第79話 世知辛い
路地から出てきた何かをよく見てみれば、服と呼ぶのを躊躇うような布の塊を巻き付けた幼い子どもだった。
「俺の店から盗むなんざ、ふてぇ野郎だ!」
幼い子どものあとを追うように、棒切れを手にした男が路地裏から出てきた。
「二度としねぇように躾けてやる!」
男はそう言って棒切れで幼い子どもを何度も打ち付ける。
身体を丸くして痛みに耐える幼い子どもを見ると怒りがこみ上げてくる。だけど、状況も分からずに止めに入ることはできない。しかも男が『盗む』と言ったので、幼い子どもの方が悪い可能性が高い。
「いい加減にしろ!」
僕がどうしたものかと思案している間にカチャが男の振るう棒切れを槍で弾き飛ばした。
「なっ、なんだてめぇ!? このガキの仲間か!」
ルジェナは舌打ちをしてからカチャの背後へ移動し、槍の柄を掴んで引き倒した。
「うわぁっ!?」
「申し訳ないです。この子はまだ未熟で、どうやら気が急いたようです」
「――っ、ルーねぇ!?」
ルジェナが男の怒りを鎮めようとするものの、納得がいかないカチャは抗議の声を上げた。
「黙るです」
ルジェナは低い声で命令し、怒りを込めてカチャを睨みつけた。
「はん! 何のつもりか知らねぇが、俺は俺の店を守るためにこのガキを躾けてんだ。てめぇらに文句を言われる筋合いはねぇ!」
日本では考えられないことだけど、司法機関が未成熟なこの世界では軽微な犯罪に限り被害者が加害者に対して私刑を下すことが許されている。もちろん見せしめが目的なのでやり過ぎには注意が必要だけど。
「あん? なんだてめぇ奴隷じゃねぇか」
男はニタリと笑い、下卑た目でルジェナを見た。
「奴隷の不始末は主人の責任だって知ってっか? てめぇの主人はどう落とし前を付けてくれるんだろうなぁ」
カチャを叱るのは後に回すとして、まずはこの状況をどうするべきかを考える。
こちらが一方的に手を出した状況だから、ある程度の賠償は必要だろう。だけど、素直に非を認めればどこまでのことを要求されるか分からない。
僕は取り繕えるだけの何か《・》がないかと周りを見渡した。
「無理やり止めたのは申し訳なく思います」
そう言ってから僕は尻もちをついているカチャの前に出た。
「ですけど、少し気になったことがあるんです」
「あぁん? なんだこのガキは?」
男はどこぞのチンピラのように睨みつけてきた。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。僕は彼女の主人でアルテュールと言います」
僕はできるだけ笑顔で丁寧に、それでいて毅然とした態度で挨拶をする。
仕立ての良い服を着た子どもが丁寧語で話せば普通は貴族の可能性を考える。さすがに『貴族です』と言えば、身分詐称で罰せられるけど、相手が勘違いするように誘導するぐらいなら問題はない。
「それで確認なんですけど、その子はあなたのお店から何かを盗んだ、という認識でよろしいですか?」
「そ、そうだ、そのガキは俺の店からパンを盗んだんだ!」
僕は蹲ったまま立ち上がれない子どもをチラリと見る。
「それなら、あなたはその子に感謝した方が良いかもしれないですね」
「ん? ……はぁあ!? なに言ってんだ、盗まれて感謝するバカがどこにいるってんだ!」
男は呆けてから、唾を飛ばす勢いで怒鳴りだした。
僕は顔を逸らしてのけぞりながら話を続ける。
「あなたが盗まれたと証言したパンを見れば分かりますよ」
そう言ってルジェナの方へ視線を向けると、意図を理解したルジェナが眉をひそめながらも蹲った子どもからパンを取り上げた。
「あっ……」
抵抗することもできずにパンを取り上げられた子どもは、悲しそうな声を漏らした。
嫌な役をやらせたかと思うけど、感情的になっているカチャに頼む訳にはいかない。仕方がないからあとでお酒を飲ませてあげよう。
「ああ、そういうことですか……」
ルジェナは取り上げたパンを見て納得したようで、そのまま男の眼前にパンを突き出した。
「見れば分かると思いますけど、そのパン、カビが生えてますよね」
僕は男に近づいて周りに聞こえないように小さな声で言う。
「……」
男は何も答えず、視線を逸らした。
「良かったじゃないですか、それをお客さんに出さなくて済んだんですから」
「……あ、あぁ、そう、だな……」
男は気まずそうにしながらも、僕の意見に同意した。
「ということで、ここまでにしましょうか。あなたもお仕事があるでしょうから、ね?」
「……まあいい、だが、そのガキが二度と俺の店に来ないようにしておけよ」
男は吐き捨てるように言うと、子どもを一睨みしてから去って行った。
「僕にそんなことをする義理はないんだけどなぁ。まあ、とりあえずどうにかなって良かった。あとは……」
事の発端になったカチャへと視線を向けると、すでに子どもの治療を始めており、ルジェナは呆れながらも見守っていた。
カチャから治療を受けている子どもは、雑に切られたボサボサの髪と痩せ細った身体、繕われた形跡がない服と靴の代わりに足に巻かれた布、明らかにスラムの子どもだ。
「それで君の名前は?」
「――」
怪我の治療が終わってから声をかけたんだけど、どうやら僕のことを警戒しているようで、カチャの後ろに隠れてしまった。
「何でパンを盗んだの?」
「――ぬ、盗んでない」
さすがに盗人扱いは心外だったのか、カチャの後ろから顔だけを出して反論した。
「まあ、そうだろうね」
「――!? ……信じる、の?」
「そりゃあね」
申し訳ないけど、最初は盗んだと思っていた。だけど、パンにカビが生えているのを見て、盗んだのではなく拾ったのだと考えを改めた。
いくら賞味期限という考えが存在しないこの世界でも、さすがにカビの生えたパンを売ることはない。たぶん、この子は廃棄品か何かを拾ったんだろう。
「……イェレ」
「ん?」
「ぼく、イェレ」
「ああ、名前、イェレくんね。僕はアルテュール、それと、君の治療をしたのはカチャで、もう1人はルジェナだよ」
少しは警戒が解けたようで名前を教えてくれた。
「怪我は大丈夫?」
「……うん。ありがと、もう行く」
「えっ、でも……」
カチャが心配そうに声をかけるけど、イェレはおぼつかない足取りで立ち上がった。だけど、空腹と怪我のせいか、今にも倒れそうにふらついている。
「帰らないと……リニが待ってる」
「リニ?」
「妹」
それを聞いた瞬間、『まずい』と思った。
そっとカチャの方へ視線を向けると、案の定表情を硬くして動きを止めていた。
カチャも孤児院に引き取られるまではスラムで兄と過ごしていたから、自分の境遇と重ねているのは容易に想像できる。
これ以上関わるべきじゃないのは明らかだ。頭ではそう分かっているけど、カチャの不安そうな横顔を見ていると、無下に突き放すこともできない。
「カチャ」
「……なんだ?」
心ここに有らず。その言葉を体現するように、カチャは僕の方に視線すら向けず、気のない返事をした。
「その子を送ってあげて。ただし、ダミアンさんとの合流には遅れないようにね」
「おう、分かった! ありがとうな、アル!」
カチャは表情を明るくして、イェレに肩を貸して歩き出した。
その様子を横目に、僕はルジェナに向き直る。
「さて、僕たちはもう少し町を見て回ろうか」
「……やれやれです。アルテュール様も大概お人好しです」
呆れたようにため息をつくルジェナだけど、その口元はどこか楽しそうに緩んでいる。
僕は少しばかり気恥ずかしく感じて、そそくさと歩き出した。
◇◇◇
カチャと別れてからも町を見て回り、住宅街に入る手前にあったお店で昼食を食べた。
それから待ち合わせ場所の広場に着き、ダミアンさんを待った。
「やあ、待たせたね。おや? カチャちゃんはどうしたんだい?」
「ちょっと別行動になったんですけど……、まだ戻ってこないんです」
僕はダミアンさんに経緯を説明して、どうしたものかとため息をついた。
「1人で行かせたのは失敗だったかな?」
「行かせなければイェレが気になって護衛に身が入らなかったと思うですし、アルテュール様まで付き合う必要もないです。それに、カチャはすでにEランク程度の実力はあるです。何かあっても対処はできるですよ」
僕の中にはローザンネさんとの訓練で吹き飛ばされているカチャの印象があったから、あまり強くないと思っていたけど、そんなことはないらしい。
考えてみればローザンネさんはAランク相当と言っていたから、ローザンネさんと打ち合える時点でそれだけの実力があるということだ。
「カチャちゃんのことは心配だけど、そろそろ行かないと……ね」
ダミアンさんは少し離れた場所で待っている男性に視線を向けた。
服装から行政館の職員だと分かる。
「そうですね。まあ合流できなければ宿屋に戻るでしょう。僕たちは工房用の建物を探しに行きましょう」
僕とダミアンさんは話し合いを終わりにして、行政館の職員のところへ行った。
「すみません、お待たせしました。それでは案内をよろしくお願いします」
「はい。それではここから近い物件からご案内します」
僕は付き添いという立場になるので、職員の対応はダミアンさんにしてもらう予定だ。
先頭を歩く職員に続いて僕とダミアンさんは並んで歩く。最後尾はルジェナだ。
職員さんに案内されて15分、最初の物件は行政館の北にある外壁の近くだった。
以前は野菜の加工場として使われていたけど、加工場が町の東にある農業地域に移転したため使われなくなったそうだ。
建物は加工場の他に倉庫が2つあり、運搬用に飼っていた馬用の厩舎があった。
敷地は広いものの囲いはただの板壁だし、建物も貧弱で工房には向かないということで、すぐに見切りをつけて次の物件へ向かった。
次に案内されたのは元農家の家で、ヘルベンドルプで住んでいた家のように倉庫と母屋が合体した家だった。ただ、敷地が狭く母屋が敷地の半分近くを使っているため、将来工房を拡張しようと思っても広げることができないという問題があった。
将来のことに目をつむれば悪くはないけど、警備の人員を常駐させる必要があるから、もう少し広い方が良い、ということで保留になった。
3件目に案内された物件はイェレと会った場所の近くだった。
カチャが居ないかと辺りを見回したけど見当たらなかったので、そのまま物件を案内してもらった。
以前は金細工の工房だったそうで作業場はかなり狭い。ただ、貴金属や宝石類を扱うことがあるため、鍵付きの頑丈な倉庫があった。
鍵付きの倉庫には後ろ髪を引かれる気持ちはあったけど、建物が狭すぎて断念した。
「現状で空いている物件はここが最後になります」
そう言って最後に案内されたのは、冒険者ギルドよりもさらに西へ進んだ場所、未開の森へ行くための門の近くにあった。
「ここは、2つの冒険者パーティが共同で使用していた物件になります」
この辺りは未開の森が近いため賃料が安い。そのため敷地が広く、冒険者が使っていただけあって頑丈な外壁と訓練用の広場もあった。建物の方は個室棟と食堂などがある共同棟に分かれていて、アパートと言うより学生寮のような雰囲気がある。
今まで見た中で一番敷地が広いけど、作業場がないのが難点だ。
「さて、どうしたものか……」
ダミアンさんは両腕を組んで考え始めた。
支店の立ち上げはダミアンさんに主導してもらうことになっているので、僕は黙ってダミアンさんが答えを出すのを待った。




