第80話 責任を取るということ
ルジェナと話しながらダミアンさんと職員さんが話し合っている様子を眺めていると、ダミアンさんが僕のところへ来た。
「お待たせ。ここを借りることに決めたよ」
「ここでいいんですか?」
「それはまあ準備は大変になるけど、先々のことを考えれば、この広さは魅力的だからね」
2件目の物件なら倉庫を作業場に転用できるから、ダミアンさんは建物の準備だけで済む。ただ、ここには工房の代わりになる建物がないので作業場を建築する必要がある。どの程度の期間で作業場を建てられるか分からないけど、場合によっては、ダミアンさんは冬の間ずっとこの町に滞在することになるかもしれない。
「今回は商業ギルドが関わっているからね。存分に手伝ってもらうつもりだよ」
建物を建てるには建材が必要になる。ダミアンさんは建材の調達を商業ギルドに任せるつもりらしい。まあ、商業ギルドが事業の拡大を急かしているんだから、そのぐらいの協力はしてくれるだろう。
「分かりました。では、ここをファクチュア工房のケッセルスタット支店にしましょう」
「了解。で、私は契約を交わすために行政館へ戻るけど、アルテュールくんはどうする?」
「カチャのことが気になるので、僕たちは宿屋に戻ります」
合流できなかった場合のことは決めてなかったけど、夕食は宿屋で食べることになっているから、それまでには戻ってくるはずだ。
「そうだね、それがいい。私は手続きを済ませたら商業ギルドにも寄るつもりだから、戻りは遅くなると思う。夕食は私を待たずに食べてくれ」
ダミアンさんは行政館で契約を終えたあと、商業ギルドに寄って建材の手配まで済ませるつもりらしい。
「分かりました」
「さて、いつまでも待たせるわけにはいかないから私は行くよ」
ダミアンさんが背後を指さしたので、そちらに視線を向けると、つま先で地面を叩いている職員さんの姿が見えた。
「はい、よろしくお願いします」
僕が苦笑いをしながら返事をすると、ダミアンさんは職員さんを連れて行政館へ戻っていった。
「さて、僕たちも戻ろう」
「はいです」
あとのことはダミアンさんに任せて、僕とルジェナは宿屋へと戻った。
◇◇◇
ダミアンさんと別れて宿屋に戻ったけど、借りている部屋にカチャの姿はなかった。ちなみに、部屋は男女別で2部屋借りている。
「どうやら、一度は戻ったみたいです」
そう言ってルジェナはカチャの荷袋が開いていたと報告した。
「それで、肝心のカチャは?」
「分からないです」
事件に巻き込まれた様子はないので安心したものの、それならいったいどこにいるのか。
「車庫にロドルフがいるはずですから、聞いてくるです」
ロドルフには馬の世話と馬車の整備を任せてあるから、今日はずっと宿屋にいたはずだ。もしかしたらカチャの居場所を知っているかもしれない。
「それなら僕も行くよ。馬車の状況も確認したいから」
部屋で待っていても仕方がないので、僕もついて行くことにした。
宿屋の裏手にある車庫の中には、僕たちが乗ってきた馬車が停めてあり、車庫の隣にある厩舎ではロドルフが馬の手入れをしていた。
「ロドルフ、カチャを見なかった?」
「ひゃいっ?! あ、アルテュール様、その、えっと……」
ロドルフは僕たちに気づくと、なぜかオドオドした様子で車庫の方をチラチラと見た。
その様子を不審に思ったルジェナは、車庫に入り無言で荷台の幌をめくった。
「――なっ!?」
荷台にはイェレくんがいて、厚手の布を敷いた床に幼い子どもが横になっている。その子は真っ赤な顔をしてひどく汗をかき、呼吸も荒くなっている。イェレくんは自分も具合が悪いにもかかわらず、甲斐甲斐しくその子の汗を拭っていた。
「……カチャはどこに行ったです?」
幌を閉じて厩舎へ戻ってきたルジェナは低い声でロドルフにカチャの居場所を尋ねた。
「あー、それが、そのー」
ロドルフが言い淀んでいると、その瞬間、通用門が開いてカチャが入ってきた。
その手には布が掛けられ、食べものが入っていると思われるカゴを持ち、左肩には買い物で使う大きめのショルダーバッグが掛けられている。
「わりぃ、遅くなった! ……って、アルにルーねぇ?!」
カチャは僕たちに気づくと、気まずそうに視線を逸らした。
「どういうことです? アルテュール様との約束を破って、何をしていたです?」
ルジェナはカチャの前に立ち、腰に両手を当てて問い詰める。
「いや、その、悪いとは思ってる。でも、しょうがなかったんだよ!」
カチャは観念したように、イェレくんを送って行ってからの出来事を話し始めた。
イェレくんは妹のリニちゃんと2人きりで家と家の隙間に建てられたあばら家に住んでいたけど、帰った時にはそのあばら家が崩れていたそうだ。
幸いリニちゃんは瓦礫の隙間にいたことで命に別状はなかったものの、元々歩けないほど衰弱していた上に怪我を負ってしまい、かなり危険な状態だった。
カチャは慌ててリニちゃんを治癒院に連れて行ったものの、衰弱した身体がすぐに回復するわけもなく、カチャは住むところを失った2人を放っておけず、とりあえず休ませる場所として馬車に連れてきた、ということらしい。
「……はぁ」
ルジェナは宿屋に帰ってくるまでは勝手な行動をしたカチャを叱ると言っていたけど、事情が事情なだけに叱ることができず、大きなため息をついて天を仰いだ。
気持ちは分かるけど、今はカチャのことよりも、イェレくんとリニちゃんをどうするかを考えなければならない。
「それで、カチャは2人をどうするつもり?」
まずはカチャの考えを聞く。
「――うっ、そのぉ、孤児院に……」
「それが難しいのはカチャの方が分かってるよね?」
孤児院といっても、誰でも受け入れてくれるわけじゃない。
最優先されるのはその町の住人の子どもで、その次は近隣の村の子どもになる。まれに別の町から送られてくる場合もあるけど、それでも『納税している領民の子ども』という条件は変わらない。逆に言えば、税金を払っていないスラムの住人の子どもには孤児院に入る権利すらないということだ。
これは意外と重要な条件で、納税者と非納税者の扱いの違いを知らしめることで、領民の納税意識を高めている。
「けど、あたしは入れた!」
確かに、カチャのようにスラムの子どもが孤児院に入れる場合もある。1つは養育費を払って引き取ってもらう方法で、もう1つは定員割れを起こしている場合だ。孤児院には最低収容人数が決められていて、その人数より少なくなると領政府からの補助金が削られてしまう。そのためスラムの子どもを引き取ることがある。
どちらの理由でカチャが孤児院に入ることができたのか分からないけど、それが稀ではあることは実際に孤児院で生活していたカチャの方が理解しているはずだ。
「じゃあ、アルは放っておけって言うのか!」
カチャが声を荒げているのは2人の状況が最悪だからだ。
衰弱しているリニちゃんと怪我をしたイェレくん、それに崩れた住処、このままでは今年の冬を越えられない。
「……手がないわけじゃない」
「ほんとか!?」
正直、気は進まないけれど、2人が冬を越す方法はある。
「それは、……2人を奴隷商に引き渡すことだよ」
「はあっ!? なんで!」
奴隷制度には犯罪者への罰とは別に困窮者の救済という側面がある。
お金に困って子どもを売るという印象が強いけど、何かしらの理由で自活できない人が、生きるために自ら奴隷になることがある。ただ、奴隷というのは主人に対して服従しなければならないし、奴隷イコール犯罪者という印象もあるので自ら奴隷になる人は少ない。
「奴隷商なら、売るために世話をしてくれるはずだよね?」
そう言うと、僕はルジェナに視線を向けた。
「それはまあ奴隷商も商売ですから、売れそうなら引き取って世話をするです。でも、イェレはともかくリニを引き取ってもらえるか分からないです」
さすがにあそこまで衰弱してしまうと、回復にはかなりの時間と労力、そしてお金がかかってしまう。もしも回復せず、売れなかったら奴隷商が損をしてしまう。
「ああ、なるほど。まあそれならそれでイェレくんを奴隷商に売ったお金でリニちゃんを孤児院に入れるという手もある」
「そんな!」
カチャは言い返そうとしたけど、何を言えば良いか分からず口を開けたまま固まった。
「酷なことを言うようだけど、対価もなしに幸せになる方法なんてないんだよ」
本来、その対価は親が支払っている。着る服、毎日の食事、生活する家、それらを親が用意してくれるからこそ、子どもは生きていける。
「イェレくんかリニちゃん、どちらかが対価を支払う必要がある」
「そんなこと……」
カチャには『どちらを助けるか選べ』と言われたように聞こえたのだろう。視線をさまよわせて俯いてしまった。
「ぼく、奴隷、なる……」
ハッとして車庫の方へ視線を向けると、馬車の陰からイェレくんが顔を出した。
話を聞かせたくなかったから車庫から離れていたんだけど、どうやら聞かれていたようだ。
「……だから、リニ、助けて」
目に涙を浮かべ、震えを抑えるように両手を握りしめている。
その震えが奴隷になることへの恐怖なのか、それとも妹を失う恐怖なのか、僕にはわからない。それでも妹のために奴隷になる決意をする強い子だということは分かる。
「――っ、イェレ!」
カチャは咄嗟にイェレくんを抱きしめた。
「あれぇ……なんか、僕が悪者みたいになってるんだけど?」
「十分悪者だと思うですよ」
おかしい……味方がいない。僕は現実の厳しさを説明していただけなのに。いやまあカチャが同じことを繰り返さないように冷たい言い方をした自覚はある。でも、僕にだって2人を助けたいという気持ちはある。ただ、今回のことはカチャが望んだことだからカチャが責任を負うべきだとも思っている。
「カチャに覚悟があるなら、他の方法もある」
「――っ!? ほんとか?」
さっきまでの暗い雰囲気が嘘だったようにカチャは振り返った。
「カチャが2人の身元保証人になればいい」
「身元保証人?」
なぜスラムの住人が困窮しているかと言えば、納税していないことで領政府が身元の保証をしてくれず、低賃金で不定期な仕事しかできないからだ。
逆に言えば、税金さえ納めれば領政府が身元を保証してくれるので安定した仕事に就くことができる。
「そうは言っても簡単なことじゃない。そもそもメイド見習いでしかないカチャの給金では2人の人頭税を払うことはできないし、生活費も必要になる。それにいくら保証人がいたとしても子どもが仕事を見つけるのは難しい。それに2人が何かしらの問題を起こせばカチャが責任を取ることになる」
こうして並べ上げるとカチャにとって得になることは1つもなく、負担だけが重くのしかかってくる。
「それでもカチャが保証人になると言うなら、僕も手続きや資金の援助くらいは惜しまないよ」
「……分かった。あたしが2人の保証人になる」
カチャは抱きしめたままのイェレくんを一瞥してから、決意を込めた表情で答えた。
「それで、あたしはどうすればいいんだ?」
「いろいろと手続きをしないといけないんだけど、まずは2人の体調を整えるのが先だね」
イェレくんもだけど、なによりリニちゃんの体調が悪すぎる。最低限歩ける程度に回復してもらわないと手続きのために行政館まで連れて行くことができない。
「人頭税と生活費は僕の個人資産からカチャに貸し出すから、貸付契約も必要だね」
2人分の人頭税で金貨が1枚必要、それと生活費に毎月銀貨2枚ぐらいは必要だろう。それに対してカチャの給金は月に銅貨5枚、護衛ができるようになれば増額するけど、それでも2人を養うには足りない。
「それと、イェレくんにはファクチュア工房で働いてもらう。まあ、働くと言っても敷地内の草むしりや建物の掃除をしてもらう程度だけどね。で、その対価としてファクチュア工房が部屋と食事を提供する、というのはどう?」
さすがに住居と食事の世話までカチャに負担させるのはかわいそうなので、仕事ということにして住む場所と食べものを与える。幸いここの工房は個室が多いから1部屋だけなら使っても大丈夫だと思う。
「――いいのか?」
「まあ、いいか悪いかで言えば、悪い。でもカチャだけで背負いきれることじゃないからね」
ようやくカチャも自分の行動が周りを巻き込んでいることに気づいたようで、渋い表情に変わった。
「……迷惑かけて、ごめん」
カチャは気まずそうに視線を逸らして、そうつぶやいた。
「あとでちゃんと反省してもらうけど、まずは2人を部屋に入れた方がいい」
そう言って僕はイェレくんを指さした。
「え? ――イェレ!?」
庇うように身をかがめていたカチャは、はっと後ろを振り向き、イェレくんを抱き寄せた。
イェレくんは顔を赤くし、汗をかいている。息も荒く、立っているのもつらそうだ。
「ルジェナ、手伝ってあげて」
「はいです」
ルジェナの返事にうなずき、僕たちは部屋へと戻った。




