたイヤホンをスマホに差し、音楽サブスクリプションアプリを立ち上げ、選曲。聞きたかった曲が流れ出した。そのメロディと歌詞が体の中に吸い込まれていく。それと同時に、この歌声が二度と新しい曲を作り上げない事実に、淋しさを覚えた。アルバムの中の曲たちは、その名前だけではピンと来なくとも、聞けば知っている曲だった。 

 その程度の『好き』なのに、こんなにも寂しくなるとは思ってもいなかった。


 最寄り駅に着く。ポツリポツリと雨が滴ってきた。悲しみを秘めた場面演出として、典型的過ぎる状況に、なんだかチープだなと苦笑した。徒歩で家路を辿る。商店街を抜けると、人通りがまばらになり、気がつけば辺りの人影は消えていた。ここまで来れば、音漏れを気にする相手もいない。音量を一気に上げる。世界に自分とそのバンドだけしか居ないかのような錯覚に囚われた。

 イヤホンから流れるのは、古き良きというのか、古き悪しきというのか、最新の音楽と比べてしまえば汚い音源でも、だからこそのかっこよさがあり、一番聞いていた時期の思い出がフラッシュバックしてきた。スピーカー代わりのベースアンプを大音量に、同じ場所、同じ曲で、友人達と盛り上がった夜が懐かしかった。

 記憶の中で、一つの会話が蘇る。

「なあ、この曲、亡くなったリードギターの事を歌ってるんじゃないか?」

 僕が流れる音楽に対し、当時同じサークルにいた同期にそんなことを言った。すると同期は、

「ああ、この人新曲出す度にそう言われてるんだよ」

 そう言い返してきた。

「そっか……」

 何となく自分の無知が恥ずかしくて、それ以上の言葉を投げた記憶が無い。だが、今考え直してみると、それは、「誰が聞いても大切な人の事を歌っていると思わせる」曲って事なのだと思った。最高に素敵だ。

 死んだバンドマンは、もうこの世にいない。それでもその人物が残した曲には、その人の肉声が残っていて、これからも多くの人に聞かれ紡がれていくのだろう。それは生きていた証拠という莫大な遺産。誰もがスピーカーやイヤホンを通して、これからも享受し続けられる公共の遺産。


 *


 近所のコンビニで赤いビールと、緑のビールを買った。普段翌日に仕事のある日は禁酒している僕だったが、今日は飲まなくてはいけない気がした。YouTubeでライブ映像や対談映像なんかを見ながら酒を呷っていると、まだどこかで生きている気がした。死んでしまった事実は、酒で流し込めはしなかった。

 そんな折りにふと思う。

 ここまで自分の中に追悼の意を生み出したそのバンドマン、そのバンド、その曲が、ちゃんと『好き』だったと言うことを。

 なによりこの淋しさが、全ての答えだった。

 今まで『好き』を難しく考えすぎていた。

『好き』は自分の感情である。

 誰と比べるモノでも無い。

 誰かに否定されたら別に聞き流せばいい。ただ自分に素直になり、ただ自分の中にその感情があることを認め、ただ自分だけで熱狂していたら良かったのだ。『好き』から逃げる必要は無かったのだ。別に感情は、吐露するだけのモノでは無い。簡単なことだった。

『好き』は案外難しいモノではない。

 この日は、そんな頭では分かっていた結論が、胃の腑に落ちていった日だった。


 *


 R.I.P.

 カッコイイオトナを見せつけてくれたバンドマン。

 翌日は綺麗な青空でしたよ。

追悼の意を込めて

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― 新着の感想 ―
[良い点]  主人公からすれば、日常であり、好きだったバンドマンが亡くなったということだけがイレギュラーな事態なわけですが、そのことをきっかけとして、今の在り様を見つめなおす過程にリアリティを感じまし…
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